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王国挿話  作者: 真中けい
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あなたと蜂蜜酒を 中編

 官舎に泊まると言っても、いい加減なものだ。外泊している者の寝台を適当に拝借して横になり、朝が来れば他の騎士と同じように食堂で朝食を食べる。

 ライリーは隊務後、一度帰宅して夕食を済ませてから勝手知ったる古巣に顔を出した。飲み会の議題が議題なので、まだ十三歳のアルは留守番させることとする。

 食堂ではすでに飲み始めている騎士が数人、卓を囲んでいた。そのなかには、呆れ顔で飲み会の計画を聞いていたエベラルドもいる。

「隊務より熱心な顔しやがって。初勝利飾ったからって調子に乗るなよ。あの試合、本来なら引き分けだったんだからな。審判が会場の勢いに水を差せなかっただけだぞ」

「勝者宣言出てから落ちたんだから、いいじゃないですか」

「馬鹿野郎。落馬したら無効に決まってんだろうが。相手が可哀想で見てられなかったじゃねえか」

「ちゃんと謝ってきましたよ」

 ライリーは試合後、起き上がれるようになってすぐ、初戦の相手だった同期の騎士にすまんと頭を下げてきたのだ。

 すると、引き分けだったんだからおれにも勝利の女神の祝福を寄越せ、と相手が騒いだ。ハリエットの唇が触れた額に無理矢理キスをされ、軽い乱闘騒ぎになってしまった。

 ライリーが珍しく、ざけんなよこの野郎! と口汚く罵って拳を振るったのだ。一発だけ命中した後、彼は周囲の騎士に笑いながら取り押さえられた。

「蜂蜜酒がどうとか、浮かれてばっかいるなってんだよ」

 完全にいちゃもんだ。エべラルドは未だにハリエットに飲み比べで負けたことを引き摺っている。

 まったくもって男らしくない。

「そんなこと言って、隊長こそこんなときは付き合いいいですよね」

 上官にしれっと言い返して、ライリーも持参した小振りな酒樽を卓に置いた。

「日々研究」

 うそぶくエべラルドに、向かいの騎士が顔をしかめる。

「ガキの頃から実地で教わってきた奴が、何を今更」

「俺ももうじき二十四だぞ。教えてくれる相手ばっかじゃねえんだ」

 しょっちゅう女性に誘われて官舎に戻らないエベラルドが肩をすくめると、周りの男達は一斉に騒いだ。

「ぐああっムカつく!」

「おまえなんかに教えてやることはねえ!」

「うるせえな。喋りたいくせに」

 昼間の凛々しい騎士振りとは打って変わって、普通の若者らしいエベラルドを従騎士の少年が目を丸くして見ている。

「噂には聞いていたけど、ほんとにモテるひとはモテるんですね」

 少年の感想も無理はない。

 隊務中のエベラルドは硬派な姿勢を崩さない。女官や令嬢達が騒ぐ様子には目もくれず、ただ目の前の職務に忠実に働いているのだ。

「そうそう、……って、なんでおまえここにいるんだ。まだ必要ないだろう」

 ライリーは同じ小隊の従騎士の出席を、今更ながらツッコんだ。

「別にいいだろう。もう十六だ。叙任式を受けたら告白するって決めてる相手がいるんだと」

「もうそんな相手がいるのか」

 ぼんやりしていた従騎士時代のライリーとは大違いだ。

「その子は最近、ライリー様かっこいいとしか言わないですけどね」

「……なんの話だ」

「気にしないでください。おれも気にしてません、むしろ尊敬してます。みんな言ってますよ。エベラルド小隊長になるのは無理だから、せめてライリー様を目指そうって」

「うん。失礼なことを言っている自覚はあるか?」

 男前な上に頭が切れ、実力もあるエベラルドになるのは難しいが、容姿も実力も平凡なライリーを目指すなら現実的だと言っているようなものである。

「とんでもない! ライリー様はおれ達の希望の星です!」

「俺らもだよ。あんな面白い美女、どこを探しても見つからねえぞ」

「ガキの頃の一目惚れだって言ってたな。どこが気に入ったんだ。顔か。胸か」

 下品な同僚の物言いに顔をしかめながらも、ライリーは初対面のハリエットを思い出した。

 もちろん、なんて美しい人だと見惚れはした。柔らかそうな肢体に赤くなりもした。だが一番衝撃を受けたのは別の部分だ。

「……くび、かな」

「頸! ガキのくせに見るとこが違うわ」

「意外とエロいな」

「違います! ……なんかこう、あんなに折れそうに細い頸って見たことがなくて、びっくりしたというか」

 守って差し上げたいと思った、とはほとんど素面の状態で口にはできない。

「ほら、エベラルド。ライリー先生が恋愛の始め方を教えてくれたぞ。心が動かないのか」

「ガキの性癖聞いて何が動くんだよ」

「今そんな話してないですよね! 隊長は過去にひとりもいなかったんですか? 身体だけじゃない相手」

「いた」

 エベラルドの即答に、どよめきが起こった。今日一番の盛り上がりだ。

「え、何、いつ、だれ?」

「おまえにも可愛い時期があったんだなあ! 安心した!」

「今その女どうしてんだよ。振られたのか! 天下のエベラルド小隊長が!」

「隊長も蜂蜜酒用意したりしたんですか?」

 早くから飲み始めていた連中の騒ぎに、エベラルドは白けた目を向けた。答えを期待するいくつもの視線を集めたまま、強い酒を一気に呷って口を開く。

「蜂蜜酒の意味も知らないガキの頃の話だよ。親に隠れて将来の約束もしたけど、相手は十二のときに死んだ」

 その場が一瞬、しん、と静まり返った。

 それぞれが死者を悼む仕草をすると、再び喧騒が戻ってくる。

「十二かあ。おまえのことだから、ずいぶんマセてたんだろうな」

「普通だよ」

 騎士にとって、死は身近な存在だ。明日見送られるのは自分かもしれない。さもなくば隣で笑う友か。

 彼らは、少なくとも人前では死を過剰におそれない。

 死者には敬意を表する。だが、仲間の前で故人に想いを馳せるのは短い時間、とするのが彼らの流儀だ。

 エベラルドは一瞬湿っぽくなった空気を変えようと声量を上げた。

「おい、いつ本題に入るんだよ。ちなみに俺は、ライリーの蜜月失敗に一口賭けてるからな!」

「またですか⁉ ってか嘘教える気満々か!」

「正確な情報を見極める能力は、軍人の大事な資質だぞ」

「卑怯ですよ! ハリエットに負けたからって、仕返しなんて男らしくない!」

「へええ? 休暇明けて帰って来たらどうなるか分かって言ってんだろうなあ?」

「休暇が明けたら、隊長には土産をたくさん持って帰りますよ。楽しみにしててくださいね!」



 なんだかんだ言って、エベラルドはライリーの頼れる兄貴分でいてくれるのだ。

 彼は猥談で盛り上がる男達のいい加減な意見に突っ込み、ライリーに的確な助言をしてくれた。

 騎士団随一の色男が言うことに間違いはないだろうと、その場にいた若い騎士や従騎士は熱心に聴き入った。

 とても妻には聞かせられない内容の話をあれこれ仕入れて、ライリーは翌朝早く、隊務前にと一度自宅に戻った。

 侯爵家に向かう準備を整えていたアンナに、小さな陶器を入れた箱を渡す。

「間に合って良かった。荷物になるかもしれないが、土産に持って行ってくれ」

「蜂蜜ですか。こんな高価なもの、よろしいのですか?」

「いいんだ。俺ももらったものだけど。少なくて悪いが、結婚祝いだと思ってくれ」

 アンナは一瞬驚いたように瞠目した。

「……ありがとうございます。お心遣い、痛み入ります」

「アンナには感謝しているんだ。侯爵家の侍女だったひとに、家政婦の仕事までさせて申し訳ないと思ってる。そりゃあ最初は怖いばかりで気が休まらないと思ってたけど、これまでなんとかやってこれたのは、アンナのおかげだ」

 言わずもがなの心情まで馬鹿正直に告げたライリーに、アンナは珍しく声に出して笑った。

「もったいないお言葉です。どうぞやかましい侍女のいない間に、奥さまと休暇を楽しんできてくださいませ」



 ライリーの計画では、ホークラムまで五日かかるはずだった。

 ハリエットを馬に乗せ、彼女とライリーの目方の差と同じくらいの荷物をその後ろに積む。残りの荷物はライリーとアルが担いで歩く。ライリーが手綱を持ってゆっくり進めば、そのくらいはかかる計算だった。

 前時代には主要都市すべてを繋ぐ石畳が整備されていたこともあったらしいが、そんなものは長く続く戦乱の世には残っていない。馬車を使えるような道は、都市内部にしか存在しないのだ。

 悪路を行くのは、人が乗る馬車でなく荷馬車くらいのものだ。

 旅路につくのであれば、貴族の奥方も令嬢も、馬に乗るか歩くか、さもなくば輿を手配するしかない。

 現在ホークラム家が所有する馬は、ライリーの軍馬一頭のみ。ライリーとアルは荷物を担いで歩く他なかった。

 ところが、ウィルフレッドが馬を一頭用意してくれていた。

 元々ハリエットが侯爵領で乗っていたという美しい白馬で、嫁入り道具の一覧に入れるつもりだったそうだ。残念ながらライリーには厩の用意はできないだろうと諦めた経緯があったという。

 王都に戻ったら侯爵家の馬小屋を使えばいい、世話をする人間も雇ってある、とまで言ってくれた。

 恐縮するライリーに、費用はハリエットの年金から引くから気にする必要はない、とウィルフレッドが肩をすくめた。きっちりしているのである。

 とにかく馬が二頭あって、三人共乗馬が可能という条件が揃えば、ホークラムまで三日もあれば充分だ。

「あの、やっぱりおかしくないですか?」

 アルが高い位置から主人を見下ろして恐る恐る意見した。

「おかしくない。これが一番合理的だ」

 ライリーは少ない荷物を肩に担ぎ上げてきっぱりと言った。

 旅というのは物騒なものなのだ。

 彼らの一行は、貴婦人がひとり、多少武器を使えるだけの子どもがひとり、野盗にでも出喰わしたら闘えるのはライリーだけだ。

 危険の多い旅程は、短ければ短いほどいい。

 というわけで、ライリーの指示の下、ハリエットが乗りなれた白馬に、頑丈なライリーの軍馬にはアルが乗り、荷物をその後ろに括り付けた。

 城下では外聞が悪いからとアルが歩いていたのだが、関所を抜けたところでこのような体制になったのだ。

 ライリーはというと、馬に載りきらなった荷物を身体に密着させて持ち、すっかり走り出す姿勢だ。

「ライリーの後ろをついて行けばいいのですよね?」

 ハリエットは勇ましい乗馬服姿だ。意外と似合っている。

 そういえば、昔は典型的なお転婆娘だったのだとウィルフレッドが言っていたな、とライリーは妻の珍しい姿を眺めた。

「ええ。しばらくは速歩で行きましょう。アルはハリエットの後ろを任せたぞ」

「はい」


 訓練を受けた馬と若い騎士とで持久走をすると、普通は騎士が勝つ。

 ライリーはハリエットと二頭の馬の体力を考慮して休憩を取りつつ、可能な限り先を急いだ。

 おかげで日暮れ前には一泊する予定の街に到着し、あらかじめ先触れを出しておいた宿インの部屋に入ることができた。

 普段のように雑魚寝の大部屋に泊まるわけにはいかないから、個室を用意してもらった。ひとつしかない寝台はハリエットが使って、ライリーとアルは木の床で寝る予定だ。

 二頭の馬の世話をアルに任せて、ライリーは寝台にハリエットを座らせた。早朝から馬に乗り続けたハリエットは疲労困憊で、ライリーにされるがままになっている。

 座った自分の目線より低い位置に赤毛があることに気づいて、彼女はやっと我に返った。

「……何をなさっているのですか」

 ハリエットの革靴の紐を解いていたライリーは、こともなげに答えた。

「足を洗います」

「っそれは妻の仕事です……っ」

 逃げようとする足首を捕まえて、ライリーはハリエットの抵抗には構わず靴と靴下を脱がせた。

 女性にとって足は秘すべきところだから、ハリエットの反応は当然のものではある。が。

「あなたにそんなことさせるわけないでしょう。大丈夫です。従者時代には主人の足を洗っていました」

 普段使わない筋肉を使うと、明日が大変なことになる。

 ライリーは宿に用意してもらった湯桶に、ハリエットの足をそっと浸けた。赤くなった足裏をほぐして足首まで湯をかけ、以前にも似たようなことがあったな、と思い出し笑いをした。

 あのときは立場が逆で、特別訓練で疲弊していたライリーを、ハリエットとアンナが一緒になってひん剥いてくれたのだ。

 往生際悪く奮闘しているハリエットを見上げると、彼女の顔は力み過ぎたせいで真っ赤になっていた。

「いいから力を抜いてください。先に人を裸に剥いたのは誰ですか」

「あのときはあなたがフラフラだったから!」

「今フラフラなのはあなたです。早く済ませてアルにも湯を使わせてやりましょう」

 渋々といったように、ハリエットは抵抗をやめた。

 ライリーは手早く妻の足を清めて、次いで強張ったふくらはぎをほぐした。

 女連れの旅では、どれだけ気を遣っても遣い過ぎということはないぞ。従者になったつもりでなんでもしてやれよ。

 結婚三年目の騎士の助言に従って、なんでもしようと決意した結果の行動だが、やり過ぎだったかもしれない。ライリーは少しばかり後悔していた。

 女性の素足を間近に見たのは初めてだということに、今更ながら気づいてしまったのだ。

 小さくて柔らかくて、足首から上には太いすね毛の代わりに、あるのか無いのか分からないくらいの産毛がうっすら見える。

 美しい妻は、足の先まで美しかった。

 壮年の騎士であった師の足を洗うのとはまったくもって勝手が違った。

 ライリーは乾いた布でハリエットの足から水分を拭き取ると、引き寄せられたように目の前の爪先に唇を寄せた。

 反射的に逃げようとする踵を捕らえて、足の甲にもくちづける。

 ハリエットの左足を両手で包んだまま見上げると、泣きそうな瞳に視線がぶつかった。

「出発前に、休暇は蜂蜜酒を飲んで過ごすんだろうと言われて、餞別に蜂蜜をもらってきました。……俺は、そのつもりでいます」

 真っ直ぐに見つめた先の青い瞳に怯えが走った気がして、ライリーは妻の膝に額を落とした。

 失敗したのか?

 また婚礼のときのように、ひとりで浮かれてしまっていたのか。

 噂と違って、おぼこい奥方なんだろう。あんまりこいつらの言うこと鵜呑みにして無理強いでもしたら、泣いて逃げられるぞ。

 エベラルドの助言が頭をよぎった。

「もちろん昼間はちゃんと領主の仕事をします。ただ、これまであまり一緒にいられなかったぶん、あなたと同じ時間を過ごしたいんです」

 母親の膝に甘えているような図だ。格好悪い。

 ライリーは気持ちの伝え方が分からず、泣きたい気分になった。

 そんな彼の頭に、ハリエットの手がそっと乗せられた。

「……ライリーは子どもが欲しいのですか?」

「それはもちろん、いつかは。あなたの子なら欲しいです」

「…………あなたは望んでいないものだとばかり」

「……何故そんな考えに」

「最初の頃は三十歳でも構わない様子でしたから。てっきり子どものことは気にされていないのかと」

 確かに子を望むなら、妻が若いに越したことはないだろう。だが、十八歳だったライリーはそこまで考えていなかった。

「……いや、できれば欲しいですけどね。でも今はそういう話じゃなくて」

「そういう話でしょう? この休暇はわたし達の蜜月ということですよね?」

 ライリーが驚いて上げた顔に、ハリエットが覆い被さった。彼女が唇にキスをしてくれたのは、これが初めてではないだろうか。

「そんな顔をしないでください。さっきはびっくりしただけです」

「……そんな顔?」

「騎士様らしくない、情けないお顔をしていますよ。……わたしだって、ライリーのお休みを楽しみにしていました」

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