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三幕 緊張しないための訓練

 深夜の音楽室でピアノを演奏していたのは凪々藻先輩であった。


 月の光だけを頼りに鍵盤を叩く先輩の姿にミミは圧倒される。


「……」


 どれだけの時間、教室のドア越しに先輩を眺めていたことだろうか。

 時間の感覚が麻痺するのはミミにとって命取りになるというのに。


 一回だけ深呼吸してから鼓動の回数を数える。不測の事態に陥った時にミミが行う、時間感覚を取り戻す方法だった。


 凪々藻先輩は弾いていた音楽の最後の音符を鳴らし終える。そして、両手を鍵盤に触れたままじっと動かなくなった。


「あれも演奏の一環なのかな」


 閉じていた目蓋を開いて再び動き出した先輩と目が合ってしまう。


 ここで逃げてしまうと、見られてはいけないものを見られてしまったと先輩に思わせてしまう気がして、ミミは音楽室の中に入った。


「こんな時間まで……誰かが残っているのは珍しいですね」


 先輩は呼吸が少し乱れているけど、いつも通りの平静な表情で話しかけてくる。


「うん……えっと、調べ物してた……です」

「勤勉なのですね。……ところで、草葉さんはピアノを弾いたことはありますか?」

「ううん、一度もないです」

「それなら、少し触ってみますか?」

「えっ? でも、どうして?」

「わざわざ音楽室まで来たということは、少なからず興味があったのかなと。違いましたか?」

「……教えてくれるの?」

「はい、もちろんです」

「それならやってみる!」


 凪々藻先輩は座っていた椅子の端の方へ寄る。

 一人用の椅子かと思ってたけど、たしかにこの広さなら二人でかけても問題ない大きさだった。


 ミミは一つの椅子に先輩と肩を並べて腰かけた。


 人差し指で鍵盤の一つを優しく押してみる。


「鳴ったよ!」

「そうですね。ただ、怖がる必要はありません。指で叩く分には壊れませんから」


 凪々藻先輩はそう言いながら、手本を見せるように音を鳴らしていく。


 両手の指全てを使ったその弾き方を真似して、ミミも同じように白鍵を叩いてみた。


「押し方一つでここまで音が変わるんだ」


 今度は数えるのも億劫になるほどの鍵を一つひとつ、音を確かめるように鳴らしていく。


「うん、覚えた。次は簡単な曲を教えて」

「え、ええ。分かりました」


 名前は分からないけど、聞き覚えのある曲。先ほど先輩が一人で弾いてたものと比べて音の密度が違って、とても難度の低そうなものだった。


 音を真似するだけでいいのだから、とてもシンプルなことである。それなのに、ミミが弾き終えると凪々藻先輩は驚いた表情をするのはどうしてだろう。


 それからも何曲か弾いて、たった数十分だけの特別レッスンは終わる。


「草葉さん、ピアノを弾くのは本当に今日が初めてなのですか?」

「う、うん。そう……です」


 レッスン途中はやることが明確になってたからか気にならなかったのに、今になって再び恥ずかしさが込み上げてくる。


「最後の曲なんかは、わたしがピアノを習い始めて二年くらいして弾けるようになった曲なんです」

「ただ単に音を真似しただけだから……です」

「そうであったとしても、簡単に真似できるものではありません。とても耳がいいのですね」

「でも、先輩が一人で弾いてたのは凄かった。ミミが圧倒されて時間を忘れたくらいだから」

「いえ、まだまだです。こんな遅い時間まで一人で居残り練習をしているわけですから」


 先輩はとても悲しいような、何かを我慢するような、そんな表情をする。


 先輩は何でもできてしまうわけじゃなくて、こうやって何でも人一倍努力して結果を残してきたのだろうか。


 陰で努力する先輩をミミが見てしまったというなら、秘密を共有する嬉しさと、見てはいけないものを見てしまった申し訳なさが込み上げてくる。


 だから、先輩の邪魔をしないようにミミはこの場を立ち去ろう。


「先輩、ミミはこれで失礼します。練習頑張ってください」

「はい、ありがとうございます」


 音楽室を後にして、体育祭の話するのを忘れてたことを思い出す。


 やっぱり先輩を近くにするとドキドキして、普段通りのことができないのは解決しなくちゃいけない課題だった。






 今日も例の暗室で朱雀院 アイラと密会していた。


 ロープで縛り上げて身動きを取れないおっぱい星人を見下ろしながら話を進める。


「凪々藻先輩は昼休み、何をして過ごしているんだ」

「わたくしと昼食を取っていますわ。親友ですから当然ですことよ」

「ふーん。じゃあ、そこにミミも混ぜろ」


 もちろん先輩と話したいという欲求もあるが、一番の目的は何度も接すれば緊張しなくなるだろうというのがミミの狙いだった。


「そ、それで……今回は何をしてくれるんですの」

「お前はいつからご主人様に向かって、そんながめつくなったんだ」


 ロッピーのスイッチを最大にする。


「あっん。ごめんなさい……ですわぁ」

「まあ、でも。お前は利用価値がある。だから、今回は昼食中にもこれを使ってあげる」


 今しがた操作したばかりのリモコンをおっぱい星人の前に掲げる。


「ということは人前。凪々藻さんの前……ということですわねぇ。もう……んっ……ダメ。ですわぁぁぁ。ハァハァ」


 こいつ、想像だけで果てやがったな。


「床は汚してないだろうな。この場所は色々と都合がいいんだから、お前の体液で汚れるのは癪だ」

「ええ、掃除しておきますわぁ」


 約束は取り付けたからもう要はない。

 気の抜けた返事をするおっぱい星人を置いてミミは暗室を後にする。


 そういえばあいつ今、ロープに縛られたままだった。でも、そんなにキツくしてないし、時間をかければ自力で抜けられるはずだから放っておこう。






 そして、いよいよ凪々藻先輩と一緒に取る昼食の時間がやってきた。


 教室を出る時に、モブ美とモブ子に嬉しそうな表情をしていると言われたのは不覚だ。


 中庭に行くと屋根付きのテーブルで優雅に紅茶を飲む凪々藻先輩たちがいる。


 ミミのよく知るおっぱい星人と印象が違いすぎて笑いそうになるが、今度こそ表情を表に出すことはしない。


「ごきげんよう。ごしゅ……ミミさん。お待ちしておりましたわ」

「……ああ、はい。凪々藻先輩、よ、よろしくお願いします」


 ミミとおっぱい星人の関係を凪々藻先輩に悟られないようにする必要があるのは分かっているが、いつもと違う態度に異様に腹が立つ。


「よろしくお願いします。別に疑っていた訳ではありませんが、本当に草葉さんはアイラさんと仲がよろしいんですね」

「ええ。とても懇意にしてもらっていますわ」

「草葉さん。これからも仲良くしてあげてください」


 凪々藻先輩はおっぱい星人の保護者みたいなことを言う。


 そういえば、プレゼントを渡した時におっぱい星人は友達が少ないと言っていた。

 友達の数なんてどうでもいいし、凪々藻先輩と仲がいいだけでお釣りがくるんだから全くもって同情できない。


 ということで、腹いせにローターのスイッチをいきなり強めに入れる。


「んっ!」

「アイラさん、どうかしましたか? 熱っぽい顔をしていますが」

「いえ。何でも、あっ、ありませんわぁ」

「ならいいのですが」


 ミミは余った椅子に腰かけて、味のない安価なパンを食べる。


「草葉さんはそれだけで足りますか? わたしの少し多いので、おかずをどうぞ」


 ミミの質素すぎる昼食を見かねた先輩は自分の弁当のおかずを蓋に取り分けて、ミミの前に置いた。


「先輩の……手作りですか?」

「たまに自分でも作りますが、今日のはプロの料理人が作ったものです」

「せ、先輩の作ったやつ、今度食べてみたい!」

「ここまで凝った物は作れませんよ。まあ、次作る時は声をおかけしますね」


 それからも他愛のない会話が続いた。


「ミミさんの出身はどこですの?」


 おっぱい星人がミミの過去に触れる質問をするものだから、ミミは一瞬だけ警戒してしまった。

 そして、その張り詰めた雰囲気が不覚にも伝わってしまったようだ。


「……申し訳ありませんわ。言いたくないことでしたら、言わなくても大丈夫ですわ」

「いや、別に問題ない。ただ、ミミもよく覚えてないんだ」

「親などに聞けば済む話ではありませんの」

「アイラさん、何か事情があるのでしょう。そういうことを突くのはよくありません」

「いや、別に大した話じゃないから気にしないでください。凪々藻先輩」

「それならいいのですが……」

「場所までは分からないけど、雪が降ってたのは覚えてる。北の方なのか、それとも別の雪国なのかまでは分からないけど」

「探すの協力いたしましょうか?」

「ううん、そこまでする必要はないよ。ただ、やることがなくなったら自分で探すのもいいのかもしれない」


 ミミのやらされてる仕事はいつまで続けさせられるのかなんて分からない。

 もしも命を残したまま仕事を解雇されたなら、自力で探し回るのも時間潰しにいいのかもしれないと何となく思った。


「それなら、楽しみをわたしのお節介で奪うわけには行きませんね」


 だんだん落ち着いて凪々藻先輩と話せるようになってきた気がする。

 すると、この昼食中に一番聞きたかったことが何であるのかを思い出すことができた。


「そういえば、凪々藻先輩は体育祭に参加しますか?」

「もちろんしますよ。というよりは、事情がない限りは全員参加ですので、参加不参加を選べるものではありませんが」

「そうなんだ。ミミは体育祭というものに今まで参加したことなかったから、よく分かってなかった」

「初めてなのですか! それなら、思う存分楽しんでください」

「うん。だから、実行委員にもなろうかなって思ってるです」

「それはとてもよろしいことですね。わたしも今年も実行委員になろうと思っています」

「本当!」

「わたくしはそういうことには参加するつもりありませ、んっ、ハァハァ」


 お前の参加意思なんて知る必要ないんだよ。


「はい、本当です」

「じゃ、じゃあ。色々とよく分かってないから色々と教えてほしいです。二人一組で作業するって書いてあったから」

「分かりました。ぜひ一緒に楽しみましょう。よろしくお願いします」

「やったー」


 これで体育祭を一緒に過ごす口実ができた。

 千鶴さんが言っていたことを現実にするための第一段階を達成できたわけだ。






 後日、クラス内で体育祭実行委員を決める時には我先に手を挙げ、他の者に邪魔されないように圧をかけて牽制する。


 そして、見事に実行委員の座を勝ち取った。

 牽制したからなのか、そもそも誰もやりたがらないからなのかは分からないけど。


「みーみ、こういうのに興味ないと思ってた。めっちゃ積極的じゃん」


 近くの席から明美が声をかけてくる。


「凪々藻先輩と一緒にやるって約束したから」

「なるほどね。それはやる気になるわけだし」


 体育祭を凪々藻先輩と一緒に取り組んで、先輩との仲を一気に近づけてやるんだ。

 具体的には、夏休みの期間でも一緒に遊べるような関係になるのが目標だ。


第二章 完

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