幕間:剣は弓より強し
マリクスの警備隊長、エルドの視点です。
マリクスの町は南方に広がる未開拓地域の開発のために作られた町だ。
以前は多くの冒険者や調査団が集結し、賑わいを見せていたが、未開拓地域の範囲があまりに広く、また数多くの魔物が生息することから開拓は打ち切られ、次第に町から人が離れていった。
後に残ったのは引くに引けなくなった冒険者や最低限魔物の噴出を防ぐために残された国の兵士のみ。町の規模こそそのままだったが、気が付けば辺境の寂れた町として地図に名を残すことになった。
しかし、今ではこの町の生活は案外悪くない。というのも、この地域一帯を取り仕切る領主が非常に優秀だったからだ。
シュテファン辺境伯。かつては王国の騎士として多くの戦場で功績を上げた優秀な人物だったが、戦場で今の奥方であるミラ様に一目惚れし、敵前逃亡。その責任を取って、この地に左遷されることになった。
聞けば、領主様の先祖も似たようなことをして左遷されたという。血は争えないな。
さて、そんな愛のために敵から逃げてしまうような腑抜けであっても能力は優秀で、その力は内政にも発揮された。
こんな辺境の地で人も少なく、税収もあまり期待できないというのに他の領地とは比べ物にならないくらいの税の低さ。加えて、難民の受け入れや町の整備、兵士の育成も自ら進んで行っており、住民からの信頼は厚い。
俺もそんな領主様に惚れ込んだ一人である。
一介の傭兵でしかなかった俺を兵士として起用し、自らが培った騎士としての技術を余すことなく伝え、一端の剣士に育ててくれた。
今の俺があるのは領主様のおかげだ。領主様のためならば俺は命を捨てる覚悟がある。
気が付けば警備隊長にも任命され、隊長として恥じないように鍛錬にも力を入れてきた。
だが、そんな折に妙な奴が訓練に口を出してくることになった。
「初めまして、私はアリスなの」
まだ成人もしてないような兎族の少女。背中に大きな弓を背負ってはいたが、とてもじゃないが扱えるとは思えなかった。
領主様はこいつを新しい弓の指南役として訓練に口を出させるらしい。
正直、意味がわからなかった。
その後見せられたデモンストレーションにより、この少女が多少なりとも【弓術】を扱えることはわかった。しかし、そもそも兵士に必要な技術は弓ではなく剣や槍であり、接近されたら何もできない弓の訓練をする意味がわからなかった。
領主様が言うには、最近砦勤めのゼフトの部隊が壊滅しかけたらしい。この少女はそれを救った恩人であり、弓の有用性に気付かせてくれた要因の一つであるという。
なるほど、確かに砦に籠って戦うなら弓でも多少は戦えるだろう。近づかれさえしなければ弓の圧倒的な射程は魅力があるかもしれない。
だが、それは砦での話。例えば、街中で犯罪者が現れた時、いちいち弓を準備する暇はないだろう。瞬時に構えられたとしても、弓には誤射の危険が常に付きまとう。
そんな不安定な武器では犯罪者を止められないし、その間に人質でも取られたら最悪だ。そうなるくらいなら、さっさと接近して剣で脅しつけた方が何倍も効果がある。
所詮弓は不意打ち気味に使わなければ効果のない欠陥品だ。そんなものを練習するくらいなら、剣術をより極めた方がましだ。
だが、その考えはある日打ち砕かれる。
「じゃあ、弓が剣より強いと証明すればちゃんと聞いてくれるの?」
領主様の目がある時は仕方なく弓を練習していたが、そうでない時はずっと剣の訓練に明け暮れていた。そんな俺に対して弓をしっかり学ぶように諭してきたのだ。
なんだかんだで模擬戦することになり、期せずして剣の優秀さを示す時がやってきたのだ。
俺には自信があった。槍の腕前ではゼフトには敵わないが、剣ならば俺に勝る奴はいない。だからこそ、警備隊長という重要な役割を与えられたわけだし、その力に誇りを持っていた。
弓使い相手に剣を使って一対一。どう考えても負ける要素なんてなかった。そのはずだったのに……。
「これで満足なの?」
結果は惨敗。俺は一太刀も浴びせることが出来なかった。
あれは異常だ。人間技ではない。
確かに、獣人は身体能力が高いと聞く。しかし、武器の扱いに関してはむしろ苦手な方で、狙いの正確さが求められる弓を使う獣人なんて聞いたこともなかった。
この少女は狙いの正確さだけじゃない。その速度も、気転も、立ち回りも何もかもが常軌を逸していた。
たった10歳程度の少女がなぜこんなことをできる? 一体どんな修行をしてきたらそんなふうに動くことが出来る?
俺は認めざるを得なかった。もはや弓云々ではない、アリスという少女の異様さに屈服するしかなかったのだ。
結局、俺はその後弓の訓練を真面目に受けることになった。
弓より剣の方が優れているという考えは変わらない。しかし、弓も意外と可能性はあるんだということはわかった。こんな数日に一回程度の練習でうまくなるとも思えないが、知識として知っている分には役に立つのではないかと思ったのだ。
そうして数か月。どうなったかと言えば……予想外なことになった。
「さて……」
俺ははるか先にある的に向かって弓を構える。以前はもっと近い場所で射ていたが、今ではこのくらいの距離がなければ物足りなくなってしまった。
ひゅっ、と矢を放つと、放たれた矢は吸いこまれるように的の中央に命中する。人であればちょうど心臓の位置だ。致命傷は免れない。
「まさか、ここまで成長できるとはな……」
真面目に練習に励めば【弓術】スキルを修得するのは簡単だった。元々、スキルというのはそのスキルに見合った行動を続けていれば自然と修得することが出来る。数日弓を練習すればスキルを得られるのは当然の事だった。
しかし、たった数か月のうちに弓の腕はどんどん成長し、気が付けばこんな長距離の的にも平然と当てられるようになっていた。
これは明らかにおかしい。スキルを修得すること自体は割と簡単ではあるが、スキルレベルを上げるのは相当な時間がかかるものだ。
俺のスキルレベルは鑑定石がなければわからないから正確に何レベルかはわからないが、少なくとも3は超えているだろう。
俺の【剣術】は幼少の頃からコツコツと上げてきて今では6に到達している。正確には覚えていないが、確か3に上がったのはここで領主様から教えを受けてからだったはずだ。
もちろん、幼少期の修行などたかが知れているし、今ほど濃密な修行は行えていなかっただろう。それでも、【剣術】をレベル3に上げるのに数年の月日が必要だったのだ。
それがたったの数か月で同レベルまで上がっている。この速度は異常と言えた。
あの少女が提案した魔物を相手にした実戦訓練が功を奏したのだろうか。だとしても、異常な成長速度であることに変わりはないが。
最近では【弓術】以外にも【剣術】や【槍術】も同時に訓練を行っている。何か指針があるのか、あの少女の指示は的確だ。
冷静になって周りを見てみれば、つい数か月前までは役立たずだった者が一端の戦士へと急成長している。怪我で臥せっていた者も、才能がなく成長に伸び悩んでいたものも例外なくすべて強くなっていると実感できる。
訓練の仕方一つでこうも変わるのかと、俺は戦慄すら覚えた。
あの少女は何かおかしい。まるでこの世界の理から外れたような、未知なる存在のように思えた。
「隊長、早く行きましょう!」
俺の部下が気さくに声をかけてくる。気が付けば、口を開けばアリス様がどうのというような奴になってしまった。
あの少女は間違いなく兵士達にとっての希望だろう。たとえ俺が認めなくても、他の兵士は縋るに違いない。それを悲しくも思うし、当然のことだとも思った。
俺は道を示された。兵士として、一人の人間として、より高みへと連れて行ってもらえた。
くだらないプライドなど捨ててしまおう。あの少女を支持するつもりはないが、領主様のためにはなるはずだ。
俺は自嘲気味に笑って部下の後を追う。さて、今日もしっかり弓の練習をしないとな。
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