第四百四十九話:身代わり
〈とにかく、禊の邪魔になるから、退散してくれないかしら? 気づいていないかもしれないけど、あなたのせいで禊の時間が増えてしまっているのよ?〉
〈こんな人の人格を否定する禊なんて終わらない方がましなの〉
エキドナは動かない。優しくシュエを抱きしめながら、こちらに向かって微笑んでくるだけだ。
エキドナのステータスだが、一応知っている。
幻獣王エキドナとしてネームド扱いされており、ネームドの中でもかなり上位に位置する存在である。
粛正の魔王が一番強いのは当然だけど、エキドナも上から数えた方が早いくらいには強いのだ。
俺のレベルもかなり高いが、果たしてソロでどこまで行けるか……。
〈困った子ね。禊が終わらなければ、いつまで経っても帰れないわよ?〉
〈私が欲しいのは、シュエというリヴァイアサンなの。記憶をすべて忘れて、まっさらになったリヴァイアサンが欲しいわけじゃないの〉
〈? どちらも同じものではないかしら?〉
〈それがわからないなら、所詮は幻獣もただの魔物なの〉
俺達は別に見た目がこうだから仲間だと認識しているわけではない。
いや、確かに見た目も重要ではあるが、大事なのは中身である。
その人の性格、癖、思い出など、見た目が同じでも中身が違ったら何の意味もない。
シュエの記憶を消すということは、シュエという人物を殺すことに他ならない。
しかも、それを悪いと思っているならまだしも、何が悪いのかわかっていないっていう様子なのが余計に気に食わない。
人間と幻獣じゃ考え方が違うのは当然かもしれないけど、幻獣の母だというなら、子供の願いくらい正確に把握しろというものだ。
〈魔物と同じとは心外ね。彼らよりは強いわよ?〉
〈別に強さの話じゃないの。本能に生きているっていう意味でなの〉
〈ふふ、随分と強気なのね。人族は幻獣を崇める者だと思っていたけれど、この数千年で忘れ去られてしまったのかしら?〉
〈幻獣信仰なんてとっくに廃れてるの。いつまでも過去の栄光に縋ってんじゃねぇの〉
まあ、もしかしたらまだあるかもしれないけどね。
エキドナの言い方からすると、恐らくこの世界に残っている幻獣はドラゴンくらいなものだろう。だから、ドラゴンを信仰する人ならばもしかしたらいるかもしれない。
けれど、仮にいたとしても、それはすなわちエキドナを信仰しているというわけではない。
子の功績は親の功績と言わんばかりに、当然のように享受する姿勢なのは元々なんだろうか? まあ、どっちにしろ今は何の意味もないものだけど。
〈おかあさんをいじめちゃだめ!〉
〈別にいじめてないの。ちょっと舌戦してるだけなの〉
〈ぜっせ? んぅ?〉
〈気にしなくていいの〉
〈わかったー〉
シュエは素直に大人しくしている。
下手に刺激してエキドナ側に付かれても困るから、挑発はこの辺にしておこうか。
とはいえ、まだ全然時間が稼げていない。せめて、みんなが来るまでは持たせたかったけど、これは強硬手段を取るのもやむなしか?
〈何がそんなに気に食わないのかわからないけれど、リヴァイアサンを復活させたくないというのはわかったわ〉
〈わかったならさっさとシュエを返すの〉
〈でも、リヴァイアサンは必要なものなの。人の世界にいたリヴァイアサンによって海の平和が守られていたことを知らないのかしら?〉
〈知らないの。でも、だからと言ってシュエは差し出せないの〉
〈あらあら、融通が利かないのね。わかったわ、なら一つ提案をしましょう〉
そう言って、エキドナはこちらに近づいてくる。
何かされるのかと身構えたが、ある程度まで近づくとその歩みを止め、囁くような小さな声でこう言ってきた。
〈この子がそんなに大事なら、あなたが代わりになってくれてもいいのよ?〉
「……え?」
その言葉に、思わずきょとんとしてしまった。
俺が代わりに? いや、俺は獣人だぞ? リヴァイアサンの、幻獣の代わりになれるはずがない。
……いや、ありえるのか? エキドナの能力を使えば、それも可能なのだろうか。
というのも、エキドナのスキルの一つに、【遺伝子操作】というものがある。
エキドナの持つ数ある遺伝子を対象に注入し、対象の種族を好きな種族に変更することができるというスキルだ。
エキドナは特定の種族にのみ効果のあるスキルを多数取得しており、その条件を満たすために使われるスキルではあるが、現実的に考えるなら、種族を変えるって、やばいことだよな。
これで種族を【幻獣】に変更すれば、俺が代わりになることも、できるということかもしれない。
……いやいやいや、ねぇから! シュエのためとはいえ、俺が代わりになる必要はどこにもない!
〈お、お断りするの……〉
〈そう? でも、あなたが代わりになってくれたら、この子は何もしなくて済む。あなたは、それを望んでいたのではない?〉
〈ぐっ……〉
確かに、シュエは取り戻したい。無理矢理という形だったと思うとはいえ、シュエも頷いたのだから、同意は得られていると言ってもいい。
それを、こちらの我儘で撤回させるのだから、何かしらの対価は必要になるだろう。
それが、代わりの人材ということなら、俺が代わりになるのもありなのかもしれない。
しかし、俺が代わりになってしまったら、それこそ意味がない。
仮に、シュエが記憶を取り戻して戻ってきたとしても、俺が居なかったらシュエに同じ思いをさせるだけだし、俺が記憶を失ってしまったらレベル上げの機会を失うことになる。
なんだかんだ、今まで俺以外にゲームマスターの能力を持つ者はいなかった。だから、俺がいなくなってしまうと、魔王を倒すのにかなりの支障をきたすことは明白である。
シュエは助けたいが、その身代わりが俺では意味がない。もちろん、他のみんなもだ。
〈み、みんなで帰らなきゃ意味がないの。私達は、魔王を倒してみんなで帰るの!〉
〈あら、魔王を倒すつもりなの? 随分と無謀なことを考えるのね。私の子達ですら、歯が立たなかったのに〉
〈それでも。それが使命だから〉
〈そう。ならなおさら、リヴァイアサンは必要ね〉
〈ど、どうして……〉
〈確かにあなたは強そうに見えるけれど、所詮は人族。幻獣の力には及ばないわ。戦力として強力なリヴァイアサンは必要になるんじゃないかしら?〉
確かに、エキドナの言うことも一理ある。
当時、レベル5だったシュエでさえ、貿易ルートを封鎖し、周囲の魔物相手に無双できるくらいの実力を持っていたのだ。きちんと育成すれば、俺達以上の戦力になってくれることは間違いない。
しかし、エキドナのことだから、てっきりもう失うのは嫌だと戦場に駆り出すのは渋ると思ったんだけど、そう言うわけでもないんだろうか?
減ったら増やせばいいという考えなんだろうか。そうだとしたら、まじで種族としか見てないような気がするけど。
〈私達をあまり舐めないでほしいの。確かに魔王は強大だけど、私達だけでもやれるの〉
〈自信があるのね。自信を持つことは素敵よ。でも、自信を持つのと無謀なのは全くの別物。そもそも、今はじっとしている魔王に手出しをしようというのが間違っているわ。あなたは、また世界を終わらせたいの?〉
〈無謀でも何でも、やらなくちゃならないの。私達は、帰らなくちゃならないの〉
魔王を倒し、必ずや元の世界に帰る。それが、俺達の目的だ。
確かに、俺達が魔王と戦うことによって、この世界は再び危機に瀕してしまうかもしれない。それによって、多くの人達が亡くなってしまうかもしれない。
神様より授かった使命とはいえ、自分達の目的のために無関係の人達が死んでしまうのは心が痛む。
しかし、だからと言って放置していては、いずれ復活するであろう魔王によって世界は再び崩壊するに違いない。
神様が決死の想いで送り込んだ俺達がやらなくてはいけないのだ。
この世界のため、そして、俺達のためにも。
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