第五話:疲れ知らずな身体
しばらく自分の考え方の乖離に苦しんでいたが、月が昇り、夜も更けてくる頃になるとようやく落ち着いてきた。
動物相手でも殺しに対して忌避してしまう感情と、これが普通だ、当たり前だと思う感情。こんな矛盾した二つの考えが浮かんでくるのはひとえに自分が考えた設定のせいだろう。
別にこのキャラが動物を殺すことに快感を覚えるだとか、殺人鬼だとか、そういうわけじゃない。関係しているのは恐らく、『熟練冒険者だ』という設定だろう。
『スターダストファンタジー』のシステム上、冒険者は一つのシナリオをクリアすると報酬として経験値を貰い、それを使ってレベルアップしていく。貰える経験値はそのシナリオでどれだけ魔物を倒したか、どれだけパーティに貢献できたか、そして、どれだけ目標を達成できたかによって変わってくる。
序盤であればシナリオ一つクリアすればよっぽどのことがない限りレベルが一つ上がるくらいの経験値を得ることになる。そして、レベルが上がるごとにレベルアップに必要な経験値は増えて行き、次第にシナリオを二つ三つクリアしないとレベルが上がらなくなってくる。
今の俺の姿であるアリスはレベル三十。シナリオ数で言えば四、五十くらいの場数が必要となる。つまり、それだけ戦闘の回数も増え、敵の死に慣れているはずなのだ。
だから、魔物が死ぬ姿を見ても平然と構えてられるんじゃないだろうか。
魔物が蔓延る世界であればいちいち死に対して驚いていては身が持たないだろうし、冒険者として考えるなら理に適った性格なのだろう。しかし、では俺の精神はどうなるのだろうか。
今、俺は自分が俺だと認識している。体は全く別人になってしまったが、心だけは自分のままだと思っている。
しかし、今回のことで精神にも設定が絡んでくることがわかった。とすれば、俺は俺のままであると言えるのだろうか?
この先またこういうことがあるかもしれない。そんな時、俺はまた平然と弓を射るのだろうか? ……恐らく射るのだろう。そういう設定だから。
自分が自分で制御できない。こんな怖いことってあるだろうか。いつか、悪人だからという理由だけで人間すら殺してしまうことになるのではないだろうか。もしそうだとしたら、俺は俺のままでいられる気がしない。
なんとか自分の精神を守る方法を見つけなくてはならない。設定どおりに動くだけでなく、しっかりと自分の意思を通せるようにならなくては。
俺はぐっと決意を固め、強い意志を持とうと意識した。
「……ひとまず、寝るの」
あれやこれや悩んでいる間に辺りはすっかり真っ暗である。
もしかしたらさっき倒した魔物の血で他の魔物が寄ってくるのではないかとも考えたけど、考えている間寄ってこなかったのだから近くにはもういないのだろう。改めて耳を澄ませてみても足音は聞こえないし、しばらくは大丈夫とみて間違いない。
テントに入り、弓を傍らに置いて毛布にくるまる。
そういえばお風呂に入れていないなと思ったけど、こんな草原のど真ん中でお風呂なんてあるはずもなく、夢のまた夢かと諦めた。
初めてのテントでの寝心地ははっきり言っていいものではなかったけど、割とすぐに眠りにつくことが出来た。
翌朝、もそりと起き出すと、テントから出て空を見上げる。
まだ朝早いのか、辺りにはうっすらと霧が発生しており、しっとりとした空気が顔に張り付いてきた。
心配していた雨も降ることはなく、快晴に近い空。このまま天気が崩れなければいいのだけど。
朝食代わりに干し肉をしゃぶりながら手早くテントを片付ける。さて、今日も町を目指して歩いていこう。
「えっと、こっちなの?」
太陽の位置から昨日まで歩いてきた方向を確認する。
今日こそは見つかるといいんだけど……。
微かな希望を持ちながら立ち上がると、一歩を踏み出した。
歩き続けること数時間。未だに景色は変わらない。
距離にしたら多分二、三十キロは歩いていると思うんだけど、一体この草原はどこまで続いているのやら。
進む方向を変えた方がいいのだろうか。でも、あまりフラフラすると遠回りになってしまう可能性もあるし、あまり進路を変えたくない。
まあ、もしかしたら進路を変えた瞬間町が見つかりました、なんてこともあるかもしれないけど、どちらの可能性を取るべきか……。
これだけ歩いても疲れない身体というのは便利だけど、いい加減飽きてきたところだ。
というか、さらっと疲れない身体って言ってるけど、どれくらい疲れないのだろうか。
少なくとも、元の俺だったら数時間も歩いたら足が痛くなっているところだ。
試しに少し走ってみる。すると、軽く走っただけにも拘らずかなりのスピードが出てしまった。
「もしかして、敏捷が関係してるの?」
キャラにはそれぞれ能力値というものが存在している。その能力値とは、筋力、体力、器用、敏捷、精神力、知力、魅力、そして運の八つだ。
これらはキャラ作成時に種族やクラスなんかの補正を含めた値で算出され、筋力は攻撃力に、知力は魔法攻撃力に影響すると言ったようにそれぞれの能力によって特徴がある。
その中でも敏捷は素早さに関係し、高ければ高いほど身軽で動きが早いということになる。
アリスは獣人という種族の関係上、敏捷に補正がかかっている。その上レベルアップ時のボーナスによる能力上昇やパッシブスキルによる能力上昇でも敏捷を上げているので、他の能力値に比べて敏捷は飛びぬけているのだ。
また、体力は敏捷と比べればあまり能力を振っていないが、種族の関係で補正がかかっているおかげもあって数分走り続けても息が上がらない。むしろ、体が軽くて少し楽しくなってきた。
「どこまで走れるか試してみるの!」
調子に乗ってどんどん加速し、もはや自動車に並ぶのではないかと言われるくらいのスピード。
吹き抜ける風や流れていく景色が面白くて夢中で走り続けていると、しばらくしてようやく疲労感が出てきた。
ちょっと調子に乗りすぎたかなと自制し、速度を落として歩きに切り替える。
夢中で走っていたせいか、どれくらい走っていたのかはわからないが、太陽の位置から考えると一時間以上は走っていたんだろうか?
あんな速度で一時間以上走ってようやく疲れてくるとかこの体のスタミナはどうなっているのやら。
そう考えて、ふと『スターダストファンタジー』での一般人のステータスを思い出す。
確か、普通の農民とかでレベル一の冒険者よりもステータスが低かった気がする。もちろん、種族補正とかでたまに上回る時はあると思うけど、基本的にはそれくらい。
そして、レベル一の冒険者とレベル三十の冒険者であればステータスの差は相当なものになる。それを考えると、この体は一般人の数十倍の体力があるということだ。
うん、冒険者って化け物だよなと思っていたけど、これは確かに化け物だ。
まあ、その化け物を圧倒してくる敵もいるからどっちもどっちな気がするけど。
さて、それはさておき、この体は間違いなく『スターダストファンタジー』のままのアリスだということがわかった。
身体能力もスキルも考え方も何もかも。考え方まで設定通りなのはあれだけど、身体能力に関してはありがたいことだ。
もし、これが俺の元の身体のままでこんな場所に放り出されていたら最初の一日すら無事に明かせていたかどうかわからない。持ち物だってなかっただろうし、その点ではアリスとなったことに感謝しなければならないだろう。
「他のみんなは、どうなったんだろう?」
思い起こされるのは一緒に『スターダストファンタジー』をプレイしていた友人三人の姿。
もし、俺がこうやってアリスとしてこんな場所に放り出されているのが『スターダストファンタジー』をやっていたせいだとしたら、他のみんなも同じような状態になっているかもしれない。
みんなのレベルは五。初心者冒険者よりはよっぽど強いけど、それでも俺よりは厳しい状況のはずだ。だとしたら、すぐにでも見つけて助けてあげなくてはならない。
そのためにもまずは町だ。
あれだけ走っても未だ影すら見えない町を目標に今日も歩き続ける。
果たして見つけることが出来るのだろうか。
感想ありがとうございます。