第14話「社畜と悪役令嬢と、仮面なき仮面舞踏会」 エピソード⑯
王立学院・寄宿舎
ルナリアの私室(朝)
柔らかな朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
まどろみの中、ゆっくりと瞼を上げると――寝台の縁に、茶色の髪が見えた。
(……ミレーヌ……?)
寝台の傍らに座り、縁に顔を伏せて、静かに寝息を立てている。
ふと、押し殺すような寝言が零れ落ちた。
「……殿下、歩幅は半歩で……お嬢様は軽くても羽根ではございません。揺らさないで……」
「……合格印は差し上げますが……講評は後ほど……」
思わず、ルナリアの口元に微笑みが浮かぶ。
ほどけかけたツインテール、わずかに歪んだヘッドドレス。
疲れ果てるまで看病してくれていたことが、痛いほど伝わってくる。
自分の額に手をやれば、まだ湿り気の残るタオル。
冷たさが、まだ薄く残っていた。
ふと、ミレーヌの指先が赤くなっているのに気づく。
きっと何度も水を替えて、夜通し看病してくれていたのだろう。
いつの間にか、ドレスからゆったりした夜着へと着替えも済んでいる。
ミレーヌ。完璧な侍女――いつも毒舌混じりに、それでも愛情たっぷりに奉仕を捧げてくれる子。
――よくできた妹とは、こういったものなのでしょうか?
そっと手を伸ばし、少し傾いたヘッドドレスをすっと整える。
「……ありがとう、ミレーヌ」
すやすやと寝息を立てる横顔に向け、小さく呟く。
それだけで胸が熱くなり、目頭がじんわりと滲んだ。
――その時。
頭の奥から、寝ぼけたような声が転がり出た。
『ん……? あれ、朝……? あっ、ルナリアさん、おはようございます……』
(……ええ。おはようございますわ、まひるさん)
『っていうか!
昨日の“推しのお姫様抱っこフルコース”……夢じゃなかったんですよね!?
うわぁぁぁぁ!!』
(ふふ……そのことはあまり言わないでくださいな)
ルナリアは身じろぎをすると、頬を冷やすようにひんやりした枕へ押し付ける。
『はっ……朝からすみません……。尊すぎてつい!
ちゃんと……殿下に「合格」って言えました?』
(……ええ、お伝えしましたわ。……なんだか、少し照れますわね)
頬をほんのり染め、今度は寝返りを打つと、枕に顔を埋める。
窓から差し込む朝の光は、昨夜の熱を洗い流すように清らかだった。
もう発熱も、身体のだるさもない。
けれど、余韻のような頬の微熱と、けだるさはまだ残っている。
『……結局、舞踏会、またすっぽかしちゃいましたね』
(そう言われてみれば。でも……また次もありますもの)
『昨日は、監禁&アルフォンス様強制抱擁事件からの――
プリシラ嬢との激戦を経て、ラファエル様の宣言&お姫様抱っこ事件まで――
……これ、詰め込み過ぎですって! ねえ、乙女ゲーのシナリオライターさん!
そりゃ、いくらルナリアさんでも疲れますよ!』
(たしかに、なんだかいろいろな出来事がありましたわね――。
わたくし、思っていたより、気を張っていたのかもしれません)
『ふふ、社畜道を究めたわたしなら、二徹までは耐えられます!』
(まあ……頼もしいですわ)
『でもね……二徹したあとに上司から「明日も朝イチ会議な」って言われた時は、
マジで倉庫に閉じ込められたときより絶望しましたよ!』
(それは……たしかに心が折れそうですわね……)
『ただし、三徹まで行くと、コンビニで「温めますか?」って聞かれて
「わたしも温めてもらえますか?」って答えて引かれるレベルになりますけど……』
(……それは本当に大丈夫なのですの?
けれど、さすがですわ。社畜さんって……本当に我慢強いのですわね)
『うぅ、ルナリアさん優しいし、褒めてくれてるんだけど……嬉しいんだけど……
なんか豆のケーキの時の社畜コール思い出すからやめて……』
まひるは心の中で思わず頭を抱える。
『……あ、でも三徹以上はオススメしません。死人出ますから。わたしみたいに』
(……教訓ですわね)
『……でも殿下の“推し抱っこ”なら、何徹でも余裕で耐えられますから!』
ルナリアは再び寝返りを打つと、そっと目を閉じた。
『で、そうそう――今回も破滅フラグ『聖女派の罠』もばっちり回避! ですね。
それにしても……ぶるっ。プリシラ嬢、こてんぱんでしたね――
わたし、ルナリアさんの敵じゃなくて良かったってつくづく……』
(あら、そんなに? 優しくして差し上げたつもりですのに)
『……いやだって、最後も次は容赦しないって……。
すでに、だいぶ容赦なかったと思うけど……』
ルナリアは薄目を開けると、ふっと微笑んだ。
(ふふ……。だってわたくし、悪役令嬢ですもの)
『ぷっ!』
思わず吹き出すまひる。
『でもね、ルナリアさんはもう、悪役令嬢なんかじゃありません!
完全無欠の“ヒロイン”でしたよ!』
微笑みを浮かべながら、ルナリアはそっと窓に目をやる。
窓の外では鳥がさえずり、学院の一日はいつもと変わらず始まっていた。
だがルナリアの胸には、昨夜の戦いの熱と、甘やかな余韻が――まだ、確かに息づいていた。
――いつかは、ええ。わかっています。
でも――今だけは。ほんの少しだけ……余韻に浸らせてくださいな。
――二人の王子様。
胸元のペンダントにそっと指先で触れる。
幼き日に交わした“約束”も、今はまだ胸の深いところで眠っている――あの手は、本当は誰のものだったのかしら。
椅子の上で、ミレーヌが小さく身じろぎした。
「……お嬢様の減点は……ちょろさと休息不足……もう一度しっかりとご指導を……」
ルナリアは思わずくすりと笑い、忠実な侍女の肩へふわりと毛布を掛け直した。
『……今日は堂々と休んじゃいませんか?』
(いいえ、いけませんわ……と、以前なら言っていたでしょうね。
でも、今日くらいは神様もお許しになりますわ――
モーニングティーは、後ほどわたくしが皆のために。
それまで……しばしの休息を、共に……)
遠くで鐘が鳴り、廊下から生徒たちの足音や笑い声が少しずつ広がっていく。
そして――そっと目を閉じた。
ゆっくりと上下する胸元で、月のペンダントが朝の光を受けて瞬く。
――眠りの中で揺らめくその輝きは、やがて彼女を導く“選択”の兆しなのかもしれなかった。
※最後までお読みいただき、ありがとうございました。
第14話はこのエピソードでおしまいです。明日は第15話をお届け予定です。
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