第四百六十七話:孵化の時
あれから、何度かオールドさんに連絡を取ろうと試みてみたが、繋がることはなかった。
確かに、いつでもは無理とは言っていたけど、一週間以上経っても音沙汰ないってことは、通信するのは結構な労力がかかるってことなんだろうか。
通信自体に魔力なんかを使って、それが負担になっているとか、あるいは特定の場所でしか通信はできなくて、今はその場所にいないとか、色々ありそうだけど、話が聞けないのは残念である。
オールドさん関連が進まないとなると、俺達にできることはただ待つことだけだ。
一応、あれからエキドナのところにも何度か訪れているが、子作りを強制されたことはない。謎のこだわりは本当のようで、シュエが無事に卵を孵してくれさえすれば、それでいいと言った感じだった。
まあ、代わりに遊ばれるのはかなり屈辱的なことなんだけど、一線を越えないならまだ許せる……はず。
あんまりこれに慣れ過ぎると、それこそ本当にエキドナを心の底から尊敬することになり、元の姿に戻るという目的すら忘れてしまいそうなので、毎回やりすぎないように調整はしているが、つい本能に負けてしまいそうになるのが怖い。
幻獣はエキドナを尊敬するものという設定が強すぎる。こんなの、レベル高くなければすぐにでも堕ちていたかもしれない。
この島で一生を終えるなんて御免だ。
〈さて、あれから二週間くらい経ったけど……〉
俺達は今、エキドナも伴って、シュエ達が暮らす洞窟へと訪れている。
その理由は、ついに卵が孵る瞬間が来たからだ。
基本的に卵はシュエが暖め、ノクトさんはせっせと食料の調達をしたりしていたようだが、その努力がついに実を結ぶ時が来たということだ。
卵がゆらゆらと揺れている。あちこちに罅が入り、中から出てこようとしている。
その光景に、俺はなぜか神秘的なものを感じた。
〈ついに生れるの……〉
〈どんな子だろうね〉
〈リヴァイアサンの子なんてめったにお目にかかれませんよ〉
一応、シュエもまだリヴァイアサンとしては子供の部類である。いや、赤ちゃんと言った方が正しいか。
そんなシュエですらかなりでかいのだから、今から卵から生まれる赤ちゃんもでかいのかと思うのだけど、その割には卵はそこまで大きくない。
いや、そりゃ鶏の卵とかと比べたらめちゃくちゃでかいけど、今のシュエと比べたら相当小さい。
いったいどんな姿なのか、ちょっと興味がある。
〈あ、出てきた〉
やがて、卵の殻を破って、赤ちゃんが出てくる。
その姿は、一言で言えば小さな蛇だった。
シュエと同じく、青い鱗で覆われた細長い体。ひれの様な手を持ち、それをばたつかせながら地面をのたくっている。
生まれたばかりでは、ここまで小さいのか。これはかなり興味深いことかもしれない。
いや、普通に考えたら当たり前のことかもしれないけど、普通が通じない幻獣でもこうなるのかと思うとね。
赤ちゃんは近くにいたシュエの方を見ると、小さく鳴いている。
まだ幼く、その言葉に意味はないけれど、子供の呼びかけにシュエは嬉しそうに顔をほころばせていた。
〈おかあさん! あかちゃんうまれた!〉
〈ええ、よく頑張ったわ。偉いわね〉
〈えへへー……〉
エキドナはシュエのことを撫でながら、赤ちゃんの方に手を伸ばす。
赤ちゃんは、最初こそびくりと身を引いていたが、やがて恐る恐ると言った形で近寄っていった。
赤ちゃんであっても、エキドナの幻獣に尊敬される能力は健在なのかもしれない。
差し出した手をチロチロと舐める赤ちゃんを見て、エキドナは嬉しそうに顔をほころばせた。
〈ありがとう、これでリヴァイアサンという種は復活を遂げました。後は、ゆっくりと増やしていければ元通りになるでしょう〉
〈それはよかったの〉
まあ、今のところリヴァイアサンと呼べるのはシュエとこの赤ちゃんのみ。そして、シュエがここから去る以上、増やすためにはこの赤ちゃんと交配しなくてはならない。
流石に、こんな小さなうちからそんなことはしないとは思うが、いずれはそういうことをしなければならないと考えると、この赤ちゃんも可哀そうだなと思う。
でも、だからと言ってシュエをこのまま貸しておくわけにはいかないし、俺達だっていつまでも幻獣の姿でこの島に留まっているわけにはいかない。
赤ちゃんには悪いけど、種の復活のために頑張って欲しい。
〈ちゃんと元の姿に戻してくれるの?〉
〈ええ、そういう約束だったでしょう? 私は約束は破りません〉
心配だったのは、ここでエキドナが豹変して、俺達をこの島に留め置く可能性だった。
確かに、エキドナは幻獣に対して優しいし、いくらガワだけとはいえ、俺達も幻獣だったのだから、その約束を反故にするとは考えにくかった。
子作りに関しても、俺達では代役にはなりにくいという話だったし、止め置く理由も薄い。
しかし、それでも数百年経てば純粋な幻獣として認められるという話でもあったし、無理矢理この島に留め置いて、その時を待つ可能性も十分あったのだ。
それに、そうでなくても、純粋な幻獣であるシュエはまだまだ子供を産んでもらう価値はあるだろうし、ノクトさんだって同様。だから、俺達を帰しても、この二人は帰さない可能性もある。
すべてはエキドナの善性にかかっていたが、どうやら賭けには勝てたようだ。
もう、こんな危ない橋は渡りたくないね。
〈まずはリヴァイアサンの記憶を戻しましょうか。このままだと嫌なのでしょう?〉
〈もちろん。すぐに戻すの〉
〈焦らないの。忘却の滝は逃げないわ〉
〈?〉
何のことだかわかってなさそうなシュエ。
今のシュエは、記憶をなくしている状態だ。自分のことをただのリヴァイアサンだと思っていて、元は人間だったことすら忘れてしまっている。
ついでに言うなら、レベルやスキルも忘れている状態だから、これを戻さないと元のシュエとは到底呼べない。
まあ、最悪レベルは後で上げ直すこともできるけどね。とにかく、記憶を戻してもらえればそれでいい。
赤ちゃんのことを一時ノクトさんに任せ、忘却の滝へと向かう。
確か、この滝から流れ出た川の水を飲めば、記憶が戻るって話だったよね。
〈シュエ、この水を飲みなさい〉
〈はーい〉
エキドナに命じられるがまま、シュエは川の水を飲んだ。
その瞬間、目を見開いたかと思うと、苦しそうに体をくねらせた。
記憶が戻った弊害か? 俺はエキドナのことを睨みつけるが、エキドナは笑ったままだった。
〈うっ……ここは……〉
〈シュエ、記憶が戻ったの?〉
〈シュエ……そう、シュエはシュエって言うの。その声は、アリスさん?〉
〈よかった、思い出したみたいなの〉
呼びかけてみたが、ちゃんと記憶は戻っているようだった。
よかった。これで時間が経ってたら戻りませんとかなってたら暴れるところだった。
〈シュエ、今までのことは覚えているの?〉
〈今までのこと……え、あ、ぁ……〉
リヴァイアサンの顔だとわかりにくいが、顔が赤くなっているように見える。
恐らく、ノクトさんとしたことを思い出したのだろう。それから、卵を孵したことや、シュエにあるまじき甘え方をしていたことなど、今思い返せば黒歴史でしかない行動の数々。
シュエとしては、思い出したくない過去かもしれない。でも、思い出してもらわなければこちらとしても安心できないので、そこらへんは我慢してほしい。
〈はぅ……〉
〈シュエ、大丈夫なの?〉
〈大丈夫じゃない……〉
がくんと項垂れるシュエ。
しばらくはこのままになりそうだけど、まあ何とかなるだろう。
この状態のシュエをノクトさんが見たらどう思うかな。自分がその一端を担っていることを考えると、ノクトさんの方も落ち込みそうな気がしないでもない。
というか、ノクトさんはこの三週間甘えるシュエをあやしたり卵の世話をしたりと大変だっただろうし、疲労が溜まっていそうだ。
帰ったら、しばらくは休ませてあげないとね。
そんなことを考えながら、シュエのことを励ますことにした。
感想ありがとうございます。




