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第13話「社畜と悪役令嬢と、みんなの甘々大作戦」 エピソード②

王立学院・食堂棟


――早朝。


始業の鐘の二刻ほど前。


学院の食堂棟の厨房前には、早朝にもかかわらず、すでに数人の調理係と使用希望者の列ができていた。

その列の先頭に、二番目の生徒と少し間を開け、どう見ても“場違い”な存在がふたり、堂々と佇んでいた。


一人目は、完璧に着こなされた、胸元に銀糸を織り交ぜた貴族生徒の象徴たる校章が輝く制服の裾が、朝の微風に揺れる。

まっすぐ背を伸ばし、静かに手を組む――

それはまさに、完全なる「貴族の立ち姿」だった。


本来ならば、彼女のような身分の者が厨房を使いたいと申し出れば、誰もが慌てて道を譲るだろう。

だが――彼女は、並んでいた。


誰よりも早く到着し、列の先頭で、黙って、自らの番を待っていたのだ。


そしてもう一人。


清楚なエプロンドレスにヘッドドレス。

腰元には大きなリボンが揺れ、根元で結われた栗色のツインテールが肩に流れる。

ルナリアよりも幼い顔立ちだが、その目は鋭い。


侍女の服装で学院に来る者は珍しく、二人は一言で言えば”目立って”いた。


「……え、あれって……」

「ルナリア様……? 厨房の列に並んでる……?」


通りがかった生徒たちが、ざわめきを抑えきれず、ひそひそと声を交わす。


「えっ、列に……? あのお方が……?」

「わたし、あの姿を“並んでる”って脳が認識できない……っ」

「貴族令嬢って……並ぶものなの? いえ、並んでいいの???」


「それに、一緒にいるのって、専属侍女のミレーヌさんじゃない?」

「すごく可愛らしい子……羨ましいわ……」

「中等部でしたかしら? ……侍女まで美しいなんて。やっぱりルナリア様よね……」


周囲に漂うのは、驚愕・畏怖・若干の動揺、そして――

なぜかちょっとした崇拝の混じった感情。


それも当然だった。

なにしろ、そこにいるのは――王立学院の“氷の百合”。


五大公爵家の一つ。アーデルハイト家の公爵令嬢にして、未来の王太子妃。

貴族中の貴族。


――ルナリア・アーデルハイト。


その人だったのだから。


まひるは朝から既に、期待と興奮にまみれた“乙女ゲーモード”に入っている。


『すご……まるで“神話の姫君、厨房に降臨”って感じ……』


(……注目されているわね。これが“並ぶ勇気”の代償というものでしょうか)


『ごめんなさい、私のせいで……でも、誇らしい……ッ!』


結局、この日の受付はいつもよりも一刻ほど早く開始された。

調理係のひとりが、目をぱちくりさせながら言う。


「ルナリア様が……厨房を……!?

 そ、そんな……! あ、いえっ、光栄に存じますっ!」


「ええ。少し、試したいことがあるの」


「……ルナリア様ならば、申し付けて頂ければ、いつでも解放させていただきます――」


調理係が言い終わる前に、ルナリアはやさしく言葉を繋いだ。


「いいえ。それには及びません。身分は関係ありませんの。ルールはルールですから」


「は、はい!」


きっぱりとした声と、気高くも冷静なまなざしに、係員たちは目を輝かせて頭を下げた。


「それでは、すぐにご準備いたしますので……っ」


遠巻きに見守る生徒たちからどよめきが上がる。


「あれが“ルナリア様”……やっぱり格が、違う……」

「ルールはルール。なんて素敵なお言葉――あの方が未来のお妃様に…」


『うぉお~……ルナリアさん、かっこいい……! さすが、決めるときは決める女……!

 いやもう……かっこよすぎて、社内報どころか広報に載せたいレベル……!』


(……期待に応えませんとね。言い出したのは、あなたのレシピだけれど)


『料理はミレーヌさん! レシピ監修だけはこのわたしにお任せください!

 ……一応、クックパッド漁り歴10年の実績ありますんで!

 画像見てよだれ垂らしてただけですけどっ』



やがて、香ばしい甘い匂いが厨房に満ちていく。

ミレーヌが仕上げた小さなケーキを、ルナリアは静かに口へ運んだ。


「……悪くありませんわね。

 ……小麦の軽さとは違って、舌にねっとりと絡むけれど、不思議と甘さが長く残る。

 ええ、新しくて、そしてすごくおいしいですわ」


隣でミレーヌは腰元のリボンをきゅっと結び直すと、ひと口試す。

そして、目を細めて頷いた。


「……おいしいですね」


そして淡々と付け加える。


「ただ――美味しいからといって食べ過ぎれば……大豆だけに、お腹が張りますよ」


『おい、豆効果!! 夢のスイーツ革命に地味な健康リスクがぁあ!!』


ルナリアは苦笑しながら、そっとフォークを置いた。


『よし……まずは試作クリア! 次は、仲間と一緒に……!』


まひるが心の中でガッツポーズを決めるのをよそに、ルナリアは静かに頷いた。


(ええ、今度はわたくしの出番ですわね)


***


――王立学院・講堂


学院の授業が一段落した午前の休憩時間。


高い天井には精巧な装飾が施され、壁面には歴代の王家と五大貴族の紋章が誇らしげに掲げられている。

磨き抜かれた大理石の床には、日の光が差し込み、窓辺のステンドグラスが静かに色を落としていた。


美しい講堂で、生徒たちは思い思いに談笑し、書物を広げ、休憩を楽しんでいる。


――それはいつも通りの、穏やかな午前だった。


だが、その歴史ある講堂の空気を――ひとりの少女が、静かに変えた。

ルナリア・アーデルハイト。

誰よりも凛とした立ち姿で、講堂の一角に立ち上がる。


その瞬間、空気がふと静まった。


「少し、面白いお菓子を作ろうと思っているの。明日の茶会に出す、“新しいケーキ”をね」


その一言に――空気が、はっきりと揺れた。


「い、いま“新しいケーキ”っておっしゃいました!?」

「ルナリア様が厨房に!? そ、それって本当に……?」

「まさか、朝に厨房で並んで何やら作られていたって噂、本当だったの……?」


数名が目を見開き、たちまち講堂の空気に火がつく。


「えっ、厨房使えるの? それ、わたしも行ってみたいかも……!」

「こんなこと、二度とないかもしれない……!」

「わたし、寮のみんなにも声かけてきます!」


そんな声とともに、ひとりの女子生徒が駆け出していった。


――この日、女子寮では“厨房の奇跡”の噂があっという間に広がっていく。


中には、


「料理未経験だけど、挑戦してみたい!」


と、すでにエプロンの柄を悩みはじめる者まで現れる始末。


そして、ひとりの少女が、おずおずと手を挙げた。


「ルナリア様……わ、私にも……お手伝いさせていただけますか?」


その瞬間、ルナリアのまわりにいた女子たちの視線が一斉に集まり――


「わたしも!」「わたしもです、ルナリア様!」


最初は戸惑い混じりだった空気が、みるみるうちに熱を帯びてゆく。


――創立から五百年。王立学院の歴史が変わった瞬間だった。


ヴィオラは、平民席からルナリアを見詰めていた。

胸に手を当て、深呼吸。


「……すごい。ルナリア様って、本当に……」


その瞳は尊敬で輝きながらも、どこか切なげだった。


(やっぱり、ルナリア様の隣に立つには……もっと……)


一方、ルナリアの隣の席でベアトリスは大げさに肩をすくめた。


(まったく……やることなすこと規格外。

 聖剣杯で、ただでさえ注目の的なのに、今度は“厨房の女神”ですって?

 貴族が厨房に立つ。その意味、わかってますの?

 いえ、きっとルナリア様ならわかってのことですわね。

 ふふ……さすがは、わたくしの”お姉さま”ですわ」


どこか嬉しそうに、口元に笑みが浮かぶ。


ルナリアは生徒たちの熱を、ひとつひとつ、静かに受け止めながら――

かすかに微笑んだ。


(……まひるさん、あなたの言った通りかもしれませんわね)


『…………』


(……まひるさん?)


『すかー、すぴー……あ、豆乳……レモン汁で……ふわふわ……大豆ケーキ……』


(……寝言? ふふ……夢の中でもレシピを考えているのね)


(どんな夢を見ているのかしら……。あなたが夢で見ている未来を、わたくしが現実にしてみせますわ)



そのとき、王族席からその光景を見ていたアルフォンス。

彼は胸の奥に複雑な痛みを覚えていた。


尊敬と愛情。誰よりも近くで見てきた彼女だからこそ、その強さを誇らしく思う。


しかし同時に――。


(……またルナが遠くなる。

 未来の王太子妃としての名声が高まれば高まるほど、僕の手は届かなくなる……。

 ……君は、誰を見ている?)


これまで、彼女が孤立から立ち直るための手助けを自分なりにしてきた。

けれど、結果としてそれが自分を苦しめている……。


策士面して、情けない……。


(僕は……彼女の物語を彩る道化でしかないのかもしれない)


そう思った瞬間、胸の奥がずきんと痛み、思わずポケットの中の固い金属を握りしめる。

冷たさが皮膚に食い込み、胸の痛みをさらに強めた。


(たとえ、本命になれなかったとしても……傍にさえいられれば……)


彼女は眩しく、そして――誰よりも愛おしい。

だからこそ、目を逸らすことなど出来なかった。

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