7.7.立往生
村を離れて一週間が経った。
冬が本格的に訪れ、山のほうではすでに雪が多く積もっているのだが、二人はその中を進んでいかなければならない。
分かってはいたことだが、やはり雪山を越えるのは尋常ではない程の労力を必要とする。
吹雪がひどい時はどうしても立ち往生することになってしまう。
地伝はそこまで問題はなく、進もうと思えば進むことはできる。
大八寒地獄に比べれば優しいものだ。
しかし衣笠にこの吹雪は堪える。
熱いならまだしも寒いのは得意ではない。
防寒着はあるものの、このまま進めば遭難まったなしなので、大人しくかまくらの中で暖を取る。
ふと外を見てみれば、ようやく吹雪が収まってきたところだろうか。
青い空が雲の隙間から顔を覗かせている。
「もうしばらくすれば進めそうだな。だがこの調子だと春になるぞ」
「目的地は遠い。着く頃には夏だろうな」
「とんでもない長旅だな……」
もう少しはやく着けないものだろうか。
そういう力でもあればいいのだが、と思いながら物資の箱を開いて水を取り出す。
もうそろそろ水がなくなりそうだ。
どこかで調達できればいいのだが……このあたりで小川の流れる音は聞こえない。
今しばらく水の調達は難しそうだ。
倹約が必要だな、と結局水袋に口をつけることなく仕舞った。
こういうとき食事を必要としない地伝を羨ましく思う。
衣笠が立ち上がると、地伝が物資の箱を持ち上げてかまくらを殴り壊した。
一気に冷たい空気が流れ込んでくる。
「せめて峠は越えねばな」
「なにかよい魔物でもいればいいのだが」
「どうするつもりだ」
「手懐ける」
それは無理だろう、と衣笠は目を細めた。
ここまでの道中でこの世の事は大方聞いたつもりだが、魔物とはつまり獣。
野生の獣を従えるなどほとんどの場合不可能だし、できたとしても相当な時間と根気が必要だ。
この旅の道中にできるようなことではない。
だがそこでふと気づく。
衣笠が『鷹の目』という力を持っているのであれば、地伝にも何かあるのではないだろうか。
もしそうなら獣を手懐ける術を持っているのかもしれない。
「どうなんだ?」
「力の制限を受けなかった。それがこの世が私に与えた恩恵だ」
「あ、そう……」
期待はずれもいいところだ。
思わずそう口にすると『悪かったな』と返事が返ってくる。
衣笠は首を横に降って呆れながら、地伝は肩をすくめて苦笑いをして雪山を進んでいった。
◆
次第に空が明るくなっていく。
行きを多く携えた曇天の雲はどこへやら。
今は日の光が森の中まで差し込んでいるので暖かさすら感じられる。
しかし、雪山ではこういうときこそ気を付けなければならない。
木の上に積もった雪の落下。
雪崩の可能性に加え、大人しくしていた獣も動きだす。
まだ日が差しはじめたばかりなので雪崩の可能性は少ないだろうが、氷柱などには十分に注意を払う必要があった。
積もった雪を蹴りあげながら進んでいる地伝のお陰で、雪山であるのにも関わらず歩きやすい。
サクサクと音を立てながら進んでいけば、ようやく峠を越えたようだ。
上り坂から下り坂に切り替わる。
「はぁー……。あとどれ程の山を越えねばならぬのだ?」
白い息を吐き出しながら衣笠は地伝に問うた。
彼は少し考える素振りを見せながら指を指す。
「ここが伯耆だとするならば、京までの道のりか」
「聞かなければよかった」
鳥取西部から京都までの道のりを徒歩で進まなければならない。
考えただけでも気が遠くなりそうだ。
とはいえ、歩かなければ目的地には到着しない。
衣笠は大きく深呼吸をしてから息を強く吐き、足を動かして下山し始める。
それに合わせて地伝も動いた。
「ん……?」
「どうした?」
「地伝、出番だ」
衣笠が一点を指差せば、そこには大きな虎が木の陰からこちらを観察していた。
発見されたことにより警戒心をさらに強めて毛を逆立たせている。
さて、あれを手懐ける事ができれば相当移動が楽になるだろう。
地伝が言ったことなので別に期待はしていないが……経過を楽しむとする。
「よし」
荷物を下ろし、強く手を打ち合わせるとそれだけで木々に乗っていた雪が振動で落ちてきた。
これにより虎もびくりと体を跳ね上げて後退する。
地伝はまず足元にある雪をかき集めて小さな球体を作った。
さて、両腕一杯に抱えていた雪はどこへいったのだろうか。
それが今手に持っている小さな球体に集約されたとなれば恐ろしいことこの上ない。
「六割だ」
「……は? ……まっ! 待った! 待て待て待て待て!」
衣笠は急いでその場から離れる。
十分に距離を取ったことを確認することなく、地伝は作った球体を投げた。
投げた瞬間空気がぶれる。
ボッ……と音が鳴ったかと思えば、虎の左側にあった山と雪がまるまる吹き飛んだのだ。
雪の軌道にあったものは……なにからなにまで吹き飛び、貫かれていた。
「!!!?」
「ぐぬう!?」
この余波は後方にいたはずの衣笠にも直撃する。
地伝の五割以上の力は周囲にも影響を及ぼしてしまうようだ。
離れていて大正解である。
とはいえ風圧はこちらにしっかりと飛んでくる。
球体を投げつけられた虎も風圧で吹き飛んでおり、巨木にぶつかってようやく勢いを失った。
「地伝!! 加減しろ馬鹿者!!」
「これで言うことを聞くだろう。地獄の畜生はすべてそうだ」
「地獄と一緒にするでないわぁ!」
『ご、ごめんなさぁい……』
「「……は?」」
二人以外の声が聞こえた。
声の主の方を見てみれば……巨木から落ちてきた大量の雪に埋もれた虎が、涙を流しながらフルフルと震えている。
『殺さないでぇ……』
「……なんなのだ……この世は……」




