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王国挿話  作者: 真中けい
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夜明けをあなたに 中編

 エベラルドの休暇はあっという間に終わってしまった。

 アデライダは元気でな、のひと言だけで去ってしまった兄を思い出して、時々涙ぐむ生活を送った。

 そうして彼がいないのが当たり前の日常が戻ってきて、翌年もエベラルドは同じ時期に帰ってきてくれた。

 事前に手紙で、羊を番で二頭、他所にやってもいいかと頼まれていたので、アデライダはどの子にするか選んでおいた。

 馬をたくさん飼っているところに、牧草地の整備役としてやりたいというのだ。

 草を根元から食べる羊は黄金の蹄と云われ、牧草地を豊かにするのだ。

 もちろんいいよ、と返事を書いたら、感謝の言葉が綴られた手紙が返ってきた。

 その手紙はアデライダの宝物だ。初めてエベラルドの役に立てた証拠の品として、大事に取ってある。

 アデライダが自慢気に羊を差し出すと、エベラルドはその日ひと晩だけしか泊まっていかなかった。

 彼は、むくれたまま寝台に潜りこんだアデライダに、さすがにこれが最後だぞ、と釘を刺した。

 翌朝羊を連れて行くエベラルドを泣きながら見送ったアデライダだったが、その年は嬉しいことが起こった。


 晩春に去ったエベラルドが、その年の夏にまた帰って来たのだ。

 帰ってきたというほどではないが、少なくとも気軽に会おうと思えば会える距離の砦に派遣されてきたのだ。

 アデライダは初めて、騎士団万歳と思った。

 エベラルドは明日は非番だからと言って、アデライダが寝室に上がる直前の時間に顔を出した。

 アデライダが寝室を覗くと、すでに服を脱いで掛布にくるまっていたエベラルドが、そのままの格好で制止の声を上げた。

「もう駄目だって言ったろ。いつまで赤ん坊のつもりでいるんだ」

「あと三年くらいかな」

 ぬけぬけと言い返したアデライダに、エベラルドは盛大な舌打ちを返した。

「馬鹿が。おまえはもう気軽に男の寝台に潜りこんでいい歳じゃないんだよ」

「兄さんなんだからいいじゃない」

「おまえが妹だから嫌なんだよ」

「なんでよ」

「そんなことも分からんガキは今すぐ自分の部屋に帰れ」

 アデライダは兄の苛立ちは無視して、強引に寝台に上がりこんだ。

「ふーん。じゃああたしがすんごい巨乳美女になったら、喜んで一緒に寝てくれるの?」

「! おま」

「馬鹿じゃないの。十三にもなって何も知らないわけないじゃん」


 数秒後、エベラルドはアデライダの首根っこを捕まえて、ウッド夫妻の寝室の扉を乱暴に叩いていた。

「やだやだ馬鹿っ! 兄さんの馬鹿っ」

「伯母さん伯母さん伯母さん!」

「なんだい、さっきから何騒いでるんだ。もう寝なさいよ」

 目を擦りながら出てきた伯母に、エベラルドは妹を押しつけた。

「兄さんがぶったあ!」

「うるっせえ! 伯母さん、こいつどういう育て方してんだよ!」

「たまにしか会えないってのに、兄妹喧嘩なんかするんじゃないよ」

「喧嘩なんかしてないもん。兄さんが急にゲンコツしただけだもん!」

「いい加減にしとけよクソガキぁ」

 エベラルドの長い指が、アデライダの顔面を掴んで歪ませる。

 ばたばたと暴れる妹を適当なところで解放して、エベラルドは足音も高らかに寝室に戻って行った。

 その裸の背中には、さっき暗闇のなかで触れてみた。なめらかさには程遠い手触りの肌には、また新しい傷が刻まれていた。

 アデライダは半分泣きながら母に抱きついた。

「もうやだ。なんで兄さんはあんなことするの?」

 ゲンコツの話ではない。察したウッド夫人は、まだ子ども子どもした娘の身体を抱き返してやった。

「そうだねえ。もうあの子の気持ちだけではどうしようもないところまで来ちまったからね」

「あたしやだよ」

「だろうねえ」

 母にはそれ以上何も言えないことが分かっていたから、アデライダもそれ以上駄々をこねるのはやめておいた。

 もう、あの安心できる腕の中で眠ることは許されないのかと思うと、また泣けてきた。

 残りの涙はひとりで流そう。

 アデライダは小さい声でおやすみなさい、と呟いて自室に戻った。



 次に帰ってきたとき、エベラルドはふたりの男の人も一緒に連れて来ていた。

 ひとりはエベラルドと同年代、もうひとりは男の人というより、男の子と言ったほうがいいような年齢だった。

 エベラルドはアデライダが羊の世話をしているときに両親にだけ声をかけて、ふたりを村で唯一の酒場に連れて行った。それがアデライダに関わって欲しくないという意思表示だと分かってはいたけれど、母が作った差し入れを持って、酒場に突撃してやった。

 エベラルドはふたりと一緒に卓を囲んでいた。他には村の男が六人、赤ら顔で騒いでいる。

 酒場は村の集会所を兼ねているから広く造られており、そのために閑散として見えるくらい席がたくさん残っていた。

 アデライダは酔っ払いの間を通ってエベラルドの真横まで近づき、その前の卓の上にどん! と鍋を置いた。

「これ! お母さんが持って行けって」

 エベラルドが顔をしかめて、アデライダを見上げた。

「……嘘つけ。おまえは来させるなって言っといたのに」

「兄さんの好きな鶏の煮込みだよ。で、こっちがあたしが作った羊乳の乾酪(チーズ)

「分かった。今すぐ帰って、ありがたく喰わせてもらうって伝えてきてくれ」

「お駄賃代わりに飲ませてよ。あたし林檎酒(シードル)がいい」

 アデライダは最近許されるようになった弱い酒を勝手に注文して、エベラルドの横に椅子を運んできた。

 彼女より少しだけ歳上に見える少年が驚いた顔で自分の椅子をずらして、場所を空けてくれる。

 エベラルドは左手で顔を覆い、アデライダのほうを見ようとしない。

「…………よし。飲んだら帰れよ。家まで送ってやるから」

 エベラルドが搾り出した台詞に、彼の反対隣に座った男が笑い声をあげた。

「なんだ、格好つかねえなあお兄ちゃん! おまえ妹にはそんな感じなのか」

 アデライダが押しやった形になった少年も、こくこく頷いて、にやにやしている。

「確かに。意外です」

 見知らぬ男ふたりのことは無視して、アデライダは店主から林檎酒を受け取るために腰を上げた。それより早く立ち上がった少年が、さっと動いて受け取ってきた林檎酒を手渡してくれる。

「はい。どうぞ」

「…………ありがとう」

 武骨な騎士には不似合いな気の働かせ方をする。

 アデライダが意外に思って礼を言うついでに見上げると、彼は少し首を傾げてにこっと微笑んだ。

 赤褐色の髪を短くした少年は、多分まだ十代の半ばくらい。彼女とそう変わらない歳に見えるが、背は村の男と同じくらいに高い。エベラルドやその隣の男ほどではないが、彼もこれからもっと大きくなるのだろう。

「この子が例の妹かあ。紹介してくれる約束だったろ。名前はなんて?」

 軽薄な表情で軽薄な喋り方をする男が、エベラルド越しにアデライダを覗きこんでくる。

 こいつは近づいたらいけない人種だ。アデライダはそう判断して、兄に隠れるようにしてくっついた。

「約束なんてしてない。こんなガキにまで盛るな」

 エベラルドが仕方なしに、腕をアデライダを庇う形にまわしてくれる。

「おまえ俺をなんだと思ってんだよ。名前訊いただけだろうが」

「信用できるか。軽薄男が」

 兄は、この軽薄男を妹に近づけまいとして、アデライダを来させるなと言い置いて行ったのだろうか。

(なあんだ)

 やっぱりエベラルドは、アデライダを大事に想ってくれているのだ。

 分かっていた。そんなことは知っていたけれど、再確認できたから、今日はもういい子のアデラに戻って兄の言うことを聞こう。

 彼女はそう考えて、林檎酒を飲み干そうとした。が。

「女を取っ換え引っ換えしてるおまえよりかマシだろ」

 アデライダはぴたっと動きを止めた。

 エベラルドは発言の主の頭を張り倒した。

「ガキの前でいらんことを言うな!」

 割と本気で怒っている。つまり軽薄男の言っていることは真実なのだ。

「…………ふうん。兄さん、そうなんだ」

 自分でもびっくりするくらい低い声が出た。

 アデライダは腹の底からぐつぐつと怒りが沸いてくるのを感じた。それと同じくらい、悲しみも胸いっぱいに広がってきて、泣き出してしまいそうだった。

 アデライダがエベラルドを想って家で泣いていたとき、彼はよその女と楽しく過ごしていたのだ。だから、七年も帰ってきてくれなかったのだろうか。

 頑張っている彼を困らせたらいけないと思って、聞き分けよく大人しくして待っていたのが馬鹿みたいだ。

「……アデラ。おい、その顔はやめろ」

 エベラルドが舌打ちしながら手を伸ばしてくる。

 アデライダはその手を振り払って叫んだ。

「触らないで!」

「アデラ」

「最っ低! 兄さんなんか一生帰って来なくていいから! もうあたし知らない! もう兄さんのお願いなんか聞いてやらないんだからっ!」

 ヤケ酒には弱すぎるが、残りの林檎酒を一気に飲み干して、アデライダは走って外に出て行った。

 酒場の外は真っ暗だったが、ここは全員が顔見知りの小さな村だ。目をつむっても家に帰ることができる。危ないことなど何もないのだ。

 アデライダは足が速い。もっと小さい頃は山に住んでいたから足腰が強く、村の同年代の少年よりも速く走ることができる。

 だから、いくらもしないうちに赤褐色の髪の少年騎士にあっさり追いつかれたときには、驚いて足を止めてしまった。

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