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王国挿話  作者: 真中けい
24/24

夜明けをわたしに 後編

 翌日、アデライダの気が変わらないうちにと、大急ぎで婚礼の準備が調えられた。

 街の結婚式のように教会では執り行われない。そもそも村には教会がないのだ。

 アデライダは前々から用意されていた新品の紅いコットを着て、白いベールで豊かな髪の毛を隠した。

 エベラルドはぼんやりと、妹の晴れ姿を眺めていた。

 新郎は、候補の中から一番エベラルドの髪色に近い男を選んだ。同じ色の瞳までは望めなかったが、青色はこの地方では珍しいから仕方がない。

 前日に花婿にと指名された青年は慌てただろうに、式では立派にその役を務めてくれた。

 ふたりが初夜を迎えている刻限、エベラルドは野外の宴席から離れずに、強い酒を選んであおり続けた。今なら子爵夫人との飲み比べでも勝てそうな気がする。

「おい、エベラルド」

 ウッドが複雑な顔をして話しかけてくる。

「なんだよ」

「あの音は」

「気のせいだ。俺には何も聞こえねえ」

 これで何杯目か、数えられなくなった木製の器を機械的に口に運んで、エベラルドは伯父の心配を切り捨てた。

「おまえなあ、そんなになるくらいなら」

「うるせえよ」

 耳を澄ましていたエベラルドに、高音の悲鳴が届く。

「どうなんだ、あれ」

       ぃやーー……っ

「知らねえよ、そういう趣向なんだろ」

    ……ぃやだってばっ    いでっ……

「おまえが行かないならおれが」


           にいさん  たすけて  !


「…………あああくそっ」

 エべラルドは立ち上がって酒杯を更にあおった。

「あんたのせいだぞ! なんであいつあんな我儘に育てちまったんだよ!」

 養子になじられて、ウッドは優しい顔で教えてやった。

「アデラはいい子だ。あの子が我儘言うのは、おまえに関してだけだよ」

「……ちくしょう、俺ぁもう知らねえからな」

 エベラルドはちっとも酔いをもたらしてくれなかった酒杯を卓に叩きつけると、走り出した。

 領主館の二階にこもっているはずの新郎新婦の姿は、玄関を開けてすぐに見つけることができた。

「エベラルド!」

 顔見知りの新郎が、バツの悪そうな、けれどほっとしたような顔でエベラルドを呼んだ。

「何遊んでやがる。外まで丸聞こえだぞ。無理強いはするなって言っただろうが」

 居間を見渡すと、そこは嵐が通り過ぎたような有様だった。

 壁の防寒布は剥がれ、ウッド秘蔵の葡萄酒が撒き散らされている。食器はあちこち散らばっているし、暖炉の灰が部屋中を舞っていた。

「おれは悪くないぞ! アデラが」

「女に責任押しつけんな。てめえがそんなだから、この有様なんじゃねえのか」

 エベラルドの言葉に目を丸くしたアデライダだったが、予想とは反対に形勢が有利であることを察知すると、彼の後ろで右の拳を振り回した。

「そうだそうだ!」

 すかさずエベラルドは、低い位置にある頭の天辺に、視線もくれずに拳を落とした。

 文句を言おうと口を開いた新郎だったが、頭を抱えて声も無くうずくまる新婦に慌てて駆け寄った。

「こいつに近づくな」

「……どういうことだ」

「俺が悪かった。今回の話はなかったことにしてくれ。全部、俺が悪かったんだ」

 青年は何かを言いかけたが、エベラルドの視線に気圧され、黙って外に出た。

 あいつは、外で飲んでいる連中に慰めてもらえばいい。そう投げやりに考えながら、エベラルドは扉の向こうに男の背中が消えるまで見送った。


 家の中にふたりきりになると、エベラルドは頭を押さえてうずくまるアデライダの腕を掴んで無理矢理立たせ、乱暴に二階まで連れて上がった。

 いつも彼が使っている寝室に彼女を放り込むと、閉じた扉に腕を組んで寄りかかった。

 窓から差し込む月明かりが、髪を乱した少女の姿を浮かびあがらせた。

 彼女はエベラルドの知らない女に見えた。

 アデライダは恐ろしい顔で睨んでくる兄の視線を避けて、寝台の上で掛布をかぶった。

「……あいつが悪いんだもん。あたしやだって言ったのに」

「嫌だったのか」

「嫌だよ。そんなの嫌に決まってるじゃない」

 そういうものなのだろうか。

 エベラルドの知っている女はみな、喜んで彼を受け入れた。彼女達は彼に触れられることを望み、彼が触れるとよろこんだ。

 アデライダの気持ちが、エベラルドには分からないのだ。

 夫なんて誰でもいいと言いながら、土壇場になって触れられるのを拒む女の気持ちなど、彼には想像もできない。

 口では兄と呼びながら、アデライダはエベラルドのことを兄として見てくれなくなっていた。

 エベラルドが兄として五年間、父のように母のように、慈しんで育てた娘。

 その後の十二年間は、数えるほどしか会っていない。その間に彼女は、彼の理解の及ばない女になってしまった。もうエベラルドのことを兄として見てくれないアデライダは、妹でも娘でもないのだ。

 これはエベラルドの知らない女だ。

 ふ、と口の端から笑いが零れた。

 自分でも思いがけないその笑みに、エベラルドは肩の力を抜かれた気がした。

 もういいか。

 血筋にこだわる連中の鼻を明かしてやる。そんなことはもう、どうだっていい。

 連中に反発して、連中以上に血脈を気にしてやるのも馬鹿馬鹿しい話だ。

 成長した愛おしい娘は、見知らぬ女になってしまった。エべラルドはその女に、眩暈がするくらいの情動を覚えた。

 ならば、もういいじゃないか。

 エべラルドに残された最後の宝は大人になって、彼は彼女を自分のものにしたいと思った。

 その事実がなくならないのであれば。



「俺にしとくか」

 アデライダは弾かれたように顔を上げて、離れた場所に立つエベラルドを見た。

「なんだよ。嫌なのか」

「! ううん」

 慌てて首を横に振って、アデライダは身を乗りだした。

「ううん。嫌じゃない。兄さんがいい」

「じゃあ、そういうことにしとくか」

 そういうことってどういうことだろう。少し疑問には思ったが、エベラルドの気が変わっては困る。こくん、と黙って頷いておいた。

「……ねえ、兄さん」

「なんだよ」

 扉にもたれかかったままの素っ気ない返事に、アデライダは首を傾げる。

 ついさっき、求婚されたように思ったのは気のせいだっただろうか。まさか目を開けたまま夢を見ていた?

 エベラルドが唇の左端だけを持ち上げた。

 変なの。中途半端な笑い方。さっきみたいに、昔みたいに笑えばいいのに。

 アデライダは思う。

 そうしたらきっと、すべてが上手くいくような気がする。エベラルドが笑って生きられるなら、失くした祖国のことなんかどうだっていいと思えるのに。

 でもそんなわけにはいかないのだ。

 彼は今更、過去を忘れることなんてできない。

 アデライダがエベラルドの望みを叶えるしかないのだ。

「おまえ、全部顔に出てるぞ」

 エベラルドが笑い方を変えた。今度は利かん気な子どもに手を焼いたときの顔。

「うそ。あたしが考えてることなんて、兄さんには分かりっこない」

 睨みつけるようにして見上げると、エベラルドはますます困った顔になって、その顔のままアデライダに近づいてきた。

 びっくりして目を閉じると、額に湿った感触が触れた。

「…………またこども扱い」

 やっぱりさっきのは白昼夢だったようだ。おでこにキスなんて、眠りに就く前の子どもにするものだ。

「大人扱いして欲しいなら、兄さんはやめろ」

「……エベラルド?」

 今度のくちづけは唇に落とされた。羊を狙ってやってくる狼みたいに、下唇に噛みつかれた。

 エべラルドのキスは、彼女が村の女達から聞いていたのとはまったく違うものだった。

 アデライダの腰を大きな手が支える。頭の後ろにもうひとつの手が添えられ、エベラルドの唇が頬をすべって耳の下まで移動してきた。

「ん?」

「……なんだよ」

「何してるの?」

「…………何って」

 アデライダはわざとつくった幼い顔で、エベラルドをまっすぐに見上げた。

「なんですぐそういうことするの? なんで、してもいいって思ったの? 王都ではいつもそうやってるの?」

「………………俺に分かるように喋ってくれるか」

「他の女全部、精算してから出直してこい」


 エベラルドは領主館の扉を乱暴に開閉し、伯母に詰め寄った。

「あのガキどういう育て方したんだよ‼」

「なんだよ。いい子に育ててやっただろう」

 宴席を片付ける大人達が、半笑いでエベラルドを見ている。

 彼は王立騎士団の若手を代表する出世頭だ。騎士団一の色男の異名も持つ。冷静沈着な切れ者として評判の中隊長なのだ。

 こんな視線を浴びた経験は未だかつて、一度としてない。

 こんな屈辱は生まれて初めてだ!

「……ちくしょう、死にてえ」

 伯母は、顔を覆って低く呟いたエべラルドを鼻で嗤った。

「そら、あんた達の茶番に付き合わせたみんなに頭下げに行くよ。あたし達も一緒に謝ってやるから」



 王都に戻ったエベラルドは、特別訓練を課してくれ、と自ら大隊長のマーロンに願い出た。

「浮かれてねえ。断じて浮かれてねえが、黙ってるのは公平じゃないだろ」

 ぶつぶつとひとりで言い訳をしている彼に、仲間達は驚きながらもニヤニヤ笑いを抑えられなかった。

「え、あいつ田舎に本命ができたの?」

「最近まったく外泊してないんだぜ。毎晩きっちり官舎に帰るエベラルドなんか、見たことないだろ」

「今度三ヶ月間休み返上で出勤して、長期休暇取るんだとよ」

 聞こえよがしの噂に、エベラルドは鋭い視線を投げた。

「てめえら、覚えとけよ」

「何をですか? あ、隊長。午後の鍛錬、俺も参加しますから。えっと五番目くらい? の相手ですよ!」

 エベラルドが副隊長の笑顔目掛けて攻撃を繰り出すも、その威力不足の拳はあっさりと受け止められる。

「……ライリー。調子に乗んなよ」

「さすがの隊長もぼろぼろですね。大丈夫、隊長のうっかり殉職を防ぐために、俺も全力で協力しますからね!」

 最近のライリーには、一対一の剣技では敵わなくなってきている。そんな彼が五番目に出てくるならば、日頃の恨みもこめてぼこぼこにされるのは目に見えていた。

 拳を掴む手を振り払って、エベラルドは舌打ちするよりなかった。

 エベラルドの体調は最悪だ。

 あれから女の誘いはすべて断り、それなりに長い付き合いの女には、もう逢えない、と頭を下げた。

 彼女達はそっか、おめでとう、と笑って祝福の言葉をくれた。

 そういう女と、それだけの付き合いしかしてこなかった。少し寂しげな顔をした女の本当の心中を推しはかることは難しいが、エベラルドにそれを追及する資格はないし、もし分かったところでしてやれることは何もない。

 平穏な夜をもたらしてくれた柔らかい身体を断つようになった今、悪夢は毎晩のようにエベラルドを苛んでいる。

 それでも騎士団の馬鹿げた伝統の効果か、それなりに眠れてはいた。隊務に支障は出ていない。

 悪夢の終わりに、褐色の髪をした見知らぬ女が優しく頭を撫でてくれる日もあった。

 何故かそのときのエベラルドは血塗れの狼の姿になっていて、新たな悪夢が始まったような気もしている。

「長期休暇楽しみだなあ、おい」

「何が楽しみだ。種馬になりに行くだけだ」

 それは、田舎に妻を置いて王都の隊務に就く騎士が、自虐して使う言葉だ。

「やあっぱそうなんじゃねえか!」

「よし、それまでにありったけの蜂蜜集めといてやるからな。任せとけ!」

「てめえはハチかよ」


 エベラルドには望みがある。

 それは褒められたものではない、多くの人を不幸にするものなのだろうが、彼が夜を終わらせるためには必要なことなのだ。

 望みを叶えるために、真っ暗な夜のなかをもがきながら、なんとかここまで生き存えてきた。

 多少の犠牲など知ったことかと思ってきた。

 今でもそう、思っている。

 だが、こいつらはエベラルドの仲間だ。

 何も知らない、気のいい連中だ。

 女癖の悪い同僚が身を固めることを知って、我が事のように喜んでくれる。

 エベラルドは、彼らを、この騎士団を大事に思っている。

 十三の年から十二年、人生の半分近くをここで過ごしてきたのだ。家族以上に家族のような、エベラルドの居場所になってしまった。

 こんなふうになるつもりなんか、なかったのに。

 彼らの人生を、この手で奪いたくはない。



「ならやめればいいじゃん」

 そう、賢いアデライダはあっさりと答えをくれる。

 エベラルドは家事で荒れた細い指を弄びながら、くつくつと笑うしかなくなるのだ。

「簡単に言うなよ。もう引き返せないんだって言ったろ」

 口元まで引き寄せた指先に貴婦人へするようなキスをして、彼はその手を自分の頬に当てた。

「あ、やだヒゲ。ちゃんと剃っといてよね。それ、ちくちくして痛いんだよ」

「……最近やっと分かってきたぞ。おまえが憎たらしい口利くのは、怯んだか照れ臭いか、どっちかのときだって」

 びく、とアデライダの肩が揺れた。

「女の子相手にそんな凄み方するのはどうかと思うよ」

「なんだ、びびってんのか」

「当たり前でしょ!」

 わめく口をキスでふさいで、寝台の上に仰向けに倒した身体にのしかかる。

「重いってば」

「いちいち照れるな。面倒臭え」

「もうやだ、今日はもうやめよう。うん。今日は日が悪い」

「……そろそろ黙ってくれるか。こっちもそれなりに葛藤しながらここまで来てんだ」

「何よそれ。今からでも引き返す? 引き返せないんだったら、あたしが一緒に立ち止まっててあげるよ。このまま一緒に、窓から夜明けを見てようか」

 賢いアデライダ。

 そうだ。選択肢はひとつじゃない。道は何本だってある。

 気に入る道がないのなら、自慢のこの腕で切り拓いてやればいいだけだ。それも面倒になったなら、どこへも行かずにその場でひっくり返っていればいい。

 アデライダはいつも大事なことをエベラルドに教えてくれる。

 臆病な少年のままのエベラルドが見せかけだけでも強い男になれるのは、アデライダの存在があるからだ。

「おまえが、俺に夜明けを見せてくれるのか」

「駄目だよ。そういうときには、夜明けをわたしと一緒に見てくださいって言うんだよ」

「……おまえはどこでそういう台詞を覚えてくるんだ」

「昔お母さんが話してくれたじゃん。宮廷風騎士道物語」

 騎士は嫌いだけどお話は好き、とはどういう嗜好だ。

「素面でそんな台詞を吐ける男は碌な奴じゃないぞ」

「言えないよりは言える男のほうがいいよ」

 あの伯母から、騎士道物語なんか聞いたことがあっただろうか。覚えがないから、エベラルドが従者になってからの話なのだろう。

 ライリーの奴なら、奥方が望めばそのくらいの台詞はひねり出してやるんだろうな。

 だが残念ながら、エベラルドにはそんな芸当はできない。

 心の中で試しに呟いてみるのがせいぜいだ。



 どうか姫君、終わらない夜を終わらせて、夜明けをわたしに見せてください。



 夜を終わらせ、夜明けを迎えるために、エベラルドはこの国を滅ぼす。

 もう引き返すことはできないのだ。

 だが。それでも。

 後ろに引き返すための道はなくとも、目的地に辿り着くまでの道は無数にある。

 エべラルドの大事なお姫さまが、そう教えてくれたのだ。

 これからエべラルドがどの道を選ぶか、どんな道を拓くのか、それを決める権利は彼自身にある。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。


2022.07.25 完結編『余生をあなたに』始めました。

引き続きお読みいただけましたら幸いです。

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