第11話「社畜と悪役令嬢と、皇子と帝国の影」 エピソード⑮
王立学院・円形闘技場
《聖剣杯・特別招待試合終了後》
静寂を破ったのは、
闘技場に高く響く――ヒールの音だった。
ざっ、ざっ、ざっ。
誰もがその姿を認めたときには、
まるで暴走する馬車のような――止められない気配が漂っていた。
漆黒の軽装甲冑に、帝国紋章をあしらったタバート。
その銀の髪は、陽の光に揺れ、まるで怒りの熱で輝いているようだった。
「兄上ぇえええええええええええええええ!!!」
怒声とともに、ベアトリス・ディア・フェルディアが――
一直線に駆け寄ると、そのままの勢いで跳躍した。
そして、全体重をかけて拳を振り抜く!
バッッッッシィィィィィン!!!
観客も、アルフォンスも、ルナリアも、レオンハルトさえも――
一瞬、何が起こったか理解できなかった。
レオンハルトの顔が、びしりと横に弾ける。
その頬には、赤いげんこつの跡。唇の端から、一筋の血。
『えええええぇぇぇぇぇぇ!!!!』
ルナリアの中でまひるの絶叫が響き渡る。
(ベアトリス……様?)
『いきなり登場して即ツッコミ(物理)って何事ですか!?
ていうか全力でジャンピングパンチって、普通死にますって……これ乙女ゲーですよね!?』
……が、兄は妹の暴挙に怒るそぶりも見せない。
むしろ。
「……痛いな、ベア……」
頬を押さえながら、にやりと笑う。
「でも、久々の拳は――悪くなかったぞ」
『初めてじゃないんかい!
この二人の兄妹喧嘩……死人出るレベルなんじゃ……!?』
冴え渡るまひるのツッコミの表では――
観客、唖然。
ベアトリスはなおもその銀の瞳を燃やし、腰にがしっと手を当てながらくいっと胸を反らし、まっすぐ兄を見上げた。
「ルナリア様は、わたくしの大切なお友達です!」
きっぱりと言い放つその姿は、皇女の威厳に満ちていた。
『え、あれ? お友達? うん、お友達。
いやいやいや、なんですか、この展開!?』
――が。
「だから……この国でわたくしの“婿探し”が終わるまでは、勝手に連れて行かないでください!!
わたくしは、もうこの国でお婿さんを見つけたんですから!!」
言葉の最後には、ほんのわずか、赤らんだ頬と――
ちらりとアルフォンスへ向けられた視線。
「…………っ」
アルフォンスは膝をついたまま、ただ呆然とベアトリスを見つめていた。
次にベアトリスはくるり、とルナリアに向き直る。
「ルナリア様。わたくしたち、お友達ですよねっ! ね!?」
『圧が……圧すごっ!』
「え、ええ……もちろんですわ、ベアトリス様」
大きく頷いて兄に向き直ったベアトリス。
「今の、ちゃんとお聞きになっていましたわよね?
わたくしとルナリア様は両想いのお友達なのです!
勝手に、勝手にルナリア様をさらっていくなんて――兄上……最低です!」
『いやいや、そういう誤解を招く表現は……』
「ベア……俺は、そんなつもりじゃ……」
しかし、急にベアトリスは俯くと、小さな声で言った。
「……兄上は……わたくしが大切では無いのですか……?」
『え、え? 急にしおらしい妹モード!? さっきまで鉄拳制裁してたのに!?
なんなの? ベアトリス様もまさかのギャップ姫系ヒロイン!?』
レオンハルトは頬をかきながら困ったような顔をしている。
我儘な妹に手をやきながらも、可愛くて仕方がない、そんな兄の顔だった。
*
事態に収拾を付けるべく、貴賓席にいたラファエルやシャルロット、それにランスロットら聖堂騎士や帝国騎士も闘技場の中央へ集まり始めていた。
レオンハルトが口を開きかけた――その瞬間だった。
空気が――震えた。静謐に、粛然と。
その刹那、神殿の鐘のような鈴音が、遠くから響く。
続いて吹き抜けた風は、まるで神の祝福のごとき光を孕んでいた。
誰かが、呟いた。
「……聖女様……?」
視線が一斉に、闘技場の入口へと向けられる。
白銀の聖衣に、淡く黄金の光を纏った少女が――
一歩ずつ、まるで幽玄のように歩いてくる。
その髪は空のように透き通る蒼、
その瞳は神の祝福を宿す金。
一歩歩くたびに光の粒子が彼女の周囲を舞う。
神聖文字が幾重にも浮かび上がり、彼女を守るように回転しては、光の粒となって弾けて消える。
そして、その背後に付き従うは――
”聖女の守り手”騎士ユリシア・ヴェルダインの凛とした姿。
そして、もう一人の”守り手”雷光の魔法使いこと、ライエル・サンダーボルト。
「聖女様……!」
「聖女様が……来てくださった……!」
『セリアちゃん! いきなりの真・聖女モード!
しかも、なんか文字がぐるぐる回ってるし、これは神聖力全開か!?』
騎士たちが、次々と膝をつく。
学院関係者や貴族、高官、王族さえも、頭を垂れる。
神聖国の人間は、誰一人として立ってはいなかった。
その光景に、帝国兵やベアトリスすら――動けなかった。
ただ、息をするのも憚られるような、圧倒的な“神性”。
まさに、奇跡の顕現だった。
「セリア様……そしてアストレイア様。ご降臨いただき、感謝いたします」
シャルロットの言葉に、セリア――アストレイアは微笑みをたたえて小さく頷いた。
『え? ちょっと待って? 今、アストレイア様って……?』
そして、アストレイアはルナリア(まひる)に近付くと、そっと耳打ちした。
「もうお一人のルナリアさん?
はじめまして。やっとお会い出来ましたね」
(……!?)
それだけを言うと、彼女はレオンハルトへ向き直った。
『え、えええええ! レイアさん!? そういうこと!?』
(まひるさん……まさか、原初の聖女様……アストレイア様とお知り合い?
どういうことですの?)
『ええっとぉぉぉ。後ほど、きちんとご説明しますので……』
しかし――
たった一人だけ、動いた者がいた。
レオンハルト・ヴィ・フェルディア。
帝国皇太子は、笑みを浮かべたまま、一歩だけ前へ出る。
「なるほど。お前が――聖女。神聖国の“切り札”だな」
アストレイアは、特に驚いた様子もなく、静かにその視線を受け止める。
「いかなる力も、争いの上に築かれしものならば……見過ごすわけには参りません」
ただ、淡々と。
それでいて、誰よりも強い“意志”のこもった声だった。
アストレイアの声が、空気を浄化するように響いた直後――
ふと、風が止む。
その瞬間、レオンハルトが耳をすまして目を細めた。
「……我が魔導戦艦の動力が――停止した、か」
誰も何も言わない。
ただ、場の誰もが“理解した”。
それは聖女が何かを“行った”のではない。
ただ、そこに“存在する”だけで――
国家すら動かす“神意”のような力が発されているのだ。
レオンハルトは、ふ、と息を吐いた。
「神の恩寵。神の息吹……か。
なるほど……お前がいる限り、神に守られた神聖国は不可侵というわけだな?」
誰も動けずにいる中、彼だけが自然に頷く。
「よかろう。これだけ“面白いもの”を見せてもらったからには――
俺も一歩、引こうではないか」
その言葉を聞き届けると、アストレイアは微笑をたたえたまま、静かに空を見上げた。
風が再び吹く。
その瞬間、彼女の体は光に包まれ、
神聖な粒子となって――天へと還るように、その姿を消していった。
『わ、わ……レイアさんが、消えた……!?』
けれど、誰も驚いてはいなかった。
まるで、それが“当然の奇跡”であるかのように――
神の遣いは、再び空へと還ったのだ。
粒子が静かに消えたあと、そこにちょこんと立っていたのは、聖女セリア。
「アストレイア様……感謝いたします……」
髪や瞳の色が元に戻ったセリアは、胸に手を当てて静かに俯いていた。
騎士たちは立ち上がり、空気がゆるやかに戻っていく。
あの荘厳な時間は、もうどこか遠くの出来事のようだった。
そして、セリアがにこり、と笑いかけると――
レオンハルトは驚きもせずにやりと笑う。
そして、彼はゆっくりと歩を戻しながら、
なおも場を見渡すように言葉を続けた。
「……まあ。諦めたわけではないがな」
そう言いながら、ゆっくりと視線を巡らせ――
最後に止まったのは、ルナリアだった。
「ルナリア・アーデルハイト。俺は――お前が気に入った」
静かな宣言。
だが、その響きには一片の冗談もなかった。
『え……さっき“一歩引く”って言いましたよね!?
ならこっちは、正義の往復びんたでお返しだぁっ!!
さあ、ルナリアさん、いっちょお見舞いしましょー!!』
まひるが心の中でぶんぶんと腕を振り回す。
(……少し、様子が違いますわよ……まひるさん)
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