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王国挿話  作者: 真中けい
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ロバート・ティンバートン 後編

 ハリエットは婚礼の日からしばらくの間、夫不在のままティンバートンに滞在した。

 ライリーからの便りは一度もない。ただ王都に住む知人から、騎士団の通常任務に就く姿を見かけたと連絡が来ただけだ。

 ロバートは、ホークラムの資料を読みますか、と色気のない贈り物をした他は、なるべく義妹と顔を合わさないよう気をつけて日々を過ごした。

 いくつも歳上の派手な美女だと思っていた頃ならともかく、ひとつだけ歳上の可愛らしい女性だと判明した今となっては、平静に義兄として接する自信がなかったのだ。

 ロバートだってまだ二十一の若造だ。新婚の夫に去られて落ち込んでいる美女と同じ屋敷内で親しくして、惚れない自信はない。

 報われない想いに苦しむのも、苦しませるのもごめんだ。だからそんな事態に陥らないように、なるべく距離を取って生活することにした。

 幸いハリエットは毎日伯爵夫人と仲良くおしゃべりし、時にはふたりで遠乗りに出掛けたりもしている。義母が不在のときには乳姉妹だという侍女と散歩をしたりして、それなりに楽しく過ごしているようだ。

 ロバートが変に気を遣って何かをする必要はないように思えた。

 そんな生活はひと月も続かなかった。

 ロブフォード侯爵が姉を連れ戻しに現れ、ハリエットはそれに従った。彼女は自分を伯爵家の厄介な居候だと思っていて、弟の迎えを喜んでいるようだった。

 ハリエットは厄介者などではなかった。それだけは伝えなければとロバートは思った。

「ハリエット様。弟が申し訳ありません。でもあいつは、あなたもご存知の通りの男です。まだ少し大人になりきれていないけど、そろそろ目を覚ましている頃だと思います。勝手なことを言って申し訳ないが、ライリーが頭を下げに来たら、どうか話を聴いてやってください」

 ハリエットは目を丸くして、同じ屋根の下に居ながらほとんど会わずに過ごしたロバートの顔を見た。

「はい。……ロバート様は、気づいてらっしゃったのですよね」

 ハリエットがロバートの弟に恋をしていることについての話だ。彼が気づいていたことに、彼女は勘付いていた。

「僕だけだと思います。僕は、ライリーの兄だから」

「……素敵なお兄さまがいらして、ライリー様が羨ましいです」

 ハリエットに兄がいたら、彼女の人生はまったく違うものになっていただろう。そのときはロバートも、可憐な令嬢だと評判になったであろう彼女に求婚する男の列に並んでいただろうか。

「もしライリーを待ちきれなくなったら教えてください。あなたの義兄として、あいつの尻を叩きに行きます」

「はい」

 にっこり笑ったハリエットは、きっとロバートに泣きつきに来たりはしない。

「あなたが居なくなると、屋敷の者が寂しがります。華やかさが足りないと、母が嘆く姿が目に浮かぶ」

「こちらこそ。ティンバートンの皆さまには良くしていただきました」

「また来てくださる日を楽しみに待っています」

 その日が来るためには、ライリーが奮起する必要がある。ハリエットはもう身を引くつもりでいるから、ふたりが一緒にティンバートンを訪れるには、ライリーが動くしかないのだ。

 そもそも彼は、何故あんなに感情的になっていたのだ。

 父に命じられて結婚した。それだけの相手に拒絶されたくらいで、慣れない酒を飲んで泥酔し、子どものように家出をするような真似をする必要はなかったはずだ。

 妻となった女性を、なんとも思っていないのであれば。

(まさかな)

 ライリーは昔から、自分の手に入らない物を欲しがったりしない子どもだった。その彼が、高嶺の花に懸想していたとは考えにくい。

 そういえば、ハリエットの気持ちに気づいたときにも、最初はまさかな、と思ったのだった。

 弟と離れて暮らすようになって、もう五年以上が経つ。彼は今では、実の兄よりも近くにいる兄分に懐き、影響を受けて少しずつ大人になってきている。

 ロバートの知らないライリーの顔だって、たくさんできたはずだ。弟がどんな女性に恋をするのか、もしくはしてきたのか、ロバートは知らない。

 まあ、今日ハリエットが去り、少しばかり居心地の悪かった家も元に戻った。

 当事者のような位置に座らせられることもなくなったのだから、建国記念日が近づくまで、もう少し領地でのんびりしていよう。



 ハリエットがティンバートンを去った数日後の夕暮れ時に、ライリーが息急き切って帰って来た。

 ロバートは話をしていないが、夜明け前に再び出て行った彼の横顔は、なかなかの男前に見えた。

 最後に見たときには不貞腐れた子どものようだった弟は、このひと月で何やら成長してきたようだ。物語の騎士のように、愛を捧げる貴婦人を定めることで一人前になったということか。

 あれこそがロバート自慢の弟の顔だ。彼はやるべきときにはやる男だ。

 ロバートの予想通り、ライリーは男気を見せたらしい。筆不精の彼が、ハリエットと一緒に暮らすことにしたと手紙を書いて寄越してきたのだ。

 それからひと月も経たたない頃だ。王都の伯爵邸を訪ねてきたライリーは疲れた様子だったが、一家の主の貫禄なのか、ひと回り大きく見えた。

 大きくなった身体で子どものように長椅子で昼寝を始めたときには、ロバートは呆れると同時に少しばかりホッとした。

 兄を差し置いてひとりで先に大人になってしまった弟に焦りを覚えたのだが、やっぱりライリーはライリーだった。

 祝賀会では、ライリーとハリエットが仲良く寄り添って挨拶に来た。

 ライリーは相変わらずすぐにでも帰りたい気持ちを隠せていなかったが、妻の前だからと多少は努力しているようだった。

 ロバートがハリエットの手を取って挨拶すると、彼女はくすくす笑って内緒話をしてくれた。

「ライリー様ったら、ティンバートンから戻って来たらお尻の皮が破けていたんですって。お兄さまに叩かれたのかしらと思って、笑ってしまいました」

 笑っている彼女は今まで見たなかで一番美しく、幸せそうに見えた。

 他の祝賀会の参加者も、ロバートと同じ感想を持ったようだ。

 ほとんど変装のような装いをやめて、歳相応の新妻らしく振る舞うハリエットを見る人々の視線は、好意的なものが多かった。ついでに、隣に立つライリーの株も急上昇しているようだ。

 キャストリカの薔薇を自分色に染めた男とは何者だと見ると、夜会には珍しい制服姿の騎士団の若者が彼女に寄り添っているのだ。

 いくら気取って着飾っていても、男は雄として負けると分かり切っている相手には立ち向かえない。失恋の腹いせにライリーに絡む度胸のある男はいなかったようだ。

 遠巻きにする令嬢達も、憧れの目でふたりを見ている。

 そのなかには、昨年ライリーと踊っていたロージーもいた。

 失った恋を目の当たりにしてしまったであろう彼女を、昔馴染みのよしみで慰めてやろうかと探していたのだ。

 ところが、彼女は傷ついたというよりも、うっとり、に近い目をしてライリー達を見ていた。

 彼女に慰めは必要無さそうだ。

 今年の祝賀会も、ロバートは傍観者に徹することで楽しんでいた。



 ライリーの結婚生活は、それなりに上手くいっているようだった。

 困難は多くあるのだろうが、彼は十三歳のときから親を頼ることを忘れてしまっている。そんな夫に従って、ハリエットも慣れない生活に奮闘しているらしい。

 伯爵夫妻は、泣きついてくるまで放っておけ、と言いながらも息子夫婦の様子をそわそわといつも気にしている。

 ロバートも両親に倣って、余計な手出しはしないよう心掛けている。

 そして両親は、気を紛らわすようにロバートをせっつくようになってしまった。

 弟のほうが先に結婚してしまった。おまえも早く相手を決めろ。自分で決められないなら、こっちで決めてくるぞ。

 勘弁してくれ、とロバートは思う。

 弟が国で最も美しい貴婦人と結婚したばかりなのだ。ロバートにどんな女性を選べというのか。

 伯爵家の継嗣たるロバートには、結婚して跡を継ぐ男子をもうける義務がある。早くしなければ、継承権二位のライリーが落ち着かないというのも分かっている。

 だが、今は相手が誰であっても、弟の妻と比較しない自信がないのだ。

 いっそのこと、ハリエットに憧れる令嬢とでも結婚してしまおうか。

 義妹はあんなに素敵なのにとロバートが言えば、そんなの当然だ、比べることすら彼女に失礼だと言い返してくる女性なら面白いかもしれない。

 そんなことを考えているロバートを、ある日ロージー嬢が訪ねて来た。

 昔から実年齢よりも幼い彼女は、どこへ行くにも乳母を伴っている。ところがその日は、まだ十代前半の見習い侍女をお供に連れていた。

 その侍女のつりあがった大きな目は気の強さを窺わせたが、まだ雇って間がないのか、緊張の色が濃い。

「今日は可愛い侍女を連れているね。向こうで果実水でも出させようか」

「ロバート様、この子はわたしの侍女ですが、同時に同士でもあるのです。今日はこの子も一緒にお話をしたくて」

「同士?」

「彼女はエイミー。ライリー様信奉会の会長です。騎士団の鍛錬場を見学に行ってお友達になりましたの」

「……ライリーのなんだって?」

 ちゃんと聞こえていたが、聞き間違いの可能性がある。ロバートは念のため聞き返した。

「ライリー様信奉会です」

「………………そう。うちの弟が世話になっているのかな」

「彼女のお父さまはライリー様の上役なんですよ。王立騎士団の中隊長で、ライリー様のお隣にお住まいだそうです」

 またややこしい立場の人間を。ロバートは幼馴染の少女を追い返したい衝動にかられた。

 弟の上官の娘ならば、丁重に扱うべきだ。だが彼女は伯爵家に萎縮している様子だ。今はロージーの侍女とだけ認識しておけばいいのだろうか。

「……待てよ。ライリーの隣人か。君はドットを知っているかな?」

「はい。ハリエット様のお手伝いに来られていました」

 はきはきと答える様子は賢そうで好感が持てた。

 ロバートはエイミーの緊張を緩和させるために、従僕のドットを呼んで同席させることにした。彼はライリー不在時にハリエットの力になるようにと伯爵家から派遣されて、たまに手伝いに行っているのだ。

「エイミー? なんで君がここに」

「ドットさん、こんにちは。あたし、こちらのロージー様のお家で雇ってもらうことになったんです」

「そりゃあ、奇遇だったな」

 奇遇なものか。彼女達はライリーの新旧関係者だ。お互いにそれを知った上で、雇用関係を結んだのだ。

「で? その会長さんと君が、僕になんの用なんだい?」

「そうそう。わたしもホークラム子爵夫妻を見守る会の会長に就任しましたの」

「は?」

「この間の夜会、おふたりがとっても目立っていたでしょう? それでわたし、素敵なご夫婦だって見惚れていたご令嬢達とお友達になりましたの。ライリー様とは昔からの知り合いですって言ったら、是非会長になって欲しいと頼まれまして」

「君は馬鹿なのか」

 ロバートはとりあえず正直な感想を口にした。

「なんですって?」

「君は昔から、ライリーのことが好きだっただろう。それでいいのか」

「そんなの、ロバート兄さま達がちっとも構ってくださらないから、唯一遊んでくださるライリー様にくっついているしかなかっただけじゃない」

 ロージーの兄はロバートと同じ歳だ。昔の彼らにとって、小さな彼女とライリーは足手纏いだったのだ。

「なんだと? 走るライリーについて行けなくて泣いている君を、負ぶって連れて帰ってやった恩を忘れたのか」

「そんなこと忘れました!」

 つまり彼女は、昔の幼い初恋の相手と同時に、その妻にも惚れてしまったのだ。そして同じようにふたりに見惚れる令嬢達と、意気投合してしまった。

 まだまだ子どものロージーは、結婚相手を探すよりも、同年代の友人ができたことのほうがずっと大事だというわけだ。

 でもまあ確かに、引っ込み思案で内気だった彼女に、気の合う友人ができたのはめでたいことではある。

「もういいよ。疲れた。本題に入ってくれ」

「はい。あのですね、これは会員の総意なのですけれど、ロバート様に顧問を」

「断る」

「最後まで聞いてくださってもいいじゃない!」

「もう聞いた。答えは拒否だ。さあ帰ってくれ」

「ロバート兄様の意地悪!」

 ロバートは昔のことを思い出していた。

 何が僕の弟はかっこいい、だ。

 僕はいつもあいつの尻拭いばかりしてきたじゃないか。

 高価な硝子製の杯を割ったときも、こっそり父の書斎に入って大事な書類を破いたときも、一緒に叱られてやった。

 ロージーにしたって、ライリーは一緒に遊んでいるのを忘れてよくひとりで走って行ってしまっていたのだ。泣き喚く彼女をなだめるのは、何故かロバートの役目だった。

 母によって、彼の新妻を慰める茶会に引っ張り出されたのは、最悪な体験だった。

 この上、あいつに惚れた令嬢達の相手をしろと?

 冗談じゃない!

 僕だってそんなに暇じゃないんだ。父の仕事の手伝いはあるし、早いところ結婚相手も探さなきゃならない。

 ロバートは、もうロージーの相手をするのはよそうと、心に誓った。

 気が弱いくせに意外と押しの強い少女に勝てた試しがないことなど、彼はすっかり忘れてしまっている。



 建国を祝う祝賀会から、短い出逢いの季節がはじまる。

 貴族の令息令嬢は恋の相手を探し、いくつかの季節を共にして、そのひとが一生を添い遂げられるひとかどうかを見極めるのだ。

 なかにはそんな世間の流れはお構いなしに、自分の楽しみに忠実に生きる人だっている。

 キャストリカは小さいといっても、三十万人の人口を抱える国だ。貴族階級にあるのはそのうち約三千人。

 様々な人物がいて当然なのだ。

 まったく違う道をいくティンバートンの兄と弟はそれぞれの思いを抱え、たまには顔を合わせたりもしながら己の定めた道を歩んでいる。

 正反対に見える彼ら兄弟は、口には出さないまでもお互いのことが好きで、この世でふたりきりのかけがえのない存在だと思っていたりもする。

 だが決して、その思いを表に出したりはしない。

 何故って、ふたりは兄弟だからだ。

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