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王国挿話  作者: 真中けい
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サイラス・アドルフ 中編

 令嬢は侯爵位を預かることが決まった直後の建国祝賀会の会場で、初めて貴族の集まりに姿を見せた。彼女はリィンドール公爵夫妻に挟まれ、強大な後見の存在を明らかにしながら入場した。

 ぎらぎらした空気は鳴りを潜め、幼さを残していた花のかんばせには、ごてごてと装飾が施されていた。派手な衣装とも相まって、侯爵代理は妙齢の美女として人々に認識された。

 下品になりかねない華美な装いは、それを纏った人物の優雅な振る舞いにより、この上なく上品で素晴らしいものに見えた。世の中の流行に疎いサイラスだけでなく、その場の全員が同じことを思ったようだ。

 見て、あの素敵なお衣装。次はわたくしもあれと同じものを用意しなくては。

 彼女は何故今まで社交の場に出てこなかったのか。娘の類稀なる美しさを危惧した先代侯爵が、領地に隠して育てていたのか。いやいや、あの世慣れた振る舞いを見ろ。きっと異国に遊学していたのだ。さもなくば、すでに異国の王妃の身分を持っているのでは。

 騎士団長は王の傍らに、副団長のサイラスは会場の隅に控えていた。

 会場中に広がる噂を、彼は表情を変えることなく聞いていた。

 なんのことはない。令嬢は今年成人したばかりなのだ。だからこれまで人前に出なかっただけだ。

 事情を知らぬ人々は、当主が急逝したロブフォード侯爵家の安泰を目の当たりにした。縮小が予想されていた侯爵領の利権を虎視眈々と狙っていた貴族は、侯爵代理の姿をひと目見ただけで諦めた。

 装いひとつで、ここまでひとの心を操るのか。彼女は間違いなく、あの父親の娘だ。

 サイラスは驚嘆の目で、これら一連の流れを見ていた。

 そんな彼を見た上官が、隣に立って囁くような小声で言った。

「あれが国の隠し姫か」

 初めて聞く呼称に、サイラスは疑問を返した。

「隠し姫?」

「今の王家にも公爵家にも、年頃の姫君がいらっしゃらないだろう。必要が生じれば、あの方がどこぞの国にでも王妃として送られることになっているそうだ」

 なるほど。確かにあれは一令嬢というよりも、ひとの上に立つ者の風格だ。

 女性の身で前例のない侯爵代理に就いたのも、箔が付くくらいのつもりで許可が下りたのやもしれぬ。



 それから間を空けず騎士団長となったサイラスは、侯爵代理の姿をたびたび目にするようになった。

 王は、特例を認める見返りに、ほんの少女だった侯爵代理に無理難題を次々と言いつけた。有能な外交官であった父と同じ成果を求められた彼女は、常に疲れているようだった。

 そんな日々を送っていた彼女だったが、あるときから纏う空気が少しばかり柔らかくなった。

 無意識のうちに、常にその姿を目で追っていたサイラスだから気づけた変化かもしれない。

 謁見の間に同席していて、侯爵代理となる前の姿を見ていたサイラスを、彼女は警戒していたのだろう。

 それまで口を利いたことはなかったが、ほんの少し肩の力を抜くことを覚えた侯爵代理とは、たまに挨拶を交わすようになっていた。

「本当、父の言うとおり熊のような騎士様」

 王の狩り場で行われた狩猟の会場でのことだった。

 王妃と数人の貴婦人が狩りの成果を待つ木陰の近くで、サイラスは警護役として物々しくならない程度の武装で立っていた。

 正体を知るサイラスの前で気を抜いてしまったのか、あるとき彼女がぽつりと呟いたのだ。

「なに?」

 平和な光景。形だけの警護の任に、彼もうっかり素を出して眉を顰めて発言の主を見下ろしてしまった。

 やってしまったと思った。大きな身体は女性に恐怖心を抱かせる。この図体で不機嫌な顔を見せては、怯えるなと言うほうが無理な話だ。

「……失礼いたしました」

 けれども彼女は、柔らかい微笑を浮かべて首を傾げるだけだった。

 自分に向けられた微笑みは、確かに得難い美しさを持っているとは思う。それでも美女に対して男が持つべき感情の一切が沸き上がってこない自分は、どうかしているんじゃないかと考えたこともあった。

(……まあ、実際のところはほんの小娘だしな)

 歳が離れ過ぎているせいで、庇護の対象にしかならないのかもしれない。

「……何か召し上がりますか。侍従に頼んできましょう」

 まだ子どもなのだと思うと肉付きの悪い身体が気になって、深く考えることなく提案してみた。

「いいえ。先ほどお城でいただいたばかりです」

「そうですか」

 もっとしっかり食べないと大きくなれない、と背ばかり高い華奢な少女に忠告したかったが、さすがにそこまでは口に出せなかった。

 だが、その気持ちは顔に出てしまっていたらしい。まったくもって気を抜き過ぎだった。

「…………騎士団長様は、わたくしをほんの子どもと思ってらっしゃるのですね」

「そんなことは」

「……父に熊だと言われたときは、お顔を真っ赤にしてらしたくせに」

 正体を知るサイラスの子ども扱いが癪に触ったのか、彼女はそれこそ子どものように仕返ししてきた。

「なに?」

 今度は分かっていながら、顔をしかめて少女を上から見据えた。彼女はちっとも恐れたりしなかった。

「隣にいたわたくしなど視界に入らないほど、父に見惚れているご様子でしたわ」

「なっ……」

 あのとき、令嬢があの場にいた? 何故だ。まったく覚えていない。

 あの人生最大の醜態を見られていたのかと、サイラスは焦った。

「大丈夫、ご安心なさってくださいませ。わたくし、誰にも言い触らしたりなんてしませんわ」

 あなたがわたくしの正体を黙っていてくださる間は。

 声無き声が、高笑いの幻聴と共に聞こえた気がした。

(……生意気な小娘め)

 サイラスは無言で警護の任に戻り、しばらく不機嫌な顔をしていたが、自分の腹から笑いが込み上げてきていることに気づいた。

 か弱い肉体に宿した、強過ぎる意思の力。王者の風格を持ちながらも幼さゆえに不均衡なその姿に、強く惹かれた。

 主君と仰ぎたいと強く願った少女は、どういうわけか、たった数ヶ月で脆さを棄て去ってしまっているではないか。

 彼女に何があったのだ。何が、もしくは誰が彼女を支えているのだ。

 年頃の娘だ。やはり男か。

 不確かな噂話ばかりで、ついぞ特別な存在を見せない彼女だが、ちゃんと支えてくれる者があるなら、めでたいことと思う。

 叶うなら彼女の前で膝を折りたいと、今でもそう願っている。

 だが彼女にはそんな暑苦しい男よりも、隣に立って優しく肩を抱いてくれる貴公子のほうがずっと似合うことだろう。

 もし今後、彼女が窮地に立たされることがあれば、そのときはこの身を投げ出してでも助けになろう。今はそうこっそり決意するだけで構わない。

 サイラスは騎士の持つべき忠誠心を自身の奥深くに再び仕舞い込んだ。



 ハリエットに対してまったくと言っていいほど欲望を抱くことがないサイラスだが、若い身体を持て余して城下で女を買うことはたまにあった。

 彼が女性を選ぶ基準は、明確にあった。大きな女がいい。

 背は高ければ高いほうがいいし、強く逞しい筋肉に覆われていれば最高だ。少しでも太いほうが安心して抱くことができる。

 神代の時代の巨人にも喩えられるサイラスにとって、貴族階級に流行っている細い体型の女性は恐怖でしかなかった。壊れ物に触れるのは神経を使うだけだ。

 そんなサイラスに、彼の副官となったヒューズは「いっそのこと、そこら辺の若い騎士でも相手にしてろよ」と呆れて言い放つのだ。

 その手があったか、とサイラスは存外素直に、その件について真剣に考えてみた。が、自分には向かないと判断して実行に移したことはない。

 このところサイラスは、夫亡きあと幼い息子を育てるため、生活が苦しいときにだけ夜の街に立っているのだという女と馴染むようになっていた。

 彼女は背はそう高くもないが、胸と尻が大きく、それに比例して腹もそれなりに出ている。そこがサイラスの気に入ったのだ。

 苦しい生活をしている割に明るさを失わない彼女と過ごす時間は悪くなかった。

 サイラスはたまに城下に降りては彼女を訪ね、帰り際にはいつも多めに金子(きんす)を置いていった。


 妻を二度亡くして以来、サイラスは女を買うことはあっても、たまに持ち込まれる縁談はすべて断っていた。

 それはハリエットも同じらしく、彼女は婚期を逃しつつあるようだった。

 今のところ、隠し姫を他国の王妃として送らねばならないような事態は起こっていない。そうなる前に、先手を打って適当な男と結婚しておいたほうが、彼女にも都合がいいだろうに。

 勝手に心配していたサイラスは、あるときハリエットが騎士団の鍛錬場の方向を熱心に見ている現場に遭遇した。

 何か珍しいものでもあったかと見てみれば、従騎士がふたり、鍛錬場からは死角になる位置で喧嘩をしているのだった。鍛錬でないのは見てすぐに分かった。

 片方は珍獣扱いされながら入団してきた伯爵令息だ。もう一方は、そんな彼を目の敵にしてよく絡んでいる問題児。

 伯爵令息は他の従騎士と同じように上官に従い、慣れない生活に四苦八苦しながらも黙々と己を鍛えていると報告が上がってきていた。最初は伯爵の名に畏れをなして遠巻きにしていた団員とも、少しずつ打ち解けてきているらしい。

 それでも、異質な存在を排除しようとする者はどこにでもいるものだ。

 問題児のちょっかいに、貴族の坊やも堪忍袋の尾が切れたのだろう。ずいぶんと派手に殴り合っている。

 良いことではないが、思春期の少年から若い男までが集団になって生活しているのだ。揉め事が起きないわけがない。ある程度はああやって鬱憤晴らしをすることも必要だ。

 おっとお坊ちゃんが鼻血を噴いた。

 貴婦人がこんな場面を見て平気なのかと様子を伺ったが、ハリエットは痛ましげな顔をしながらも、目を逸らしたりはしなかった。

 拳闘でも観覧している心地でいるのだろうか。

 勝負は伯爵令息の勝ちで決まりそうだった。サイラスは、なかなかやるじゃないかと少しばかり感心して眺めていた。

 突如、伯爵令息は側に転がっていた木剣を手に取り、立っているのもやっとな相手に向かって躊躇なく振り下ろした。

 少年が叫んで倒れるのを待たずに、サイラスはその場を飛び出した。

「待ってください」

 冷静に呼び止めるハリエットの言葉に、サイラスは苛立たしげに立ち止まった。

「何故です。あれはやりすぎだ」

「もう終わっています」

 見ると、伯爵令息は木剣を投げ捨て、たった今倒した相手を肩に担ぎ上げるところだった。

「……あれは、処罰すべき行動だ」

「騎士団長直々になさることはないでしょう。お願いします。見なかったことにして差し上げてください」

「何故」

「わたくしは、彼が間違ったことをする方ではないと思っています」

 いくら腹に据えかねたからと言って、勝敗が見えた喧嘩に勝者が武器を持ち出すのはどう考えても間違っている。騎士道精神に(もと)る行為だ。

「お願いします」

 一従騎士のために重ねて言った彼女に、サイラスは折れざるを得なかった。

「……分かりました。今回だけです」

 ハリエットは安心したように微笑んで、去っていくぼろぼろの少年ふたりを最後まで見守った。

 その横顔は実に楽しげで、サイラスの目にはお気に入りの俳優の演じる劇でも観ているかのように見えた。


 問題児は脚の骨折を理由に、隊務をしばらく休む旨届けを出してきた。

 個人的な喧嘩を理由とした怪我の責任は、相手の伯爵令息が取らされたと聞く。自分の仕事とは別に怪我をした少年の担当する雑務をも課され、更に怪我人の看病も彼の担当となったらしい。

 お坊ちゃんに耐えられるのかと周囲はニヤニヤして見ていたが、時折泣きべそをかきながらも、彼はなんとかやりきった。

 少年の骨がつながって隊務に復帰した数日後、喧嘩の経緯をサイラスが気にしていただろうと、伯爵令息の身近な者が報せてくれた話がある。

「例の喧嘩、まあお互い純粋にムカついてやったんだけどさ、怪我したほうに事情があったんだよ。上官に目ぇ付けられてたんだって」

 ただでさえきつい仕事に、上官からの理不尽なイビリが加わって、その鬱憤が周囲から浮いていた同期に向かったのだ。伯爵令息もそのことに気づいていて、わざと彼の骨を折った。

 キレイに折ってやったんだから、ひと月も大人しくしてればくっつくさ。治るまでそこでゆっくり寝てろよ。上官の馬鹿げた命令がなければ、おまえも少しはまともになるんだろう。

 問題児は泣きながら謝罪と礼を繰り返していたそうだ。

 割と無茶苦茶なお坊ちゃんだ、とサイラスは思った。

 後遺症が残らないよう狙って骨を折ることなどできるものか。建国当時にいたという、伝説の剣聖でもあるまいし。

 たまたま綺麗に完治したからよかったものの、打たれたほうは騎士生命が断たれるところだったのだ。

 子どもはすぐに喧嘩をするが、仲直りするのも早い。

 隊務に復帰した少年はその後は問題行動を起こすことなく、躍起になって追い落とそうとしていた伯爵令息ともそれなりに上手く付き合っているらしい。

 生まれてくることができなかったサイラスの最初の妻の子が育っていたら、今頃はちょうど彼らくらいの年齢になっていたはずだ。あの子も母の腹から出ることができていたなら、父の背中を追って騎士団に入り、ああして彼らのように喧嘩をしたり笑ったりしていただろうか。

 そう思えば、多少のおイタ程度は見逃してやるか、という気持ちになってくる。

 あの侯爵代理は、彼らの事情を知っていてあんなことを言ったのだろうか。

 何故そんなことまで把握しているのだ。侯爵家の情報網は、騎士団の内部にまで張り巡らされているのか。恐ろしい話だ。

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