7.11.力量
最初に飛びかかって爪を振るったのは白虎の方だった。
愚直に直進してきているが大きい獣なので攻撃の範囲も広くなる。
そして見るからに腕が太く、力がありそうだということがわかった。
さすがに真正面から鍔迫り合いを行うわけにはいかない。
衣笠は構えを解いて脱力し、相手の動きだけを見る。
白虎は『諦めたのか?』と胸のうちで呟いたが、それならばさっさと終わらせるまでの話。
狙いを定めて地面に着地すると同時に武器を振るった。
だがその攻撃は空振りに終わる。
衣笠はただしゃがんで攻撃を避けただけだった。
本当にそれだけなのに、白虎からするとその場から消えたような錯覚に陥る。
そして立ち上がり様に鞘付きの小太刀の柄頭で白虎の顎を打つ。
丁度脳ミソが揺れるような位置を打った。
人間と作りは違うが、丁度いい場所に打撃を与える事ができたらしい。
白虎は足を震わせながらその場に転倒する。
「白虎の癖に体は硬いと見た。獣人の名の通り人と通ずる部位はあるらしいな。獣に成りきれなんだ人間か」
『よくも……!』
次に飛び込んできた豹は飛びかかるのではなく地面を低く走って迫ってくる。
下段からの攻撃が来る、と睨んだ衣笠は相変わらず脱力したまま攻撃が飛んで来るのを待った。
籠手に付いている刃で雪を切り裂きながら下から掬いあげるようにして攻撃を繰り出す。
必ず当たる、と確信した豹だったが次の瞬間衣笠は目の前に動いてきていた。
己から間合いを潰したのだ。
衣笠は豹が狙った位置に居なかったので攻撃は当たらない。
優しく小太刀を握りこんでから再び柄頭を使って今度は眉間を打つ。
あまりの的確さに視界がぶれ、気づけば倒れていた。
『な、なによこいつぅ……!』
『うぐ……』
二匹からしても、遠目で見ていた地伝、イドラからしても衣笠の動きは特段速いものではなかった。
だが彼には予備動作が一切ない。
地伝はようやく衣笠の強さの一端をここで見極める事ができた。
だが他にも何かありそうだ。
イドラは二匹が簡単にやられてしまったことに酷く驚いていた。
彼女たちは本気で立ち向かったが、手加減していた衣笠にこうも簡単に戦闘不能にされてしまったのだ。
これだけで彼の実力がわかると言うもの……。
地伝であるならいず知らず、人間が獣人をその身一つで倒す。
今の時代でも考えられないことである。
一仕事終えた、という風に手を払った後、衣笠は今し方倒したばかりの豹の前でしゃがみこむ。
「まだやるならば付き合うが、私が抜刀していれば手前らの命はなかったと考えよ。それを踏まえてもう一度聞くが……。付いてくるか?」
相変わらず牙を剥いたまま威嚇を繰り返している。
どうやら獣人という種族は勝ち負けにあまりこだわらないのかもしれない。
普通、敗者は言うことを聞くものだが。
『……保証はあるのか……!』
「どんな」
『私たち獣人が……また太陽の下で大手を降るって生活できる保証があるかと聞いている……!』
その問いに、衣笠は心底意味がわからなさそうな顔をした。
言葉には発しないが『はぁ?』と言いたげだ。
しばらくの間を置いて、衣笠は口を動かす。
「手前らが諦めて勝手に引っ込んだだけだろう……?」
『『なっ……!』』
素直に思った言葉を口にする。
獣人は確かに戦いに敗北し、多くを虐殺されてしまっただろうがこうして生き残りはいるのだ。
そのためこうしてひっそり穏やかに暮らしているのだろうが、衣笠からすれば大きな影にびくついて隅に追いやられた鼠である。
実際に対峙して、獣人には力がるということが分かった。
だがその力を振るうことなく大きな影におびえて尻尾を巻いているというだけなのであれば、彼らはただ立ち上がらなかっただけの小者。
誰かが手を差し伸べるまで本来持ちうる牙を敵へ向けなかった弱小者だ。
保証だと?
それは衣笠が彼らに与えるモノではない。
彼らが自ら手にしなければならないモノなのだ。
「虐殺されたから? それがどうした。獣人の生き残りがいると知れば大国が動き根絶されるとでも思って引っ込んだか? いや、事実そうなのだろう。だが百年だ。牙を研ぐ時間はある。手前ら、いつその牙を向けるのだ」
この問いに二匹は答えない。
イドラも口をつぐんだまま衣笠の背中を眺めている。
地伝も同じように黙っていた。
なかなか焚きつけるのが上手いようだ、と内心で褒める。
衣笠は刃天がいる村の戦力を案じており、この獣人が大きな戦力の増強に繋がるのではないかと考えているのだ。
つまり、彼は獣人を手駒に加える気でいる。
刃天がいる村の人間と共存できるかどうかはさておき、彼らの力は申し分ないだろう。
獣人が繁栄できる拠点さえあれば彼らの力は大きくなり、散り散りになっている獣人たちも噂を聞きつけて集まってくるかもしれない。
彼はそれを狙っているのだ。
衣笠は刃天の師匠でもある人間。
彼の言葉であれば刃天であれど首を横には振らないだろう。
断られたとしても実力行使で何とかするはずだ。
その考えは今のところないようではあるが。
(課題は多いがやる価値は十二分にある、か。獣人を戦力とし、人間との共存が成功すれば常識が変わり、時代が変わる。年月は掛かるだろうが……この優位性は向こう五十年は覆らぬ)
成功するかどうかも重要ではあるが、今は彼ら彼女らがそれを承諾するかが大前提。
地伝は事の成り行きを再び眺めはじめた。
すると、豹が獣の姿から人の姿になった。
豹の姿が色濃く残っており、肌は濃く目は黄色。
長く黒い髪の毛を後ろで流していた。
もちろん獣の耳も生えているようだ。
「……人間にここまで言われるとは……! 屈辱だ……」
「話に乗るか?」
「それは里長に決めてもらう。私の独断で決めるわけにはいかないからな。だが、魅力的な話であることは確かだ。……お前の言うことが正しいのであればだが」
「私の今の言葉に正しさは存在せぬ。手前らが“正しくさせられるか否か”だ」
「……」
獣人の選択次第。
衣笠は遠回しにそう言っているが、豹はその意図をしっかりと汲み取ったらしい。
彼女も今の現状に思う事があったはずだ。
だからこうして会話をしている。
しかしこの豹がイドラと違って頭の回転が良い事には安堵した。
独断で決定し、敵である人間を易々と棲み処に案内させる奴は流石に信用しきることができない。
その点で言えば、豹は己の判断ではなく里長に話を一度通すつもりでいる。
加えて、棲み処へは近づけさせようとしていないようだ。
「ここで待て。里長に話を通してくる」
豹は白虎を軽々と担ぎ上げ、その場を後にした。
イドラはどうすればいいのか分からなかったようだが、とりあえずこの場で待機することにしたらしい。
賢明な判断だ。
今村に戻れば殴られること間違いなしなのだから。
「では、暫し待つとするか」
「……衣笠。確認だけしたいのだが」
「なんだ?」
「本気で獣人を繫栄させられるのか?」
「? 無論」
衣笠には特別な思考がある。
地伝は静かにそう思った。




