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第11話「社畜と悪役令嬢と、皇子と帝国の影」 エピソード⑤

王立学院・七聖環の園

ティーテラス(放課後)


銀のティーポットから、香り高い紅茶が音を立てて注がれる。

ベアトリスは微笑みながら、慎重にカップを差し出した。


「殿下のお口に合えば嬉しいのですが。ルナリア様に選んでいただいた茶葉ですの」


「ありがとうございます。……ええ、香りも、味も上品で落ち着きます」


アルフォンスはカップを静かに置き、その優雅な口調のまま、軽く頭を下げた。


(ふふ、まずは及第点ですわね)


「今日は招待に応じてくださり、ありがとうございます」


「いえ、僕の方こそ……。こうしてお時間をいただけて、嬉しく思っています」


通り一遍の挨拶。

まだ、形式上の会話を超えていない。


しかし、ここからが本番。


ベアトリスは微笑みを浮かべて口火を切った。


「殿下。わたくし、神聖国のことをもっと深く知っておきたいのです――この先のためにも」



ベアトリスの質問と、アルフォンスの丁寧な受け答えで会話は続いた。

そしてあるとき、ベアトリスが微笑みながら言った。


「ルナリア様から伺いましたの。セレスティア内湖には、“珊果の実”という果物があるとか。

 海藻になるなんて、不思議ですわよね。帝国ではまず見かけませんの。

 一度、頂いてみたいと思っておりますのよ」


「……そうですか」


アルフォンスはふと視線を落とした後、わずかに遠くを見るように言った。


「……ああ、彼女が、そんなことを」


アルフォンスはふと笑みを漏らした。


「……ええ。酸味があって、でもほんのりと甘い。不思議な味ですね……」


言葉は果実について語っているはずなのに――

その声は、まるで“誰か”の姿を追いかけるように、そっと空をなぞっていた。


(……今のは、果物の話……ではありませんわね)


ベアトリスは紅茶を口にしながら、そっと彼の様子を伺う。


彼は静かに、紅茶のカップに添えた自分の手を見つめていた。


何かを思い出すように――

その手が、かつて誰かの手を握っていた記憶を、そっとなぞるように。

ただ、そのことはベアトリスにはわからない。


そして、ふっと彼の口元に笑みが漏れた。


それはどこか懐かしく、優しい光を帯びた笑みだった。


(ああ……これは、今のわたくしに向けられたものではありませんわ。

 いつも殿下がふと向ける視線……やはりルナリア様のことを……)


ベアトリスは、気づかぬふりをして紅茶を口に運んだ。


今は、わたくしの番。

……扉を叩く覚悟は、もうできておりますのよ――殿下。


ベアトリスは、彼に視線を合わせる。


「けれど……本当はそれよりも――

 ……殿下、あなたのことをもっと知りたいと思っておりますの」


ベアトリスが指先で砂糖を一かけら落とし、スプーンを静かにくるくると回した。


金糸を編んだ制服の胸元に、陽光が差し込む。

やわらかな白肌にかかる影が、スプーンを回すたびに、ふるり――と艶めいて揺れた。


けれどその仕草に自覚はない。ただ――

真剣な眼差しで、アルフォンスを見つめていた。


アルフォンスの手が一瞬止まった。


「……僕の?」


「はい。お好きなもの。ご趣味、日々のこと……

 些細なことでも、あなたのことを知りたいのです」


まっすぐに向けられる瞳に、偽りはなかった。

けれど、そこにある熱は、品格で包んでいても隠しきれてはいなかった。


アルフォンスは静かに頷いた。


「僕が答えられることであれば、何でも」


(……よし。今なら聞けますわ!)


ベアトリスは、一瞬だけ息を整えると、やや声を落とし、けれど澄んだ声で告げた。


「では――伺っても、よろしいでしょうか?」


アルフォンスは、紅茶を口にしながら視線を向ける。


「……どうぞ」


ベアトリスが、両手をカップに添えてそっと身体を前に乗り出すと――

彼女の柔らかな曲線が押し出され、制服の首元から白い起伏を覗かせた。


まるで気品のヴェールをまとった暴力のように――静かに存在を主張していた。


本人にそのつもりはない。

ただ、その存在が“そう見えてしまう”だけ。


彼女はただ、真剣な眼差しで、まっすぐに彼を見つめていた。


「殿下は、どのような女性がお好みですの?」


空気が、ひとつ凪いだ――

一瞬だけ、この場に吹いていた風が止まったかのように。


けれどベアトリスは怯まない。あくまで優雅に、穏やかに問いかける。

品を守りつつも、真正面から気持ちをぶつける。それが帝国皇女の流儀。


アルフォンスは、一拍だけ間を置き、そっと目を伏せる。


「……難しい質問ですね」


「ええ。ですから、知りたいのです」


「……昔は、“正しくあろうとする人”に憧れていました。

 でも最近は、“少しだけ、揺らいでいる人”に惹かれるようになったのかもしれません」


「揺らいでいる……?」


「自分の中で、何かを葛藤している人。

 誰にも見せないようにしているけれど、それでも――立っている人」


アルフォンスは、淡々とそう言った。


(それは……ルナリア様を思い浮かべての言葉ですのね?

 ルナリア様は素敵な方ですもの……でも、殿下、兄上は強敵ですわよ?)


ベアトリスは微笑んだまま、そっと唇にカップを寄せた。


(でも、構いませんわ。お好みがわかったのなら――それに、近づく努力はできますもの)


「ありがとうございます、殿下。とても参考になりましたわ」


「……真剣ですね」


「当然ですわ。わたくし、ここにお婿さん探しに参りましたの。

 わたくしを選んで頂きたい、本気でそう思っておりますのよ」


その一言に、アルフォンスが――ほんの一瞬、動きを止めた。

わずかに走った呼吸の揺れ。それは、完璧な仮面の裏に確かに響いたものだった。


「もうひとつ、質問しても?」


ベアトリスが目を伏せながら言うと、アルフォンスはカップを下ろして正面を見つめた。


「……どうぞ」


「では……わたくしは、殿下から見て――

 魅力的に映っておりますか?」


風が、ふっと通り抜ける。

木々の葉音だけが、一瞬会話を遮ったように思えた。


アルフォンスは、その言葉に驚いた素振りは見せず、

しばらく黙った後、静かに答えた。


「……君は、とても魅力的な女性だと思う。

 聡明で、芯があって……自信もある。何より、自分の意思で動いているようだ」


(……嬉しい。思わず、顔が熱くなりそうですわ。

 わたくし、“魅力的”だって――)


「でも――」


その一言が、ベアトリスの心をふっと冷ました。


「……君なら、僕でなくても。きっと、もっと相応しい相手がいる」


(……やはり、そうおっしゃるのですのね)


笑顔は崩さない。けれど、胸の奥で小さな何かが、くしゃりと音を立てる。


「それでも、わたくしは、殿下のことが――知りたいのです。

 ……”わたくしに相応しい誰か”を探すのではなく、”あなたに相応しいわたくし”になりたいから」


一瞬、アルフォンスの目がわずかに揺れた。


「君は……本当に、真っ直ぐですね」


「ええ。帝国式ですわ」


胸を張って言い切るベアトリスの言葉に、アルフォンスは小さく笑った。

その微笑は、どこか苦く、でもどこまでも優しい。


「……なら、君が知りたいことがあれば、またいつでも話しましょう」


「もちろんですわ。次は、殿下の好きな音楽について、教えてくださいな」


ベアトリスは微笑んだまま、そっとカップを傾けた。

うなじにかかる銀髪を指先でふわりとよけると、

陽光のなかに白く細い首筋が、静かに浮かび上がった。


それは意図せぬ仕草――けれど、確かに彼女の美しさを艶やかに際立たせていた。


……しかし、アルフォンスは何も言わず、ふたたび視線をカップへと戻した。


そのやり取りは、まるで静かな盤上で、気配だけを読み合う一手のよう。

言葉ではなく、心の揺らぎで交わす――そんな応酬だった。


けれど――これは、戦ではない。


これは、恋なのだ。


(兄上、恋とは力で奪い取るものではありません。

 心で勝ち取るものなのですわ)


(帝国中の誰よりも、それを知っているのは、わたくしです。

 おかげで兄上にはポンコツ呼ばわりされてますけど)


ルナリアの気高く、それでいてどこまでもやさしい眼差しを、兄上に向けた凛とした面差しを思い浮かべた。

それだけで、胸が熱くなる。

共に過ごした時間はまだ短い――けれど、これまで出会ったどんな女性よりも心惹かれる方。


(でも――わたくしの恋は、ここから始まるのです。

 たとえ、ライバルが……あの方であっても。

 負けるつもりは、これっぽっちもありませんわ)

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