第3話「社畜と悪役令嬢と、学院に咲く小さき花の革命」 エピソード②
王立学院――講堂の隅。
――午前中の中休み。
ざわめく教室の片隅で、ひとりの少女が机に肘をつき、ぎゅっと頬杖をついていた。
そしてそのまま、斜め後ろの貴族席に向かって――じとーっと視線を投げかけている。
昨夜――舞踏会。
舞踏会をすっぽかし、泥をかぶった“あの女”が学院中の賞賛をさらった。
そして今朝、彼女は“何事もなかったかのように”現れ――。
“公爵令嬢”と“聖女”の“修羅場”が見られる――誰もが、そんな淡い期待を抱いていた。
エミリー自身も、正直ちょっとだけ……期待していたのだ。
なのに現れたルナリアは、まるで女神のように微笑んで、
後方の貴族席――一段高いその“特等席”に、すました顔で腰を下ろした。
……その姿に、ひとり苛立ちを募らせていたのが、黒髪をきりりと結い上げた少女。
――平民特待生 エミリー・フローレンス。
学業優秀にして品行方正、それに加えて容姿端麗。
派手では無いが、その凛とした姿に、密かに心を寄せる男子生徒も少なくない。
もっとも、ルナリアに夢中な本人が、その熱い視線に気付く気配は――全くない。
(……はぁ!? なによあれ!!)
(昨日あんな騒ぎ起こしたくせに、なんであんな優雅に歩いてるのよっ!)
エミリーはぷくりと頬を膨らませ、
無意識に、机の下で小さく足をバタつかせていた。
(それなのに――あんな完璧な“微笑み”なんて、ズルすぎる……!)
(……たしか、妃教育は歴代最速で“完了”したんでしょ?)
(あれも妃教育の賜物ってわけ……?)
――まるで、最初から“負けるはずのなかった者”みたいな顔して……
その余裕、その態度――気に入らないにも程がある!
(論理的に考えても、あれは絶対におかしいでしょ!?)
ぐぐぐ、と机の端を握りしめる。
その目力たるや、もし視線に物理ダメージがあったなら、ルナリアは即死していただろう。
だが――
ちょうどその視線の先、何も知らず座っていた男子生徒が――
エミリーの鋭い眼差しをモロに受けた。
「……ッ……!」
幸い視線に物理ダメージはなかった――が、心へのクリティカルヒットは防げなかったようだ。
隣の友人に小声で囁く。
「お、おい……今、見てたよな……!? すごい熱い眼差しで!」
「告白か!? エミリーさんから!? 俺、もしかしてモテ期か!?」
異世界にも“モテ期”という概念があるのかどうかはさておき――教室の熱気は確かに本物だった。
とにかく、そのざわめきは瞬く間に周囲へ伝染し――
なぜか、教室の一角が“告白イベント前夜”のような空気になっていた。
「……エミリーさん、あんな情熱的な目で……!」
「い、行くしかねえだろ、これは……!」
「告白してこいよ!! がんばれよ!!」
――周囲が妙な盛り上がりを見せているとは露知らず。
エミリーは、鼻をぷいっと鳴らして、拳をきゅっと握りしめた。
(ふっ……見たか、ルナリア様。これが本気の“気高い睨み”よ!)
(今日は……あたしの、完全勝利ですわっ!!)
こっそり、机の下で小さくガッツポーズ。
……だが、そのポーズが。
男子たちに見えてしまった――それは、どう見ても――
「恋する乙女が、覚悟を決めて立ち上がる“その瞬間”」
にしか見えなかった。
「……彼女、何かを決意した目をしてた。あれは、覚悟のガッツポーズだ」
「可愛すぎる……!」
「いや、待て、落ち着け……!」
周囲の男子たちが色めき立つ中――
エミリー本人は、
(ふふんっ、完全勝利って、こういうことですわね!)
(ふふふ……そのうち、王立学院新聞部の見出しに載るかもしれませんわね。
“孤高の才女、気高き睨みで公爵令嬢に迫る”――なんて!)
と、勝手に勝利の美酒に酔いしれていた。
そんなエミリーに、男子生徒たちの熱視線が集中していることなど――
当人は、まったく気づいていない。
(……なによ、ちょっとだけ悔しい気もするけど――それでも、あたしの勝ちですわ!!)
そしてエミリーの心には、
ますます意味不明の「闘志」だけが燃え上がるのだった――。
ぎゅっと机に肘をつき、じーっとルナリアを睨み続けていたエミリー。
――その視線のレーザービームを、
まさか“無関係の男子生徒に”ぶつけていたとは、彼女自身、夢にも思っていなかった。
「……うっ……」
「お、俺、もしかして……!?」
勘違いを極めた男子生徒たちは、意を決して席を立つ。
「エミリーさんっ、あの、ずっと見てくれてたみたいで……!
オ、オレ……その、光栄というか……」
「よ、よかったら、昼食でも一緒に――!」
勇気を振り絞った男子たち、二人同時に突撃。
勇者たちがエミリーの横に並び立った。
……が。
残念ながらエミリー本人は、
脳内で「ルナリア包囲作戦」を妄想している最中だった。
(次こそはっ! 堂々と、正面から勝ってやるんですから!!
折しも、脳内作戦会議・第七次ルナリア包囲戦シミュレーションの真っ最中。
……そんな戦場から現実に引き戻されたエミリーは、ようやく男子に気付くも――
極めて不機嫌であった。
「え? なにかご用? 今、大事な作戦を考えてるの。 あとにしてくれる?」
ぷい、と冷たく視線を逸らす。
「…………っ!!」
「……で、ですよね……」
「す、すみませんでした……」
彼らの春は、始まる前に儚くも戦場に散ったのだった。
真っ青になった男子たちは、
それ以上は何も言えず、背中を丸めて退散。
そして――
廊下の隅っこに集まる“エミリー戦線”の敗残兵たち。
「……やっぱ無理だったな」
「ああ……エミリーさんみたいな高嶺の花が、俺たちに……」
「俺、次の実習、馬当番立候補するわ……馬の方が優しい……」
「あの目、数学の答案用紙を見るときと同じ目だったよ……」
「答案用紙以下か……俺、もう恋とかいいや。農業やる……野菜は愛に応えてくれる……」
誰とも目を合わせられず、膝を抱えてしゃがみこむ男子たち。
その憐憫を誘う姿は、初恋に敗れた子犬のようだったという。
*
そんな彼らのすぐそばを、
あの、“公爵令嬢”――ルナリア・アーデルハイトが、優雅に通り過ぎて行った。
陽光に揺れる銀の混じった金糸の髪。ひとつの乱れもない完璧な姿勢。
その足取りは、まるで絹の上を滑るように滑らかで――
見上げれば、“女神”という言葉さえ陳腐に思えるほどの美貌が、そこにあった。
すれ違いざま、ふと一人に視線が向いた……ような気がしたが――
「……話しかけない方が、いいな」
「うん。あれはもう、“高嶺の花”なんてレベルじゃない――“天空の花”だよ」
「俺たちにはどうやっても手が届かないってことね……」
誰とも目を合わせず、誰にも気づかず、
“氷の百合”は、その透き通るような紫の瞳でただまっすぐ、
遥か遠くの未来を見つめるように、光の中へと消えていった――ように見えたそうな。
男子たちは、もはや無言でうなずき合うしかなかった。
*
一方、当のエミリーは――
(よーしっ、完璧なプランができましたわっ!)
と、きらきら笑顔でノートに作戦を書き留めていた。
周囲の惨状など、知る由もない。
(……ふふん、今度こそ……勝利はあたしのものですわ!)
こうしてまた、エミリー・フローレンスは、無自覚に周囲を振り回し、今日もひとり、全力で空回るのだった。
――エミリー・フローレンス、全力で空回っているうちが華――なのかもしれない。
***
後日談――
本人の意思とは裏腹に、エミリー株はうなぎ登り。理由は誰にもわからない。
男子生徒の間では、こんな会話があったとか、なかったとか。
「……でも俺、ルナリア様より、実はエミリーさんの方が……好きかもしれん……」
「……えっ!? お前、マジ!? 裏切り者ッ!!」
でも、まだまだルナリア株には遠く及ばない――
いつかエミリーに勝利の女神が微笑むときが来るのだろうか。
今日もまた、見当違いでも、全力で走り抜けた彼女。
それでも、まっすぐなその背中は、少しだけ――眩しく見えたとか、見えなかったとか。
***
――午前中の授業終了を知らせる鐘が鳴った。
三々五々と食堂や中庭に向かう生徒たち。
その中、ルナリア・アーデルハイトは、たったひとり、静かに食堂へと歩いていった。
――ただの昼休み。けれど、それは彼女にとって、“少しだけ違う時間”の始まりだった。
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