第11話「社畜と悪役令嬢と、皇子と帝国の影」 エピソード⑤
王立学院・七聖環の園
ティーテラス(放課後)
銀のティーポットから、香り高い紅茶が音を立てて注がれる。
ベアトリスは微笑みながら、慎重にカップを差し出した。
「殿下のお口に合えば嬉しいのですが。ルナリア様に選んでいただいた茶葉ですの」
「ありがとうございます。……ええ、香りも、味も上品で落ち着きます」
アルフォンスはカップを静かに置き、その優雅な口調のまま、軽く頭を下げた。
(ふふ、まずは及第点ですわね)
「今日は招待に応じてくださり、ありがとうございます」
「いえ、僕の方こそ……。こうしてお時間をいただけて、嬉しく思っています」
通り一遍の挨拶。
まだ、形式上の会話を超えていない。
しかし、ここからが本番。
ベアトリスは微笑みを浮かべて口火を切った。
「殿下。わたくし、神聖国のことをもっと深く知っておきたいのです――この先のためにも」
*
ベアトリスの質問と、アルフォンスの丁寧な受け答えで会話は続いた。
そしてあるとき、ベアトリスが微笑みながら言った。
「ルナリア様から伺いましたの。セレスティア内湖には、“珊果の実”という果物があるとか。
海藻になるなんて、不思議ですわよね。帝国ではまず見かけませんの。
一度、頂いてみたいと思っておりますのよ」
「……そうですか」
アルフォンスはふと視線を落とした後、わずかに遠くを見るように言った。
「……ああ、彼女が、そんなことを」
アルフォンスはふと笑みを漏らした。
「……ええ。酸味があって、でもほんのりと甘い。不思議な味ですね……」
言葉は果実について語っているはずなのに――
その声は、まるで“誰か”の姿を追いかけるように、そっと空をなぞっていた。
(……今のは、果物の話……ではありませんわね)
ベアトリスは紅茶を口にしながら、そっと彼の様子を伺う。
彼は静かに、紅茶のカップに添えた自分の手を見つめていた。
何かを思い出すように――
その手が、かつて誰かの手を握っていた記憶を、そっとなぞるように。
ただ、そのことはベアトリスにはわからない。
そして、ふっと彼の口元に笑みが漏れた。
それはどこか懐かしく、優しい光を帯びた笑みだった。
(ああ……これは、今のわたくしに向けられたものではありませんわ。
いつも殿下がふと向ける視線……やはりルナリア様のことを……)
ベアトリスは、気づかぬふりをして紅茶を口に運んだ。
今は、わたくしの番。
……扉を叩く覚悟は、もうできておりますのよ――殿下。
ベアトリスは、彼に視線を合わせる。
「けれど……本当はそれよりも――
……殿下、あなたのことをもっと知りたいと思っておりますの」
ベアトリスが指先で砂糖を一かけら落とし、スプーンを静かにくるくると回した。
金糸を編んだ制服の胸元に、陽光が差し込む。
やわらかな白肌にかかる影が、スプーンを回すたびに、ふるり――と艶めいて揺れた。
けれどその仕草に自覚はない。ただ――
真剣な眼差しで、アルフォンスを見つめていた。
アルフォンスの手が一瞬止まった。
「……僕の?」
「はい。お好きなもの。ご趣味、日々のこと……
些細なことでも、あなたのことを知りたいのです」
まっすぐに向けられる瞳に、偽りはなかった。
けれど、そこにある熱は、品格で包んでいても隠しきれてはいなかった。
アルフォンスは静かに頷いた。
「僕が答えられることであれば、何でも」
(……よし。今なら聞けますわ!)
ベアトリスは、一瞬だけ息を整えると、やや声を落とし、けれど澄んだ声で告げた。
「では――伺っても、よろしいでしょうか?」
アルフォンスは、紅茶を口にしながら視線を向ける。
「……どうぞ」
ベアトリスが、両手をカップに添えてそっと身体を前に乗り出すと――
彼女の柔らかな曲線が押し出され、制服の首元から白い起伏を覗かせた。
まるで気品のヴェールをまとった暴力のように――静かに存在を主張していた。
本人にそのつもりはない。
ただ、その存在が“そう見えてしまう”だけ。
彼女はただ、真剣な眼差しで、まっすぐに彼を見つめていた。
「殿下は、どのような女性がお好みですの?」
空気が、ひとつ凪いだ――
一瞬だけ、この場に吹いていた風が止まったかのように。
けれどベアトリスは怯まない。あくまで優雅に、穏やかに問いかける。
品を守りつつも、真正面から気持ちをぶつける。それが帝国皇女の流儀。
アルフォンスは、一拍だけ間を置き、そっと目を伏せる。
「……難しい質問ですね」
「ええ。ですから、知りたいのです」
「……昔は、“正しくあろうとする人”に憧れていました。
でも最近は、“少しだけ、揺らいでいる人”に惹かれるようになったのかもしれません」
「揺らいでいる……?」
「自分の中で、何かを葛藤している人。
誰にも見せないようにしているけれど、それでも――立っている人」
アルフォンスは、淡々とそう言った。
(それは……ルナリア様を思い浮かべての言葉ですのね?
ルナリア様は素敵な方ですもの……でも、殿下、兄上は強敵ですわよ?)
ベアトリスは微笑んだまま、そっと唇にカップを寄せた。
(でも、構いませんわ。お好みがわかったのなら――それに、近づく努力はできますもの)
「ありがとうございます、殿下。とても参考になりましたわ」
「……真剣ですね」
「当然ですわ。わたくし、ここにお婿さん探しに参りましたの。
わたくしを選んで頂きたい、本気でそう思っておりますのよ」
その一言に、アルフォンスが――ほんの一瞬、動きを止めた。
わずかに走った呼吸の揺れ。それは、完璧な仮面の裏に確かに響いたものだった。
「もうひとつ、質問しても?」
ベアトリスが目を伏せながら言うと、アルフォンスはカップを下ろして正面を見つめた。
「……どうぞ」
「では……わたくしは、殿下から見て――
魅力的に映っておりますか?」
風が、ふっと通り抜ける。
木々の葉音だけが、一瞬会話を遮ったように思えた。
アルフォンスは、その言葉に驚いた素振りは見せず、
しばらく黙った後、静かに答えた。
「……君は、とても魅力的な女性だと思う。
聡明で、芯があって……自信もある。何より、自分の意思で動いているようだ」
(……嬉しい。思わず、顔が熱くなりそうですわ。
わたくし、“魅力的”だって――)
「でも――」
その一言が、ベアトリスの心をふっと冷ました。
「……君なら、僕でなくても。きっと、もっと相応しい相手がいる」
(……やはり、そうおっしゃるのですのね)
笑顔は崩さない。けれど、胸の奥で小さな何かが、くしゃりと音を立てる。
「それでも、わたくしは、殿下のことが――知りたいのです。
……”わたくしに相応しい誰か”を探すのではなく、”あなたに相応しいわたくし”になりたいから」
一瞬、アルフォンスの目がわずかに揺れた。
「君は……本当に、真っ直ぐですね」
「ええ。帝国式ですわ」
胸を張って言い切るベアトリスの言葉に、アルフォンスは小さく笑った。
その微笑は、どこか苦く、でもどこまでも優しい。
「……なら、君が知りたいことがあれば、またいつでも話しましょう」
「もちろんですわ。次は、殿下の好きな音楽について、教えてくださいな」
ベアトリスは微笑んだまま、そっとカップを傾けた。
うなじにかかる銀髪を指先でふわりとよけると、
陽光のなかに白く細い首筋が、静かに浮かび上がった。
それは意図せぬ仕草――けれど、確かに彼女の美しさを艶やかに際立たせていた。
……しかし、アルフォンスは何も言わず、ふたたび視線をカップへと戻した。
そのやり取りは、まるで静かな盤上で、気配だけを読み合う一手のよう。
言葉ではなく、心の揺らぎで交わす――そんな応酬だった。
けれど――これは、戦ではない。
これは、恋なのだ。
(兄上、恋とは力で奪い取るものではありません。
心で勝ち取るものなのですわ)
(帝国中の誰よりも、それを知っているのは、わたくしです。
おかげで兄上にはポンコツ呼ばわりされてますけど)
ルナリアの気高く、それでいてどこまでもやさしい眼差しを、兄上に向けた凛とした面差しを思い浮かべた。
それだけで、胸が熱くなる。
共に過ごした時間はまだ短い――けれど、これまで出会ったどんな女性よりも心惹かれる方。
(でも――わたくしの恋は、ここから始まるのです。
たとえ、ライバルが……あの方であっても。
負けるつもりは、これっぽっちもありませんわ)
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