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王国挿話  作者: 真中けい
22/24

夜明けをわたしに 前編

外伝です。

引き続きエべラルドの話です。

 アデライダは夜が嫌いだ。

 けれどエベラルドが一緒にいてくれるなら、その限りではない。

 それどころか、今夜は素晴らしい夜になりそうだ。

 ふたりの仲間と戦場に向かったエベラルドは、それから十日ほど後に便りを寄越してきた。

 配達人はライリーで、アデライダにエベラルドからの手紙を手渡してくれた。

 つい最近初めて戦場に立つという経験をしたばかりのはずの少年は、前回会ったときと変わらない、緊張感のない笑顔をしていた。

「俺はエベラルドのことを尊敬してるけど、君からお兄さんを取ったりしない。血なんか繋がってなくても、エベラルドはアデラのことを大事に思ってるよ。だから大丈夫だ」

 そんな頓珍漢な台詞を残して、彼は手を振って道無き近道を戻って行った。

 手紙には今夜迎えに行くから、山小屋に行く準備をしておけ、とあった。

 普段は夏にしか使われることのない山小屋は、昔はよく羊飼いが使っていたものだ。

 アデライダは山歩きができるよう、上衣チュニック脚衣ブレーを着こんで、麻袋に念のための防寒具とパン、チーズ、麦酒を詰めてエベラルドを待った。

 明日あたりには満月になるし、空に雲は出ていない。灯は必要ないだろう。

 エベラルドは月が顔を出しかけた刻限に帰ってきて、両親に明日朝には戻る、と言い置いてアデライダを連れ出した。

 エベラルドはこれといった用事があったわけではなく、ただアデライダと一緒に過ごすためだけに来てくれたらしい。

「ライリーが言ってたんだ。おまえが俺と血が繋がってないことを不安に思ってるって」

 馬鹿じゃないの、とは思ったが、その馬鹿のおかげでエベラルドがこうしてアデライダを甘やかしに来てくれたのだから、良しとすることにした。

「だって兄さん、ライリーのこと可愛がってた。ザックってひとのことも好きみたい」

「ああ……まあな。あいつらはいい奴だ。でも俺はアデラが一番大事だ」

 昔は、アデラだけ、って言ってくれていた。

 覚えているわけではないけれど、手紙にはそう書いて送ってくれていた。

「ふうん」

 小さな山小屋の中でくっついて毛布にくるまっている今なら、まあ一番ならいいか、と寛大な気持ちになれる。

 アデライダは小さい子みたいにエベラルドが広げた脚の間にちょこんと座って、長い脚にもたれかかった姿勢で低い声を心地良く聴いていた。

「あのなあ、アデラ。もうあんまり時間がないんだ。おまえは十三になった。アデラは発育不良気味だから、十七になるまで待ってくれって言っておいてあるけど」

「え、それひどくない?」

「事実だろ。ちびすけ」

 確かにアデライダは背が低いし、欲しいところの肉はなかなか育ってくれないけれど、言い方ってものがある。

「すぐに大きくなるよ」

「ああ。大きくなるのを待ってくれって言ってあるんだ。おまえだってちょっとどこかが違ってたら、十七で成人扱いのお姫さまだったんだから。妥当だろう」

「あと三年半」

「ああ。なるべくおまえの希望に沿ってやる。誰がいいか考えとけ」

 曖昧な言い方だったが、アデライダは彼がなんの話をしているのか分かっていた。

「なら兄さんがいい」

 アデライダは何度も繰り返した答えを再び口にした。

「俺は駄目だ。俺はアデラの兄貴だ」

「血は繋がってない」

「ああ。繋がってないけど、同じ乳で育った兄妹だ。ずっと側にいてやるから。そんなに心配するな」

「今もまだ、姉さんのことが好きなの?」

 ふり仰いで見たエベラルドは困った顔になって、アデライダの頭に顔をうずめた。

「……分からん。もうだいぶ忘れちまった。でもあの夜のことは頭から離れない」

 アデライダは身体を捻って手を挙げて、灰褐色の髪をよしよしと撫でた。

「そっか。ねえ、兄さんの髪って狼みたいだよね」

「……ああ。久しぶりに見たら、確かにこんな色してたな」

「あの狼、ライリーにかぶさってた奴、血を流して倒れかかる兄さんに見えた」

「俺があいつに負けると思ってんのか」

「分からないじゃない。ライリーはまだ従騎士だけど、今でも充分強いし、これからもっと大きくなるんでしょう?」

「なんだ、やっぱり気に入ってたか。いっそのことあいつにしとくか?」

「やめてよ」

「なんでだよ。確かにおまえの言うとおり奴はこれから強くなるし、血だって半分混ざってはいるが、申し分ない。あいつは俺が言えば、きっとうんと言うはずだ。よし、そうしよう。悪くない考えだ。ライリーはいい男になるぞ」

「仲間に、なって欲しいの?」

 明るい声を出したエベラルドだったが、アデライダの言葉に、再び濃い褐色の髪で顔を隠した。

「……おまえは本当に賢いな」

「当たり前でしょ。とにかくライリーは駄目。今日も見当違いなこと言ってたし、噛み合わないよ。それにあのひと、うんと歳上の金髪巨乳美女のことが好きなんだって」

「なんだそりゃ。そんなもん、よくある小僧の妄想だろ」

 現実の女性に詳しい男らしい言い方に、アデライダは鼻白んだ。

「ふうん」

「……おい、何考えてやがる」

「べっつに」

「ああもう面倒くせえなあ。昔はもっと可愛かったのに。ほら、もう寝るぞ」

 もう一緒に寝ない、と言ったはずのエベラルドが、アデライダを抱えたままごろりとその場で転がった。

 ふふふふ、と笑いながら、アデライダは太い腕枕に頭を乗せた。

「やだ、枕が高すぎる」

「うるせえ。放り出すぞ」

 アデライダはもぞもぞ動いて、エベラルドの左脇下に頭を落とすようにして、二の腕と胸板に頭の重みを預ける形に落ち着いた。

「よし」

「よしじゃねえ。本当にこれが最後だからな」

「はいはい。もうそれ何回も聞いたよ」

 ああもう昔はもっと可愛かったのに、と同じ言葉を繰り返して、エベラルドは目をつむった。

 違うでしょ、兄さん。エベラルド。

 アデライダには分かっている。

 彼は昔よりももっと妹が可愛くなったから、一緒に寝たくないのだ。

 ずっと自分を捕らえて離さない、過去を大事にしたいがために。




 エベラルドは、そろそろ戦後処理が落ち着いたと言えるだろうかと、周囲を見渡した。

 敵陣は居住地まで迫ることはなく、耕作地からも離れたところで交戦したため、土地が荒らされることはなかった。死者もほとんど出なかった。埋葬は敵軍が引き下がった翌日にすべて終わった。

 下っ端の仕事は散らかった装備を拾うことと、念の為の辺りの捜索くらいだ。

 戦は小競り合いと言える規模にしかならなかった。

 隙あらばキャストリカの西の砦を奪還せんとやって来る隣国との小競り合いは、今に始まったことではない。何しろ建国以前からの関係だ。もう半世紀以上が経つのだから、そろそろ諦めろよ、と思ったりもする。

 せっかく暇を見つけて、実家に顔を出したところだったというのに。

 ライリーを巻き込んだザックが追いかけて来たせいで、面倒なことになりかけるところだったから、却ってよかったとも言えるが。

 ライリーは短い時間で、アデライダの信用を勝ち得たようだった。思春期の少女を身を挺して守ったのだから、当然かもしれない。

 残念ながらそういう意味での微笑ましさは見て取れなかったが、ぼんやりしたライリーのことだからそこは仕方がない。

 今回は平地からでなく、山の中腹より低い位置を自国からぐるりと廻って、砦の死角から攻めてこようとした軍勢は、整然と並んだキャストリカの騎士団にあっさりと追い払われた。

 いち早く敵の動きを報告に上げたエベラルドの評価は、これまで以上に高まった。戦功を挙げたわけではないが、彼が小隊長に昇格する日は近いに違いない。

 ライリーは小競り合いが終わって落ち着くと、毎日のように狩猟に駆り出されている。

 彼は狼の群れがひとつ無くなったことで、鹿などの害獣が増える心配があると上官に進言していた。すると、よし、じゃあ増える前に暇な従騎士を連れて狩れるだけ狩って来い、と尻を叩かれたのだ。

 元々狩猟は戦の練習になるからと騎士に励行されているのだが、王都ではなかなかその機会が巡ってこない。駐屯先では毎日のように狩猟班が組まれていたが、ライリーに狩猟隊長を任せるようになると、獲物の数が倍増した。

 余った肉を近くの村に持って行くと、有難がって代わりに野菜を分けてくれる。

 おかげで戦後処理中とは思えないほど、最近の騎士団の食卓は潤っていた。

「エベラルド。だいぶ手も空いてきたし、そろそろ実家に顔出してこいよ。アデラちゃん心配してるだろ」

「ああ、そうだな。近いうちに暇をもらって行って来るか」

「俺も……」

 ザックの言葉を、エベラルドの鋭い視線と言葉が遮った。

「ついて来るなよ」

「へいへい。なんだよ。俺だって妹紹介してやったろ」

「頼んでないだろ。おまえの妹なんか、どんだけ美人でもごめんだ」

「ひでえな。俺はおまえをお兄さまと呼んでやってもいいと思ってるのに」

 これはザックのいつもの軽薄な軽口だ。

 分かっていても、エベラルドはいつものように流すことができなかった。

「アデラに近づくなよ」

「……分かったよ。ずいぶん大事にしてるんだな。歳が離れてるとそうなるのか?」

「そうなんじゃないですか?」

 ひょっこり現れたライリーが、会話に加わってきた。

「なんだその格好。水散らすなよ」

 髪から水滴を滴らせながら歩いてきたライリーは、上裸の左肩に絞った肌着と上衣を引っ掛けていた。

 最初の頃は従騎士の共同部屋で着替えることも躊躇していたお坊ちゃんが、一年かそこらでずいぶん成長したものだ。否、これはむしろ退行か。

「今日非番だったんで、村の子と魚捕ってました。今夜の夕飯に出せますよ」

「……子どもは元気でいいな」

 エベラルドが呆れ顔で唇の端を歪める。

「アデラ、エベラルドが好きだって言ってましたよ。妹っていうより娘みたいですよね」

「仕方ないだろ。おしめ替えてやって、泣いたら抱っこで寝かしつけてやって育てたんだぞ」

「お父さんじゃねえか」

「ほっとけ」

「あれ、でもその割におまえ、従者になってから何年も帰ってなかったろ」

「……ああ。去年帰ったらあんなんなってて、俺もびっくりしてる」

 アデライダはエベラルドが気をつけて避けるようにしている、嫉妬深い女のようになってしまっていた。忘れてしまうくらい長期間帰らなかった兄に、彼女があそこまでの執着を見せるとは思わなかった。

 それでも嫌悪感はなかった。

 我儘ばかりの小さなアデライダ。彼女は昔も今も、エベラルドの大切な可愛い妹だ。

 別の騎士に呼ばれて、ザックが離れて行った。それを確認すると、ライリーが真面目な顔で声をひそめた。

「アデラ、エベラルドとは血が繋がってないから、って言ってましたよ。ザックや俺に兄さんを取られるって心配してるみたいでした」

 多分それは違う。エベラルド本人にも分かっていることだ。

 普段はそれなりに人の心に聡いのに、何故ライリーはこんなにも鈍いのだ。

「あいつそんなことまで言ってたか」

「はい。俺が兄と仲が良いって話をしたら、一緒にするなって怒られました。自分達は血が繋がってないから、って」

「……よし、聞いたのがおまえだけでよかった。他の奴らには言うなよ」

「言いませんよ」

 案外ライリーの言う通りなのかもしれない。

 アデライダは寂しいのだ。伯母夫婦とは普通の親子のように暮らしているはずだが、それでも幼い頃エベラルドに懐いていた記憶がなくならなくて苦しんでいる。

 彼女はまだ十三歳の子どもだ。

 それなら好きなだけ甘えさせてやれば、気が済むのではないか。

 そう考えたエベラルドは、非番の前日にライリーを実家まで使いに出し、アデライダと山に登った。

 昔と比べると数は激減したが、夏になると少ない羊を連れて山に滞在する者もまだ存在している。彼らが時折利用する山小屋に泊まって、アデライダの望み通り一緒に過ごしてやろうと思ったのだ。

 ふたりで山を歩くと、泣きながらアデライダを抱えて歩いた過去が思い出された。

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