5.15.Side-地伝-因幡の白兎
「本当に死神使いが荒い……」
「船で送り届けるのが生業だろう? グダグダ言わずはよ進め」
「やっとりますわえ……」
死神のところまで戻ってきた地伝はすぐに指示を飛ばして因幡へと向かわせた。
因幡に辿り着くのは簡単だったのだが、今回の目的は兎である。
特別な兎であるということは分かっているのだが、因幡の白兎がどこにいるかがまったく分からなかった。
そのため死神をこき使って船に乗りながら探し回っている最中なのだ。
久延毘古の話では今は鮫共と仲良くしているとのこと。
海沿いを渡っていれば出会えるやもしれぬ、とゆらゆら揺れながら進ませている。
真っ白な砂浜を横目に揺られながら進んでいけば、大きな岩が立ち並ぶ場所へと入ってしまった。
このような場所にはいないように思うのだが……と死神を見てみれば、情けないことにありもしない肺で大きく息を吸ったり吐いたりしている。
「死神でも疲れるのか」
「わ、わては霧つこうて距離を縮めんのじゃ……。肉のない体で動き回るんは堪える……」
「では貸せ。私がやろう」
「断る」
互いに『何言ってんだこいつ』と訝しみながら視線を交差させた。
疲れているのだから交代してやろうと善意を示した地伝。
鬼の力で舟を漕がれたら木っ端みじんになるわ、と恐怖して全力でそれを拒んだ死神。
死神は再び一生懸命舟を漕ぐことにした。
肩を軽く上げて『なんだったんだ』と軽く呆れた地伝は再び前を向く。
すると遠くの方で妙な影が見えた。
見間違いか……? と思って目を凝らしてみると、そこには確かに海から背びれを出して泳ぐ鮫の姿がある。
「む! 死神あそこだ! あそこへ向かえ!」
「場所が分かったんなら話は早い……」
手を持ち上げて広げ、霧を作り出して移動距離を縮めた。
霧が晴れれば目の前に背びれを出して泳ぐ鮫の姿を目視できる。
「鮫共よ! 聞こえるか!」
細身の鮫は背びれだけではなく目元まで晒してこちらを見る。
表情は豊かではないがその行動で話を聞いてくれることは分かった。
その証拠に船を周回している。
地伝は早速因幡の白兎の所在について問う。
「どこに居るか知らぬか?」
「──バシャッ」
尾ひれで海面を叩き、スーっと泳いでいく。
案内をしてくれているのかもしれない、と死神に共有して追いかけさせた。
船が自分を追ってきていることを把握した鮫はそのままスイスイと泳いでいく。
暫く付いていけば白い砂浜に辿り着いた。
弓の曲線を描くような美しい浜だ。
近くには鮫の背に似た様な岩礁が幾つかあるように見える。
「ここか?」
「バシャッ」
海面を尾で一度叩くと、今度は深くに潜ってしまって追跡できなくなってしまった。
これ以上追わせるつもりはないということか。
地伝は砂浜に船をつける様に死神に伝えた。
上陸してみるが……風が強いばかりで特に何もない。
どこぞに白兎がいるはずなのだが……小さい兎を探すのだって一苦労なのに神話に登場した一匹の兎を探そうというのだから途方もないことだ。
根気のかかる作業になりそうだ、と背を伸ばして体の骨をパキポキと鳴らしたところで……声を掛けられた。
「鬼さんが来るなんて珍しいですね。死神さんも。お仕事は良いのですか?」
「……いつの間に」
「ん?」
可愛らしく小首を傾げた真っ赤な目をした真っ白な兎。
小さな手でススキを抱えていたがそれをそっと置いて地伝の顔を見上げる。
兎なので相当視線を上にあげなければならないようだ。
地伝はそれに気付き、片膝をついてできる限り視線を低くする。
どう話しかけるか暫し悩んだが、悩むだけ無駄だと気付いてさっさと用件を聞くことにした。
「久延毘古様からのご紹介で会いに来ました。地獄の鬼、地伝にございます」
「わぁ、ご丁寧にありがとうございます。初めまして、因幡の白兎です。名は特にないので気軽にイナバとお呼びください。えと、地獄に居られる鬼さんが私に一体どんな御用でしょうか? 久延毘古様からのご紹介なので少し緊張しておりますが……」
地伝は目をぱちくりさせるしかなかった。
それは近くで話を聞いている死神も同じだ。
いや、彼に目はないのだが……呆ける様に開けている骨の顎を見れば、地伝と同じ感情を抱いているということが把握できる。
因幡の白兎といえば、少しずる賢いような印象があったのだ。
対岸に渡る為に鮫に声をかけ、兎の仲間と鮫の仲間どちらの数が多いか勝負しようと持ち掛けて鮫を対岸まで並ばせた。
因幡の白兎が鮫を足場にして数を数えていたが……対岸に渡れることが嬉しくなってつい本当の目的を口にしてしまい、怒った鮫が皮を食いちぎってしまうという神話が有名だ。
鮫を騙して渡るというところから察するに狡猾な印象が強かった。
だが会話をしてみればなんと丁寧な事か。
「どうされました?」
「……いや、少し驚きまして」
「わてもだぁ……。もっとお転婆だとおもうとったが」
「おい」
「あはは、初めて会われる方にはよく言われますね。でも私、神格化しておりますからそれにふさわしい振る舞いをしなければならないでしょう?」
「だとよ死神。お前と白兎神では月と鼈ほどの違いがあるな」
「ほ~っときなせぇ!」
くるっとそっぽを向いて貧乏ゆすりをする死神を見ながら、地伝は苦笑いを浮かべる。
イナバは楽し気にクスクスと笑っている様だ。
白兎神といえば他にも白兎明神だったり他の逸話もあったりするが……。
今思えば白兎は大国主以上の大物と関りがあったりもする。
この兎ではないよな……? と若干不安になりながらも地伝は平静を装って、ようやく本題に入ることにした。
「『幸喰らい』について何か知っておられますか?」
「んん? さちくらい? 知りません」
「では異なる世の神については……」
「ううーん、他の世の神様についてもさっぱりです」
沈黙がしばらくの間流れる。
当てが完全に外れているのだが、これは一体全体どういうことだろうか?
だが久延毘古が適当なことを言ってイナバを紹介するはずがない。
地伝は暫し思案する。
険しい表情をしているのでイナバが少し困ったように小さな手を動かした。
「あ、もも、申し訳ございません。お役に立てなかったようで……」
「いや、違うのです。これは恐らく……聞き方が悪いのです」
「ですが本当にさちくらいも異なる世の神のことも知りませんよ?」
「……久延毘古様は知っておられたはず。原因を知っている……。原因、原因を知っている……」
ぶつくさと独り言を零し続ける地伝。
その様子を見て死神は『なるほどな』と顎をさすった。
久延毘古がイナバを紹介した意味が今ようやくわかったのだ。
久延毘古や死神、そして少名毘古那神は事情を知っている。
異なる世の神についても理解しようとすればできるだろう。
地伝が言う『幸喰らい』についても同様だ。
久延毘古はこの『幸喰らい』について理解が深いはずである。
異なる世の神と『幸喰らい』という理解の範疇を越えたものを彼らは知っているのだ。
この二つが引き起こす現象を理解しているからこそ、口には出せない。
しかしイナバはこの二つを知らず……『結果』を知っている。
死神は満足そうに鎌を撫でた。
(つまるとこ、『幸喰らい』は警告しょーるんか。このまま異なる世の神の企みが進めば、イナバの知る結果になるぞ、と。故に……その結果に辿り着く要因である人間を亡者が殺しても、幸を減らさん。さぁ地伝。それを引き出せっか?)
地伝は眉間に深く皺を寄せる。
考えれば考える程思考が停止してしまいそうになるが、何度も何度も一から情報を引っ張って来て、二柱と会話した内容を思い出し、久延毘古がイナバを紹介した意味を考え続けた。
「…………イナバ殿」
「はい?」
「私は、異なる世の神が人間に指示を出して大きな戦を引き起こさせようとしていることに疑問を持っております。ここに関与するのが『幸喰らい』なのですが……。あっ! そ、そうか! イナバ殿!」
「は、はいはい……!」
ようやく言葉がまとまった。
地伝は片腕の拳を砂浜に押し付け、上体を更に低くしてイナバに問う。
「異なる世で大きな戦が起きようとしております! その結果、何が起こりますか!?」
(お、ええ問いじゃなぁ)
「え? 大勢の魂が天に昇り…………世と世の境目が曖昧になります」
「「……は?」」
これには死神も素っ頓狂な声を上げた。
事情は知っていたが、その結果何が起こるかまでは把握していなかったのだ。
思わず会話に口を挟んでしまう。
「まっ……! 待て待てイナバ! そ、そりゃなんぞ!? どーゆーこっちゃえ!?」
「あえ、いや……そのままの意味です。世は……世界は様々な文化を渇望しております。ほら、日ノ本の文化、他の大地の文化など様々な文化が入り混じった世もあるのですよ」
「な……何故そんなことを知っておられる!」
「え? 私は渡って見てきましたから。それを鮫さんたちにお話ししてるんですよ。ほら、どんな世にだって私みたいな兎さんはいるんです。いろんなお話を聞かせてもらえて本当に楽しいんですよ~」
地伝は久延毘古が口にした『渡って来た』という言葉を思い出して震えた。
世渡り上手ならぬ、世渡り兎。
神格化した兎の神様なのであれば、他の世にいる兎とも会話でき、さらに……会うこともできる。
地伝は死神を見た。
彼もこの事は知らなかったようで、首を横に振って何か否定している。
「……『幸喰らい』は……! 文化の吸収を拒んでいるのか!!!!」
「亡者が掟を破っても幸が減らん訳はそれ!」
「何故知っている!?」
「ええい、今はそげなことどげだってよからぁ! おい待て地伝! その亡者だがもしや異なる世にいるのではあるまいな!?」
「その通りだ……。それつまり……」
「この世と異なる世の繋がりができているということ!」
今はとても小さな繋がりだが、この穴がある限り異なる世の神々はこちらの世の文化を取り入れるために動くはずだ。
であれば今すぐにでも刃天を地獄に引き戻さなければならない。
しかし、地伝はふと気づく。
なぜ……久延毘古はこれを阻止しようとは思わないのか。
そもそも神は人の世を見守る存在だ。
人の世に干渉しないのは分かるが、今は世の均衡が崩れる可能性がある話のはず。
大きな問題となるかもしれないのに、それをどうして放置するのか。
「……分からん! だが今やらなければならぬことははっきりした! 死神! 私を地獄に連れて戻れ!」
「本当に死神使いが荒い……!」
「えっえっどうされたんですか!? 一体どうされたのですかお二方!」
「イナバ殿、とても助かりました。また何かお礼をさせてください。さぁこい死神!」
「はいはい……」
二人はすぐさま船に乗ると、霧に隠れるようにして消えてしまった。
ぽつんと取り残されてしまったイナバは置いていたススキを小さな手で抱え直す。
「……ううーん。どこの世も繋がるのですけどね……。この世も然りです」
ぴょんぴょんと跳ねてその場から去ったイナバの足跡を、さざなみがかき消した。
【あとがき】
因幡の白兎についてはまた色々ありました。
執筆に当たっては特に問題はなかったのですが、白兎は天照大神様や月読命様と関りがあるらしいですね……。
とても吃驚。
諸説あります。




