5.14.Side-地伝-山田の|曾富騰《そほど》
相変わらず移動は一瞬だ。
死神が骨だけの手を上げて広げれば霧が広がり、晴れると既に移動が終わっている。
最後に船着き場と呼ぶには粗末なぼろ小屋の前に広がっている砂浜に乗り上げた。
死神がこちらを向いたので、すぐに立ち上がり船から降りる。
そこでようやく気付くのだが……少名毘古那神と面会した家屋では草鞋を脱いだ。
しかし船までは一瞬で飛ばされたので足袋のままだった。
「……まぁよいか」
そう呟いて気にしないことにした。
死神に軽く手を上げてから歩こうとしたが、その前に声を掛けられる。
「銭はありますかな?」
「……銭だと?」
「人の世を生きるには必要な物。なけなぁ持って行きなされ」
「お前はいいのか」
「さてはて、罪人の冥銭は軽うございますきいのぉ」
「……碌な死に方をせぬぞ」
「死にゃしませぬけぇご安心を。んだけど延々とこの生業を命じられましたわえ。なはは」
カタカタと笑いながら銭袋を投げ飛ばしてきたので、それを片手で掴み取る。
中身を検めることはしないが、握った感触からそこそこの金額が入っているということが分かった。
地伝は死神を訝しむ。
その視線をどう捉えたかは分からないが、彼は骨を鳴らして誤魔化した。
「ささ、はよ行きなせぇ」
「何故このようなことを」
「何故? 滅多に見られん鬼が死神の船を頼って現世へ参る! これだけで仕事ほっぽって付き合う価値が在るってもんでさぁ! なんぞ面白い話を期待しとりまっせ!!」
「私欲だったか……。話すことはせぬがな」
「それは残念……」
話をするだけ時間の無駄だ、と地伝は嘆息し速足でその場を離れる。
後姿を見えなくなるまで見送って死神は大きな鎌を砂浜に突き刺してそれに背を預けた。
南風が強くなってきたらしい。
海を見やれば沖の方では白波が立つほど波が高い様だ。
ぼろい漆黒の一張羅を風で靡かせながら骨を打ち合わせてカラコロと音を立てる。
「少名毘古那神様も意地悪じゃねえ……。んま神様だけぇ干渉したないんはわかっけども。鬼さんの問いに答えても問題なかぁ存在を知らんからって久延毘古様に投げるこたなからぁに」
地伝が歩いた足跡を見やりつつ、そのまま顔を上げて空を見上げた。
あと一度何処かに運ばねばならなさそうなので、もう暫くはともに行動できるだろう。
己に話してくれればすぐにでも教えてやるのに、と思いながら砂浜に突き刺した鎌を引き抜く。
「身近におるけ分かりにくっけども、わても神やぞ?」
と、少しだけふてくされながら船に戻ったのだった。
◆
木々の隙間を通り抜ける強い風が甲高い音を立てている。
風向きが変わって更に強く吹きすさぶ風は何もせずとも落ちていくはずの枯葉たちを簡単に吹き飛ばした。
そんな木枯らしを楽しむ者たちもいれば、暖を取りながら談笑している者たちも多くいる。
田畑にあった作物はすべて収穫されており、冬を前に静かに沈黙していた。
秋が過ぎれば冬は早く訪れる。
人っ子一人居ない田んぼのあぜ道を進んでいると、そこにはぽつんと立っている曾富騰の姿があった。
曾富騰とは案山子のことある。
だが何かがおかしいことに地伝はすぐに気づく。
周囲の田畑にも案山子はいくつか設置されているのだが、この一つだけやけにボロボロだ。
雨も防げない程隙間だらけの笠、数十年放置したような服は所々が完全に朽ちており穴だけになっている。
元々はピンと伸びていた腕も風化で片腕は折れてもう片方は苔やらキノコが生えていた。
頭は傾いていて今にも落ちてしまいそうだ。
既に朽ちかけているようなそれは触れてしまうことも憚られた。
だがなぜこれだけ手入れがされていないのか気になって地伝が近づくと、それは言葉を発した。
『少名毘古那神からは既に聞いた』
「んぬっ……!?」
『本当に鬼が来るとは珍しいこともあるものだ』
「……貴方様が久延毘古様ですか?」
『左様。して、何が聞きたいのか』
傾いた頭を動かしてこちらを見る。
笠で隠れていて見えなかったが、炭で一生懸命書いた顔があった。
不気味な出で立ちだからか、それとも彼が神だからか。
少名毘古那神と似た錯覚を覚える。
頭で理解しておらずとも、体が、はたまた本能が跪けと促しているようだった。
本能に従って一歩下がり、膝を突こうとしたところで久延毘古に止められる。
『よい。そのまま聞こう』
「で、ではそのように」
『知るだけの私と、知って行動する貴殿とでは月と鼈ほどの違いがある。よくぞ地獄からここまで参った。さて、急ぎなのだろう?』
「では……」
地伝は久延毘古に少名毘古那神の前で説明したことをまず伝えた。
それから更に付け加える。
「異なる世の神は戦を引き起こして何かを成そうとしております。私の予想では『幸喰らい』がこれを阻止しようとしており、亡者が掟を破っても幸を喰らわぬようにしているのかと。地獄の沙汰である『幸喰らい』が掟を破り亡者の行動を善としているということは、異なる世の神々が大きな企みを──」
『待て。この久延毘古はその問いに答えられぬ』
「答えられない!? な、何故……!?」
『少名毘古那神がこちらに寄越した意味が分かった。鬼よ、因幡にゆけ』
「い、因幡?」
『そこで白兎に聞くとよい』
地伝の頭には疑問符しか浮かんでこなかった。
白兎というのは……あの兎の事なのだろうか。
久延毘古が冗談でそんなことを言うはずがないのは分かっているのだが、何度考えても意味が分からずに思考が停止した。
しかし、因幡の白兎というのには聞き覚えがある。
大国主命が助けたとされる白い兎のことだろう。
それは分かるのだが……。
「……あの、久延毘古様……。言ってはなんですが、兎ですよ……?」
『左様。あの子ならば語れるだろう。なにせ渡ってきたのだからな。今では鮫に陸のことを語っておるとか』
「……陸……のこと……」
少しばかり考えてみるがやはりなぜ兎を紹介するのかが理解できなかった。
とはいえ久延毘古が紹介するのだから……行かないわけにはいかない。
会えばわかるだろうと自分の中で納得し、礼を言う。
「では、会ってみます」
『うむ。ああ、そうだ……。一つだけ聞いても良いか』
「なんなりと」
カクンッと下がった頭をもう一度持ち上げると、久延毘古は頭を傾けた。
『知ってどうする』
「知った結果に寄ります」
『良い判断。健闘を祈る』
「したらばこれにて」
半信半疑ではあるが、神の言葉を信じて地伝は因幡へと向かうことにした。
久延毘古の下を去って死神がいる船へと急ぐ。
ぽつんと取り残されてしまった久延毘古はくるりと回転して後ろを向いた。
『良い結果となればよいが』




