運命の番? そんなモンは知りません。この世界に白馬の王子様はいないようなので、私は喜んで退場させていただきます。
「ああ、こんなとこに隠れていたんだね。僕の運命の番」
「えっ?」
王宮の広間で踊る者たちをかき分け、この国の王弟殿下であるアレン様が私に近づいてきた。
今日は国王の生誕を祝う、年に一度の宮廷晩餐会。しがない子爵令嬢でしかない私も、今日は死ぬほど頑張って着飾ってこの夜会に参加していた。
どこかでいい人を見つけ縁を結べればと思っていたのだけど、まさかこんな形で殿下とお近づきになれるなんて思ってもみなかった。
「君の名前を教えて欲しい、愛おしい人よ」
殿下は片膝を着き、私に手を差し伸べる。
「あの……アンジュ……アンジュ・ミリアムと申します、殿下」
「ああ、美しい僕のアンジュ。君に今日出会えたことを神に感謝するよ」
周りからは感嘆とも言える大きな声が上がる。この国では番こそが運命であり、すべてだった。
例えそれが既婚者であっても、番を見つけるとその愛情は全て番へと行ってしまう。
そうこれは決して例外なく――
「そんな……アレン様……」
殿下の後ろで、一人取り残された令嬢が一人呆然と立ち尽くしていた。
何度かお顔だけは見たことがある。あのお方は殿下の婚約者である、公爵令嬢のティナ様だわ。先ほどまで確かに殿下と踊っておられたはず。
いくら運命の番とはいえ、こんなこと許されるの?
ティナ様の絶望に満ちた顔を見ると、私はいたたまれなくなり口を開いた。
「ですが殿下、殿下には婚約者様がおられるではないですか。私は……」
「婚約者など関係ない。この国では番こそが全て。僕には君さえいればなにもいらないんだ! 愛しているよアンジュ」
「!」
顔を真っ赤にしたティナ様が、背を向けて走り出す。
「ああ……」
その背を追いかけたくても、声をかけたくても、今の私にはかける言葉など思いつかなかった。
◇ ◇ ◇
幼い頃の夢は、絵本に出てくるような白馬に乗った王子様が迎えに来てくれて幸せになることだった。
金色の髪に青い瞳。すらっとした体格に、高身長。にっこりと笑う顔が素敵で、会うたびに胸がときめく。
しかしそれが絵本の中の世界でしかないと分かった時、やっぱり普通が一番と思うようになっていた。
それなのに……。
「なにこれ、つめたい。最低ー」
「あら、ごめんあそばせ。まさか、そんなとこに人がいるなんて思ってもみなくて。手桶の水を交換しようして、捨てていたとこだったのですわ」
「やだ、ちょうどキレイになって、良かったのではないんですの?」
殿下の執務室へ向かう途中。角から出て来た令嬢が私に水を浴びせた。もちろん避けれるわけもなく、せっかくのドレスはずぶ濡れだ。
ぽたぽたでは済まない量の水がドレスから滴り落ち、床に大きな水たまりを作った。
それにしても、わざとかけておいて一体何なの?
どういう神経してるのよ。親の顔が見てみたいわ。
言い返したい言葉と気持ちを、ぐっと押さえ付けた。この手の人たちは言い返したところで、余計に付け上がらせるだけ。
悪質ないじめには、無視が一番いい。それにこれはただの水。雑巾をしぼったバケツの水よりは、まだマシだと思おう。
そこまできて、私はふと考えた。
「あれ? 雑巾の水?」
どうして私は、そんなこと知っているのだろう。
こんな風に誰かから嫌がらせをされるのは、これ初めてであったはず。だいたい、バケツって何なの。
なんなのと思うのに、頭の中には青く円柱のモノがくっきりと思い浮かんでいる。
そう、こんな誰かが水をかけられるといった光景をどこかで見たことがあるような気がした。
でも、いつどこでだろう。されたことは初めてだというのに見たことがあるなんて、なんともおかしな感じだ。
何かとても大事なことを忘れてしまっているようで、モヤモヤしたものが頭をかすめて行く。なんだかそれが水をかけられたコトよりもずっと、私の中では気持ちが悪かった。
「ん-……」
片手でこめかみを押さえ下を向く。私が頭を抱え込んで困っていると思い込んだのか、歓喜の声が上がる。さすがにたち悪すぎじゃないかとも思うのだが、今の私にはそれもどうでも良かった。
「アンジュ!」
「あ、殿下……」
バカ騒ぎが聞こえたのか、それとも偶然なのか。殿下が渡り廊下を抜け駆け寄って来た。びしょ濡れの私を見て何が起きたのか分からない殿下が、辺りを見渡す。
するとまずいと思ったのか、先ほどの令嬢たちが背を向けてそそくさと逃げ出した。ただどう急いだところで、登城記録を探れば犯人など簡単に割り出せてしまうだろうに。
全く、自業自得だな。ん-、自業自得?
おかしいなぁ。そんな言葉、ココにあっただろうか。益々、頭の中が混乱していく。
「一体なにがあったんだ、これは。びしょ濡れではないか」
「殿下、あの……私……」
まるで泣いているかのような私を見た殿下は、手に拳を作り怒りに肩を震わせる。
「愛おしいアンジュにこんなことをする者がこの城内にいるとは! 護衛兵は何をしているんだ!」
「いえ。執務室まではすぐだからと、私がお断りしたのです。申し訳ありません」
「そんなことはどうでもいい。このままではアンジュが風邪を引いてしまう」
「いけません殿下、殿下まで濡れてしまいます」
「構わん」
「いえ、そういうワケには……」
殿下が気にしなくても、私が気にする。ただでさえ、私達には大きな身分差があるというのに。いくら番とはいえ、こんなところを誰かに見られてしまったら、なにを言われるか分からない。
しかし殿下は気にすることなく、私の手を掴み歩き出した。
それにしても確かに何かを思い出しそうだったのに、あれはなんだったのだろう。殿下の顔を見た瞬間に、思い出せそうだった感覚が消えてしまった。あと少しだったのに。
そして私はそれを思い出さないといけないような気に駆られている。ただ焦ったところで、モヤのかかった頭の中はスッキリとはしなかった。
◇ ◇ ◇
殿下に手を引かれ医務室へ連れてこられた私は先生を驚かせてしまったものの、すぐに先生は着替えを用意してくれた。
その後に、怪我がないか診察してもらう。
「一体、あの場で何があったんだ」
殿下は医務室へ連れてきてくれた後も、ずっと不機嫌なままだ。
「その……私がぼーっとしてて。水替えをしていた水をかぶってしまったようで」
「頭からかぶるほど、勢いよく外に水を捨てたということか?」
「はははは、そうみたいですね……」
「そんなの、わざとに決まっているだろうアンジュ」
「でも……わざとかもしれませんし、手が滑っただけかもしれません……」
「アンジュは、手か滑ったら人が通るかもしれない廊下で勢いよく水を捨てるのか?」
確かに殿下の言うコトは正論だ。しかし告げ口のようなことは、出来ればしたくはない。
「それは……そうですが……。でも、万が一ということもありますし……」
「……アンジュ」
下を向きボソボソ話す私に愛想を尽かしたのか、大きなため息を殿下が漏らした。
わざとなのは、まぁ誰が見てもそうだろう。いくら面倒くさいからといって、あんな場所で水を捨てる人間などいない。ましてやその水をかぶった私を笑うなどあり得ない。
しかし今ここでそれを口にしてしまえば、告げ口をしたように思えてしまう。向こうが先にしたコトなのだから、本当はそれを言って助けてもらってもいいのだろう。
でもそれをしてしまうとなんとなく彼女たちと一緒になってしまうような気がしてしまう。そしてそれをする自分が許せそうにないから、私は口をつぐんだ。
「はぁ。犯人が誰かは、もう分かっている。すまない、全ては俺のせいだアンジュ」
「私などに謝るなど、お辞めください殿下。私がいけないのです。子爵令嬢でしかない私が殿下の運命の番など、不相応なせいでございます」
もしお友だちだったとしても、私は他の人から見たら身分が低すぎる。運命の番など不可抗力とはいえ、きっと他から見れば不満も多いのだろう。
心のどこかで、いつかそうなるような気はしていた。
それでも私は私の目的のために、殿下に近づくことを辞めるわけにはいかなかった。ある意味、私が決めた道。さすがに嫌味を言われることは今までも何度かあったけど、ここまでの実力行使は初めてね。
「そうではない。全ては僕がきちんと強固とした態度を示してこなかったせいだ」
強固? 強固とはどういう意味だろう。
今でさえ、十分運命の番だからと私のことを前面に押しているのに。
「えっと、あの……殿下? 殿下、待って下さい」
しかし殿下は私の問いに答えることなく、医務室を飛び出して行く。嫌な予感しかない私は、急いで後を追いかけた。
「待ってください殿下!」
「ティナ」
色とりどりの花が咲き誇る中庭で行われていたティーパーティーに、殿下が乱入する。息一つ切れていない殿下に、私は追いつくので精一杯だった。
殿下の登場に、みんなが椅子から立ち上がる。確かにそれは、先ほど私に水をかけた子たちだ。
その一番奥の席に、殿下の婚約者であるティナ様が静かに座っていた。
誰よりも落ち着いており、同性の私から見てもその所作すら美しい。ティナ様は殿下を見るなり一瞬眉を顰めた。
しかしそれも一瞬のことで、まるで何事もなかったかのように立ち上がる。
「アレン殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅうございます」
ゆったりとお辞儀をすると、長い髪がさらりと揺れた。
その表情は先ほどの険悪なモノではなく、にこやかな笑みを浮かべている。ああ、この人は殿下のコトが好きなんだろうな。殿下を見つめる瞳、やや赤らめた頬。
彼を見つめたその瞬間から確かに美しく綺麗だった表情は、まるで恋をする女の子特有の可愛らしさで溢れていた。
なんでよりによって……。
「挨拶など、そんなものはどうでもよい!」
しかし殿下はそんな可愛らしい表情をした、ティナ様を一蹴する。
さすがの私でさえ、開いた口が塞がらない。いくら私に水をかけたとはいえ自分に好意を抱く人間に対して、あまりに辛辣だ。
「殿下ともあろう方がどうなされたのですか? そのように声を荒げては、下の者たちが驚いてしまいますよ」
ティナは、殿下の後ろにいた私を睨みつけた。まぁ、それはそうでしょうね。でも、私はちゃんと止めたんだよ……。
被害者であっても、なんだか申し訳なさで私の中はいっぱいになっていく。
恋する乙女の邪魔をしたのだ。それは水ぐらいかけられても、確かに仕方のないことなのかもしれない。
「どうなされたでは、ないだろう。お前がこのアンジュにしていた悪行の数々を知らないとでも思っているのか」
「だとしたら、なんだと言うのですか?」
「開き直るのか!」
「開き直るもなにも……。たまたま、水を捨てたところにそこの者がいただけでしょう? そんないちいち細かいことを言われましても、覚えていませんわ」
当の本人である私を置き去りにして、二人の会話が過熱していく。
私としては、私も悪いところがあったのならば直すので勝手に話を進めて欲しくないんだけどなぁ。
しかし二人の話に、入る余地などない。
身分とかそういう問題じゃなくて、いじめは絶対にダメなんだけど。いじめられてると私は気づいてなかったから良かったという案件なので、殿下が怒るのも分かる。
分かるのだが、なんだろう。全体的に感じているこの違和感。先ほど水をかけられた時に感じた、何かを思い出しそうな感じが甦ってきた。
「……そんなこと俺が判断すべきことであって、そなたにいちいち指図されるいわれはない」
「ですがわたくしは、殿下の婚約者ではありませんか。その婚約者であるわたくしを、ないがしろになさるとおっしゃられるのですか」
ティナは目に涙を貯め、訴えかける。
親同士が、または国が決めた婚約者でしかないというのにティナ様は殿下のことが本当に好きなのだろう。
かつての、あの人と同じように……。
ティナ様のその健気な姿に、私の大切な人が重なった。またココでも同じように繰り返すのだろうか。何度も何度も。
「そうだな……」
「アレン殿下」
「ティナ、俺がいままで曖昧な態度を取ってきたことがいけなかったのだろう。そうだな……今この時をもって、きみとの婚約を破棄させてもらおう」
うわぁ、すごーい。私、生断罪初めて見ちゃった。
そう口から出かけた言葉を私は飲み込んだ。生断罪。乙女ゲームやラノベなどでよくあるヒロインをいじめていた悪役令嬢の、殿下からの断罪シーン。
その場面を見てようやく思い出したのだ。私には今より前に、フツーの女子高校生として生きていた記憶があることを。
ただそう考えると、この私の立ち位置は少しまずい。非常にまずい。先ほどの水をかけられたのもそうだが、今までも小さな嫌がらせを受けてきた。
そして今、殿下が婚約者であるティナを断罪&運命の番?
「俺はこのアンジュを愛している。そしてアンジュは俺の運命の番。今まで宰相などに気を使って婚約はそのままにしていたが、愛する者でもない君をそのまま正妃などにするものか」
殿下が私の肩を引き寄せた。本来ならばヒロインはここで殿下にしなだれかかり見つめ合い、愛をささやく場面なのだろう。
そう問題は、私にはまったくその気がないというコトだ。いやぁ、これは困ったゾ。
ずーっと言えずにいたんだけど、運命の番って言われても、まったく私にはそんな感情はないんだよねー。
こんな一方的運命などあるのかな。あー、それとも転生者だから? 私には運命発現しなかったとか。
いやそれにしても……うん、困ったなぁ。
「どうしてなのです、殿下」
ティナ様はその場に膝を付き、泣き崩れた。
悪役令嬢というより、その可憐な姿はやはりヒロインだ。
凛としているのにその実とても内面は儚く、殿下に近づく私をどうしても排除したいという嫉妬に駆られて細やかないじめをしていたという。
しかし殿下は彼女の思いなどまったくないモノというように、気にも留めはしない。
「「ティナ様!」」
取り巻きの二人が、ティナ様を支えた。そして二人の非難の目はすべて、私に向けられている。
まぁ、それはそうでしょうよ。どう頑張っても、自分でさえ私が悪役にしか思えないのだから。
「殿下……殿下……わたくしは……」
でもそれでも……私には、どうしても叶えたい目的がある。その目的は記憶が戻ったところで、変わりはしない。
ただ、この状況をどうするか。このまま全てを話してしまえば、殿下の気は私から離れてしまうかもしれない。そうなれば、もう他に私の願いを叶える手立てはなくなってしまうわ。
ただこのまま、殿下の恋心を利用するのも気が引けてくるし。そして何より心配なのは、今婚約破棄を告げられたティナ様だ。
本来は、私がいなければ彼女は悪役になんてならずにすんだのに。
今更、この前言われたばかりの言葉が突き刺さる。
あああああ、もー。どうしようかな、この状況。全部をめんどくさいと放り投げてしまえばいいのに……それは不可能だ。
今の私にとっては、他人の色恋なんて知ったとこではないのよね。なのにその中心に、よりによって自分がいるなんて最悪だわ。
「さぁ行こう、アンジュ」
「殿下……。私の話を聞いていただけますか?」
「どうしたんだい、アンジュ。話なら、部屋でいくらでも聞くぞ? さぁ、二人でお茶でもしよう」
愛おしむような優しい笑み。先ほどのティナ様に向けていた顔とは全く違う。なぜこの微笑みを彼女に向けてあげないのだろう。
こんなにも私に嫉妬するほど、自分を愛してくれてるのに。
「いえ、殿下。ここでティナ様にも聞いていただきたいのです」
「そうか。そなたも、ティナに言いたいこともあるだろう」
「あのぅ……アレン様、今から言うことや話すことは不敬罪になんてならないですよね?」
上目遣いに、猫なで声。どちらも殿下の大好きなモノだ。殿下の攻略法を考えるうちに、私が身に付けたもの。
殿下は知的で美しいティナ様のような人よりも、ややおバカで可愛らしい女の子の方が好きなのだ。
とはいうものの、そんな贅沢なコトを言えるのは彼の身分の致すところ。そこに気づけていない時点で、なんとも残念な人だんだけどね。
ああ、もしかしてこんな感じだから運命の番とかと勘違いされたとか?
そもそも、私が運命を感じてない時点で番というモノが理解できないからどうしようもないんだけど。
「あぁアンジュ、やっと名前で呼んでくれるんだな。もちろんだ、どんなことでも言うがいい」
「ほんとですかぁー? アンジュうれしいです」
ええ、本当に。この言質があるとないとでは、話が全く違ってきてしまうから。
「えっとぉ、ではまずぅ、婚約はお断りします~」
にこやかに私が宣言すると、みんながあっけに取られたように固まった。
それもそうだろう。
今この瞬間まで、ここにいる私以外は私がヒロインであり殿下の運命の番だと疑ってもいなかったのだから。
私は目を閉じもう一度目的を確認し、ここに来る数時間前のことを思い出した。
◇ ◇ ◇
「結婚なんて、ホント無理だわー。興味なさすぎ」
「まったくあなたって子は。もうとっくに適齢期に入っているのですよ? そろそろ婚約者を決めないと行き遅れてしまうわ」
「いいのよ、叔母様。夢のない結婚なんて、うんざり」
やつれ、すっかり痩せ細ってしまった現王妃を目の前にして、私は悪態をついた。ベッドに横たわる王妃の艶やかだった青い髪は、すっかり影を隠してしまっている。
結婚前より細くなった体は細いという域を超えて、もはや病的だ。全てが青白く、まるでどこからも生気を感じられない。
「そんなことより、本当にどうにかならないのですか? 叔母様……」
「もういいのよ、アンジュ。あなたがそうやって怒ってくれるだけで、わたくしはほっとした気になるのだから」
そう言って柔らかにほほ笑んだ。王妃が床に臥せるようになって、もはや一年になる。きっかけは誰かに毒を盛られたことによるものだった。
しかし世継ぎのいない王妃のことを心配する者など、この城にはほぼ存在しない。そのため犯人も未だに捕まっていないという体たらくだ。
国王は王妃を娶ったあとすぐに側妃を迎えた。王は初めから決められた結婚相手の王妃ではなく、側妃を愛していたのだ。そう、運命の番であった側妃だけを。
だからこそ王妃との間に世継ぎが生まれることなどあるはずもなく、未だに白い結婚のまま。そうなることなど二人の結婚前から分かっていたにも関わらず、王太后は寵愛を受けられない王妃を責めた。
寵愛を受けられなかったお前が悪いと。元々王太后は側妃の実家と王太后の実家の折り合いが悪く、側妃を娶ることも大反対した人だ。
しかし側妃が身ごもると大臣たちからの圧力もあり、側妃として召し上げることを渋々了承した。
その後も側妃と王太后は仲良くなれるわけもなく、その怒りの矛先を王妃に向けたのだ。
政略結婚でしかなかったとはいえ叔母である王妃は、国王を愛していた。結婚式のことは今でも思い出す。
控室でとても幸せそうな顔をしていた叔母の顔は、好きな人と結ばれることへの期待だったのだろう。それがたった五年でこの有様だ。叔母が何をしたというのだ。
愛した人は自分を愛してはくれなかった。ココまでならまだ、よくある話だったのに。番というモノに自分の運命すらすべてを持っていかれてしまった。
しかもそのこと自体自分のせいではないのに冷たい目で見られ、未だこの監獄の様な王宮に囚われている。
「療養のために、領地へ帰る許可はまだ下りないのですか?」
「王太后様の許可がね……」
こんなになっても、まだ縛り付けるのか。そんなことに、何の意味があるのだろう。王妃とはいっても名ばかりで、政務にすら携わることも出来ないのに……。
「私、もう一度かけ合ってくるわ。このままじゃ、叔母様がどんどん悪くなってしまうもの」
「無理をしてはダメよ、アンジュ。わたくしのことはいいの。あなたに何かあったら、お姉さまに申し訳が立たないわ」
「大丈夫よ。攻略のカギは王弟殿下様だと思うのよ。お近づきになって、お友達になって……」
「お友達ってアンジュ、あなたもいつまでも子どもではいられないのよ」
「? 叔母様、それはどういう意味ですか?」
「歓談中申し訳ございません。そろそろ侍医の先生の来るお時間となります」
控えていた侍女の一人が声をかけてきた。王妃付きの侍女は、決して王妃の味方ではない。
ただ幸いなことに王妃へのあまりにひどい扱いに同情している者たちが集まっており、敵でもないことだけが救いだ。
「もうそんな時間だったのですね、すみません。また来ます、叔母様」
叔母の言いかけた言葉の意味はなんだったのだろう。私は後ろ髪を引かれつつも、部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
「私の叔母は現王妃です。ティナ様のように白馬に乗った王子様に憧れて、現国王と結婚しました。しかし現実として王は側妃様だけ愛された」
「アンジュ、君の伯母上が現王妃……。し、しかし現王妃は番ではないから仕方ないだろう」
「番ではないから仕方ない? 変ですね。それが通るなら、初めから番以外は娶らなければいいではないですか~。もういっそ、番以外の結婚は禁止でもいいぐらいですよね?」
もちろん禁止できない理由も知ってはいる。すべての者が平等に番に巡り合えるわけではないからだ。しかしこうやって結婚をした後に運命だと言われても、残される当事者たちからすれば悲劇でしかない。
それに今初めて私が現王妃の姪だと知ったという、殿下の顔。 貴族関係など少し調べれば分かると言うのに、なにも私のコトなど調べてはいなかったのだろう。
運命の番という言葉にあぐらをかき、私のことなど何も知ろうとしなかったということ。ホント、ある意味都合のいい言葉としか私には思えない。
「王太后様に責め立てられ、叔母は毎日が針の筵に座るような生活をしております。私はそんな王妃を領地療養させたく、今まで殿下の側におりました」
「アンジュ、何を急に言い出すんだ。いや……だがそうだとしても……。君はぼくの運命の番だろう?」
そうだとしても?
王弟殿下であるあなたは、兄である国王の一番近くで王妃の現状を見てきたはず。それなのに、『そうだとしても』という発言が出て来るのか……。なにはどうすれば、王妃の身内を目の前にしてそんな言葉が出て来るのだろう。
結局そう。殿下も、叔母様を苦しめる一人にしか過ぎないということ。ほんの少しでも期待した私が馬鹿だった。
「アレン様、先に言っておきますが私は一度でも運命の番だと思ったコトはありませんよ~?」
「そんな馬鹿な。確かにぼくには運命を……君を運命の番だと感じるのに……君はぼくのことを好きなんじゃないのか?」
「ん-、まーったく? もし、私の行動が思わせぶりだったのなら謝罪します。でも私、ヒロインに……アレン様の婚約者になる気はありませーん。だって、そうでしょう? ココには白馬に乗った王子様なんていませんもの」
そう言いながら、私はティナ様へと手を差し伸べた。
「ティナ様、殿下は私にとっては運命の人じゃなかったのですがどーします?」
彼女にも伝わればいいと思った。叔母と同じ状況でこのまま婚約から結婚したとしても、幸せにはなれないと思うから。
ティナ様は私の顔を見上げ、じっと見つめ返す。
きっと信じられない話ではあるし、そう簡単に殿下を捨てることも出来ないものだということは分かる。
ティナ様は一瞬目を伏せ眉間にシワを寄せた後、それでも私の手を取った。もう叔母のように、不幸になる人を見なくても済む。私は思わず、涙ぐみそうになった。
「そうですね……わたしも運命ではないようですので殿下、婚約破棄の話お受けします。それでは失礼いたします」
ティナ様は殿下を睨んだ後、全て吹っ切れたような気高い顔をしていた。対照的に、すべてを一瞬で失った殿下の顔は蒼白だ。
私にはもうなにを言っても無駄だと理解したのか、ティナ様に手を伸ばし縋すがりつこうとする。その姿はなんとも惨めであり、先ほどまで満ち溢れていた自信はどこにもない。こうなると身分など関係なく、ただただ哀れね。
「……はぁ」
ティナ様の盛大なため息に私は思わず、吹き出しそうになる。自分の愛した人はこんな人だったのか。
そんな言葉が、はっきりとティナ様の顔には書いてあった。
「あ、いや、その……待ってくれティナ。これは、違うんだ、違うんだ!」
「なにが違うと言うのですか、殿下」
「だ、だからこれは……そう、なにかの間違いなんだ」
間違い。
間違いでいちいち婚約破棄されたら、たまったものではないなぁ。ああ、でも私を運命の番だと勘違いしたというのなら話は分からなくもない。分からなくもないが、ティナ様にした仕打ちは消えはしない。
これこそ自業自得。身から出た錆ね。ざーーーんねん!
「殿下ともあろうお方が、一度口にした言葉が元には戻らないことを知らないわけではありませんよね」
「ああ、いや……そう……なんだが……」
「あー待って下さいティナ様。私も話が終わったので一緒に帰りまーす。じゃ、アレン様、お疲れ様でした!」
「……貴女という人は……勝手にしなさい」
「はーい。勝手にしまーす」
ティナ様の後に私も続く。
うん。言いたいことも言えたし、なんだかスッキリだ。
「二人とも待ってくれ、俺は……俺は……」
「あ、アレンさまぁ、現王妃の領地療養の口添えの件お願いできると、アンジュとてもうれしいです!」
「貴女……貴女のそういうことろが、誤解を招くのだと思いますわよ」
「えー、でもティナ様、世の中あざとく生きないともったいないじゃないですか。アンジュ思うのですが、目的の為なら使えるものは何でも使うべきだと思うんですょー」
「……まぁ、そういう合理的な考えは嫌いではないわ」
「わーい。ありがとうございます」
ティナ様の呆れたような笑顔を見ていると、胸のつかえが少し軽くなる気がした。悪役令嬢とヒロインなんて関係ではなく、彼女となら対等な関係を築いていけそうだった。
◇ ◇ ◇
『拝啓 ティナ様。風薫る季節となりましたがいかかお過ごしでしょうか。こちらはとても過ごしやすく……』
「アンジュ、お茶が入りましたよ」
窓からさわやかな風が吹き、叔母と私の青い髪を揺らす。
随分と艶やかになり少しずつ元気を取り戻しつつある叔母は、並ぶと姉妹に間違われるほどだ。
あれからティナ様のお父様である現宰相とアレン殿下の口添えのおかげで、やっと領地療養が叶うことになった。
ティナ様は自分だけの王子様を見つけたらしく、隣国に嫁ぐことも決まった。
私はその結婚式に呼ばれていて、今からとても楽しみにしている。
アレン殿下には叔母の口利きの代わりに婚約を申し込まれたものの、丁重にお断りしてある。
ティナ様のご友人の話だと、まだ殿下は私に未練があるらしい。
今、彼の婚約者の席は空席のまま。彼の空席は今のところ埋まる予定もない。それもそうだろう。
運命の番にも婚約者にも逃げられた男など、誰が見向きするものか。
いくらその身分があるとはいえ、王位継承権は二位でしかない彼はそれほど高嶺の花でもないらしい。
「んー、やっぱり私、結婚は当分いいや」
「そんなこと言っていても、そのうちどこかのいい人に巡り合って、あなたも結婚するかもしれないでしょ」
「そうだけど、ま、その時は私がじっくり選ぶつもりかな」
そう言って、私は意地悪な笑みを浮かべる。
「そうね、それがいいわ。どんな人か、じっくり選ばないとね」
私たちは二人で顔を見合わせて、クスクス笑い合う。
白馬に乗った王子様はいなくても、私たちはようやく平穏で幸せな日々を手に入れることができた。
そう自分の手で掴み取って。それだけで十分、満足だった。
お読みいただく皆様に激感謝。
この度はこの作品をお読みいただきまして、ありがとうございます。
ブクマ・感想・評価などいただけますと作者は激喜び庭駆け回りますので、ぜひぜひよろしくお願いいたします(庭はありませんけど)|ω・)