第三話:収納と生理現象
当てもなく歩き続けるというのは苦痛なもので、歩けどもあるけども建物影すら見えてこない現状に俺はすっかり萎えてしまっていた。
もうかれこれ三時間以上は歩いただろうか。今の俺の膝上くらいある背の高い草を掻き分けながらとりあえずまっすぐ歩いているのだが、一向に景色が変わらない。
そもそもこの先に町はあるのか、もしかして未開の地にでも迷い込んでいるんじゃないだろうか、そう言った不安がさらに気持ちを沈ませてくる。
幸いというかなんというか、これだけ歩いているのに疲労感はほとんどないのが救いだ。熟練冒険者という設定が生きているのだろうか、この体は歩くことには慣れているようである。
しかし、それでも身体は人間……いや、今は獣人か、の物。歩いていればエネルギーを消費するもので、だんだんお腹がすいてきた。
まだ耐えられるほどだが、いずれそうも言ってられなくなるだろう。このまま町が見つからなければそのまま餓死なんてこともあり得る。
「確か、アリスは持ち物に食べ物系のアイテムを入れていたような気がするの」
キャラを作成する際には一定の金額を渡され、それを使って武器や防具、アイテムなどを揃えることになっている。
アリスはNPCとして作ったキャラではあるが、一応はお助けキャラ。キャラ付けとして熟練冒険者にふさわしいアイテムは用意してあった。
しかし、見たところ鞄やリュックのような収納袋は持っていないし、ポケットなどを探ってみてもこれと言って何も入っていなかった。
設定に忠実ならそこも用意しとけよと悪態をついてみるが、ふとゲームの設定を思い出す。
冒険者は『収納ブレスレット』と呼ばれる魔道具を持っていて、そこにはあらゆるものを収納することが出来る、というものだ。
ふと左腕を見てみれば、確かにそれらしいブレスレットがはめられている。もしこの設定が有効ならば、アイテムも持っているのではないだろうか?
「えっと、どうやるの? うーんと……ひ、開け! とかなの?」
無意味に叫びながらブレスレットをいじくること数分。何かかちりと音がしたかと思うと、目の前に真っ黒な穴が出現した。
「わっ!?」
驚いて思わず尻餅をつく。黒い穴は消えることなくそのまま中空にぽっかりと口を開けていた。
もしかして、これが収納に繋がっている? よく他のゲームではアイテムボックスだとか呼ばれているものと同じだろうか。
恐る恐る手を伸ばしてみると、穴に触れる直前に目の前にゲームウィンドウのようなものが現れた。
そこには回復薬や着替え、食料、予備の武器などの目録が書かれている。それを見る限り、俺が設定していた持ち物と同じようだ。
「なんか凄くゲームっぽいの」
戸惑いつつもウィンドウに手を伸ばすと、タッチすることが出来た。
試しに食料の部分をタッチしてみると、黒い穴から何かが飛び出してきた。
反射的に受け止めたそれを確認してみると、どうやらそれは干し肉のようだ。
なるほど、どうやらこのウィンドウでタッチしたものが飛び出してくる仕組みらしい。非常に便利なものだ。
「あむ……ちょっと硬いの」
初めて食べる干し肉はだいぶ硬かったが、噛むたびにジワリとした旨味がしみだしてきて中々に美味しかった。
この体は小食なのか、干し肉を一つ平らげたところで結構お腹いっぱいになってしまった。まあ、燃費がいいのはいいことか。
ひとまず、これでしばらくは食料の心配はしなくても大丈夫そうである。食料アイテムは基本的にはただのキャラ付けのためだけのアイテムであるが、意識してちゃんと用意しておいてよかった。
ブレスレットを操作し穴を閉じてふぅ、と一安心したのも束の間。俺は新たな脅威と向き合うことになった。
「んん……」
俺はその違和感を肌で感じつつも決断できないでいた。
人間だろうが獣人だろうが生理現象というものにはあらがえない。それは人が息をしなければ生きていけないのと同じことだ。だから、これをこのまま我慢していったところでいずれ限界が来るのは目に見えている。
しかし、認めたくなかった。なにせ今は女の身体である。共に歩んできた息子の姿は消え失せ、今や孤立無援状態。そんな状態でどうやったらこの生理現象を解決したらいいのかとっさに思い浮かばなかった。
「うぅ、もう限界なの……」
次第に歩くだけでもお腹に響き、歩幅が小さくなっていく。
もはやこれまでと足を止めてみたが、女の人はどうやっているのだろうという答えは未だに見つけられていない。
すなわち、尿意である。
息子がなくなった今、どうやって出せばいいのかわからない。しかし、このままでは今着ている服が台無しになるということは明らかだった。
こんな周りに何もないところで服を脱ぐという羞恥に耐えつつ、なんとかズボンを下ろすと、そこには可愛らしいピンク色のパンツが俺の股を隠していた。
どう考えても女物の下着。それを今自分が穿いてしまっている。
そんな事実に謎の背徳感を覚えながらも今はそれどこれではないと思い、パンツもずり降ろしていく。
「うわぁ……」
触った感触でわかっていたことだが、そこには綺麗に何もなかった。
いや、わかっていたことなんだけど、いざ目の当たりにすると本当に女になってしまったんだなと絶望感が半端ない。
「ここからでる、の?」
よくわからないながらもひとまずしゃがみ、昔の感覚で狙いをつける。
まあ、こんな草原のど真ん中、どこにしようが大して関係はない。
力を抜くと溜まっていたものが吐き出されて行き、爽快感が体を撫でる。
確か、女の人はした後に拭くんだよな、とうろ覚えの知識を発揮して近くにある草で軽く拭いた後、下着を上げる。
自分がした後を眺めているとなんだか無性に恥ずかしくなり、無造作に足で土をかけて後を隠した。
「なんでこんなことに……」
もし仮に自分がスカートなどを穿いていたらもっと羞恥に染まっていたことだろう。その点だけは自分の設定を褒めたいと思った。
もし元の世界に戻れなかったら一生これをすることになるのかという事実に目を背けながら歩みを再開する。
体が小さいせいもあって一歩一歩の歩幅はかなり小さいが、その分歩く速度はかなり早い方だと自覚している。だから、結構な距離を歩いてきたはずだった。
目印も何もない草原のど真ん中ではその距離を実感できないが、もし近くに町があるならそろそろ見えてきてもいい頃ではあると思う。
今更進路を変更しても無駄に歩くことになるだけだと思うし、この先に町があると信じて歩き続けるしかないのだが、不安なことに変わりはない。
「早く人に会いたいの」
とにかく今は情報が足りないのだ。
ここが『スターダストファンタジー』の世界であるにしろそうでないにしろ、情報がなければ判断しようがない。
一番いいのはこれが夢で本当の俺は机に突っ伏して寝てるんだろうというのが理想だけど、肌に感じる風の感覚も沸き立つ草の香りも何もかもそれが現実だと告げている。
だから歩き続けるしかない。そうでなければ、死ぬかもしれないのだから。
そろそろ日も暮れる。せめて夜になるまでにはたどり着きたいと思いつつ、重い足を上げるのだった。
感想ありがとうございます。