表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/28

三幕 人を好きになるってどういうこと

 お昼休みになって、ミミはまず凪々藻先輩の教室の前にいる見ず知らずの男子生徒に話しかけた。


「おい、そこのお前」

「ん? ボクに何か用かな……って君はたしか!」

「用がなきゃお前なんかに声かけるわけねぇだろ」

「そ、そうだよね……。と、ところで、なんで君はしゃがみながら話しかけてくるの」

「野郎の脳みそは股間にあるって聞いたから。そこ向いて話してやってる」

「いや、ちゃんと顔を見て! せめて、上半身のどこかにして!」

「しょうがないな」


 金玉の袋って脳みそみたいだよなと余計なことを考えながら、ミミは露骨に嫌な表情を浮かべて立ち上がった。


「それでお前、名前はなんていうんだ」

「深田だけど」

「じゃあ、浅田。お前は凪々藻先輩のこと知ってる?」

「だから深田だって! えーと、三星さんのことだよね。クラスメイトだし知ってるよ」

「それなら話が早い。凪々藻先輩にプレゼントで欲しい物がないか聞いてきて」

「プレゼント……ああ、誕生日ってことかな。去年もこの時期、騒がしかったんだよね。でも、なんでボクが?」

「なんとなく。ダメ……?」


 浅田との距離を一歩だけ詰めて顔を見上げると、浅田は一歩下がって顔を赤らめた。


「……も、もしも断ったら?」

「いや、ミミは何もしないよ。だけど、浅田がミミにセクハラしてくるかも……ね?」


 浅田の腕を掴んで、ミミはニッコリと笑いかける。


「ヒィ……やっぱり怖い。わ、分かったよ。聞いてくる。だけどボク、三星さんと仲良いわけじゃないんだ」

「いいから死ぬ気で聞いてこい!」


 浅田の背中に回り込んで、尻を蹴飛ばす。

 浅田は駆け足で自分の教室に戻っていった。


「ちょっといいかな……」


 浅田が凪々藻先輩に話しかけようと近寄ると、朱雀院がさり気なく移動する。

 すると、あたかも浅田が朱雀院に話しかけたようになっていた。


「なんですの。えーと、たしか浅田さんでしたか?」

「だからボクは深田だよ! あっ、ごめん。えっと、聞きたいことがあるんだけど」

「浅田さん。それは今、わたくしの時間を割いてまで聞かなければならないことですの」

「そ、そういうわけじゃないけど……」


 あのおっぱい星人め。邪魔してくれやがって。こうなるとあの浅田じゃ厳しいか。


 すると、このやり取りを横で聞いていた凪々藻先輩が声を上げる。


「アイラさん、そんな邪険にしなくてもいいじゃありませんか。話くらい聞いてあげませんか」


 おお! 流石はミミの先輩。誰にだって優しいのである。


「凪々藻さんがそう仰るのなら。それで浅田、聞きたいことというのは何ですの?」

「い、いや……ごめん。別に大したことじゃないんだ」


 そう言って、浅田は教室の外へ逃げ帰ってきた。


「ご、ごめん……。でも、本当に許して下さい!」

「何でもするから許してほしいと」

「えっ! 何でもするなんてボク言ってない」

「いや、言ったよ。それともミミの聞き間違いだとでも言うの? ねえ」

「い、いえ……。聞き間違いではありませんでした」

「分かればいいんだよ。じゃあ、浅田。連絡先を教えて」

「えっ……いいの?」

「ん? ああ、連絡先を交換してもらえると思った? 違うよ。ミミが一方的に指令を出すためだよ」

「ど、どうしてボクがこんな目に……」


 こうしてミミはあまり使い道のなさそうな駒を手に入れたのだった。






 凪々藻先輩へのプレゼントに関する情報を何も得られないまま放課後を迎えていた。


 ミミは端末を操作した後、保健室に面した窓を外から数回ノックする。

 直前に連絡するのが面会するための約束事だった。


「誰もいないから、入ってきて大丈夫ですよ」


 白衣と優しそうな空気を羽織る胸の大きな先生が窓を開けてミミを招き入れた。


「どうして今日は窓から入ってきたのですか?」


 保健の先生こと折上 千鶴(おりかみ ちずる)はこの部屋のドアに鍵をかけながら質問を口にする。


「たまには趣向を変えようと思って」

「そうですか。でも、お靴で入られると床が汚れてしまいます」

「そっか。誠にごめんなさい」

「まあ、窓を破壊して入ってこなかっただけ増しかねぇ」


 千鶴さんはカルテを引き出しの奥から取り出すと、ミミのことを真っ直ぐに見る。


「困っていることなどありますか?」

「困ってるというか質問なんだけど、凪々藻先輩がプレゼントに欲しい物、何か知りたいんだけど、どうすればいいかな」

「そうですね。恋人の関係ならショッピングして、それとなく探るのが定番ですが。現状ではそれも難しいですよね」

「うん……」

「それなら、凪々藻さんと仲の良い子に協力してもらうのはどうでしょう」

「そっかー。あのおっぱい星人をどうにかすればいいんだ」

「おっぱい星人……?」


 千鶴さんはそれが誰を指しているのか、自分の胸を触りながら考える。


「千鶴さんのも結構あるけど、あの金髪は無駄にデカい」

「あぁー、アイラさんね」


 大正解の意味を込めて、ミミは首を縦に大きく振った。


「そうだ。千鶴さんは凪々藻先輩が欲しそうな物、何か知ってる?」

「他の生徒のことだからね。仮に知っていたとしても、先生が勝手に話すのは立場上できません」

「むー、意地悪……」

「しかし、そうかぁ。三三さんが初恋ね。うん、先生は大変よいと思います」


 千鶴さんはカルテに何かを勢いよく書き込みながら話を続けた。


「それではいつも通りカウンセリングを始めましょう。まず、三三さんは二週間ほど前に恋をしました」

「うん、おりものが出てきたの報告した」

「まぁ、あれはビックリしたわねぇ。見せてもらったけど問題はないわよ」

「お股すごい触られたし、まじまじと見られた」

「いやー、綺麗だったからついついね。えーと、数ヶ月以内に初潮を迎えると思うから、前に説明したことと心の準備はしておいて下さい」

「分かった」

「話を戻して、三三さんは人を好きになるってどういうことだと思いますか? あっ、ここで言う好きは恋愛感情のことです」

「うーん……難しい」

「好きという言葉は恋愛以外にも使われますよね。それらの気持ちと比較した違いでも構いません。三三さんの感じたことをありのまま聞かせて下さい」

「凪々藻先輩に向ける好きという気持ちは、何というか運命的なものだと思う。それが他と違うところ」

「ほー、運命的と来ましたか。それは生まれた時から既に決まっているということかな」

「そういうわけじゃないよ。えっと、“これでイイ”とか“これが良い”とかじゃなくて、“これじゃなきゃダメ”っていうのかな」

「あぁ、なるほど。じゃあ、付き合うまでの過程はどういうものだと思いますか」

「そうだな……物語みたいに清く正しい、ドラマチックなものだと思う」

「そっか、そっか。三三さんのその好きが恋愛感情の好きだと判断した理由はありますか」

「えっとね……一方的じゃないから。好きな食べ物だったら一方的に“美味しい”をもらうけど、先輩には全部を捧げたいの」

「うんうん。言いたいことは伝わりました。聞かせてくれてありがとう。それが三三さんにとっての恋愛観であり、好きの意味ということなんだね」

「間違ってた……?」

「いいえ、間違えてなんていませんよ。というよりは明確な正解なんてないんです」

「それなら、千鶴さんはどんな意図でこの質問をしたの?」

「好きの意味は時と共に変わっていきます。今の三三さんの考えを整理することで、その変化を三三さん自身に感じてもらいたいんです」

「ふーん、分かったような、分からないような」

「今はそれで構いません」


 そう言うと千鶴さんはカルテを置いて、机の端に置いてある膨らんだポーチを手に取る。


「今日の面会はこれでお仕舞いです。さて、今日の味はなーんだ?」


 千鶴さんはポーチの中の物を握りこぶしに隠してミミの前に持ってくる。

 ミミはその下に両手で受け皿を作った。


「えっとー、初恋ブルーベリー味」

「ブッブー! 正解は母乳ミルク味でした。外れたので一つです」


 手のひらに隠していたチロルチョコを受け止める。


 変わった味のチョコレートを口の中に放り込み舌で転がす。

 包み紙に記されるとち狂った商品名の割には、至って普通のミルクの甘さが口の中に広がった。


「今日のお仕事はいつも通りの方法でお伝えします。それではお大事に」

「うん」


 手を振る千鶴さんに見送られて、ミミは保健室を後にした。






 薄暗い部屋の中央に配置されているローテーブルと、その上に置かれたハンバーガー屋の紙袋。

 ここにはそれくらいしか、人が住んでいるという痕跡はない。


 部屋の照明を灯すと、豚箱のような狭い空間の、そのまた半分は使われないまま床に埃が積もっているのが見えた。


 これがミミの自宅である。


「部屋に入ったなら、ついでに掃除してくれてもいいのに」


 愚痴を呟きながら、登校する前はなかった紙袋を手に取る。見た目よりもずっしりとしていた。


 中には食べ物が入っているわけでもなく、ハンバーガーよりも見慣れている無線通信の機械が包まれている。


 その機械から伸びるイヤホンを片耳に装着して、ミミは居心地の悪いこの部屋で何をするでもなく、ただ静かに仕事の命令が下されるのを待った。


「これより仕事を開始します。指示に従って行動してください。なお──」


 うんざりするくらい繰り返し聞かされた注意事項を読み上げるオペレーターの声がイヤホンから流れる。


 その声は保健室で話していた時の優しい声色とは違っていた。

 この部屋のように心を空っぽにして、ただ機械的に命令を下す。それが多分、自分の心を守る千鶴さんなりの策なんだと思う。


 今日の仕事内容が伝えられる。


 基本的にミミの仕事は二パターンしかない。


 一つは情報を盗み出すことである。

 盗み出すと一言で言っても、その方法には様々なバリエーションが存在するのだけど。


 例えばどこかに忍び込んで機密資料を盗んでくる場合、紙の資料を取ってくることもあれば、サーバーに物理的に接続してデータをコピーしてくることもある。


 人から直接情報を得る手段としては盗撮や尾行などがある。


 そして、拉致監禁からの拷問──それが今日の仕事内容だった。


 ただ、盗む情報が何かも、どんな理由で盗むのかも、組織の末端にいるミミは知らない。

 だから、拷問の部分はミミではない誰かが担当することとなる。


 指示された人気(ひとけ)のないポイントに到着すると、アタッシュケースが隠すように置かれていた。


 ケースの中には完全防備のスーツが収納されている。


「ケースの中のスーツに着替えてください」


 オペレーターから指示されるより早く、ミミは着替えを始めていた。


 ピチッとしたスーツを着るためには一度全裸にならないといけない。

 露出の性癖なんてミミにはないから、誰も来ないことを祈りながら手短に済ませるしかない。


「よし、お着替え完了!」


 ちなみに、装着し終えた漆黒のスーツは闇に紛れることから、ミミはこれを勝手にバットマンスーツと呼んでいる。


「──に向かってください」


 ミミはオペレーターの指示に従って建物に窓から不法侵入し、そこで寝ている誰かも分からないおっさんを気絶させてトラックのバンに運ぶ。

 たったこれだけの簡単なお仕事である。


「トラックの外で待機してください」


 待機するということは、まだ仕事が残っているということである。


 でも、凪々藻先輩のことを考えていれば時間なんてあっという間に過ぎてしまう。だから、待つこと自体は苦にならない。


「あっ! そうだ。おっぱい星人を拉致監禁すればいいんだ!」


 ふと素晴らしいアイデアが舞い降りてきた。


 千鶴さんはプレゼントの情報を朱雀院に聞けばいいと言っていた。だけど、あのおっぱいが素直に教えてくれるわけがない。

 それなら、今日の仕事のように、無理矢理にでも聞き出せばいい。


 時間を持て余したミミは凪々藻先輩のことを考えながら、スーツ越しに胸や股をこする。

 直接触れるのとは違う感触があって気持ちいいため、最近のミミのトレンドなのだ。


「後始末はよろしくお願いします」


 自慰行為にふけっていると、オペレーターから本日最後の指示が届く。

 いいところだったのに、いきなり現実に戻されてイライラする。


 ミミがトラックのバンに入ると、そこには椅子にくくり付けられたおっさんがグッタリしていた。


 拷問を担当した者は既にいない。なんなら姿を見たことはこれまでを含めて一度もなかった。


「うわ、きったねぇし臭い」


 大の大人が鼻水まで垂らして泣いていたようだ。加えてお漏らしまでしていて、極めて不快だった。


 マイナスドライバー片手にミミが近づくと、男はテープで塞がれた口でウーウー唸る。


「お前、うるさいんだよ。せっかく凪々藻先輩でいい気持ちになってたのに台無しだよ」


 基本的にミミの仕事は二パターンしかない。一つは情報を盗み出すことである。


 そして、もう一つは命を奪うことである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ