5.10.やってきた水売り
ひんやりとした空気が袖を突き抜け肌を撫で、滑るように足元を通り抜けていく。
さすがに明朝は冷える。
とはいえ着込むような服もないので、刃天はそのまま警戒を続けていた。
普段であればまだ寝ているところなのだが……今この時、水売りらしき商人がやって来た。
ずいぶん早いお出ましだ。
まずはこの事を知らせねばならぬと思い、刃天は立ち上がって村民たちのいる場所へを足を運んだ。
◆
「なーんで夜通し進むんだよぉ……。朝日上ってからでいいじゃんかぁ……」
「期限が今回は短いんだよ……。そろそろおっぱじめるための準備が進んでるんだ。そのためにも情報は新鮮なやつが欲しいんだ」
「そりゃそうかもだけどさぁ……。はあ……」
ガラゴロと音を立てながら一台の幌馬車が村へと近づいてきた。
そこには合計四名の水売りが乗っているらしく、二人は御者、二人は仮眠を取っているらしい。
若い男は不貞腐れながら空を仰ぐ。
この仕事に飽き飽きしているのだ。
いくら新鮮な情報が欲しいとはいえ、部下をこき使いすぎである。
この情報を使って何をするかいまいち知らされていない彼にとって、この仕事を真剣にやろうとはあまり思えなかった。
一方髭の生えた眼光の鋭い男はある程度の事情を知っているため、力が入っているようだ。
また何度か来ることも見越して、今回は村に納品する物品を多く持ってきた。
これだけあれば冬を越せるだろうし、村人に今より詳細な情報を持って来るようにと交渉することもできる。
今のところこの村が頼りなのだ。
機嫌を損ねることはないだろうが、依存させておく必要はある。
「……ん? な、なぁおっちゃん」
「隊長と呼べ。なんだ」
「なんか……前より空気が澄んでないか? 湿気が減ったっていうか……」
「環境など逐一変わるものだろう。今日たまたま湿気が少ないだけだ」
「そ、そうなのかなぁ……」
若い男は念のため水魔法で掌に水を生成した。
やはりこの土地は水魔法を使用したことによる魔力消費が少ない。
魔法の精度は変わっていなかったので、確かに環境が大きく変わった訳ではなさそうだ。
水魔法が使えるなら問題はないので、隊長の言う通り気にしないでおくことにした。
だが、とあることに気付いてそうも言っていられなくなった。
御者の席で立ち上がる。
「お、おいなんだっ! あぶねぇだろ!」
「……水の匂いがする」
「は? 何言ってんだお前。ここは小川すら流れてねぇ場所で、唯一の水の補給方法は雨水のみ。馬車に積んでる水の匂いなんじゃねぇの?」
「違う……。とても綺麗な水の匂い。馬車に積んでる数日経った水じゃ、こんな匂いはしない」
カタトッ。
馬車の中から音が聞こえた。
この四人の中で水魔法を使えないのはこの隊長だけだ。
馬車にいる二人も何か分かるかもしれない、と若い男は幌を捲って中にいる二人に声をかける。
「な、なぁ! 水の匂い分からない……か……?」
誰かが馬車の中から出ていった。
一瞬すぎて分からなかったが、確かに誰かが馬車の中にいて何かをしていた。
嫌な予感がして二人の安否を確認しようとしたが、その瞬間馬車が止まってバランスを崩し、御者の席に不格好な体勢で倒れ込む。
「ほげっ!」
「な、なんだ貴様ら!!」
「な、なに……!?」
一人の青年の後ろに、村民全員が何かしらの武器を持って佇んでいた。
この村の村民であることは間違いないと隊長は確信しているが、明らかに面構えが違う。
前方で構えている者たちは貧相な剣を握っていた。
しかし殺傷能力は充分にありそうだということは分かる。
住民全員分の武器は用意できなかったらしく、数名は木の棒だったり縄に石を繋げた様な武器だったりとありあわせな物を手にしていた。
とはいえその全員が、こちらに敵意を向けているのが分かる。
隊長は『マズい』と胸の内で呟き、即座に周囲を見渡して現状を確認した。
馬車を引き返すことはできない細道で仕掛けてきた辺り、準備していたということがよく分かる。
だが今までこのようなことはなかったし、取引の内容にも満足していたはずだ。
なのにどうして今になって……!
「くそっ……! 考えても仕方がねぇ! おい何とかしろ!」
「わ、分かった!」
若い男が水を作り出すために手を伸ばす。
この地は水魔法を使用する時の効率がとてもいいので、いつもの倍の量の水を作り出すことができるのだ。
だが……どうしたことか、水が作り出せなかった。
「あ、あれ!? あれ!!?」
「なんだ! なにしてる!」
「魔法が使えない……!」
「なんだと!?」
ラグムが剣を持ってこちらに近づいて来る。
それに続くように最も近くにいた二人が歩きだし、これが連鎖して村民全員が馬車へと近づいた。
「ひぃっ……!」
「クソが。はっ!」
隊長が馬車から飛び降り、剣を構える。
「貴様らよくもまぁこんな真似ができるなぁ!? 俺らを殺せば取引の話はなくなるぞ!」
「構わない」
「んぐっ……! ……テレンペスの情報を横流しにしていたことが露見されればどうなるか!」
「重々承知している」
(何なんだこいつっ……! 前までこんなじゃなかっただろうが……!)
ラグムという青年に、隊長は若干の恐怖が芽生えた。
明らかに自分よりも年下で弱そうなのに、どうしたことか自分より大きく見える。
そんな馬鹿なことがあるか、と頭を振って剣をしっかり握って構えを取った。
「いいんだな!? お前らを半殺しにして情報を聞き出すことになるぞ!」
「俺たちは……お前らに依存しないまともな生活を手に入れるんだ!!」
「ぬかせぇ!」
隊長が大きく振りかぶって切り込んだ。
筋肉量、技量、躊躇の無さから繰り出される一撃はラグムが初めて受ける死の剣である。
しかしラグムはそれを受け止めた。
思った以上に重い剣撃に歯を食い縛ったが、耐えられることに気付いて自信を付ける。
ぐんっと踏み込んで剣を押し返す。
押し返されるとは思っていなかった隊長はよろめいたが直ぐに立て直した。
だが他二人が左右から攻撃を仕掛けてきたことに気付き、数歩下がって一人の攻撃はかわし、もう一人は受け止める。
真横から空を切って叩き込んだその一撃はローエンのもので、剣からは火花が飛び散った。
(んぐぅ!? おっも……!!?)
「せぇぇぇぇええええい、やぁあっ!!」
「どぅらぁ!!」
「うっ……!」
更に押し込もうとしたローエンだったが、隊長は手首の力を抜いて柄でローエンを殴る。
怯んだところを蹴り飛ばし、迫って来るリッドに視線を向けた。
すぐさま剣を振り抜いて攻撃したが、堅実に受け止められる。
するとリッドは隊長の剣の柄をガッと掴んだ。
「ん!?」
「これで、攻撃できない!」
「ぐっ!!」
残っている右手で剣を振りかぶり、隊長の足に鈍らの剣を思いっきりぶつける。
切れ味は最悪なので肉は切れなかったがダメージは大きかったようで、膝をつかせることに成功した。
更にもう一発を肩に叩き込む。
がくんっと体が傾いたので、今度は頭を狙おうとしたのだがさすがにやられっぱなしではないようだ。
剣から手を離してリッドの頭を掴み、そのまま自分の方に引き込んで膝で頭を蹴り飛ばす。
強い衝撃に仰け反りながら倒れてしまったところを見逃さずに隊長は剣を回収した。
とどめを刺そうと狙いを定めたが、ラグムがそれを阻止する。
剣を伸ばして受け止めた。
「させない!」
「ぐぬ……!」
この間、他の村民は馬車の中にいる気絶していた二人を引っ張り出し、既に降参している若い男を連行していた。
残っているのはこの隊長のみだ。
殴られた場所を押さえながら、リッドとローエンも戻って来た。
三対一。
このままでは明らかにこちらがやられてしまう。
他の者たちも掴まり抵抗しているのは自分一人だけ。
この事を外に知らせることができれば……。
「くっ!」
「あっ逃げた!」
「逃げ足はっや!?」
足を負傷しているが走れないことはない。
とにかく持てる力をすべて使いきる勢いで全力で走り抜いた。
だがそれは簡単に阻止されてしまう。
何者かが服を掴んで隊長を転倒させる。
走っている勢いも相まって盛大に転げ散らかしたが、すぐに立ち上がって再び走り出そうとした。
しかし……それはもう叶わない。
「一番色々知ってそうな人、私が逃がすわけないでしょう?」
短剣の柄で首筋を殴りつけられた隊長は、そのまま意識を手放した。




