第三十四話:怪我人
そろそろ戻ろうかと腰を上げた時、不意に兎耳に何やら騒がしい声が入ってきた。
方角的には北門のあたりだろうか。ざわざわとざわめく中に大声を上げたり走り回る音だったりが入り混じっている。
この町は外から入ってくる人がほとんどいないから割と静かな印象がある。寂れているというわけではなくて、町の人々がみんな知り合いみたいなアットホームな感じの雰囲気だけどな。
時たま森で大物を取ってきた時だったり、珍しく吟遊詩人がやってきて歌を披露してくれたりと、ちょっとしたイベントで盛り上がることはあるが、基本的にはあまり騒ぐことはない。
それなのにこの慌てよう。何かあったに違いない。
「何かあったみたいなの。ちょっと行ってくるの」
「何かって?」
「わかんないの。一緒に行くの?」
「うん、いく」
可能性として、森から魔物が襲ってきたという線があるが、ここ最近は森の魔物は訓練の一環でほとんど討伐しているし、そうそう出てくるはずもない。だから、あるとしたら怪我人か病人が出たってところではないだろうか。
危険はないだろうし、ミーアちゃんと一緒に行っても多分大丈夫のはず。
もし仮に魔物が来たのだとしても、休憩中とはいえ弓は持ってきている。そうそう後れは取らないはずだ。
「こっちなの。急いで」
俺はミーアちゃんの手を取り北門へと急ぐ。
駆け足で通りを駆けていくと、次第にミーアちゃんの耳にも喧騒が聞こえてきたのか、少し表情を硬くしていた。
北門に辿り着くと、そこには数人の人だかりができていた。何人かの人は医者を呼んで来い、だとかポーションはないか、とか叫んでいる。どうやら怪我人がいるのは間違いないようだ。
「何があったの?」
「あ、アリスさん! それが……」
知り合いの兵士がいたので話を聞くと、兵士はそっと道を開けて現状を見せてくれた。
そこに倒れていたのは血まみれの男性。一応革の胸当てなどはしているが、ほとんど一般服と言っていい軽装だ。どうやら肩口から爪のようなもので引き裂かれたらしく、胸や腹を中心に大量に出血している。
というかこの人見覚えがあるな。訓練している兵士の一人だ。
「こいつ、子供が病気っていうんで森に薬草を取りに行くって言って出てったんですが、その後に森に入った奴がこんな有様のこいつを見つけまして……」
「こんな軽装で森に入ったの?」
「はい。最近は弓の腕前も付いてきたし大丈夫だろうって」
それで返り討ちにあったってわけか。
そりゃ確かに【弓術】に関してはみんな最低でも2以上はあるから、猟師として活動できるくらいには弓の扱いはうまいけど、いくらなんでもこんな軽装で行くなんて無茶だ。
森の浅瀬の魔物はほとんど狩りつくしているはずだから、ここまでの大怪我を負う相手と遭遇したと考えると大型の動物にでも襲われたか、まだ狩りつくせていない奥地に行ったかだ。
どちらにしても、一人で戦っていい相手ではない。油断や慢心はダメだと注意はしていたが、まさかこんな形で怪我人が出るとは思わなかった。もっと真剣に注意していればこんなことにはならなかったかもしれないのに……。
「とにかく治療するの」
俺は男性の下に近寄ると、そっと手を添える。
【ヒールライト】
暖かな光が男性の身体を包み込んでいく。しばらくすると、大きく抉られていた傷は跡形もなくなくなっていた。
「こ、これは……」
「怪我は治したけど、多分血が足りてないの。目が覚めたらちゃんとしたものを食べさせて、少し安静にさせてあげるの」
「わ、わかりました!」
見た目にはまだ血まみれの状態だけど、あれは返り血だから問題ない。
一応、増血を促すスキルもなくはないけど、今回はやらなくていいだろう。これに懲りて慢心しないことを願うばかりだ。
「さて、この人の家族の方はいるの?」
「さっき呼んでたのでそろそろ来るかと」
そう言った通り、すぐに奥さんと思わしき女性が息を切らせてかけてくるのが見えた。
男性のことはこれでいいけど、まだこれで終わりじゃない。まだやるべきことは残っている。
「あなたが彼の奥さんなの?」
「は、はい……あ、あの、主人は……」
「大丈夫なの。ちゃんと治療はしたの」
「よかった……」
ほっと胸を撫で下ろす奥さん。安心したのか少しふらついたのを近くの男性が支える。
「旦那さんはもう大丈夫なの。それより、お子さんが病気と聞いたの」
「え、あ、はい。先日から寝込んでいまして……」
「私が診るの。案内してほしいの」
「え、え?」
俺は奥さんの腕を強引につかんで家へと案内させる。
もちろん、兵士達に頼んで旦那も連れてきてもらうことを忘れない。もう傷は治っているし、家があるならそっちで休んだ方がいいだろうしな。
戸惑いながらも奥さんが案内してくれたのは一軒の家。この町ではいたって普通の作りをした家だった。
俺は早速中に入り、子供を見せてもらう。
「あの、うちにはあまりお金がなくて……」
「お金のことは気にしなくていいの。とにかく診せるの」
お子さんはどうやら5歳くらいのようだ。熱があるのか、たまに呻き声を上げている。
俺は医者でもなんでもないから病気のことはわからない。だけど、病気を治す術なら知っている。
というのも、取ったはいいが今まで使い道のなかった【プリースト】のスキルが今回のケースにぴったりなのだ。
そのスキルの名は【キュア・ディジーズ】。病気を治すためのスキルだ。
本来の効果は特定の場面でのマイナス効果を打ち消す、と言ったものだが、フレーバーとして大抵の病気を治すことが出来るという一文がある。だから、普通の病気だったらこれで治すことが出来るのだ。
この世界の医療レベルはたかが知れているし、病気になった時に対処するスキルは必須と言える。現代では簡単に治療できる病気も昔は死の病だったなんてことはよくある話だしな。
「今治してあげるの」
【キュア・ディジーズ】
そっと子供に触れながらスキルを意識すると、子供の身体がふわりと一瞬光った。
すると、子供は次第に安らかな呼吸を始め、すやすやと心地よさそうな寝息を立てて眠ってしまった。
「な、治ったのですか?」
「これで大丈夫のはずなの。念のためしばらく様子を見て、またぶり返すようなら知らせてほしいの。また見に来るの」
「あ、ありがとうございます!」
子供の治療は完了。これで一人で森に入っていくなんて馬鹿なことをすることもなくなるだろう。
一段落終えて伸びをしていると、ふと視線を感じた。振り返ると、そこには信じられないものを見るような目で俺の事を見つめてくるミーアちゃんの姿があった。
「【治癒魔法】……しかも、あんな酷い怪我や病気まで一瞬で治せるレベルの治癒魔法なんて……」
どうやら俺が怪我や病気を治療したことがショックだったらしい。
そういえば、この世界の治療事情ってどうなってるんだろう? 魔法はあるのだし、治癒術師みたいなものがいるのだろうか。
まさかいないってことはないだろう。さっきも医者を呼んで来いとか言ってたわけだし。
とにかく、そこまで驚くようなことでもないと思う。
「ミーアちゃん、帰るの」
放心状態のミーアちゃんの手を引いて帰路につく。
そろそろ午後の訓練が始まる時間だし、急がなければ。
感想ありがとうございます。
 




