前編
ダンジョンという異常が生まれてしばらく経ちますが、いまだにその全容は把握されておりません。
日々平穏に牛を飼い、麦を育て、岩塩を取るなどして暮らしておりましたところに突如として『穴』が生じたのですから。
天然自然の理を無視してぽっかりと開いたそこからは、見たこともない鳥が、技術が、そしてモンスターが湧き出ました。
まったくもって異常事態。
いらぬ来客、不要な贈り物の押し付け、迷惑千万極まりない。
学者によっては「このダンジョンとは異界からの侵略行動である」と主張するものもおります。
ここを、彼らにとって住み良いように変えている。
壺にたくさんの香草やら香辛料やら花やら香油を入れて、室内を良き香りで満たすように、ダンジョンという壺にたくさんのモンスターや罠やモンスターや宝物やボスモンスターを入れて、異界の者にとって住み良いようにしている……
いやいや本当か? さすがに思い込みが激しすぎるんじゃあないかとは思いますが、実際、ダンジョンが現れて以後世の中は変わり、洞穴の内部は見たことがないような様相です。
その異様、その異形、その異常に、けれど、いつの頃からでしょうか、価値を見出すものが出始めました。
たとえばそれは傷があっという間に治るポーション。
たとえばそれは見たことがないほど鋭い剣。
たとえばそれはかぶれば真偽を判別できる王冠。
たとえばそれは――永遠の命を約束する霊薬。
人々はそれに引き寄せられて向かいます。
それは人が見つけたのか、ダンジョンがそう作り出したのかはわかりません。
見方によっては、ダンジョンという大口を開けた化物が、人を食うための餌をちらつかせたと言っても良いものでした。
昔であれば年に一人か二人という死亡者は、ここしばらくの間は五十人百人と増えております。
この死亡者の中に、私の友もおりました。
ダンジョンへと潜ってから、もう一ヶ月も帰ってこない。
今こうして震えながらも一歩一歩と進んでいるのもそれが理由でございます。
ええ、ダンジョンとは餌をまいて大口を開けて待つ化物です。
それは、一人二人だけでは満足しない大食漢でもあります。
だから、私の友人を腹の中に隠しているのです。
そこまで取りに来るよう誘っています。
私はまんまとそれに乗せられ足を運んでいる愚か者です。
+ + +
ダンジョン内は狭くて暗いが常道で、そこかしこがゴツゴツとしており人が歩くのに適してはおりません。
進みにくくするのと同時に、逃げにくくもされています。
走って逃げれば足を取られてすっ転び、敵の腹の中へと直行です。
死者蘇生の成功率は、身体がどれほど残っているかが成功の鍵だと言うのに、ぐっちゃぐちゃに咀嚼と嚥下をされては台無しとなります。
そうした道の複雑と見えにくさは、けれど身を隠すという面では非常に役に立ちます。
ええ、今がまさにそうでした。
下から生えた牙のような岩、私が十人いても輪になった腕が足りないほど巨大なその陰に身をひそめている向こうに、巨漢の鬼がのっしのっしと歩いています。
いわゆるオーガ、手にした棍棒は表面が黒々とコーティングされております。
漆かコンクリートをまぶしたお洒落さんかなと期待したいところではありますが、つんと鼻をつく臭いからすると血と臓物をまぶして放置したものでございましょう。そのコーティングへの新規参加は辞退したいところなのでこうして潜んでおります。
手にしている武具といえば向こうは棍棒、こちらは杖です。
同じ鈍器の系統ではありますが、攻撃力がまるで違います。
こなした実戦の数もまた天と地ほども離れていることでしょう。
『ダンジョン化』の影響により私の背丈は順調に縮んでおります。
手などまるで子供のようにちいさく頼りない。
滑り止めのための手袋が脱げないかどうか心配になるほど。
大の大人でもかなわないようなオーガの盛り上がる筋肉と比べれば情けなくなること請け合いで、世の中の悲哀を存分に感じております。
まあ、きっと頭の中は空っぽのでくのぼうの見掛け倒しに違いないのだから、別に悔しくなどありませんが。
びた、っとオーガの足が止まりました。
私の息もぴたっと止まります。
聞こえたわけではないでしょう。
心の声まで聞こえているのは地獄耳どころか読心術、オーガにはまったく似つかわしくない。
そのようなことは、もうちょっとくらい繊細そうな者がやるべき行いでしょう。
けれどオーガはその場を動かずキョロキョロと、周囲を見渡しているようでした。
直接見えたわけではありませんが、岩向こうが不審と疑念を浮かべていることは想像に難くありません。
ここで景気良く気持ちよく、お前など敵ではないと啖呵を切って小粋に奇襲と洒落込みたいところですが、残念なことにオーガは岩向こう。
遠すぎて恋もできません。殺し合いなどもってのほか。
まったくもって残念なことながら、手にした杖の使う機会はまた今度ということになるでしょう。だから、さ、そこのオーガさん、遠慮することはございません。棍棒など仕舞ってスタスタと、違和感など無視して進んでしまいなさい。
その止まった足が、動きました、こちらへと。
どこか確信を持った動作でした。
……それはない、それは困る、それはどうでしょう?
行くべきはこちらではなくあちらでしょう?
なんというウッカリ、道が違っておりますよ?
私の心の中での説得は通じることはありませんでした。
ここで戦ったところで無駄に体力を消耗します。勝てますよ? ええ、戦ったらそりゃあ、オーガなんてイチコロです、杖の一突きで木っ端微塵ですとも。
けれど、私が目指すべき目標はもっともっと奥なのですから、こんなところで消耗しているわけにもいきません。だから、オーガの動きに合わせて私も動きます。足音を出さないようにこっそりと、オーガからは岩を挟んで点対称になる位置へ。
足音はもちろん、足跡も残さず、つま先立ちでちょいちょいと、ゴツゴツした岩の先端だけを踏みしめて。
呼吸は可能な限り最低限、気配という気配を殺して、視界にわずかにでも映らないよう杖を胸元へと抱えます。
杖を横に伸ばせば即応できますが、代わりに見つけられやすくなるのが玉にキズ、まさに無用の長物です。
やがて一周する頃には気のせいだと諦めたのか、オーガはふたたびの経路へと進んで行きました。
はあ、と重く吐いた息は、向こうは残念無念を表して、私は心底からの安堵を表しました。
そうしてそっと正反対の方へと向かいます。
逃げたわけではございません、友を助けるために進んでいるのですとも。
+ + +
このダンジョンが出来てから、この世界に三つの変化が生じたと言われています。
一つは魔術、一つは信仰、一つは種族。
魔術と呼ばれる超常のルールが忍び込み、疲弊した心に信仰という逃げ道が作られ、そもそもの身体に別の形が現れます。
なんとも好き勝手してくれやがると言いたいところではありますが、良くも悪くも世界は変わりました。
それまで平和で、それでいて変化がない日々に違いが生まれ、生きる形までもが変化します。
先程、ちょっとばかりニアミスをしたあのオーガ、あれがこのダンジョンで生じたモンスターであるのか、それともなければ人があのような姿へと変じたのか、今となっては分かりはしないのです。
どちらであったとしても、その棍棒にこびりついたものを思えば、無罪放免というわけにもいかないでしょうけれども。
あれは、非常に残念ながら、人を襲った証です。
身も心もモンスターとなったものは、もう血を流すこともございません。
倒せば光の粒となって消え失せます。
儚いホタルのような生物となるのです。
まあ、ただのホタルと違い、武装した大の大人を簡単に吹き飛ばせるようなホタルではありますが、どちらにせよ「武器に血の跡がある」とはすなわち、人を殺めたことの証明です。
なんともまあ、やるせない。
人が人を殺すとは心理的にとんでもなく辛く苦しいことであったはずなのに、ちょいと姿が変わるだけでその垣根は低くなり、今の世では反復横跳びのように越えています。
モンスター化した人が人間を殺すのも、人間がモンスター化した人を殺すのも、どちらも今となっては簡単な行い。
みんなが唱えるお題目、「人間を殺してはいけません」とは実のところ、見た目重視のものだったようです。
見目がモンスターであればモンスターとして扱われる。大半の人々にとっては中身がどうだと言うよりも、外見がどうだで決めつけた方が話が早いし楽なのです。
ええ、そのような感慨に耽ったのは私がようやくのようにダンジョン内の休憩場所にたどり着いたからでした。
ダンジョン内に設置されたそこは安全地帯、四方を聖印によって区切られた空間、ぐっすり眠って次の日に起床ができるありがたい場所でございます。
部屋には簡単な寝具と椅子があり、しばらくの安らぎのひとときを保証します。
モンスターは訪れることができず、人間であれば入れる地点。わずかながら文明の香が残るありがたい場所。
そこには私が勢い込んで入るよりも先に何人かの人々がおりました。
やあ、同じくダンジョンを行く者同士、仲良くやろうじゃあないかと肩を組んで杯を酌み交わしガハハと笑いたいところですがそうもいきません。
そういえば、きちんと説明をしておりませんでしたが、
「なんで、ゴブリンが!?」
私はそのような見た目をしております。
杖を手にして、背筋を伸ばした小鬼でございます。
だからこそ棒を横へと構えます。
瞬時の敵対ではなく、防御の構えを。
「私はまだ人間のつもりです、こうしてこの場所にも入れることがその証明、ここでの抜刀はご法度でしょう? 警戒するなとは申しませぬが、敵対するのは止めて欲しいところ」
じろじろと見られてしまいました。
特に私が、横へと掲げている杖を。
そこに血の一滴でもあれば、あるいはそれを拭いた痕跡があれば、きっと彼らは迷うことはなかったでしょう。
私というモンスターを打ち倒すことに躊躇はない。
それによりこの休憩場所からはじき出されたとしても、油断して死ぬよりはマシなのですから。
見たところ、四人ばかりで組んで探索している様子でした。
前衛二人、後衛一人、撹乱役一人、それなりにバランスがとれたパーティです。
「……魔術師か?」
「おお! そんなにも知的に見えますか、とても正しい見識をお持ちのようです、こう見えてもダンジョン化が起きるよりも前は本を読みに読みすぎて目を悪くし、メガネをかけなければならなかったほどで周囲の評判としては散々でした、目付きが悪い、顔つきが暗い、不健康の極みであると大変に――」
「違うよ、このゴブリン、手足が鍛えられている」
「……話を断ち切らないでいただきたいのですが、そこの盗賊の方?」
近づいていたのは撹乱役、短剣の柄に手をかけているシーフでした。
素早さが身上のクラスで、警戒と興味に目を爛々と輝かせております。
熱い視線は嫌いではないのですが、睦み合いは地上の酒場でこそお願いしたいところ。
「クラスは武道家? それとも拳闘士の類?」
「どちらも違いますとも。それほど野蛮に見えますかね? クラスについてはあなた達のを詳らかに教えてくれるというのであれば喜んで教えるものの、そうしたいわけではないでしょう? だからここはお一つ、礼儀正しい沈黙で、争いなくこの空間を共有しましょう」
「えー」
つまらないという顔をするシーフと違い、リーダーらしき人は警戒を解いておりません。
正しい。それはとても正しい態度でございます。
ちょっと話をしただけで絆されて、騙され金を毟られ素寒貧となるのは我が友だけで十分です。
私がどれだけ補填のための金を貸したかわからない。
「ソロか?」
「二人組でした、これからまた二人組となるために潜っております。遅刻癖のある友を向かいに行くために」
「ああ、なるほど」
「このような見た目ですからね、組んでくれる人は貴重なのですよ」
「居場所の心当たりは?」
「突き当りでしょうね」
隠すようなことでもないので言いました。
しかし、少し緩んだ空気が、それで引き締まりました。
「おい」
「はい、なんでしょう」
「さすがにそれは嘘だろう。ソロで、その軽装で、最下層まで行くつもりか」
「行くつもりではございませんね、私は行かねばならないのですよ、そこに友がいるのですから。まあ、たしかにあなたの言う通り、我ながら無謀な行いではあります。成功する目はとても低い」
「低い? 違うだろう、無いんだ、そんな可能性は微塵もない。ここのダンジョンボスを、その棒で百回殴ったところで通用しない。それともあんたは魔術師か?」
「いいえ、そのような怪しげな術を使うつもりはございません。この杖はあくまでも護身用でございますとも」
最下層にいるこのダンジョンボスは、オーガキングであると言われております。
先程出会ったあのオーガの親玉です。筋骨は盛り上がり、力はもちろん頑強さも桁違い。
私が百人いたところであっという間に蹴散らされて終わります。
一矢報いることができたら大金星、私の行いは自殺志願のそれと変わりがありません。
「おい、本当か?」
「ふむ……?」
見れば剣呑な雰囲気です。
リーダーの様子に当てられたのか、残る仲間たちも戦う体勢を取っています。
シーフは変わらずニコニコしておりますが、これは戦えそうだからと喜んでいるのでしょう。見た目の細さに似合わぬバトルジャンキーっぷりです。
「俺は今、お前が仲間を助けに行くのではなく、オーガキングの仲間になるために向かおうとしてると疑っている」
「ああ、なるほどなるほど、合点がゆきました。たしかにそのような考え方もございますか。しかし、流石にそれは無理なのでは」
「どこがだ」
「オーガという種族は力を重視いたします。力こぶが大きい方が偉いという価値観です、脳筋おバカの蛮族思考です。ここで私が馳せ参じたところで相手にもされることはないでしょう。仮に参加できたとしても、小間使以下の奴隷としてのスタートです、人であることを捨ててそのような扱いを望むほど、私はマゾヒストではございません」
「ソロでオーガキングを倒しに行くよりは現実味があるだろうが」
「別段、倒すつもりはございませんが?」
「は?」
いやいや、もうちょっとくらい話は聞いて欲しいものです。
早合点にも程があるというもの。
「私は友を助けに行くと申し上げたのです。オーガキングバスターになりたいなどという話をした憶えはございません。そのような無茶無謀はどこぞの勇者にお任せいたしますとも、私はただ助けに行くばかりです。他の望みはございません」
「いや、しかし――」
「友が帰らない、だから助けに行く。これのどこに不自然がありますでしょうか?」
それでも疑いは晴れません。
私という姿、ゴブリンであるという形はそれほどまでに強固な偏見としてこびりつきます。
おいおい、言ってることはそれなりにマトモだが、やっぱり見た目通りに悪いやつなんじゃあないか?
そのような印象を打ち砕くためには、それなりのインパクトが必要です。
人間は騙されたくない生き物ですが、同時に一度騙されてしまうと、なかなか過ちを認められない生き物でもあります。
自分で自分を騙したのなら、そこに説得など心に入る余地がございません。
私は一つため息をつくと手で祈りの形を取り、心の中で謝罪をいたします。
彼らを説得できずにいるのは私の不徳の致すところ、このような場面で証明のために使うことは不遜そのもの。
けれど、少しでも最下層に行く可能性を上げるためには――後ろから彼らから身勝手な正義感でバッサリ斬りかかられることを防ぐためには、行わなければなりません。
「私は格闘家でもなければ魔術師でもありません」
胸元より取り出したのはペンダントであり、流麗な印が彫り込まれているものでした。
見る人が見れば、どのようなものかわかるはずです。
「私は、フォルセティ様に仕える神官です」
+ + +
この世界にダンジョンが現れてから起きた変化は三つ、一つは魔術、一つは信仰、一つは種族です。
種族として人が別のものに変わってしまう現象が私を直撃いたしましたが、同時に信仰と呼ばれるものも直撃いたしました。
それは言葉として申せば「ある種の概念の体現者となることの欲求」とも呼べるでしょう。
私個人ではなく、この世あまねく全てに通じる『何か』があるという確信です。
身体が変わり、私が私であるということですら曖昧になった瞬間、それを体感いたしました。
我ながら胡散臭いとは思うのですが、何かに触れた、と思えたのです。
その観念、その概念に。
それは平和と交渉と良き会合を行うものであり、どのような姿形をしていようが一顧だにしないものでした。
互いの立場を理解し、よきことを開示し、そこに誤解があれば解消し、互いの納得と理解を得る――
そうしたフォルセティ神の性質は、とてもよく理解できるものでした。
ある意味では、縋ってしまった、とも言えるでしょう。
変わる己の姿から目を逸したのです。
けれど、それは私というゴブリンの、この世界で生きる背骨となりました。
争い、戦うのではなく平和と交渉を。
そのような性質を目指すことが、私自身の目標となったのです。
だから、ここでフォルセティ様の聖印を出すことは、私の敗北を意味するものでもあります。
言葉と交渉による平和を結べなかったのですから。
「これは――」
「我が神の名にかけて誓います、私は最下層へ友を助けに行くのです。決してオーガキングなどという体力バカに媚びを売りにいくわけではありません。その配下になど、決してなりません」
人は、見た目に騙される生き物です。
この場合の見た目とは、私が『きちんとした聖印を持つ神官である』ことも含まれます。
神官であるという事実は、ゴブリンという見た目を覆すほどのものでした。
このダンジョンで人が亡くなったときに復活を行える手段は限られています。
一つは希少な復活アイテム、もう一つは神官が唱える復活呪文です。
のこのことダンジョンに潜り復活を行う神官など、それこそ絶滅危惧種といってもいいし、私はその絶滅危惧種に当たります。
ゴブリン姿という条件を付け加えるのであれば、唯一のと言ってもいいでしょう。
なので、効果は抜群でした。
神官の機嫌を損ねることは、場合によっては復活の機会を失うことです。
我が神フォルセティ様であれば「誠実な交渉を行え」とは教えても、「たとえ嫌でも公平な振る舞いをしろ」とは教えていないのですから。
「ねえねえ、神官の戦闘ってどうやるの?」
シーフという名のバトルジャンキーだけは変わりませんでしたが、これはこれで誠実でブレのない人ではあると思われます。
+ + +
その後、いくらか休憩した後にふたたびの出発をいたしました。
私を仲間として引き入れたい様子もあったようですが、丁寧に辞退して一人向かいます。
神官、というものはそれなりに引く手あまたです。
傷を治し、毒を癒やし、体力を回復させることは継戦能力を大きく高めます。
それでもソロで向かっているのは私がゴブリンだからであり、また同時に必要だからでした。
足音を殺し、周囲に目を配り、可能な限り素早く向かいます。
最下層へ、我が友が向かったはずのその地点へ。
かの者たちが述べた通り、私の行いは無謀です。
成功の目などまるでない。
いっそ自殺行為であると言っていい。
これはソロであるというだけではなく、集団で組んでも同様です。
ダンジョンボスを倒しに行くのは、それなりに頭のネジが外れたものしか行いません。
それでも、なにゆえそのようなことをしているのかと言えば、一言で言えば意地でしょう。
私は人としての姿を無くしました。
心には信仰が入り込み、私の一部を形成します。
もともとの私、本を読んでばかりで周囲をバカにしプライドだけは一丁前の、性格のねじ曲がったモヤシである私を知るものの数は、もう数が少ないのです。
私が私であると認めてくれる相手を、ここであっさりと失うわけにはいかない。
そのような意地が私の足に力を与えます。
まあ、正直を申せば神官であるという形にとらわれて韜晦と皮肉と諧謔をまぶしたやり取りができぬことは非常に肩がこるので困る、というのが本音ではあります。
バカを言える友達は貴重です。
是非とも友がダンジョンボスに突入して失敗したのを笑わなければ。
あの傲岸不遜を凹ませることができると思えば、どんな困難も苦にはなりません。
ダンジョン内を順調に下って行きます。
戦闘は可能な限り避けて行きます。
暗がりの濃淡の、できる限り暗い部分を行き、足音を出さぬように移動をする様子はさながらシーフですが、こう見えても立派な神官です。
ただの神官ではダンジョンに入ることすらままならないため、ある程度の訓練は受けておりますが。それらの功績はあの鬼のような訓練教官に帰するものであり、私の成果ではないことでしょう。
「ふぅむ……?」
遠く、剣戟の音がしておりました。
このダンジョン内としては聞くことが珍しい音となります。
ここのダンジョンボスはオーガキングです。
その配下として徘徊するモンスターもまたその系統に近く、手にする武器も棍棒やら素手やらで、剣なんていう文明的で使い方の難しいものに頼ることは少ないのです。
けれども、向こうに聞こえる鋼を打ち付け合う音は複数あり、しかも人の怒声まで聞こえております。
これは、いよいよおかしい。
「あまり、厄介事に首を突っ込みたくはないのですが……」
けれども放置して、最悪の出来事を見過ごしたとなると夢見が悪い。
神官としても、まあ、やった方がいいのかなあ、くらいの気持ちはあります。
フォルセティ神の教えとしては、他が勝手に争う場面に自ら介入するのを良しとはしません。
けれども、もしかしたら、ひょっとしたら――
そのような最悪を考えると、行かざるを得ませんでした。
果たして、少しばかり広くなった洞穴では、その最悪の事態が展開されておりました。
戦っているのは四人、前衛二人、後衛一人、撹乱役一人で、つい先ごろ休憩部屋にて出会った者たちでした。
彼らは戦っていました。
冒険者たちと、より正確に言えば、操られた死体たちと。
戦う彼らの反対側、洞窟部屋の壁にもたれて長い魔術の杖を抱え、目深にローブを被っているものを打ち倒すために。
間違いなく、死霊術師でしょう。
纏うオーラは薄暗く、魔術を行使している最中であると示しています。
四人対十人以上の死体冒険者と、死霊術師。
そのような最悪の場面がありました。
+ + +
彼ら四人が先行したのは、私が慎重に進んでいたからであり、また同時にここが迷宮だからでしょう。
長さ短さ、遠さに近さ、そうした天然自然の理がたまにおかしくなるのがダンジョンという場所であります。
魔術は理を歪めて異なる結果を紡ぎ出します。
倒れて伏した死者を起き上がらせ、戦わせるというのもその一つに数えることができるでしょう。
甚だ業腹ではあるものの、神官としては見過ごすわけにもいきません。
叶うのであれば説得を試みたいものの、話が通じる場面ではない様子。そもそも戦闘が始まっています。
話し合い、というものは頭を冷やしてからようやく行えるものです。
酒場で殴り合いをしている者たちに必要なものは有り難い説教ではなく、冷水をぶっかける作業です。
なので私は気配を消して接近、相手の剣を吹き飛ばして、その顎を杖で打ち抜き、続いて二人ばかりのみぞおちに一発いれて身動きをとれなくさせ、最後の一人で防がれました。
止めたのは、短剣でした。
怖い目で睨まれております。
「どういうつもりかなあ?」
「もちろん、いらぬ争いを止めに来たのですよ」
止めたのはシーフでした。
当然のことながら私が襲撃したのは四人の方、ついさっき休憩部屋で平和裏に別れた方でした。
「嬉しいよ、やっぱりあんた、やる」
「私としてはまったくうれしくはございません、どうしてこのような真似を?」
「動く死体連れてるやつとか、倒さなきゃでしょ」
ほうほう、なるほど、そうなりますか。
見た目としてはベテランのようですが、どうやらあまり詳しくないご様子。
それともなければ外から来たばかりの人たちなのでしょうか。
他のダンジョンのやり口については、さすがにあまり知ってはおりません。
怖い音をさせて過ぎる健脚をかがんでやり過ごし、続く短剣の突きを杖にてやり過ごしながら、そう感心しておりますと、相手の顔が歪みます。
歓喜のためのそれでした。
いつの間にか右手だけではなく左の手にも短剣を握り、その全身を使い襲います。
絶え間ない攻撃はまるで球体の竜巻で、切れ目もなければ反撃の隙もよこしません。
「ハハハハハッ!」
「まったくもって危険すぎる扇風機ですね」
ゴブリンである私よりも少しは背が高いかな、という具合であるのにその全身の力は凄まじく、なるほどバトルジャンキーは伊達でもなければ格好つけでもなく、心からの態度であったようです。
私は杖のリーチを活かして距離を取り、いなし続けます。
「いいね、あんた、いい」
「欲望のはけ口にされているようで、非常に嫌な気分ですが」
「そうつれないこと言わないでよ、ダンジョンで、ちゃんと真っ向から戦える機会なんてそんなに無い」
たしかにそうかもしれません。
ダンジョンという薄暗い場所における戦闘とは、いかに相手の先手を取るかが重要です。
どれほどの強者であろうと、出会い頭に火炎球をぶち込まれて無事なものは少ない。
畢竟、いかに相手の裏をかくか、という戦いになりがちです。
マトモな戦闘とは、相手がその奇襲を越えた先にようやく現れるものです。
私はちらりと背後を見ます。
死霊術師はぶるりと震え、けれどコクリとうなずきました。
周囲の動く死体が距離を取り、私達二人を遠巻きにします。
「……どういうつもり?」
「本気でいきます」
シーフの目が爛々と輝きます。
他の方々は分かりませんが、少なくともこの方はこのダンジョン向きではあるのでしょう。
細かい一切など関係なく、ただ純粋に戦うことだけを欲する戦闘狂です。
私は杖を構えます。
身体はやや半身に、杖尾を左で握り、右は添えるように。
基本的なこちらの構えに対し、シーフは当たり前のように奇襲を仕掛けました。
僅かな、こちらが「構えを行う」という動作の隙をつくような最速で。
杖と短剣、その距離を殺す動きは、実のところ大変に理にかなった選択でした。
私の「本気でいく」という言葉に対し、シーフは「本気の奇襲」を仕掛けたのです。
なので、それに対応するために、私は引きました。距離を取りました。
身体だけを。
杖はその場に残されて、宙に在り続けます。
私がまったく手にしていないそれは、ただの棒です。
ふわふわ浮かぶだけの、なんでもない物体です。
どんな脅威にもなりはしない。
けれどそれは、つい先程まで「どうやってこれを掻い潜るか」を意識させ続けた凶器でもありました。
これさえ突破できれば、あとは自分のやりたい放題だ――
それを、ただ無視することは出来ませんでした。
シーフはほとんど反射的に、杖を振り払います。
それは、速度を殺す動作でした。
それは、意識を私から棒へと移す作業でした。
それは、私が事前に推測できた動きでした。
出来上がった隙を逃さず、左の拳に込めた力をそのまま打ち抜きます。
心力を込めた一撃。
神へと捧げるそれを力とした直突きが、シーフへ真正面から突き刺さりました。
杖は左に、シーフは前へ吹き飛ばされて、事態の決着と相成ります。
+ + +
とりあえずの戦闘は終わったものの、これで万事解決とはいきません。
神官としてはむしろここからが本番でしょう。
吹き飛ばしたシーフとは別。起き上がったリーダー格の男は、心力の残滓を纏う私の様子を認識するなり剣を構え、こちらを睨みつけました。
「やはり、ゴブリンか」
「違いますとも。種族としてはともかく、心意気としては」
さすがに暴れると困るので、言いながらもシーフは縛り付けましたが。
他の二人も起き上がり、事態を理解し戦意を浮かべます。
相手のそれは敵意や殺意を越えて鏖殺の勢い、「異なる敵対種族」を退治しようとするものでした。
「残念ながらそちらの行いは、このダンジョンの流儀に反するものです。このまま死霊術師どのを倒していれば地上に戻った後、みなから袋叩きにあっていたでしょう。それを助けたのだから感謝しろなどとは申しませんが、話くらいは聞いてはもらえませんか」
「俺を含めた仲間全員が襲撃にあったのに、それを信じろって?」
「いま縛っているこのシーフの方は例外です、それは理解していただけると信じています。はい、お引渡しいたしますが、拘束は取らないでいただきたいものです」
縛ったシーフを引きずり渡します。
剣を構えた彼らの態度が困惑しました。
まるで泥棒が来たと思ったらお金を手渡しに来たかのようです。
私としては命を奪いに来た盗人ではなく、異界の知識がいうところのサンタクロースであると信じて貰わなければなりません。
この場にて必要なものは、ただ納得です。
法による決着ではなく、ルールによる判定でもなく、この暗闇の中を探索する者たちの心からの了承が必要なのです。
なんとまあ、面倒くさい。
大上段に説教して終わればどれだけ楽か。
「まずは――身の証を立ててもらえますか?」
言った先は深々と被ったローブ姿。死霊術師どのに対してでした。
ㇶ、ヒッ……
という声にならない呻きのようなものはこちらを嘲笑しているかのようですが、実のところこれは怯えによるものだと知っています。
ええ、知っているのは私だけなので、目の前の彼らの警戒心は跳ね上がっておりますが。
しかし、震える指で示したものは、ダンジョンギルドの公的な印でした。それも単純な探索するためのものではなく、特別業務許可を示すための金色のエンブレムです。
「それは――」
「この死霊術師は、当然のことながら死体を操ります。何のためかと申せばそれは、彼らを地上に連れ帰るためです。このダンジョンで願いを果たせず死体となってしまった者たちを無事に移動させるための死体操術です。たとえ魂が失われた身体であっても、その姿かたちが無事であれば復活が行えます。あなた方は、その業務の邪魔をしたのです」
一時的に雑霊に身体を操られることを嫌がるものもいるものの、「派手にミスをしても運が良ければ地上で復活できる」ことは福音です。
そのまま放置されればモンスターたちの胃袋の中に移動するのが関の山なのですから、それを防いでくれるものへの感謝はうなぎ登りに上がります。
このダンジョンを根城にしていて、この死霊術師どのの世話にならなかった者の方が珍しいほど。たとえ本人が助けられたわけではなかったとしても、仲間が、友人が、知り合いがその働きにより復活できたという例は枚挙に暇がないのですから。
この死霊術師を倒せば袋叩きに遭うとは、誇張表現でもなんでもありません。
公平と平和を愛する私が、即座に力づくで止めなければならないと判断する程度には非常事態でした。
「しかし――」
「あなた方の懸念もわかります。通常、死霊術の使い手といえば悪者です。ダンジョンで死したものを自らの力として闊歩する悪しきものです。しかし、そうではない場合もあるのです。これは、大変言いにくいことではありますが、あなた方の事前調査の不足でもあります。そうした土地による常識の違いを収集すべき人がきちんとその責務を……」
言いながら、自然と私の直突きで伸びたシーフに目が向きます。
いまだにビクビク震えているのは、おそらく夢のなかでも戦っているからでしょう。
なるほど、シーフがこれではそうした情報を収集することは難しいと納得せざるを得ません。「その土地の人間にとっては当たり前の情報」を手に入れるには、案外コツがいるのですから。
「死霊術師どの?」
「ひゃぃ――!」
「あなたもどうしてそのエンブレムを提示しなかったのでしょうか、私は戦う音を聞いてから駆けつけました、示すだけの時間は十分にあったはずでしょう?」
「こわかった、から……」
うつむきボソボソと言う死霊術師に対し、なんとも言えない空気が流れました。
+ + +
さて、事態は案外むずかしい。
なにが難しいかと申しますと、実のところ襲撃したこと自体は別段悪いことではないのです。
死体を大量に操る死霊術師を攻撃したところで何が悪いのか、という話ではあります。
事前情報の収集を怠ったことは確かですが、死霊術師どのにも身の証をすぐに立てずに怯えて立ちすくんだというミスがあります。
幸いなことにどこにも被害は出なかったのですが、これで死体が損傷でもしていれば事態はドロドロの混沌でした。
責任の擦り付け合いに発展です。
「あー、この土地に来る途中の話なんだがな、割と厄介な死霊術師が来てる、って話を聞いてたんだよ、そのせいで気が立ってたのは、あるかもしれねえ」
さらに言えば、そうした情報による偏見もあったようです。
ふむ、では……
「それでもダンジョンギルドが公的に認めた業務の邪魔をしたのです、おそらくお目溢しはされるとは思いますが、地上に戻った際にはきちんとそのことを報告した方が良いでしょう。この手のことは下手に隠すと拗れますので」
「まあ、わかった。悪かったな」
「い、いぇえ……」
「死霊術師どのの方からも、きちんと報告をしていただきたい。片方だけの報告では、これまたねじれて良からぬ噂が立ちます、不幸な遭遇戦でしかなかったと詳らかにいたしましょう」
「えー……」
「文句不平も結構ですが、彼らを不幸にしたいわけではないのでしょう?」
こくりと頷いておりました。
その手足はやたらと細くて白いものです。
死霊術師どのの素性については知らないものの、意外とまだ年若いのかもしれません。
さて、一応は公的なものの決着はつきました。
問題はここからです、どうしても心のしこりが残ります。
四人組からすれば、「正しいこと」をしたはずなのに、どうして悪いことをしたような扱いを、という思いが。
死霊術師どのからすれば、「悪いことなどなにもしていないのに」一方的に襲撃されたという恐怖があります。
そうしたいざこざの放置は、フォルセティ神の望むところではありません。
難しい、と申したのはこの部分です。
心の落とし所が必要です。
「言っちゃ悪いけどさ、どうしてそんなにあんた怯えてるんだ?」
「うぅ……」
四人組リーダーが聞きました。
「俺としても、ちゃんと報告はするけどよ、ちょっと納得いかないぜ?」
「それは、うぅ……」
助けを求めるような視線が来ました。
まさか、私に説明しろと。
いえ、たしかにいくらか事情は知ってはいますが。
これまでにないほど素早い頷きを、死霊術師どのは何度も繰り返しておりました。
私は深く深くため息をついて、知った事情を説明します。
「……代弁することはやぶさかではありませんが、どこかしら間違った部分がある可能性もあります、その点はご了承ください」
それは――ありふれたといえばありふれた、しかし間違いようのない悲劇でした。
死霊術師どのが未だ駆け出しの、さしたる力を持たなかった時分に、襲撃を受けたのです。
それは、モンスターではありませんでした。
人でした。
武装した人間の集団により、ダンジョン内で襲われました。
人でありながらモンスター側へと与するものをレイダーと呼びますが、彼らの襲撃によりパーティはあっという間に壊滅いたしました。
モンスターは敵であり、人間は味方である、そのような思い込みが奇襲を許したのです。
それなりに力を持ったパーティだというのに、なすすべもなく破れ、そして食われました。
性的な意味ではなく、物理的に。
レイダーの中でもある種の狂信的な集団であり、「他の力あるものを喰らうことで強くなる」という教義を持っていたようです。
生きが良いほどその効果は高いとされたのか、悲鳴が轟く中でその地獄は行われました。
手足の腱を斬られ、あるいは縛られ拘束されて連れられたのです、彼らの祭壇兼調理場に。
死霊術師どの――その当時としては魔術師見習いでしかないその人は、見ていることしかできず、ただ無力感に打ちのめされておりました。
すでにダンジョンを探索する者ではなく、次の順番を待つ食材でしかありませんでした。
長く、あるいは短く続けられた最悪を救ったものは、皮肉なことにモンスターでした。
悲鳴が大きく上がる地点は、力あるモンスターにとってはひどく目立つ誘蛾灯であり、全力で向かうべき場所でした。
ロックスキンクと呼ばれる硬質の肌を持つ爬虫類の群れに襲われ、レイダーたちは散り散りとなりました。
調理場兼祭壇はキレイに消え失せました。
その上にあったものも、それを調理しようとしていた人も、モンスターの狂乱が薙ぎ払ったのです。
なんとか縮こまり、濁流のような攻撃をやり過ごした後にあったのは、かつての仲間、その欠片でしかありませんでした。
けれど、それらを見て最初に浮かんだことは、怒りでも悲しみでもなく、安堵でした。
食われずに済んだ。
生き残れた――
その気持だけがありました。
ただただ放心だけしておりました。
そして、すぐに後悔いたしました。
なんという身勝手な気持ちだろうと。
しかし、その気持は拭い去れません。たしかに思ってしまったのですから。
先に食われず、良かったと。
その幸運と生を喜びました。
だからこそ死霊術師どのはダンジョンにて死者を持ち帰ることにいたしました。
せめて他の人間を、他に食べられるより先に地上へと持ち帰り、復活させるために。
だからこそ死霊術師どのは、他の人と上手く喋ることができなくなりました。
油断すれば喰らってくる種族こそが人間であると、これ以上なく実感してしまったのですから。
「それは……」
リーダーは複雑そうな顔をしていました。
私としても少しばかり複雑です。
死霊術師どのがそうした話をできるほど私に心を許したのは、ゴブリンであり神官だからでしょう。
人を喰うかはっきりしている、それでいて神官なのだから心根として行わないことも保証されているからこそです。
恐れる必要がない、不明瞭な部分が少ない相手だからでした。
この死霊術師どのは見た目通りにコミュ障です。話せる人の数が少ない。
さて――
「ふぅん? なるほどなるほど」
事態の重さを打ち破るように、いつの間にか目覚めていたらしいシーフが、そのようにうなずきました。
「よくわかんないけど、たぶんわかった!」
「話を混ぜっ返そうとしてはいませんか?」
「まさかー」
言いながら立ち上がり、縄をぱらりと解きました。
背後のびっくり顔を見る限り、どうやら自力で解いた様子です。
「結局その人の話を別にすれば、なんか誤解で襲っちゃったってだけの話でしょ? だったらそのお詫びに、しばらくの間チームを抜けて、そっちの死霊術師のボディーガードをしたげるね?」
「は?!」
「ヒェ……」
「ほうほう」
リーダーらしき人は驚き、死霊術師どのは心底怯えておりますが、なかなかどうして悪くない落とし所でした。
「それは、あなたが戦う機会を欲しがっているだけではありませんか?」
「それもあるね」
普通にダンジョンを進むパーティーと、積極的な死体の探索とでは戦うチャンスに差が出ます。
死体があるということは、少なくともその場で一度は戦いがあった証明なのですから。
「死霊術師どのとしても、操る死体ではなくこのシーフが代わりに戦うことになります、その分だけ死体の保全が叶います。案外悪くないのでは」
「ちょ、ちょっと待て!」
「困るぅ……」
四人組からすれば、シーフが抜け出ることになりますが、そもそもあまり盗賊としての活動をしているようには見えません。
実質、狂戦士が一人抜けた程度のことでしょう。
補充として盗賊を入れれば、真っ当な盗賊がどのようにしているか知る機会になるかもしれません。
また、死霊術師どのからしても、これは良い機会でしょう。
怯えるあまり必要な行動を取ることすらできないのは、誰にとっても不幸です。
「というか、いきなりの話すぎるだろうが」
「では、報酬を提示いたしましょうか」
「はあ?」
事態の変化について行けない様子を気にせずに、私は続けます。
「仮にこの助太刀を一週間ほど続けていただいた場合、私から権利を差し上げます」
「……なんのだよ」
「決闘権です」
思いもよらぬことだったのか、目を丸くしました。
「通常であればダンジョン内での人間同士の戦いは推奨されておりませんが、これが互いに望んだものだと証明されれば話は違います。思う存分、戦うことができます。それを行う権利を、あなた方にさしあげます」
そう、いろいろあったものの、1番のしこり、心残りはこれでしょう。
私というゴブリンに一方的にぶん殴られて気絶させられた、その弱さこそが忸怩たる思いとなっているはず。
ならば、それを覆す機会こそが、何よりの報酬となる道理です。
「――いいね、うん、すっごくいい」
シーフは笑います。
リーダーは難しい顔をしていますが、目には闘志が伺えました。
「無論、私から仕掛けるようなことはいたしません。私がしたような奇襲でも、あるいは正面からの戦いでも、お好きなようにやれます」
「受けた!」
「お前が決めんな! いや……別に殺しはしないが、リベンジできる機会があるとなりゃ、願ってもねえけどよ」
あとは祈るような格好で首をイヤイヤと振っている死霊術師どのですが、私は笑顔で言いました。
「あれほどの戦闘狂と普通の会話ができるようになれば、大抵の人間は大丈夫になること請け合いです、リハビリとしてはハードですが、どうかご武運をお祈りいたしております、死霊術師どの」
「おー!」
笑顔の私とシーフとは対象的に、他の人々の顔はいくらか渋いものでしたが、これで一応の決着でしょう。