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二幕 初恋の行方②

 何日か前にオペレーターから伝えられた次なる任務──三星グループが抱える非合法な組織の壊滅。

 そう聞かされて、凪々藻先輩と戦わされる可能性を思わずにはいられなかった。


 そんなことは起こり得ないと、頭の中では考えている。まだ大人ではない先輩にいきなり非合法な組織の管理を任せるものだろうか。

 三星グループの全てが悪事に手を染めてるわけではない。むしろ、この国になくてはならないと言われるほど巨大な組織の割にクリーンなイメージである。もし仮に公にしていない組織で何かをやらかせば、世間のイメージは真逆にひっくり返ることだろう。

 つまり、リスクの高い組織を先輩にいきなりあてがうのは合理的でない。


 例外として、裏で何かしらの思惑が働いて非合理な選択をすることも考えられなくはない。仮にそうであったとして、少なくとも裏方の先輩と直接やり合うなんてことにはまずならない。先輩を殺せと命じられることもないはずだ。


「………………」


 だけど、どういう結末を迎えるにしろ今度こそ先輩との関係は終わる。

 先輩と会う口実がもう間もなく消えてなくなってしまう。ミミの退学の日が決まったからだ。

 猶予は作戦の決行日、それまでは今まで通りに過ごすことを許されている。先輩との接触も禁止されていない。それなのに、先輩は文化祭の日を境に再び学校へ来ることはなくなってしまった。


「みーみの手って結構冷たいんだね」ミミはどういうわけか明美に手を引かれて廊下を歩いていた。

「何それ。たしか、心が冷たいって意味だったか」

「えー、そうじゃないし。それに、手が冷たい人は代わりに心が温かいんだよ」

「冷水に手を浸ければ世界は平和になるな」

「そっか! みーみ頭いいじゃん。あたしも明日から試してみよっかな」

「……意味ないからやめておけ」こいつの脳味噌は冗談すら理解できないのか。

「それって、あたしの心も温かいってこと? 嬉しいこと言ってくれるじゃん」

「もう、それでいいや」アホに一々説明するのも馬鹿らしかった。「で、どこに向かってるんだ」

「だから内緒だってばー。話題を突然変えたって、あたしの口そんなに軽くないし」


 どこへ向かっているのかも、何をしようとしているのかも秘密にされていた。

 数日前に学校を辞める日取りが決まったことを明美たちに伝えた。それと関係しているのだろうか。

 ただ、方向からして行き先は予測できる。おそらく保健室だろう。千鶴さんの根城に今更どんな顔して入ればいいというのか。


「とうちゃーく!」


 明美が立ち止まったドアには見慣れたネームプレートが掲げられていた。


「やっぱり保健室だった」

「もしかして気づいてた?」

「いや。この先、保健室くらいしか用ありそうな所ないから」

「たしかにそうかも。まあ、とりあえず中に入るでしょ」


 保健室に入ると千鶴さんと幸子に加えてアイラと、それからどういうわけかミカちゃん先生までいるではないか。


「よお、草葉ぁ。遅かったじゃねえか」ミカちゃん先生の前にはお菓子の袋が広げられていた。「これか? 先に食わせてもらってるぜ。いや〜、生徒の金で食う菓子はうまいぜ」

「あっそ。それで、このお菓子の山はなに」

「何って、見れば分かるでしょ」明美は背中から距離を詰めてきて、ミミにベタベタしてきた。「パーティに決まってるじゃん。みーみが転校するって言うから、お別れパーティーしたくて」

「ミミにくっつくな。……で、それ用のお菓子をこいつは先に一人で食べてるわけか」

「先生をこいつ呼ばわりするかぁ? まあ、何も言い返せねぇけどな! ただ、せっかくならもっと、高そうなもん食いたかったけどよ。お前らボンボンはこう……缶とか箱に入ったやつとかしか食わねえのかと思ってたが、そうでもねぇんだな」

「どうでしょう」幸子は紅茶を準備する手を止める。「僕たちが例外という可能性もありますが。朱雀院先輩はどうですか?」

「そんなの、当然ですわ」アイラは幸子に勝ち誇った顔を向ける。「そのような体に悪そうなお菓子、決して口にしたくありませんの」


 おっぱい星人は平常通りむかつく女であるが、部屋に入って予想外に思ったのは凪々藻先輩以外に友だちのいないあいつが幸子と仲良く紅茶をいれていたことだ。


「やっぱ、お前らが特別ってわけかよ」クズ教師は笑う。

「お前、先公のくせして図々しいな」

「おう! てか、草葉。前から思ってたけどよ。今どき、せんこうなんて使うやつ、お前以外いねえだろ」

「な……なんだと……」

「やっぱ、お前を打ち負かすのは気持ちいいなぁ。おっと、論点ずらしとか言うのはなしだぜ。負けは負けだからな──イテッ!」


 ミカちゃんの頭に千鶴さんがクリップボードの角をぶつけた。


「あんたねぇ。自分の生徒に対して、なーに張り合ってるのよ」


 保健室に入ってからずっと、千鶴さんとは目が合っていない。ミカちゃんに制裁を下す時も、糸で繋がれたようにこっちを見ることはなかった。


「このクソガキは例外だ。てか、お前……なんか変じゃねえか? 自陣にいるってのに、やけによそよそしいというか」

「あっ、それ! あたしも気になってました」明美は手をピシッと高く上げた。

「無理を言って保健室を会場に選んだ理由と関係ありそうですね」幸子が補足する。

「たしかに、さっちんの言う通りだし。みーみ最近、全く保健室行ってないよね。多分、二年生の修学旅行があった辺りから。前はふらっと通ってたのに。きっとみーみとちーちゃんの間に何かあったんじゃないかって、だから会わせるためにここに連れてきたんだ」


 大きなお世話だった。千鶴さんは凪々藻先輩への恋心を応援してくれてたのに、手のひらを返して終わらせろと言った。それがきっかけなのは確かだ。だけど、あれは上に言われたことをそのままミミに伝えただけで、千鶴さんが悪いわけじゃない。


 だから──「別に……特別何があったわけでもない」ミミがクソガキみたいに拗ねてるだけだった。


「そんなの嘘! 煙を見るより明らかだし」

「そうだ、そうだぁ」ミカちゃんがほざく。「煙のない所に火は立たないんだぞー」

「うるさいな。仮にそうだとしても、お前らには関係ないだろ。何も知らないのに、余計なことするな。ほっといてくれればいいんだ」


 不機嫌なことを微塵も隠そうとしなかった。


「ご、ごめん……なさい。たしかに強引だったかも」

「怒鳴ったって、別に怖くないぞー」さっきから小林ミカエルがうるさかった。

「ミミもう帰るから」


 保健室を出ようとするミミを唯一引き止めたのは、思いがけないことに千鶴さんだった。


「あー、えっと……。うん、先生が悪かった……です。三三さんに学校行くよう勧めておいて。それは三三さんに“普通”を知ってほしいと思ったからで。それなのに、先生が中途半端で終わらせるようなこと言うのは、間違ってました」


 何も悪くないはずの千鶴さんが深々と頭を下げた。


「………………」


 誰もが沈黙を続ける。ミミが口を開くまで、それは続くのだろう。


「あ……うん。ミミも、ごめんなさい。上の指示なんだから、千鶴さんは悪くない。ミミが意地はってただけなのは分かってるんだ」


 上の命令に背くことが何を意味するのか。理解しているからこそ、それをさせることを期待してはいけない。ミミのために命を張っても、千鶴さんには何の見返りもないのだから。


「先生に決定事項を覆す力はありません。だから、ミミさんの“今”を守ってあげることはできないです。ですが、それならせめて──」


 千鶴さんはひと呼吸入れる。そこでようやく目と目が合った。前までは当たり前だったのに、久しぶりだからなのか特別なことに思えた。


「最後まであなたの初恋を応援するべきでした」


 なんて返事するのが正解なんだろう。素直になることだろうか。だけど、素直になることは極めて難しい。思ったことを何でも言葉にするのとはどうやら違うみたいだ。


「うん。分かればよろしい!」


 ミミは憎まれ口を叩く。千鶴さんは見慣れた表情で笑ってくれた。


「よーし。いい感じに和解したところで、ビール開けるぞ」


 小林は冷蔵庫からビールを取り出した。


「なっ……! いつの間にそんなの冷蔵庫に入れたのよ。まだ勤務時間でしょう」

「まあ、細かいことはいいじゃねえか。ほら、お前らも飲むか?」

「未成年に飲酒を勧める教師がいますか!」

「冗談に決まってんだろ。そんなマジになんなって」


 こうしてミミのお別れパーティーは始まったのだった。






 あれだけあったお菓子もジュースも残りわずかとなったところでミミは話を切り出した。


「パーティーと言ったらプレゼントでしょ。それらしいもの見当たらないけど、もしかして何もないの」

「あっ? そんなものあるわけないだろ。さっきはしょぼくれてた癖に調子付きやがって」

「ごめん。急だったから用意してなかったです。それに、先生も一緒にこの学校を去ることになるから、三三さんとの接点はなくならないやねぇ」

「ちーちゃんもいなくなっちゃうってマジ! 初耳なんだけど」

「そうですが、三三さんよりは少し後になるかな」

「えー、ショックなんだけど。あっ……それでプレゼントなんだけど、あたしたちも用意してないんだ。ごめん。ほら、前にミカちゃん先生にお願いしたやつあるでしょ。あれ以上のもの、思いつかなくて」


 明美が言っているのは林間学校をサボった時に受け取ったレターセットのことだろう。


「たしかにそうだ。二つ目を所望するほど、ミミはがめつくないから、明美と幸子は免除しよう。それで……お前はどうなんだ?」


 箸で摘まんだポテチに手をそえて食べているアイラを見る。

 ジャンクな菓子は食べないと豪語しておきながら、その美味しさにたやすく屈伏させられたお股ゆるゆる女は、わざとらしく驚いてみせた。


「な、なんですの。わたくしが用意するわけないではありませんか」

「あれ? でも、これに誘った日の放課後、変装したアイラ先輩、駅前で見かけましたよ。てっきりプレゼント買おうとしてたのかなって」


 わざわざ変装してたから声をかけなかったと明美は補足した。


「あ、あれは!」アイラは裏返った声で動揺を見せる。「趣味で集めているグッズの……新作がないかチェックしに行っただけでしてよ!」

「怪しいー。本当はあるんじゃないですか? 別に恥ずかしがることないですよー」

「だ、だから……本当にありませんの」

「なんで、そんな動揺してるわけ。別にないならないでミミは構わないけど。まあ、ただ。お前のおもちゃ、さんざん改造してやったのに、何もないんだって思わなくもないけど」

「だ、だって………………仕方ないではありませんか! 用意しようと思いましたわ。駅前にいた理由も明美さんの言う通りです。ですが、知人のプレゼントとなると何を選べばいいんですの?」


 社交界の手土産とは違いますもの──顔を赤くしながら早口でまくし立てる。


 今更、お前にそんなキャラを求めていないのに。少しだけ、ほんの少しだけ、この変態女を可愛いと思ってしまった自分が許せなかった。


「それなら、あたしたちに声かけてくれればよかったですし。だって、もうとっくに友だちじゃん」

「と、友だち……なんですの」

「もしかして、あたしと友だちになるの……嫌でした? めっちゃショックなんですけど」

「そ、そんなことはありませんわ。ええ、とても嬉しくてよ」

「良かったー。じゃあさ明日にでもみーみのプレゼント選び、リベンジしに行きますし。さっちんも時間空いてるでしょ」

「はい、お供します」

「わ、分かりましたわ。特別に時間を開けておきますの」

「なにそれ。アイラ先輩、やっぱおもしろー」


 どうやら、幸子だけじゃなくて明美とも仲良くなっていたみたいだ。凪々藻先輩がいなくなってしまったけど、これならアイラがぼっち生活を強いられることはない。なんて、どうしてミミがこいつの心配をしなくちゃいけないんだ。

 だけど、この学校を去る前に心残りはできるだけなくしておくのも悪くないのかもしれない。


 明美たちは文化祭をきっかけに今ではすっかりクラスに馴染めている。アイラだって凪々藻先輩しか友だちがいなかったのに、今では二人も増えたわけだ。大変な変態であることを打ち明けた瞬間にきっと今の関係は崩壊するから、それは心残りの一つかもしれない。

 ただ、解消するアイデアは既にある。新しいおもちゃを作ってやればいい。これまではアイラが常に携帯するおもちゃのスイッチをミミが押していた。それを今度はミミの行動パターンを学習した人工知能に握らせればいいのだ。こうすれば変態女のオナニーに明美たちを巻き込まないで済む。


 くだらない話は置いといて、他に心残りがあるとすれば、それはやっぱり凪々藻先輩だ。

 先輩に対するミミの想いが何なのか、それは依然として分からないままだった。だから、今のところもう一度告白するつもりはない。でも、文化祭での告白を最後にお別れしてしまうのは嫌だった。


「………………やっぱりミミは──凪々藻先輩にサヨナラ言いたい」

「みーみ……それならさ。行けばいいじゃん! この前、家に押しかけたって言ってたでしょ。また行ってみればいいんだよ」

「それは……できない。多分、普通の人はあんなことしないから」

「え? なんで? たしかに勇気のいることだから、みんながみんなできるわけじゃないけど、家に行こうって考えるのは全然普通のことだし」

「そうなの? ミミはもう一度、先輩の家に行ってもいいの?」好きな人の家に不法侵入するのは普通のことだったんだ。

「うーん。だけど、入れてくれるでしょうか」千鶴さんは腕を組んで考える。

「絶対大丈夫。ミミは同じ失敗を二度はしないから」

「え? それはどういう──」

「さっそく準備するからミミもう帰る。今日は……あ、あ゙りがと!」

「あっ! 行ってしまいました」


 何か言いたそうにしている千鶴さんを置いて、ミミは保健室を飛び出した。


 ミミは着替えるために一度家に帰ることにした。先輩に会うのに体のラインが出る黒塗りのスーツというのは嫌だけど、可愛い格好よりは動きやすい仕事着の方が侵入する上で適している。私用で使うのは禁止されてるし、そもそも使用済みのものは廃棄してもらうのが原則だが、失敗の許されない今回が隠し持ってるスーツの使い時だ。


 凪々藻先輩、今からそっちに行くから。勝手に押し掛けるだけだし、待たなくてもいいけど。






 ミミはベランダからコツコツと一定の間隔で窓を叩く。カーテンが邪魔で見えないけど、このガラスの向こう側に先輩がいるのは分かっていた。


「センパーイ、こっちですよ」


 そういえば、前に明美たちと寄ったペットショップでも同じことをしたっけ。雑念を交えながら、ここからでもよく見える月を見上げた。


 先輩宅への侵入は呆気なく成功していた。前回みたいな可愛い格好と違って今回は動きやすいし、何より土や埃で汚したって構わない。つまり、真正面から建物の中を通って行く必要はないのだ。ミミなら呆気なくて当たり前である。


 コツコツ音を鳴らし続けていると、カーテンが人ひとり分だけ横に移動する。凪々藻先輩の月夜に映える寝間着姿に眩耀させられて、ミミは思わず気配を忍ばせてしまった。

 窓は開かれ、先輩は顔を外に突き出して音の正体を探る。低い位置ばかり見るものだから、すぐ横のミミに気づくまでの間に流れ星が一つ落ちた。


「キャ──」叫び声を出そうとする先輩の口を手で塞ぐ。

「先輩、大きい声出したらダメ」

「は、はい……三三さん、こんばんは」

「こんばんは」

「えっと、どうしてこんな所に。何しに来たのですか?」

「とりあえずこっち来て。ベランダで話そうよ」

「それなら中に入りますか? ここだと暗いですし、お飲み物も用意しますよ」

「ううん、服汚れてるから。それに、ミミの可愛くない姿を明るい所で見られたくない」

「そう、ですか。分かりました。サンダルを取ってきますね」一度引っ込んだ先輩はほどなくして戻ってくる。


「お待たせしました」

「まだ四十七秒しか経ってないよ」

「数えていたのですか」先輩の柔らかい笑顔は何度見たって飽きなかった。

「今日は、月が綺麗だね」

「え? っと……三三さんが夜空を見上げる姿は、なんだか不思議に思えますね」

「えー、ミミだって星くらい、たまになら見る。帰り遅くなること多いし」

「それに、そういう言い回しを使うのも以外です」

「言い回し? なんのこと……あ〜、違うちがう。そういう意味じゃない。今の無し」

「偶然でしたか。それなら……今日はどうしたのですか?」

「本当はもう一度」告白したかったけど、気持ちを整理する時間が足りなかった。だから、さっきの言葉に他意なんてない。「……ううん、それはいいや。今日はお別れを言いに来た」

「お別れ。そう……ですよね。わたしは何も言わずにまた──」

「ううん、そうじゃない。ミミ学校辞めることになっちゃった。上の決定ってやつ。ほら、ミミすごい優秀だから」

「それはとても寂しくなります。不登校のわたしが言うのはおかしいですが。ただ、アイラさんとも仲良くしていただいたので」

「あいつはもう大丈夫。ミミの知らない所で幸子と打ち解けてたから」

「それは……ああ、何だかホッとしました。ですが、中台さんがいるから三三さんはいなくてもいい、ということにはなりません」

「あいつの話はもういいよ。ミミは先輩の話がしたいの。そういえば、先輩はミミが学校を辞める直接的な理由に何か心当たりある?」

「直接的な心当たり……はありません。ただ、仕事柄いつ今の生活が終わってもおかしくないとは思っていましたが」

「違いない。今日にでも終わる可能性をいつも孕んでたんだから、こうして半年以上続いたことの方が特別だった」


 凪々藻先輩は何も知らなかった。あの件に関わってないということになるのか。未だこちらの組織の動きが悟られてないだけなのか。それとも、嘘をついているだけなのか。


「……とても危険な仕事が控えているのですか?」先輩はミミを抱き寄せた。

「こんなことしたら、先輩の可愛い寝間着が汚れちゃう」

「寝間着は替えが利くのですから、別に気にしません」


 先輩に心配してもらうために来たわけじゃなかった。だけど、確かにミミの言動を客観視すると、死地に向かう前夜のように思える。


「ミミは大丈夫。絶対に死なないから」当然嘘だ。「先輩に対するミミの気持ちが何か分かるまでは死ねない」


 先輩に抱きしめられるのはすごく心地良くて、だけど今からする問いは先輩と顔を合わせて言うべきだと思った。

 ミミは名残惜しさを引きずりながら先輩から離れる。


「もしも……この想いが恋だって断定できたら──もう一度告白しても、いいですか?」


 先輩は困ったように眉を曲げて、ミミの期待した答えとは違う言葉を返す。


「………………どうして、わたしなんかを好きになってしまったのですか」

「え!? なんで」

「好かれるような何かを、わたしはミミさんに与えることができた覚えはありません。どれも口先ばかりで、むしろ助けられたのはわたしの方ではありませんか」

「いっぱい貰ってるけど。キッカケを考えるとすれば……やっぱり顔かな」

「顔……ですか」

「キッカケとしては大事でしょ。例えば殺されそうな所を救ってもらったとか、劇的なエピソードがあれば別だけど。自作自演でもしない限り、そんなの現実には稀にしかない。その人を認識するにはまず顔だよ」


 でも、ミミの場合は顔よりも前に、恋に落ちるエピソードがあった。


「よくよく考えればエピソードの方が先だった。見ず知らずのミミを叩いて叱ってくれたこと。ミミを想って泣いてくれたこと。それがキッカケ」

「ですが、それは──」

「分かってる。ママから与えられるはずの無償の愛に恋い焦がれてるだけだって言いたいんでしょ。でも、仮にそうだったとしても何も変わらない。ママが目の前で困ってたら、子どもだって手を貸したいと考えるものだよ。多分」

「………………」

「ミミは先輩のためだったら何だってできる。だから、もしも先輩が親に言われるがまま邪道に進むなんて嫌だと言ってくれれば、ミミが全てを投げ売って先輩の抱えるしがらみを全部壊してあげるよ」

「そんなの……修羅の道ではありませんか。これまでだって返し切れないほどの恩があるのに。それを望むことそのものがわたしにとって邪道に他なりません」

「別にそうは思わないけど。だって、あくまでこれは利害の一致の上で成り立ってるんだから」


 そう言うと、先輩の困り顔は余計に深くなる。


「……先ほど三三さんはもう一度告白していいかと問いましたよね」

「うん」

「──待ってます」風が髪をなびかせる。先輩は闇夜の中で優しく微笑んだ。「ミミさんの中で答えが分かるまで──待ってます」

「うん、嬉しい。あ、あ゙りがと」


 それまでは何があっても生きてください。最後にサヨナラの言葉を残して、先輩は自室に戻っていった。


「うん、またね……」

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