7.12.上に立つ者、下に着く者
7章はこれで終わりです。
来月も確実に更新できるのでお楽しみに……!
この辺りは風がよく通る場所なので身体が冷える。
自前の服の上から更に服を重ね着してはいるのだが、やはり山の冷え込みをなめてはいけない。
慣れてはいるものの……こうも風の強い場所に長時間滞在したくはないものだ。
衣笠とは打って変わって、地伝は涼しい顔をしている。
大八寒地獄の寒さに比べればなんのその。
顔色一つ変える様子もない。
この事にイドラは不信な目を向けている。
人間とは少し違うと分かってはいるようだが、環境の変化に対応できるような存在は見たことがなかったのだろう。
……地伝はどのような環境でも生きては行けそうだが。
すると深く雪を踏みしめる音が聞こえた。
どうやらそこそこ大きな体躯をしている獣人がこちらに近づいてきたらしい。
そちらに視線を向けてみるがまだ距離があるので目視はできなかった。
匂いで気づいたイドラは不安そうにしながらこちらを見ている。
どういった心持ちなのかは分からないが、こちらの身を案じていることは確かだ。
どちらかといえば己れの身を案じた方がいいとは思うが。
しばらくすれば、眉間に皺をよせた獣人が現れた。
体躯は衣笠の二倍ほどあるだろうか。
筋肉量も多く衣服越しであっても鍛え上げられた肉体がよくわかる。
しかし……どこを見ても傷だらけだ。
痛々しいとも思えるが彼はそんなことを一切気にした様子はなく、こちらをただただ睨んでいるだけである。
ピンとたった耳、そして固い毛に覆われた尻尾からするに狼の獣人ではないだろうかと察せられた。
彼は一言も喋ることなく衣笠の前に立つ。
一切動揺することのない衣笠を見て、狼の獣人は若干目の色を変えた。
(これは……口で語るを不得手とする者か)
こういう相手と会話するのは慣れている。
衣笠がもっともやり易いと考えている相手だったので、すぐさま小太刀を抜いてそのまま獣人の胸元に切っ先を向けた。
「……!?」
小太刀を抜く前の動作、握った瞬間、抜刀、切っ先を胸元へ向けるまでのこの間。
狼の獣人は一切反応をすることができなかった。
彼は驚きを隠すことなく二歩下がる。
(今のだ)
地伝は衣笠のその動きを見て、あの動作が彼と始めて対峙したときと同じ技であると理解した。
やはり反応ができないのだ。
動きは確かに速いが、目で追えないというほどのものではない。
丁寧で自然な動作である、というくらいで特段特筆すべき点はないように思う。
衣笠は小太刀を持ったまま脱力した。
狼の獣人は構えを取り相手の目をしっかりと見据える。
どうやら人間相手に人を模した姿で戦うつもりらしい。
それを確認したあと、衣笠はスッ……と二歩動いて相手の懐に潜り込み、再び切っ先を胸元へ向けた。
警戒していたのにも関わらず、彼は衣笠が接近してくるのを許してしまった。
「どういうことだ……」
「おお、口は利けるようだな」
身を引いて距離をとった衣笠は小太刀を納刀する。
敵対の意思を示さないように両手をひらひらと動かした。
「さて、話はまとまったか?」
「お前が強いということはわかった。今ので俺は二度死んでいる……。だが殺さなかった。故にわからん。何が目的だ」
「さっきの白虎と豹から聞いていないのか?」
「聞いたが真意が理解できん」
確かに、彼女たちには本当の目的を教えていない。
この狼の獣人はそれに気付き、答えを得ようとしているのだろう。
だがその前に……。
「あそこ」
「……」
「それとそこに二匹、向こうに三匹。あそこには一匹か。手前らも構えを解いたらどうだ」
衣笠が指で示しながら獣人が潜んでいる場所を的確に言い当てる。
音ですべて把握しているので数え漏れはない。
狼の獣人は諦めたようにして手を上げた。
すると衣笠が指摘した場所から人数通りの獣人が出てくる。
彼らはやはり人間を警戒しているらしく、眉間に皺を寄せて武器を握っているが今のところ襲ってきそうな気配はなかった。
「よく分かったな……」
「フン。伊達に森で過ごしてきたわけではないからな。さて、真意だったな」
武装を解除してもらったところで衣笠はその場に座り込む。
座っている状態であればそう簡単には戦える姿勢を取ることはできない、と相手に思わせる。
これによっていくらか警戒心を解いてはくれたようだ。
それから口を動かす。
「私はこの世の人間ではなくてな。別に手前らの事などどうでも良い。だが戦力としては十二分なほどの力を有していると見た」
「……やはり俺たちを使う気か」
「平たく言ってしまえばそうなる。だが手前らは既に単騎で奮起するつもりはないのだろう? だからこうして発破をかけている」
「お前は俺たちを従わせたいのか?」
「それは手前ら次第だ。私は提案しているだけにすぎぬ」
衣笠は白い息を口から吐き出す。
そして冷たい空気を吸い込んだ。
「別にこの話、蹴ってもらっても結構。飲んでもらっても結構」
「蹴るとどうなる」
「旅路を急ぐだけだ。手前らの事を方々に触れる気は毛頭ない。このまま生を全うするがいい」
「飲めばどうなる」
「手前ら獣人が返り咲く道を手助けすることができる。勘違いするなよ。道を作るのではない。手を貸すだけだ」
会話を聞いていた他の獣人がひそひそと何かを話し始めている。
その多くは『信用ならない』と言ったものだったが、中には今の現状を変えたいと思っている獣人もいるようだった。
判断するのはこの狼の獣人だ。
彼の言葉が全ての方針を指すことになるだろう。
しばらくの沈黙。
風が何度か通り過ぎたところでようやく決心がついたらしい。
狼の獣人は衣笠と同じようにその場に座った。
「ロウガンだ。お前の名前は?」
「衣笠と呼べ」
「「ちょっと待ってください!」」
後ろで事の成り行きを見守っていた獣人の数名がこちらに走ってくる。
さて、ロウガンは衣笠の提案に乗るつもりのようだが、それを察した者たちから反対意見が出たといったところだろう。
「ロウガンさん! あんたが凄い奴だってのは誰だって知るところですが! また人間に……騙されるかもしれないんですよ!?」
「そうですよ! 一番人間の醜いところを知ってるのは貴方でしょ!」
「そうだ。お前らの誰よりも俺は人間のしてきたことを知っているし、奴らのやり口も知ってる。だから……」
ロウガンはのそりと立ち上がる。
振り向いて反論してきた二人を見下ろした。
「やっぱり許せねぇんだよな。人間なんて滅ぼしてやりてぇと思ってる。だがその力が今俺たちにあるか? ねぇよな」
ロウガンは二匹を視線だけで黙らせた後、衣笠を見る。
「だから利用する。俺たちを利用したように」
「いいな。腹の探り合いをせずに済みそうだ」
衣笠が立ち上がって手を差し出せば、ロウガンはそれにすぐ応えた。
「寝首を掻かれるなよ」
「では、手前は返り討ちにされぬよう尽力することだ」
互いに不敵な笑みを浮かべた後、その手を放す。
面白いことになって来た、と地伝は口元を隠しながら口角を上げた。
人間と獣人。
細い糸で繋がった関係性は何かあればすぐに途切れてしまいそうではあったが、これは時間が解決してくれると地伝は知っている。
互いに利用し合うという関係性はすぐに崩れるが、この二人の関係はそう簡単には千切れないだろう。
どちらもしぶとく生き残る天才だ。
そうやすやすと膝をつくこともなければ、根を上げることだってしない。
(とはいえ人は脆い。脆い故に仲間意識が強い。この獣人を刃天がいる村の民が認めたならば……常識が変わる、か)
敵対が共存となれば、多くの変化が訪れるだろう。
さて、それを刃天は維持できるか否か。
「楽しみだ」
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