第四百四十五話:幻獣の母
結界を通り抜けると、空気が変わったような気がした。
外から見えてきた景色と何か変わりがあるわけではない。ただ、自然の力に溢れているというか、濃度が高いというか、人の住む場所ではないと感じ取れた。
でも、別にそれが嫌なわけではない。むしろすがすがしい気持ちになり、草むらに寝転がって昼寝したい、みたいな感覚に襲われる。
少なくとも、魔王が突然襲い掛かってくる、なんていう風には思えなかった。
「なんというのでしょう、ほのぼのしている? とでも言えばいいんですかね」
「ほのぼのっつうか、平和って感じか? 戦争とは無縁って感じがする」
「何となく心地がいいよね。エルフの森に似てる気がする」
みんなもおおよそ同じようなことを感じているらしい。
確かに、自然豊かでとてもいい場所に見える。草原は青々と茂っているし、森は緑に溢れている。
多分だけど、ここには季節の概念がないんだと思う。だって今は冬間近だし、こんなに青々とした緑があるのはおかしい。気温も暖かいみたいだし、気分的には春だな。
〈あー、んー? なんというか、懐かしい感じがするな〉
「懐かしい、なの?」
〈ああ。俺はこの場所を知っているような気がする〉
ノクトさんは本来の姿で飛び回りながら、そんなことを言った。
ノクトさんはプレイヤーだから、この場所が懐かしいなんて思うはずがない。感じるとしたら、それは設定の影響だろう。
しかし、ノクトさんの備考欄を見ても、この島に関することは書かれていなかったような気がする。
となると、幻獣だからこそ感じる懐かしさってことだろうか。
もしかしたら、この島は幻獣にとって特別な場所なのかもしれない。
「ひとまず、シュエを探しましょうか。アリスさん、何か感じますか?」
「ちょっと待つの。……多分、あっちだと思うの」
俺は耳を澄ませ、シュエが居そうな方向を探る。
この島は自然に満ちているせいか、いろんな自然の音が聞こえた。むしろ、その他の音が聞こえなさすぎる。
普通、これだけ自然豊かなら、野生動物の一匹や二匹いてもおかしくない。でも、今はそれらの音が全く感じ取れなかった。
強いて上げるとしたら、今示した方向に、何かの気配を感じるということ。
それがシュエかどうかはわからないが、導けるとしたらそれくらいしかなかった。
「とりあえず行ってみっか。この島が何なのかも調べなきゃならないし」
「どんな場所なんだろうね」
勘に等しいものではあるが、それを頼りに足を進める。
入ったのは草原だったが、音が示しているのは森の中。
少し歩いているだけでも、この森は宝の山だとわかる。
普通ではまずお目にかかれないような貴重な薬草や、木に生る果物。野生動物の姿こそないが、だからこそそれらはとても魅力的に見えた。
ただその過程で、この島に全く生き物がいないというわけでもなさそうだということがわかった。
そこらには、食べかけと思われる果物が落ちていたりしたし、獣道もたくさんあった。
恐らくだけど、俺達が入ってきたことに気づいて、みんな隠れているんじゃないだろうか?
あれだけ結界をいじくっていたんだから、結界を張っていた主からすれば感知できてもおかしくはない。
それで、何者かわからないから避難しろ、という風に言ったのかもしれないね。
結界を張れること自体もそうだし、この島を治める者がいるのかもしれない。
プレイヤー? シュエやノクトさんと同じような、人外のプレイヤーがいるのだろうか。でも、いつ現れるかもわからない幻の島を拠点にするのもおかしな話である。
たまたま幻の島が最初の地点だったとしても、それだと全く移動していないことになるしな。
普通に考えれば、幻獣に関係がある何者かってことになるだろうか。
……バハムートとか? 幻獣神とか呼ばれている最強の幻獣だけど、もしあれを相手にするとなったら面倒くさいなぁ。
「ここですか」
音を頼りに進んでいると、目の前に洞窟が現れた。
自然にできた洞窟のようで、辺りには蔦が生い茂っている。
ここまでくると、音もはっきりしていて、この奥に何者かがいるのがはよくわかった。
あちらも恐らくこちらの存在に気付いている。でも、動く様子はないから、待っていてくれているのだろう。
わざわざ出迎えてくれるのは嬉しいが、穏便に話が済むといいのだけど。
意を決して、俺達は洞窟の中へと足を踏み入れる。
時折、ぽたぽたと水滴が落ちる音を聞きながら進むことしばし、ようやく音の主と思われる物を目の当たりにすることになった。
〈ようこそおいでくださいました。歓迎しますよ、人間達〉
そこにいたのは一体の幻獣だった。
上半身は人間の女性のように見えるが、その下半身は獣のようでありながら、鳥のようでもあり、蛇のようでもある。
いや、そのすべての要素を取り込んでいるのだろう。おおよそこちらには理解できない、不気味な形をしていた。
理解できない下半身と、美しい女性の上半身。そのギャップがすさまじいが、その特徴を持つ者に俺は心当たりがあった。
すべての幻獣の母とされ、頂点に立つ幻獣の女王。子らが活躍するばかりで本人はほとんど表舞台に出てこないが、すべての幻獣から尊敬を集める者。
その名はエキドナ。幻獣王エキドナである。
〈エキドナ、様……?〉
〈ああ、我が子も一緒だったのですね。道理で結界を突破できたわけです〉
〈え、え……?〉
ノクトさんはエキドナの姿を見て、困惑の表情を浮かべている。
まあ、そりゃ無理もないか。エキドナはすべての幻獣の母であり、尊敬される幻獣。幻獣は皆、生まれた時からエキドナのことを慕っており、決して裏切ることはない。
だから、無意識のうちに敬ってしまうのだろう。仮に、中の人が望んでいなかったとしても。
ノクトさんの方にそう言う設定が書いてあるわけではないが、これはノクトさんが幻獣であるという事実がある限り変わらない。
これは、変に言質を取られると面倒くさいことになりそうだ。
〈さて、我が子の帰省は喜ばしいですが、こうして人間達まで連れてきたのは一体どういった理由があるのでしょう? 説明してもらえますか?〉
〈は、はい……〉
ノクトさんは言われるがままに説明を始める。
自分でも、なんでこんなに素直に喋ってるんだと思っていそうだが、これは仕方のないことだ。
まあ、これに関しては別に隠すようなことでもない。
魔王が出なかったというだけで十分ましである。
〈なるほど、シュエというリヴァイアサンの子を探しに来たと〉
〈は、はい、その通りです〉
〈ええ、確かに先日、彼女はここにやってきましたよ〉
〈ほ、ほんとですか!?〉
どうやら、シュエがここに来たのは間違いなさそうだ。
しかし、今この場にいるのはエキドナただ一人。他の幻獣もいそうだし、それらはどこに行ったのだろう?
〈それで、シュエは今どこに?〉
〈今は私の手伝いをしてもらっています。今はちょっと忙しいので会えませんが、いずれ会えるようになりますよ〉
〈よ、よかった……〉
ノクトさんはそう言ってほっと胸をなでおろす。
シュエはどうやらエキドナの手伝いをしているらしい。まあ、シュエも幻獣だから、エキドナに頼まれたら断れないだろう。
いったい何をお願いされたのやら。聞いたら答えてくれるだろうか?
〈エキドナ様、質問してもいいの?〉
〈あら、言葉がわかるのね。いいわよ、何が聞きたいの?〉
〈シュエは、一体何をしているの?〉
エキドナは俺が幻獣語を喋ったことに驚いたようだったが、すぐに持ち直して答えてくれた。
しかし、その答えはあまり想像していないものだった。
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