三幕 不測の事態に陥った時点で切り捨てるなんて酷い
「ミミ、もしかしたら体育祭に出られないかもしれない」
体育祭の日が仕事と重なってしまう可能性があることを凪々藻先輩に打ち明けたのは、次の日の昼食の時間だった。
「それはどういうことですの」
「ミミは凪々藻先輩に言ったんであって、お前には言ってない」
あからさまにおっぱい星人の方を見ないで話しかけたというのに、どうしてお前が先に返事をするのか。
仕方ないからこの変態には餌を与えておくことにしよう。
ミミは新しい大人のオモチャの電源をオンにする。
スイッチを入れるとどうなるのかと言えば、おっぱい星人のデカ乳に相応しいデカ乳首をグルグルとこねくり回す代物だ。
「こ、これはンッ! ……素晴らしいですわぁ」
おっぱい星人はテーブルに脂肪の塊を押しつけて、一番刺激を得られるポジション探しに夢中だ。
これで邪魔されずに先輩と会話ができる。
凪々藻先輩は口に含んでいた食べ物を飲み込んでから、上品に口を手で隠した。
「アイラさん、出られないかもしれないことの何が素晴らしいのですか?」
「あっ、いえ。違いましてよ。はぁはぁ……本日のおかずがっ、中々刺激のある物でして……それに対しての感想ですわ。決して三三さんに対してではっ……」
「すみません。早とちりをしてしまいました。それで三三さん。何か用事が重なってしまったのですか?」
「うん……そう。仕事というか……家の都合というか……」
「そうでしたか。それは非常に残念です。何か力になれればいいのですが、家の都合となると部外者のわたしではどうすることもできないですよね」
「うん。詳しくは話せないけど、用事を手伝ってもらうとかも無理なことだから」
「なるほど……」
「あっ! でも、体育祭の大体一週間前から学校休むことになるんだけど、当日までに用事を片付ければ早く帰れるから出られるよ」
「早く済めばいいですね。わたしは祈ることくらいしかできませんが。……実行委員もお休みを取られるまでということになりますか」
「それが委員会なんだけど、今日からもう出られない。左肩を怪我しちゃって……この通り動かないんだ」
銃で撃たれた左肩を動かそうとする。この通りなんて言っても、側から見たら動かないのか動かしてないだけなのかなんて分からないけど。
「食べる時も左腕を全く動かさないなと思ってはいましたが、そういう理由だったのですね」
「うん。用事の日までに治さなきゃだから、放課後は病院行ってリハビリもしなくちゃいけない」
「分かりました。わたしの方から伝えておきます。全く動かないほどの重傷で、そんなすぐに治るものなのですか?」
「完治はムリムリ。でも、ある程度は動かせるようにしないと支障が出るから気合いで治す」
「三三さんの仕事振りには目を見張るものがありましたので、それが見られないのは残念です」
「ミミも先輩ともっと共同作業したかったな。あんなドジ踏まなければ撃たれなかったのに」
「うたれる……ですか?」
「いや、言葉のあやってやつ」
「あの……三三さま。もう少し強くできたりはしませんこと」
おっぱい星人が唐突に話に割って入る。
「あーもう。会話の雰囲気ってやつが台無しだよ。もうおしまい」
そう言ってリモコンのスイッチをオフにする。
おっぱい星人はてっきり残念がると思ったが、何やら不思議そうな顔をする。
まさか、どうしてこのタイミングで電源を切られなくてはいけないのかと疑問に思ってるのか。
すると、おっぱい星人は独り言を呟くように口を動かす。声にはなっていなかったが、唇の動きから何を言ったのかは分かった。
だけど、どうしてあいつは母乳と呟いたのだろうか。考えても全く分からなかった。
ミミは何を考えてるんだ。あいつの思考回路なんて考えるだけ脳細胞の無駄でしかない。
そうこうしている内に、おっぱい星人は一言挨拶をして、足早にどこかへ行ってしまった。
「アイラさん、どうしたのでしょう。先ほどから少し様子がおかしかったですし」
「多分、気にしなくていいやつ」
「何か心当たりがあるのですか?」
「いや、ないけど」
正確にはないんじゃなくて、言えないだけだけど。
「そう邪険にしてはアイラさんが可哀想ですよ」
「そうかも」
あの変態が変態であることを知らない先輩には下手に言い返すよりも素直に同意してしまった方がいい。
「ねえ、先輩。体育祭が終わっても……ミミと仲良くしてくれますか?」
「え? はい、もちろん。こちらこそよろしくお願いします。アイラさんも含めて」
「うん!」
嬉しい。意外にも早く先輩と活動できる時間が終わってしまったから、体育祭という口実が終わった後のことが気がかりだったのだ。だけど、先輩の口からそう言ってもらえてとても満足だ。
この時は確かにそう思った。でも、後になって振り返ってみると、ああ言われて断るなんて普通はできないのではないだろうか。
ミミならハッキリ言うところだけど、先輩も本心かなんて分からないではないか。
結局、仕事で学校を休む日になってもミミの懸念が取り除かれることはなかった。
今の作戦のまま任務を遂行していたら、体育祭までに終わらない気がする。
ターゲットを殺すだけならサクッと一晩で終わる。だけど、ミミたち実行部隊が担う仕事は決してそれだけではない。
もちろん、一連の任務を一人で全部やるわけではない。得意分野とかで任せられる任務の割合は変わる。ミミの場合は最後の始末が多いというだけだ。
基本的に時間がかかるのは情報収集パートである。情報収集と一言で言ってもどこかに忍び込んで何かを盗んでくることもあれば、誰かを尾行することもある。
中でも一番時間がかかるのはターゲットが尻尾を出すまで一箇所で見張ることである。
そして、今回の任務は正にそれだ。情報が出揃った後のお片付けもミミが担当することになるんだろうけど。
「見張ってるだけだと、相手の出方次第では一週間以上はかかってもおかしくないし、どうすれば……」
ミミは空き部屋の窓に設置した望遠鏡を覗きながら、任務にとっては余計なことを考える。
「ミミの方から動いて尻尾を掴めばいいわけだけど」
そのために何をすればいいのかなんて簡単に考えつく。
だけど、もしミミがその案を実行に移せば、それはすなわち作戦に背いたことを意味する。
今まで指示を守らなかったことなんて一度たりともない。そもそも考えたことすらなかった。
ミミの仕事に現場の判断なんてものは含まれていないのだ。逆に言えば、それほどまでに作戦は完璧であるとも言える。
「そこまでして……たかが体育祭に参加する意味ってあるのかな」
命令に背いたらミミはどんな処分を下されるのだろうか。
まず、確実に分かるのは独断で行動して不測の事態に陥った場合は簡単に切り捨てられることである。
指示に従っていてもトラブルが発生して対処できない場合は同様に切り捨てられるのだから確実だ。なんていうか酷い話だ。
次に、結果的に任務を果たせたとする。それでも何かしらの処分は下されるのだろう。
解雇されればミミは戸籍から何まで全てを失う。言うまでもなく高校に通う権利もそうだ。
というか、働いているミミでさえ実態を何も知らない非合法な組織であるのだから、命令違反による解雇ともなれば口封じのために殺されても何らおかしくない。
「ミミは……それでも参加できる可能性が増えるなら、それを選びたい……と思ってる」
ミミの素直な感情を自分に言い聞かせるように一人ごちる。
最近のミミは自分の思考に戸惑うばかりだった。まるで、自分が自分でなくなっていくような気分である。その変化は凪々藻先輩にビンタされて初恋を知った日から始まったのだ。
ミミは通信端末を外して、任務中に着用する漆黒のスーツを脱ぎ捨てる。
バットマンスーツの下には何も着ていないから今はこの世に生まれてきた時と同じ恰好だ。
「銃で撃たれたところ、意外と傷が目立たないようになってる。流石は科学技術。体に傷なんてあったら、先輩のお嫁さんになれないもん。あー、なんか裸になってるとオナニーしたくなってくる。でも、我慢我慢」
ミミの魅力を最大限に引き出す可愛い服に着替えて空き部屋を後にした。
敵のアジトに正面から乗り込む。どこからどう見ても、いたいけな少女が道に迷って怪しい場所に入ってしまったように映ることだろう。
「おい、そこの嬢ちゃん。ここがどこだか分かってるのか?」
いかにもなチンピラに声をかけられる。だから、ミミは正直に答えた。
「ううん。分からないし、興味もない」
任務を命じられる上で相手が誰なのかなんて情報は一つも知らされていない。だから、可能性だけで言えば悪い事なんて一つもしていないのかもしれないのである。
ためらうことなくチンピラ風の男の命を奪って、ミミはアジトの中に潜入した。
ところが、思ったよりも早く不測の事態に陥ってしまう。情報不足であるが故のトラブルだ。行き当たりばったりの潜入であるのだから当たり前なんだけど。
そして、トラブルはトラブルを連鎖的に生んでしまう。
敵の銃撃から逃げる時、ミミは左腕一本で壁をよじ登ろうとした。
「うぐっっ……!」
運の悪いタイミングで左肩の傷口が開いてしまう。そして、ミミはあっけなく敵に捕まってしまった。
気を失ってからどれくらい時間が経っただろうか。体感的には数時間しか経ってない。体の方も傷物にはされていないようだ。
「よかった……」
ミミが幼児体型というか、おっぱいが小さいのが功を奏したのかもしれない。あっ、間違ってもお腹は出てないので悪しからず。
手足は縛られているけど、これくらいならいつでも抜け出すことができる。問題はこの密室──コンテナか何かの中に閉じ込められてしまっていることだろうか。
外側から鍵を閉められてしまっては流石にどうすることもできない。
「その内に誰かがミミを犯しにくるかもしれないし、その時にでも抜け出そう」
そう決めて時間を一秒単位で数えながら誰かが来るのを待った。しかし、とうとう誰も来ないで45万秒──だいたい五日が過ぎてしまう。
「はぁ……流石にお腹すいて限界だな。多分、今日か明日くらいが体育祭の日だよね。でも、ミミはここで死ぬから関係ないか。…………いや……いやだぁ……死にたくないよぉ」
ミミはみっともなく騒ぐように大声で泣き出した。そして、騒ぎ続けているとコンテナと扉が開く。
「お前、まだ生きてたのかぁ。お前を捕まえていたことを今の今まですっかり忘れていたが。しかし、泣き叫ぶ女というのはたまんねぇな。ガキには興味ねぇが遊んでやるよぉ」
ミミはピタッと泣くのをやめて男に詰め寄る。男を床とキスさせてから首の骨をへし折ってあげた。
「噓泣きしたら、なんかスッキリした。助けに来てくれてありがとう。それじゃ、お休みなさい」
道具は盗られてしまっているせいで、久しぶりに汚らわしい男に直接触ってしまった。道具を使えば触らないで殺せるし殺される方も一瞬で死ねるのに、道具がないから一瞬というのは難しくて結果的に苦しんで死ぬ方法しか取れない。
「挽回のチャンスが運よく回ってきたことだし、任務をさっさと終わらせてしまおう」
ミミは機械仕掛けの心臓の、普段は使わない特別なスイッチをオンにした。
全ての片を付けた後、ミミの代わりに派遣されてきた名も知らない同僚に通信端末を渡される。
「お疲れ様です。今回の任務は終了といたします」
通信端末から発せられる聞きなれた声から仕事の終わりを告げられる。
日付を確認すると、やっぱり今日は体育祭当日だった。
時間的には今から学校に急いでもおそらく到着する頃には体育祭は終わっている。
いや、もしかしたら最後の方の競技には間に合うのかな。
だけど、体育祭を不参加にしていたミミは当然ながらどの種目に対してもメンバーに登録されていない。
つまり、仮に間に合ったとしても種目に参加できるわけではない。
最後の方をちょろっと見ただけで果たして体育祭に参加したと言えるのだろうか。もちろん、一つでも競技に出ればいいという話でもない。
「そもそもだ。最後だけ参加して、先輩が体育祭は楽しいと言ったその感情を共感できるわけがない」
学校に急ぐべきか。急がないべきか。メリットとデメリットを天秤にかけて何が正しい行動なのかを考える。
頭の中に思い描いた天秤は迷いを見せずに行かない方を選択した。
「……でも」
ミミは自分でも訳が分からない感情を優先することに決めると、足は既に地面を強く蹴り出していた。




