第六百五話:落ちていって
暗い暗い闇の中。俺は自分が落ちているのを感じていた。
ここはどこだろうか。いわゆる、自分の心の中とかそんな感じかな?
いや、以前にもアリスと話したことがあったが、そこはこんな暗い場所ではなかった。
となると、ファーラーのプレイヤーの手の中と言うことも考えられるか。
情けない。あれだけ慎重に事を運んでおいて、最後に油断して体を乗っ取られるとか、情けなさすぎる。
今、俺の体はどうなっているんだろうか。ファーラーに操られて、皆と戦っていたりするんだろうか?
もしそうだとしたら、本当に申し訳ない。俺がもっと早く気づいていたら、油断していなければ、こんなことにはならなかっただろう。
せめて、皆がきちんと勝って、ファーラーの暴走を止めてくれることを願うばかりだ。
「なにそれ。それでもゲームマスターなの?」
ふと、声が聞こえた。
とっさに目を開けて、辺りを確認してみるが、暗くて何も見えない。
ここはファーラーの掌の上。見えるものも見えないのかもしれない。
でも、その特徴的な語尾は、その人物を特定するには十分すぎるヒントだった。
『アリス……?』
「そう。あなたに勝手に体を使われて、仕方なく協力してあげてるアリスなの」
なんだか言葉の端々に棘を感じるが、大体事実だから言い返せない。
しかし、そうか。もしここが心の中だとしたら、アリスの意識も存在する。
今までは、俺が表に出ていたけど、一応この体はアリスのものである。アリスとしての意識も存在し、それはずっと俺の心の奥で眠っていた。
俺が体を乗っ取られたことで、呆れて出てきたってところだろうか。いや、アリスの体なのに、乗っ取られて申し訳ないな。
「それより、もう諦めてるの? いつものシューイチらしくないの」
『そうかな? 俺は割とすぐに諦めちゃう性格な気がするけど』
「そんなわけないの。そんな性格なら、わざわざ世界を救おうと神に喧嘩売るわけないの」
まあ、それは確かに。
ファーラーとは色々因縁がある。騙されていたというのもあるし、勝手に粛正の魔王に仕立て上げられたというのもある。
しかし、結局俺が動いた理由は、この世界を救うためと言う理由だった。
元々、俺は元の世界に帰れればそれでいいと思っていた。その目的が達成できるなら、この世界なんてどうなってもいいと思っていた。
けれど、いつの間にか世界を守るという方向で動いていて、それが自分でも不思議だった。
でも、元の世界に帰るという目的のついでだと考えれば、それも悪くないだろう。
確かにこの世界のことはどうでもいいが、救えるのなら救った方が気持ちがいいのは確かだし。
きっと、皆は俺のことをお人好しとか呼ぶんだろう。そんなつもりは全くないが、結果だけ見ればそう見えてもおかしくない。
それを言い変えれば、確かに俺は諦めが悪い性格をしていると言えなくもないかもしれないね。
『でも、こうなった以上はどうしようもないでしょ?』
「なんで肝心なところで諦めるの。私の体なんだから、もっと気張って欲しいの」
『はは、それはごもっともで』
元は俺が作った体とはいえ、元の意識があるのなら俺はお邪魔虫に過ぎない。
勝手に体を使われて、挙句勝手に体を奪われるとか、許容できるわけないよね。
「諦めるにはまだ早いの。まだ手は残されているの」
『そうだったら嬉しいけど、そんな手があるの?』
「あるの。と言うか、そういう意図で、私にこれを託したんじゃないの?」
『これ?』
これと言われても、今の俺にはアリスの姿すら見えない。
何かを示しているとは思うけど、それが何なのかはわからなかった。
「さっき助けた兎が言ってたの。これは心の扉を開く鍵だって」
『助けた兎? それって……』
兎と言われて、思い浮かぶのは一人しかいない。
しかし、イナバさんは結局助けられなかった。魂を保護しようとも思ったけど、結局自分の体に降ろすことはできなかったのだ。
それなのに、助けた兎と言うことは、もしかして、あの時の【コール】は成功していたのだろうか?
『い、イナバさんがここにいるの?』
「もうここにはいないの。やることを思い出したって言って、私にこれを託してさっさと行っちゃったの」
確かに、あの時も、今も、イナバさんの気配は感じられない。
しかし、仮にあの時の【コール】が成功していたとして、勝手にどこかに行くなんてできるんだろうか?
だって、容れ物がないのだ。魂の状態で彷徨うことができないとは言わないけど、そこまで自由に動けるとは思えない。
ましてや、俺が術者として降ろした魂なのだ。決定権は俺にあるはずだし、そもそも知覚できていないのがおかしい。
一体イナバさんに何があったんだろうか。
「とにかく、私にこの鍵を託していったの。てっきり、シューイチの指示かと思っていたんだけど」
『そんな指示をした覚えはないけど』
「ふーん。まあ、わざわざ託してきたんだから、意味があるはずなの。これは心の扉を開く鍵。なら、今ここで捻ったら、どうなるか?」
『それは……』
正直、どうなるかわからない。
確かに、今までにも使ったことはあった。その度に、隠し部屋が現れたり、隠されたメモが見つかったりした。
心の扉を開く鍵と言うには、ちょっと起こっている現象がおかしいと思わないことはないけれど、何か特別な力があるのは確かなようだ。
何が起こるのかはわからない。けれど、イナバさんがわざわざアリスに預けていったってことは、こうなることを予期していたってことだ。
そうでもなきゃ、俺がこうしてアリスと話すことなんてなかったはずだから。
だから、その鍵はここで使うべきなんだろう。
であるなら、迷わずに使うべきだ。
『アリス、その鍵を捻って見て』
「わかったの。ああ、それと、その兎から伝言を預かってるの」
『伝言?』
「うん。助けてくれてありがとう、今度はこっちが助ける番だ、だって」
その言葉を聞いた瞬間、辺りに光が差し込んでくる。
恐らく、アリスが鍵を捻ったんだろう。一体何が起こっているかはわからないが、少なくとも、落ちていくのは止まったように思える。
落ちるのが止まったなら、次は浮上するだけだ。
イナバさんの正体はわからない。けれど、こちらの味方だということはよくわかる。
せっかくチャンスを用意してくれたんだ。ここで活かせなきゃ、それこそイナバさんに申し訳が立たない。
俺は光に向かって手を伸ばす。光はどんどん強くなっていき、やがて伸ばしている手すら見えなくなってきた。
意識が浮上する。戦いは、ここからだ。
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