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後編

悲しい顔をして引き連れられる死霊術師どのと、別方向に行く三人に減ったパーティとは別に、私もまた向かいます。

全員が納得できたというわけではありませんが、落とし所としての平和と、良き未来への展望がつけれたことに感謝を捧げながら。


ただ、去り際に死霊術師どのに気になることを言われました。

曰く、「最近、このダンジョンの様子がおかしい」のだそうです。

毎日のようにこの迷宮を巡っている者だからこそ分かる違和感があるとのこと。


いままでに無いほど死体の数が「少なくなっている」との話でした。

本来であればいいことですが、死霊術師どのにとってそれはただただ嫌な予感として感じ取られたそうです。


なんともまあ、先行きが暗く不透明なものです。


ここまで私は、できるかぎり戦わずに済ませました。

先程は必要だからと戦ってしまいましたが、その際に心力を消費いたしました。

この心力、神官としての力を振るうために必要なものですが、そう簡単に回復いたしません。


きちんとした祭壇にて祈りを捧げ、日々の活動のなかでほんのわずかに積み重ねる類のものです。

一日一善を繰り返して得られるものは雀の涙ほどで、とてもではありませんが大盤振る舞いはできません。

このダンジョン内での心力回復など不可能に近いものです。


それを、消費しました。

必要だったと分かってはいるものの、少しばかりの後悔もあります。


休憩所にて遭遇した際、このダンジョンについてどれほど知っているかを聞けば防げた悲劇であり、浪費なのではないか。


先々のことすべてを知悉しているわけではない以上、言っても詮無きことではありますが、神官としてやれたことが、もっとあったのではないか、そんな思いが拭えません。


――なぁに、ウジウジしてんだよぉ!


言って背中をぱぁんと叩かれる想像が、ふと浮かびました。

こうした時、友は大抵の場合そうして笑うのです。

私はそれに色々と反論するのが常でした。


しかし、ええ、たしかに。

過去の後悔にいつまでも足を取られているわけにはいきません、先へと、奥へと、最下層へと行かなければなりません。心に誓い、思いを新たに、私はふたたび進みます。



 + + +



ダンジョンという場所は、奇妙な言い方になるのですが、下れば下るほど巨大になります。

モンスターの大きさという意味でもそうですが、景色という意味でも同様でした。


入口の狭苦しさとは裏腹に、この階層はじつに広々としておりました。

横幅としては三人も並べばいっぱいという有り様から、横に十人は並べるだろうという幅になり、高さも同様になっております。

これは人間換算であり、ゴブリン換算ではもっとでしょう。


そして、こうした広さはつまるところ、オーガキングが無理なく移動できる広さでもあります。

ちょいとボス部屋から逃げ出しても、階段を昇るまでは安心できない、この広さを利用し追いかけられる――

そのような残酷を宣告されております。


そうして歩く先は、より魔力が濃くなる地点。

このダンジョンの発生点とでも呼べる場所です。


私がやるべきこととは、友を見つけ出し、これを引っ張ってとっととこの場を離れることです。

オーガキングとタイマンでやっつけてやるぜ、では決してありません。


私は戦士でもなければ魔術師でもなく、ただの神官なのですから。

勇猛さを売りにするのは他の方々のお仕事です、勝手に奪ってはいけません。


そうして、近づいて――


「ヨォ」


おそらくはダンジョンボスがいるであろう扉の前に、一人の人間がおりました。

形としてはフェアリータイプ、私よりも更に小さい人です。

そのような人が、壁付近にもたれて片手を上げています。

私は足を早めました。


「あんたもここのボスに挑む輩か? それとも格好だけ立派なゴブリンか?」

「……どちらでもございませんとも、少しばかり人探しをしておりました」

「へえ? ここまで来てかよ」


快活に笑い、背にしていた壁際から離れ、ふわりとその羽で浮かびます。


「なんかわからんが、ボス部屋に入るなら一緒に入っていいか? おれもちょっとここに用事がある」

「どのような?」

「そりゃあ、フェアリータイプがやることって言ったら盗賊に決まってんだろ? ちょいと部屋にある宝を盗んですたこら逃げ出す。一人じゃ無理だが、二人以上ならまだやれる目があるよな?」

「なるほど」


私はしばし考えます。

この事態の意味を。


「申し訳ございませんが、体調が万全ではございません。休憩部屋にて体力を回復してから、後日また挑戦したいと思います」

「へえ、そうか」

「あなたは?」

「おれはここで待ってるよ、他の奴らが来るかもしれねえし」

「なるほど、それでは」


言ってその場を離れます。

可能な限り早足で。


尾行を警戒しながらも急いで道を戻り、そのまま一つ上への階層へと行きます。

階段付近の休憩部屋へと入り、ぐるぐると周囲を確かめ、他に人もモンスターもいないことを確認し。


「はぁあぁぁあ……」


肺すべての空気を吐き出しました。

ようやく一息がつけました。


先程の光景を、やり取りを思い返します。


「……明日のために、準備をしなければなりませんね」


休憩部屋の、四方に組まれた聖印の光る様子を眺めながら、憂鬱に独りこぼしました。



 + + +



休憩部屋、あるいは聖別された空間とも呼ばれていますが、これがいかにしてモンスターと人とを判別しているかと申し上げれば、実のところ「この世界の人間か否か」です。

ダンジョン由来の侵入者を許さず、この世界のものであれば受け入れる、その単純な判断基準に「争いを禁じる条件」を付与したものです。


種族としてゴブリンへと変じた私が平穏に一晩を過ごせたのも、これが理由でした。

未だに私はダンジョンのモンスターではなく、人間として扱われております。


「さて」


休憩室を抜け出し、やるべき準備を終えて、直ぐ側の階段を下りて行きます。

時刻はおそらくは朝方でしょうが、洞窟内でその違いは目安にしかなりません。


時計などという高級品など身につけることが能わない以上、役に立つ時計は腹時計です。

簡易的な食料を口にしながら階段を下り切り、向かった先は昨日と同じダンジョン部屋であり、その前には同じようにフェアリーがおりました。


「ヨォ、決心は付いたか?」

「ええ、行きましょう。ただし昨日も申し上げた通り、私の目的は人探しです。その部屋へと入りますが、ボスの打倒を目的とはしておりません。あなたの望む通りの行動になるとは限りませんが、それでもよろしければ」

「ふぅん、まあ、やるだけやってみるよ」

「では――」


扉に手をかけます。


幾度やったとしても、やはりボス部屋の扉を開ける作業というものは心臓に悪いものです。

その先に座して待つのは、このダンジョンにおける最強なのですから。


暗い、暗い部屋。

暗澹として陰鬱とした、どこか墓地のそれすら連想させる有り様。

入口より差した光が内部に注がれ、輪郭を露わにします。


ドーム状の空間、その中央には巨大な椅子が置かれ、退屈そうに座るオーガキングがおりました。

その周囲には、戦い敗北した者たちがそこかしこに打ち捨てられています。


手足がちぎれた死骸はもちろん、裸体を晒す女性の姿も。

死臭が濃く鼻をつきます。


ああ、なるほど。

心の中だけでうなずき、私は無言のまま歩を進めました。

オーガキングに動きはありません。


私は周囲への観察を可能な限り行います。

何がヒントとなるかはわかりません。

ダンジョンという場所は、必ずしもモンスターだけを助けるとは限らないのですから。


綺麗に均された、闘技場のような場所、その中央でゆっくりとオーガキングが立ち上がります。


身長としては三メートル以上、下手をすれば私の三倍です。

体躯は鍛えられていて、どこにも無駄な要素がありません、ただ戦うことに特化した形です。


背筋の産毛が逆立つような威容、これとマトモに戦えると想像する方が間違いだと確信できてしまいます。

思わずゴクリとツバを飲み込みました。


そして、背後からの奇襲を防ぎます。

飛行しながらの剣の刺突、切っ先が濡れているのはおそらく毒の類でしょうが、わかっていれば当たりません。


行ったのはフェアリーでした。


「……なんでわかった」


憎々しげに顔を歪めています。


「知り合いに死霊術師がいましてね、そっくりなのですよ、あなたの気配が。その身にまとう暗い魔力の様子が」


倒れ伏していた女性が立ち上がります、意思によらない不自然な動きで。

他の、手足がもがれたような人たちも同様に。

オーガキングですらも、その口から醜悪な音を漏らしました。


「ここはもうすでに、死霊術師であるあなたの支配下にあるのですね?」


彼らの口から漏れる唸り声はゾンビのそれでした。

赤い目をした彼らが両腕を伸ばし、こちらへと向かいます。



そう、このダンジョンへと「他の死霊術師」が来ているとは聞きました。

そして、このダンジョンの様子が違ってきているとも。


それらの理由と原因は、昨日この場に来た時点で判明しておりました。


通常、ダンジョンボスともなれば旺盛な生命力を発揮し、醜悪な暴力の気配を漂わせるものです。

ましてオーガ、横暴で身勝手な人間を誇張したようなモンスターです。


大人しさを期待するほうが間違えています。

それで煩くないというのであればイビキをかいて寝ている以外にはありえません。


けれど扉を開けるより前に伝わってきたのは暗闇と死臭と静けさばかりで他の音は一切ない。

その手前には、一緒に行こうと誘う者がいる。

これで罠ではないと思える方が驚きです。


最近、ダンジョンで死体の数が少ないとは、死体を活用している者がいるからであり、そのように罠を張っている者がいるからこそでした。


「このダンジョンは、もうおれのもんだ。ダンジョンコアから流出する魔力はボスを通しておれにも入り込んでいる。その無限の魔力を使って平等に殺し、公平にゾンビ化する――ゴブリンごときが邪魔してんじゃねえ」

「なるほど、それが目的ですか。神官としては見過ごせませんね」

「はあ? 神官だぁ?」


近寄ってきた手近なゾンビに心力を込めた一撃を食らわせます。

物理的にはたいしたダメージにはなりませんが、死体の内部に入り込んでいた雑霊を祓う効果はあり、まずは一人を無力化いたしました。


「! ふざっ……ッ!」

「この場、この時に、死霊術師にとっての天敵が訪れたことはまるで運命のようだとは思いませんか?」

「なに言ってやがる……!」

「きっと今日こそがあなたにとって、最後の日となります」


キメ顔で指をさしました。

相対する姿の、私の後ろからはゾンビたちが迫ります。


赤い目をした死者の群れです。

良き交渉ができない相手です。


だからこそまっすぐにフェアリーへと向けて走ります。

相手は魔術をいくらか準備し迎撃の体勢を整えますが、私はその横をすり抜け向かいました。


出口へと。


フェアリーは、しばし呆然とその様子を眺めていました。

けれど、ハッと気づいたように目を見開き――


「逃げてんじゃねええええッ!!!!!!!」

「ははは! このような多勢に無勢に真正面から戦わなければならない道理など、どこにもありはしないでしょう!」


重い扉を開き、広い通路をひた走ります。

ゾンビ、あるいは生ける死体と言ったところで、その保存状態により動きに差が出ます。


ゴブリンとしての全速力、短い手足を一生懸命に動かし進む動作に追随します。

それでも、その速度は私のよりは遅い。


きっとフェアリー自身が先行して邪魔をすれば、私の逃走行動を防げるのでしょうが。


「クソ――」

「おや、来ないのですか? 行ってしまいますよ、逃げてしまいますよ、取り逃がしてしまいますよ、この私を。この後、あちらこちらで「変なフェアリーがボス部屋前で騙そうとしてるから気をつけろー!」と叫んで回ってしまうこの私が!」

「黙れボケぇ!!」


単独でそれをできる勇気は無い様子でした。


実際、それをされたら私は全力で叩き潰しに行きます。

ゾンビに守られた首魁を倒せる絶好の機会なのですから。


まったく、どれほどの数の集団を率いていようとも、速度がなければ無用の長物であることがよくわかります。


結局は単発的な魔術を避け、あるいは弾き返しながら、私は階段まで到着しました。


「それでは、さらばです!」


言いながら昇ります。

モンスターは通常、階段で移動ができません。

階層により区分けされております。


フェアリーがにやりと笑った姿が、わずかに見えた気がしました。


私は全力で階段を駆け上がり、昇りきって息をつきました。

この身体ではあまりスタミナもありません。


地面に吐き出すようにハアハアと、荒い呼吸を繰り返します。

まったくもって不便な身体でした。


ここから先、どうなるかと言えば持久戦でしょうか?

無理にフェアリー自身が邪魔をしなかったのは、きっとそれが理由です。


私の、ゴブリンであるという弱さを知ってのことです。

この小さい身体では、それほどのスタミナはありません。


そして、モンスターであれば階段の移動は行えませんが、今追ってきているのは死者の群れであり、階段を昇ることができます。

ダンジョンがモンスターに与える制約が通用しないのです。


彼らは確実に追ってくることでしょう。

私はこの先延々と「走るよりは遅いが歩くよりは早い追跡者」から逃げ続けなければなりません。


「まあ、そんなことは御免です」


なのでここで、この地点で叩き潰す必要がありました。

手早く迎撃の準備を行います、昨日のうちに用意してあったバリゲードを引きずり、階段出口へと設置し……


「おー、なにしてんの?」

「……どうしてあなたがここにいるのですか?」


シーフでした。

良い方の死霊術師どのについて行っているはずの。


疑念が当然のように湧きましたが。


「戦いの気配を感じて?」


期待に爛々と目を輝かせる様子に吹き飛びました。



 + + +



その後から「へぅ、へぅう……」と変な呼吸音をさせながら死霊術師どのも合流しました。

想定外ではあるものの、実を言えばかなり助かりました。


「下からボスすら操る死霊術師と、配下の死者軍勢が来ます、なので、ここで対処いたします」

「え、え……?」

「おおー! いいなっ!」


私は周囲の様子を指し示します。

階段付近であり、多少の広さがありました。


「敵は集団ですが、階段通路そのものは狭いため一体ずつしか昇ってこれません。これを集団で叩きます」


もともとは心力で敵を叩き、倒れた相手の身体そのものを追加バリゲートにして対処しようとしていましたが、こちらの数が多ければその必要もありません。


「もともとは同じ人間です、できれば手足だけを壊して無力化したいところですが、私達の命を優先しましょう」


敵が到着するまでの時間は、私が全力で逃げたものとの速度差です。

説明は、最低限にしかできませんでした。


うめき声が、昇ってきます。

ゾンビのそれでした。


「死霊術師どの! 動けないようにしたものの支配権を奪うことはできますか?」

「や、やってみる……あと、連れてるみんなも……」


引き連れていた死者が、無言のまま開いたスペースに陣取ります。

体制としてはゾンビ一体に対して、ゴブリン、シーフ、ゾンビ数体によるボコ殴りでした。


心力をまとわせた攻撃もあり、あっという間に階段を転げ落ちますが、すぐさま次がやってきます。


「楽勝ぅ!」

「油断はしないでください!」

「え、なにこの、数……」


私は杖で突きます。

シーフは短剣で斬っております。

意思なき死体たちも、手にした武器で戦います。


それらは効果的に効きますが、相手の数を減らすことには繋がりません。


「やはり、キツイですね」

「支配権、奪えない、相手の方が格上……!」

「うっほぉ!」


私が心力でその死体から雑霊を引き剥がしたとしても、死体は階段の下へと運ばれ、ふたたび雑霊を入れ込まれて戦線へと復帰しました。


終わることがない流れ作業、いつまでも数が減りはしない。

それどころか――


「来ましたか」

「え、え、なにこの地響き……」

「おおー!」


本来はここまで来れるはずのない者、戦いにおけるこのダンジョンの最強、単独で最下層に座していなければならないものが来ました。


ぬぅ、という擬音が聞こえそうな様子で階段出入り口をくぐり、赤い目をした顔貌を覗かせます。


「―〜ッ!」


掛け声もないまま、私たちは同時に攻撃を行いましたが、無駄でした。

私の杖は巨大な棍棒で防がれ、他の短剣や槍などは肌で弾かれ、そのまま昇り切りました。


「やば」


その棍棒が、巨大な凶器が横へと振られます。

私は背後へと躱し、シーフは軽い跳躍で飛び越えましたが、死者二体には直撃、その身体から聞こえてはいけない音をさせながら吹き飛びました。


「グゥぅ……」


意思のない赤い瞳のまま、全身からおぞましい冷気のようなものを噴出させたまま、オーガキングは進みます。

階段という一体多を可能にする地点を越えられたことで、その背後から次々に新しいゾンビが追加されました。


階段出入り口で迎え撃つ戦略が、あっという間に崩されます。


「き、聞いてない……」

「一応は述べましたが、さすがに伝わっていませんでしたか」

「すっげええ!!」


戦闘狂のシーフが興奮するのもわかるほどに、その暴力は一方的かつ絶対的でした。

こちらの攻撃は大半が通じず、あちらの攻撃はただ巨大な棍棒を振るだけなのに止められません。


一体のモンスターの戦力がすべてを変えました。


じりじりと戦線は下がります。

その分だけ敵の姿が増えて行きます。


「粋がってた割にはその程度かよ、なあ?」


その中には、フェアリーの姿もありました。


「逃げるか? どこまでもおれは追いかけるぞ、ダンジョン外だろうが関係なしだ。てめえの家なら無事だと思うな。おれが操る以上、『ダンジョン』なんて枷はないんだ」


階段を昇ることができるとは、そういうことでした。

モンスターとしての制限が存在しません。


足の遅さなど、もはや問題にもなりません。

無制限に、どこまでも行くことが出来るのですから。


「ど、どうして」

「あん?」

「どうして、そんな、こと……」

「決まってんだろ」


死霊術師どのの震える声に対し、フェアリーは当然のような真顔でした。

当たり前のように、断言しました。


「これ以上、誰も死なせないためだ」


そのような異常を。


「誰も彼もが死ぬ、誰も彼もがひでえ目に遭う、このダンジョンってやつが出来てからはずっとだ。だったら、モンスターも人も関係ねえ、全員が平等に死んでしまえばいい。そうすりゃ不安も不公平もない。全員に永遠ってやつを与えるために、死霊術師はいる」

「ち、違う!」


あえぐように、苦しさを耐えながら、それでも死霊術師どのは叫びました。


「助けるために、死霊術師はいる、安心させるために、そうする。何度でも、何度でも!」

「だが、助けられない奴もいる。手が届かない奴も出る。そんな不公平はしちゃだめだろ? だから――」


言葉に呼応するように、オーガキングが棍棒を振り上げました。

その背後では、赤い目をした無数の死者が追随します。大半が欠損した死体の群れが。


「全員、死ね。ゾンビとして生きろ。それがもっとも確実な救済だ」


棍棒が振り下ろされ――


「話になりませんね」


しかし、届きませんでした。

弾いておりました。

私が心力を注ぎ込み発動させたことで、棍棒ではなくオーガキングそのものが吹き飛びました。


ここまで敵を引き込めば、もう使ってもいいでしょう。


「そこには意思がありません、他者との交流がありません、良き交渉もなければ納得すらも存在しません、言葉と意思を奪うことは救済ではなく簒奪です。そのようなものを平和と認めるわけにはいきません」


弾かれたオーガキングは壁際にめり込むような格好で、身動きがとれておりません。


それは昨日、私が苦労して「休憩場所」の範囲を広げたからであり、たった今それを起動させたからでした。

四方に組まれた聖印の位置をズラし、階段付近にまでその範囲を伸ばしました。


休憩場所に、モンスターがいることはできません。

この場合のモンスターとは「この世界の存在か否か」です。

ダンジョン産のボスモンスターは当然のように弾かれます。


「――は、はあ? なんだそれ!!?」

「二人とも可能な限り手は出さないでください、すでに事態は決着しています」

「わ、わかった」

「えー」


死霊術師どのは死者たちに命じて下がらせます。

シーフは不満顔でしたが、手をダランと垂らしてその場に立ちます。


死体に雑霊を入れただけのゾンビの方は、休憩場所を突破します。

その身体そのものはダンジョン産ではなくこの世界のものなのですから。


けれど、休憩場所とは「戦うものを弾き出す」性質があります。

呻きながら襲いに来たそれらは、不格好に腕を振った途端、先程のオーガキング同様にはじき出されました。ぽぉんと外へ。


違反を侵したものは、すぐに再侵入することはできません。

次々に次々に、ゾンビたちは外へと放り出されました。


シーフが「わーい」と両手を上げてそこらを歩くだけでゾンビたちが次々に吹き飛びます。


「く、てめえ、いや、ゾンビども止まれ! 動くな!」


結果、数体の身動きしないゾンビとフェアリー、そして、ゴブリンとシーフと死霊術師とその配下だけが取り残されました。

モンスターは入れず、暴力を行うことができない、そのような場所ではそう振る舞うしかありません。


私は、心力を込めた杖をそのフェアリーに突きつけます。


「さて――」


杖に込めた力は、弾かれるよりも先に効果を発揮することでしょう。しかし。


「ここから、交渉をはじめましょう」


そのように宣言いたしました。



 + + +



「……なに、言ってやがる」

「無論のこと話し合いですよ、休憩場所なのですから、相応しい状況でしょう?」


戦闘の熱がまだ冷めてはおりませんが、それでも必要なことです。


「……おれの意見は変わらねえぞ、全員を助ける、平等にだ」

「なるほど。私としては友を助けたいだけです、あまり大きな目標などございません。私達の間に交渉の余地はありませんか?」


返答は疑念に満ちた視線でした。

まあ、無理もありません。


あちらからすれば私というゴブリンは、罠にハメてゾンビ化させようと思ったら逃げ出して、逃げた先で圧倒的な戦力で押しつぶそうとしたらまた逃げられた――そんな程度のものでしょう。


まだ攻めている。

攻勢が半端に終わっただけだ。まだ逆転の目はある、次の攻撃を全力ですべき――きっとそのような気持ちです。


まあ、それは、まったくの勘違いでしかありませんが。


「仮にこの交渉を受けてくれないのであれば――」

「ッ! この……」


私はフェアリーに向けた杖を動かし、向けました。

休憩場所の領域に押しつぶされるようにされ、身動きが取れないオーガキングへ。


「このボスモンスターに巣食う雑霊を祓います」


空の肉体に、自由に操れる雑霊を入れ込むのが死霊術の基本です。

その内部を空にされたら――


他の雑霊が入るかもしれません。

あるいは、元のボスモンスターの魂が帰ってくるかもしれません。

それともなければ死霊術師どのがこの操作権を奪い取れるかもしれません。


どちらにしても、支配権がこのフェアリー姿の死霊術師のもとに戻らない可能性はとても高いのです。


「下手すれば、おれたち全員が皆殺しだ、それでもいいのか」

「それがどうかいたしましたか? それはあなたのおっしゃる平等じゃないですか、望み通りでしょうに」


こちらの皮肉に対して顔を歪め、歯を噛み締めておりました。

その激怒の様子を見て、納得しました。

ずいぶんとねじ曲がってはいますが、どうやら本気で「救いたいから」、殺そうとしていた模様です。


人々を助けるためです。

行動原理は、ただそれだけでした。


「ふむ……」


方向性が誤った強烈な熱意。

必要なのは、実のところ否定ではないのでしょう。

きちんとした代案の提示です。

それは――


「な、なんで……」


死霊術師どのが、もどかしいように手を動かしていました。


「なんで、生かしてちゃ、だめなの? 殺さずに、助けようよ!」

「さっきも言っただろ、それじゃ取りこぼす。勝手なことをする人間が他の人間を殺す。だったら、一度全員を殺した方がまだマシだ」


露悪的なその言葉に対し、私は当然の指摘をいたします。


「ですが、そのやり方も安定しているわけではございません。私のようなゴブリンがちょいと工夫しただけで詰んでおりますよね? そう、今の状況こそがまさにそれです、そのやり方もまた不安定なものだったのです」

「それは、いや、だが、それなら他にどんな方法があるってんだ!」


その叫びを前に、私は考えます。

この「すべてを救うことに固執する魂」をどうすればいいのか?


「……あなたは、救いたいのですよね?」

「ああ、クソみたいな死を減らす、そのためならなんだってしてやる」

「ふむ……」


可能性として、思いつきました。

ですが、それよりも先にすべきことがあります。

いえ、そもそもの話――


「今更ですが、きちんと対面して話し合いをすべきですね」

「オマエ、それは待――」


私はそのフェアリーに対して神術を行使します。

それは心力を捧げて発動する術であり、一般的には「回復呪文」と呼ばれていました。


攻撃ではないので、当然、休憩場所から弾かれることもありません。


しかし、それは「フェアリーの身体の内部に入っていたもの」を祓いました。

小さい身体から、吹き飛ばされるものがありました。


雑霊と呼ぶには強固なそれは、そのまま別の身体へと滑り込みます。


「気づいていやがったか……」

「ええ、当たり前でしょう」


あのボス部屋で、裸で倒れていた女性でした。

そこに意思の光が宿り、私を睨みつけますが、同様に私も睨み返します。


「あなたが先程まで操っていたこのフェアリーこそが、私が探していた友なのですから」



 + + +



ボス部屋で待っていたその姿を見て、私がどれほど安堵したか知る者はいないことでしょう。

その後で、私を知らぬかのように話しかけたその姿に、どれほど激怒したかも。


友が術師に囚われていると気づいたからこそ、ボス部屋に入るなどという無謀を行ったのです。

敵に有利な地点ではなく、私にとって有利な地点で――それこそ休憩部屋で入り込んだものを祓う必要がありました。


下手に動くわけにはいきません。私にとって大切なものであると気づかれることは、相手に人質に取るに足る人だと気づかれることです。


小さな友を抱えながら、私はようやくの安堵をこぼします。

いまだ魂は還っていないものの、最低限の目標は達成できました。


「あなたは、魂を他へと飛ばして支配を行うことができる、そうですね?」

「……ああ、直接攻撃なんて危険なこと、おれ自身の身体でできるわけねえだろ」


配下のゾンビにマントを渡され、それを身に着けながらの言葉でした。


「なるほど、わかりました。おそらく可能でしょう」


一息をつき。


「……このダンジョンを、きちんと支配いたしましょう」

「はあ?」

「え」

「お?」


考えを整理します。

問題点はどこにあるのでしょう?


たったいま裸マント姿となったこの死霊術師は、熱意をもって全員を殺すと主張しておりますが、結局のところそれは次善の策でしかありません。

他に有効なやり方がないからこそ、それにすがるしか無いと思い込んでいるのです。


それだけの力がないからこそです。

多くを支配できず、目が届かない場所が多いから、そうなってしまっている。


せめて、このダンジョン内だけでも、無為の人死にが出ないようにするためには……


「その本来の身体から抜け出し、直接こちらのボスモンスターを乗っ取りましょう」


その為の力と立場を得ればいい。

ダンジョンボスは、それを成し遂げるのに十分です。


「い、いや、それは無理だ。おれが考えなかったわけがないだろ。あまりに危険すぎるし成功の目がない。今でさえどれだけ制御に苦労したと思ってやがる――」

「ええ、あなた一人では無理です、なので、乗っ取りには死霊術師どのにも手助けしていただきます」

「はぇ……?」

「手順としては、魂としてのあなたを死霊術師どのが支配下に置き、その後でオーガキングへと入れます」


魂を直接飛ばして乗っ取る。

とても便利なようですが、所有者なしに浮かぶ魂とは、死霊術師の支配の及ぶ対象です。


オーガキングは確かに難物だとは思われますが、それは結局は、一人が苦労して行えた程度のものでしかありません。


他者を乗っ取り操る魂と、その魂の後押しをする術士。

二人分の制御能力を足し合わせれば、きっと可能です。


「……だが、それができたとして何が変わる、今と同じだろうが」

「いいえ、間接ではなく直接的に支配できるのです、当然、このダンジョン内にいる他オーガに対する命令が可能になります」

「……」

「助けるには手が足りない、取りこぼしてしまうとおっしゃっていましたね? では、このダンジョンのあるじとして行うのであれば、どうでしょう? あなたの判断と責任のもとで多くを助けるのです」


死霊術による支配の数と範囲は、魔力に依存します。

一人の人間が行う以上、どうしたって限度があります。


ですが、ボスモンスターとしてであれば、それはダンジョンが保証する支配構造です。

リソースなしにいくらでも命令ができます。

どのようなものでも、好きなだけ、配下のオーガたちを思いのままに動かせるのです。


より確実に、より広範囲に、己の思い描く『平和』を成し遂げたいのであれば、ダンジョンボスとして動いた方がお得です。


「……おれが乗っ取って、そううまく行くのかよ」

「実際に今、うまく行っているではありませんか。死霊術師による間接支配を、既にダンジョンは認めています。この提案は、ただあなたの魂の居場所が変わるだけです」

「……」

「ダンジョン出現によって全てが酷いことになったとおっしゃっていましたね? ならば、あなた自身がダンジョンを支配するのです。最悪を最善に変える手段と力を手に入れるのです」

「……」

「ちょ、ちょっと、待って……!?」

「へー」


焦る死霊術師どの、感心するシーフと違い、裸マントは不満そのものの顔でした。


「……一旦完全に肉体から離れてオーガに入れば、おれの死霊術師としてのスキルは失われる、オーガが魔術を行使できるわけがない。おれはオーガに対してしか命令することができなくなる。このダンジョンの死霊術師が、そこにいるローブだけになる、そういう筋書きか?」

「それも一時的なものでしょうね、ダンジョンボスの直接支配を経験すれば、あなたの死霊術士としての力量は高くなる。もちろん、本来の実力を取り戻すのに時間はかかるでしょうけれど」


そうしている間に、意見が変われば御の字で、そうでなかったとしても、このダンジョンで無為の死亡者がしばらくは出なくなります。


「死霊術師どの」

「は、はいぃ……」


私は真正面からそのローブ姿へと向き直りました。


「この話の主軸は、実のところあなたです。あなた自身の動機と合致しなければ、やらない方がいいでしょう。想像よりも、もっと多くの苦労があります。ちょっと試しにやってみよう、では釣り合いがとれません」


一人の死霊術師は、助けるために殺そうとしています。

一人の死霊術師は、助けるために助けようとしています。


「ですが、あなたはこのダンジョンで多くの死者を生き返らそうと巡り続けた。その行いは、レイダーの入り込む余地を削いでいました」


びくり、と死霊術師どのの背中が震えました。


「もし、あなたがこの話を受けるのであれば、あなたにもダンジョンコアから魔力供給が行われます。魔力量が多くなればできることは増えるでしょう? もっと多くの人を助けることができます」


そう、結局のところ、この二人の目的は合致しているのです。

その手段が違うだけでしかありません。


マント姿となった死霊術師に語ります。


「現在のあなたのやり方は邪魔が容易です。間接的な支配は簡単に奪い取られます。より直接的に、より安定し、より広範に救う手段を選びませんか?」


悩み、呻く死霊術師どのに、ささやきます。


「もし仮にこの話を受けていただけるのであれば、外からレイダーの集団が入り込んだ場合であっても、撃退が行えます。無力を嘆く必要はもうなくなるのです。あなた方が、ダンジョンボスを強固に支配するだけで、それは叶います」


さあ、どうしますか?


――後から聞いた話ですが、両手を広げて笑いながらそう言った私の姿は、悪魔のようだったらしいです。



 + + +



ダンジョンを支配する。

簡単に言葉にしてしまいますが、実際のところは難しいでしょう。


しかし、いくらか可能な目もあります。

特に死霊術師どのがギルドからの信任を受けた金エンブレムを手にしているのが大きいです。


あれはこのダンジョン内で、人を助けるための許可証のようなものです。

限定されてはいますが、「ダンジョン内に入り込んだ人間に対する行動」が許可されております。


そんな人間が、実質的にダンジョンの支配者となることは、ギルドからの横槍への牽制となります。

エンブレムが認めたもの――ダンジョンでの死亡者を可能な限り少なくするための行動に合致するからです。


また、これを長く継続すれば、いろいろと話は違ってくるでしょう。

ただ一方的に収奪するだけだった、あるいは相互に殺し殺される対象であったダンジョンが、「人が支配可能なもの」となります。


倒すのでも、奪うのでもなく、支配する。

それがどのように転がるかは、まだわかりませんが……


「殺し合いの常態化よりは、きっとマシです」


ローブ姿とマント姿の死霊術師たちの話し合いを横目にしながら、そんな風に独りこぼしました。


腕の中にはフェアリーが、私の友の姿があります。

青白くなった肌には生気がありませんが、回復呪文を注ぎ込み続けているためいくらかは快調に向かっているようです。


これほどまでに心力を注ぎ込み続ける状況であれば、他の雑霊が張り込む余地はありません。

それこそ、本人の魂でなければ――生来からの結びつきによるものでなければ、きっと無理でしょう。


休憩部屋という、人が身体を休めるための場所で。争いを禁じられた空間で。私は待ち続け、そして呼びかけ続けます。


「友よ、いい加減、起きたらどうです――」


寂しいじゃあないですか。

私はここまでたどり着いたのですから、今度はあなたがたどり着くターンのはずです。


そして、心力を回復させる関係上、あまり頻繁にダンジョンにもぐれない私を置いて行くのは、もう止めていただきたい。

こんな思いは、もう御免なのですから。


あなたがいない食事は非常につまらないものです。

気をはらずにいられる相手を失いたくはありません。


欲しがっていた妖精用の装飾宝石の購入も検討いたしましょう。

神官として慈善活動をやめるわけには行きませんが、休日に遊びに行くための時間確保は必要であるかもしれません。

あとは――


そう呼びかけ、切々と訴える声に反応したかのように、そのフェアリーのまつ毛が小さく震えました。


「……まさかと思いますが、とっくに魂は戻っていて、私の話を黙って聞いているわけではありませんよね……?」


返事はありませんでしたが、その唇が誤魔化すように口笛を吹き出しました。


私は深く頷きます。

友とはこういうやつです。


とりあえず、抱えていたフェアリーを手放し、落下させることでその帰還を祝いました。



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