第12話「社畜と悪役令嬢と、続・王女様のとっておきティータイム」 エピソード⑥
王立学院寄宿舎の裏・並木道
角を曲がった先、月明かりに銀の鬣がきらめく。
その背にいたのは――。
「……殿下?」
声にならない声が、夜気に溶けた。
風に揺れる金糸の髪、月光に映える純白の外套――。
「……ルナリア?」
低く落ち着いた声が、夜の静けさに溶けた。
(やば……白馬……いや、銀馬? そんなのあるんかい! と突っ込んでる場合じゃない。
しかも月明かり……これは完全に乙女ゲー不意の邂逅シチュ……!)
「夜のお散歩……ですか?」
「そちらこそ。……気分転換にでも、七星環の園へ?」
ラファエルは小さく頷き、馬のたてがみを撫でた。
「夜風が心地よくてね。今日は気分を変えて少し遠乗りでもと思っていたところです」
白馬のたてがみに手を置き、口元に柔らかな笑みを浮かべる。
「この間、森での事件の時は……妹たちにせがまれてしまったけど……
今日は、誰も邪魔する者はいない」
そう言って、ふっと微笑んで片手を差し伸べる。
「――こちらへどうぞ、姫」
差し出されたその手に、月光が滴るようにこぼれ落ちた。
すぐそこに触れられる距離。
ほんの一歩近づくだけで、危険なほど息が詰まりそうだった。
(やばいやばいやばい……乗ったら完全にアウトなやつじゃないですかこれ……!)
差し出された手を前に固まる。
(あ、あかん……! これは完全に恋愛イベントのやつ……!
えーっと、乙女ゲー選択肢は、乗るか乗らないかしかない)
乗った場合の結果は――
① 帝国のけもりんから君を守れかった⇒婚約者の資格なし。さようなら
⇒婚約破棄破滅エンドか第二王子ルートへ
② もう待てない。結婚しよう⇒喜んで
⇒王太子エンド
③ 君より馬が好き⇒推しと馬のカップル成立
⇒セーフ!
まあ、③はセーフでも嫌だけど。
つまり、乗ったら二分の一の確率で婚約破棄。リスク高過ぎでしょ。
でも――。
(推し……推しの誘い……)
そして――ついぽろりと。
「……ええ、ご一緒させて頂きますわ。夜の遠乗りに参りしょう」
自分でも驚くほど自然に、ルナリアの口でそう告げていた。
ラファエルが軽く腕を引くと、まひる(ルナリアの姿)はそのまま馬上へと導かれた。
一瞬だけ、そっと腕が回され、腰を包み込む。
指先が布越しに軽く押し当てられ、逃げ場を失った。
でもその腕の力は、必要以上でも以下でもない――まさに、紳士が淑女を扱うときの距離だった。
「横乗りでも……大丈夫ですか?」
「……え、ええ……」
返事をしながら、まひるは内心で悲鳴を上げる。
(近い……背中広……! え、なにこれ……筋肉の厚みがリアルすぎるんですけど……!)
「しっかり、つかまっていてください」
「はい……殿下……」
伸ばした指が、あと数センチで止まる。
触れたら戻れない気がして――それでも、抗えなかった。
――その刹那、布越しに伝わる熱が全身を駆け抜けた。
思ったよりもずっと細く締まった感触。だが、触れた途端、そこには確かな熱があった。
(うわ、やば……この温度、やば……!
わかっちゃったかも……貴族のカップルが遠乗り好きなのはこれが理由なのかも)
なんて冷静に考えられるのもここまで。
馬が歩き出すと、微妙に揺れるたびに腕の内側が彼の背中や腰骨に沿って滑る。
夜着の薄い布越しに感じるその硬さと温もりに、心臓の鼓動が速くなる。
時折、馬の揺れに合わせて腕の内側に沿って背中が触れ――
蹄のリズムに合わせて肩がわずかに動くたび、その下で彼の筋肉がリズミカルに波打つ。
これが、推しの背中……。
(うおおお……これはもう無理……! 推しの筋肉の動きまで感じられるとか――
何この神仕様! 乙女ゲー的にボーナス過ぎるでしょ……!)
「セーブ、セーブ!」と叫ぶのも忘れるほど、とろけてしまいそうな表情を冷静に保つのに必死だった。
月明かりの下、銀の鬣が風を切り、静かな並木道を抜ける。
ラファエルの背にしがみつくたび、胸の奥が甘く痺れた。
耳元をかすめる低い声と、馬の蹄のリズムが、現実感を遠ざけていく。
白馬が風を切り、ラファエルの外套が翻り、まひるのレースのガウンがはためく。
やがて、視界がひらけた。
「……タンタロスの丘だ」
ラファエルの声で、まひるは現実に戻った。
馬で推しと一緒に揺られた結果、顔の筋肉も全て緩み、よだれも垂れる寸前。
ほぼ顔面崩壊状態。
(ふー、危ない危ない。見られなくてよかった。
よし、ルナリアさんモード!)
その瞬間、ルナリア(まひる)の顔が急にシャキッとなる。
(……タンタロスの丘? どこかで……いや、前世? ハワイだっけ……?
あっちはタンタラスだったような。たしか、夜景がめっちゃきれいなとこ。
行ったことないけど……)
そして目を上げた瞬間――そこは別世界だった。
聖都の灯りが星の海のように瞬き、落ちてきそうな星空と地平の境界を曖昧に染めている。
夜風は草の香りを運び、ただ静寂だけが二人を包んでいた。
まるで夢の中にいるような空間。
なにこれ……プラネタリウム現実版? さすが異世界、それよりすご……!
ラファエルはその景色に目をやりつつも、どこか遠くを見つめている。
言葉を探す間に、ラファエルがゆっくりと振り返る。
その瞳は夜よりも深く、静かに笑みを宿していた。
「一度、君とここへ来たかったんだ」
その瞬間、夜風が頬を撫でた。
まひるは返す言葉を見つけられず、ただ彼の背中越しに広がる光の海を見つめていた。
「……!」
その瞬間、背後からそっと腰に回される腕。
ぴくり、とまひるの肩が跳ねる。
彼の睫毛が伏せられる……近い。
「この景色を……あなたと見られてよかった」
ラファエルの言葉は、夜の静寂に溶けていった。
まひるは思わず景色から目を放し、彼の顔を見上げた。
夜風に金の髪がさらさらと揺れ、その碧い瞳には星空が浮かぶ。
(いや、なんかそれフラグ立ててません?
今日の推し……積極的というか……ちょっとずるい……)
丘の上で、しばし夜景を見つめる二人。
やがてラファエルが口を開いた。
「……ルナリア。その、聖剣杯……覇剣の婚儀の時は……すまなかった」
(え、何……?)
「君の隣に立つべき僕が、剣を抜くこともできなかった。
――僕は……婚約者失格だ」
まひるは思わず振り返る。
「そ、それは……政治的な判断と。ランスロット様もそのように……」
「いや、違う……。いざという時に君を守れないようでは、婚約者の資格はない」
ラファエルの声は、夜の冷たい空気よりも真っ直ぐで、重かった。
(え……これ、①の婚約破棄ルートじゃないの……?)
「だから……」
一拍、間があく。
ラファエルの視線が、まひるの――ルナリアの瞳を捕らえる。
言葉を一度だけ飲み込み、彼の唇がわずかに動いた。
次の瞬間、星空を映した碧い瞳が迷いなくルナリアの紫の瞳を射抜き――
夜気が凍り、時間が止まった。
「婚約ではなく――」
その続きが告げられる寸前――丘の端で何かが月光を遮った。空気を裂く蹄の音が近づいた。
(え……え……? 今、何言おうと……)
まずい……心臓が破裂しそうだ。
触れる彼の腕の体温が上がったように感じ、さっきの言葉の続きが気になって仕方がない。
パカラッ、パカラッ。
遠くから馬の蹄の音が近づいてくる。
丘の端に、馬上の影がひとつ、ふたつ滲んだ。
それは、月明かりを背に長く伸び、静かにこちらへ迫ってきた。
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※ラブコメ×ざまぁ中編『婚約破棄に祝砲を』完結しました!
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