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王国挿話  作者: 真中けい
11/24

ザック・テイラー 前編

今回はライリーと同じ隊所属の先輩騎士の話です。

 ザック・テイラーは軽薄な男である。

 キャストリカの端にある地方の農家で育ち、長男であるにも関わらず、王都に行ってみたい! と駄々をこねて王立騎士団を目指した。

 実家は裕福とは言いがたい暮らし振りではあったが、伝手(ツテ)があったために金銭面の心配はしなかった。

 その伝手の関係で、最低限の読み書き計算と武芸の基礎は身に付けていたため、従者の試験はなんとなく合格できた。

 この時代の農夫の子にしては、あまり苦労することを知らずに育っているのだ。

 そのためなのか、基本的に彼はへらへらとしか言いようがない表情を浮かべているように見えた。

 そんな彼と同じ時期に従者となった者のなかに、エベラルドという少年がいた。

 エベラルドはいわゆる美少年というやつだった。

 見てくれがいいというだけでなく、彼はかっこいい男だった。

 自他共認める軽薄なザックも、エベラルドのかっこよさには感服していた。

 エベラルドはザックの出身とは違う地方ではあるが、同じように国境に位置する村から出て来たという。ご多分に漏れず貧しい村の領主の家で育ち、ある程度の教養は授けられたが、騎士になるための資金は用意できない。

 それでもなんとか騎士になるのだと騎士団の門戸を叩いた彼に、応対した騎士は言った。

 心意気は買うが、金がないと騎士にはなれないぞ。

 すると少年は、金なら稼ぐと言う。

 従者の給金程度では、何年かかっても武具一式を揃えるだけの資金は貯まらない。どうするのかと見ていると、エベラルドは休日になると城下に降りて、朝から晩まで賃仕事をしていた。もらえるのは雀の涙程度のものだろうが、それでも無いよりマシだ。

 従者の仕事をこなし、賢い彼は座学も真面目に受ける。夜は糸が切れたように従者用の大部屋で眠り、少ない休日にはわずかな駄賃を手にするために働く。もちろんその合間には剣を振り、戦斧の扱いを習う。

 なんという根性だと、みなが感心してまだ小さなエベラルドを見守った。

 彼の休日の前夜には、買ったはいいが食べ切れなかった、という名目でパンや惣菜を持たせてやる者もいた。小遣いを握らせてやるのは彼の矜持が許さないだろうと、そんな応援の仕方になったのだ。

 成長期の少年は腹を減らしているのが常だから、彼も素直に礼を言って受け取り、翌日賃仕事の合間にそれを頬張った。


 入団当初よりそんな生活を続けていたエベラルドは、従騎士に昇格する前には用心棒の仕事も手に入れて、順調に騎士となる夢へと近づいていった。

 エベラルドは周りの従者と比べると苦労の多い生活を送っていたが、特段誰かを妬むでも己の境遇を嘆くでもなく、軽薄なザックとも普通に付き合った。

 ザックは自分にはないものを持つエベラルドに尊敬や憧れに近い気持ちを持つようになっていたから、事あるごとに彼にまとわりつくようになった。エベラルドがそれを拒むことはなかったから、自然とふたりは一緒にいる時間が長くなっていく。

 といっても、忙しいエベラルドは仕事の休憩時間くらいしか自由時間はないのだが。

 それでも少しずつ、ザックはエベラルドについて詳しくなっていった。

「おまえのその顔があったら、喜んで金を出す変態はいくらでもいそうだけどな。そういうのは考えたことないのか?」

 ザックは揶揄するわけでもなく、純粋に疑問に思って、エベラルドに訊いたことがある。そんなにしんどい生活を送るくらいなら、多少おぞましい思いをするくらい、なんてことないのではと思ったのだ。

「誘われたことはある。けど男が男相手に何するんだよ。意味分かんねえから無視した」

「なんだ、知らないのか」

 男だらけの職場で、十四歳の少年ふたりでする話ではない。勘違いされたら厄介だと、ザックは小声で騎士団内ではままある習慣をエベラルドに教えてやった。

 話を聞いたエベラルドは、しばらく難しい顔をして考えこんだ。

 どうやら短時間で金を稼ぐ自分の姿を想像してみたようだ。

「…………いや、やっぱやめとこう。楽に金を稼げるっても、それは無いわ。ってか楽じゃなさそうだ」

「そうか。まあそうだよな。でもそれじゃあ、おまえいつになったら騎士になれるんだ」

 甲冑、武器、馬、最低限それだけは揃えなければ、騎士の叙任式は受けられない。

「多少なら実家にも蓄えがある。それを足せば、二十二か三くらいまでにはなんとか」

「なんだ、意外と現実的な計画なんだな。よし、次の長期休暇、同じ日に申請出そうぜ。ニ年叙任式を早める方法がある。ついて来いよ」

 エベラルドは訝しんで、一度は用心棒の仕事のほうが大事だと断った。だが、ザックに行った先に休暇中の働き口もある、と押し切られ、御前試合の数日後、ふたりは共に旅立った。


 王都から遠く離れた出身地の従者には、一年に一度、十五日間の連続休暇が与えられる。彼らはその休暇を利用して、ザックの故郷へ向かった。

 西の端出身のエベラルドは、北部を訪れるのは初めてだった。従者のふたりは馬を持っておらず、己の脚のみを頼りにひたすら歩き、時に走りながら四日かけてザックの故郷に辿り着いた。

「やっぱ多少は王都より寒いな。エベラルド、大丈夫か?」

「ああ。俺は山で育ったから、寒いのは平気だ」

「あれ? そうだっけ?」

「今の帰省先は伯母夫婦の家だ。元は山暮らし」

「へえ?」

 何か事情があるのだろうが、別に親戚の元で育てられるのは珍しい話じゃない。ザックだって育ての親と血の繋がりはないのだ。

「妹がいるんだっけ。おまえの妹なら美人になるんだろうなあ。今度紹介してくれよ」

「六歳児をか」

「や、ごめんなさい。やっぱりいいです」

 四日間、食事と睡眠以外の時間はひたすら歩き続けた少年ふたりだが、そこは騎士団の従者である。まだ軽口を叩く余裕があった。

 ザックの実家に顔を出し、まだ夜まで時間があるな、と目的地へ向かって再び歩き出した。

「ここの人達はいい暮らしをしてるな」

 エベラルドが感心したように周囲を見ながら呟いた。

 一見普通の農村のようだが、どの住居の傷みもきちんと直してある。服装もはぎを当ててはいるものの、みなが清潔でこざっぱりしている。何より子どもが健康的だ。泥だらけになって駆け回る幼子の表情は明るく、病的な痩せ方をしている子は見当たらない。

 王都から距離が空くほど、人々の暮らしは貧しくなっていくのが一般的だ。北端の地方がこんなに豊かな暮らしをしているのは、異様と言ってもよかった。

「いいだろ。ここには救世主がいるんだ。あのひとのおかげで、いくつもの命が助かった」

 どんなひとだ、とエベラルドが興味を持ったところで、目的地に到着した。


 そこは広大な牧場だった。

 見渡す限りの牧草地、のんびりと草を食む背の高い馬。貧相な農耕馬は一頭もいない。数は多くないが、すべての馬が美しい肉体と毛並みを持っていた。

「……なんだここは」

「すげえだろ。ここの馬はぜえんぶ、最高の軍用馬だ」

「マジかよ……」

 エベラルドが呆然と呟くのを、ザックは愉快そうに眺めた。

「話は通してある。甲冑と武具を買う資金が貯まったら、ここから好きな馬を持って行けばいい。出世払いでいいってよ」

「……いいのか、そんなの」

「ここの牧場ははじめたばっかで、まだそんなに馬の数が揃ってない。おまえなら将来のお得意様になってくれるだろうし、いい宣伝にもなる。騎士エベラルドの愛馬を生んだ牧場って有名になるんなら願ったりだ」

「はは……、なんだよそれ。責任重大だな。まだ従騎士にもなってないってのに、名を挙げる約束をしろってのか」

「おまえならできるだろ?」

 エベラルドは、その強い意思を宿した瞳で牧場を見渡した。

「……休暇中は、ここで働いていいのか」

「ああ。馬の世話して、空いた時間に騎乗訓練をしていけってさ」

「最高じゃねえか」

 エベラルドは村で使っていた農耕馬の他は、騎士団の練習用の馬にしか乗ったことがない。幼い頃から乗馬をする環境が整っていた、極一部の恵まれた者とははじめから差がついているのだ。

 その差を、ここでなら少しでも埋めることができる。

 いつも冷静なエベラルドの青い瞳が、少年らしくキラキラと輝いた。その様子を見てザックは、いつも通りへらへら笑った。

「ザック! よく帰って来たな! その子が例の?」

 馬に乗った大柄な男がふたりに気づいて大声で呼ばわり、真っ直ぐに走り寄ってきた。大音声と言っていい声だったが、馬は怯えることなく、平然と騎乗主に従った。

 ザックは男に向かって親しげに手を振った。

「伯父さん! そう、こいつだよ、エベラルド!」

 ふたりの目前まで来た男は、その巨躯の重量を感じさせない動きでひらりと馬から飛び降りた。

 とんでもない偉丈夫だ。何故これほどの男がこんな田舎にくすぶっているのだと、エベラルドは驚愕の目で男を見上げた。

「おおう。聞いてた通りの美少年じゃないか。都会はすごいな」

「伯父さん、こいつも田舎者だよ。西端の山育ちだって」

「……伯父さん?」

 エベラルドは、まったく血の繋がりを感じさせないふたりを見比べた。

「そうそう。まあ伯父さんみたいなもん」

「エベラルド・ウッドと申します。この度は過分なご厚情を賜り」

「なんだなんだ、すごい子だな。おいザック、なんでおまえ同じ田舎者なのに、こんなに出来が違うんだ」

「さあね。だから言ったろ。こいつに恩を売っとけば、絶対倍になって返ってくるって」

 それからザックとエベラルドはひと通り牧場を見てまわり、明日からの仕事の説明を受けた。

 馬の世話は従者の仕事の一部だ。やることはあまり変わらない。だがここでは馬の世話の他にも、牧草地の整備や厩舎の管理など、やるべきことは多岐に渡った。

 空き時間には馬に乗ってもいいと言われても、そう簡単な話ではない。

 その日は完全に暗くなる前にと走ってザックの実家に戻り、一晩の宿を借りた。ザックの妹が頬を染めるのに曖昧な笑顔を見せ、エベラルドはザックの隣で丸くなって眠った。

 翌日からエベラルドは牧場にある小屋に寝泊まりし、夜が明ける前から働いた。実家から通ってくるザックが差し入れる食事を食べながら働き、時間を作っては気性の荒い馬を選んで騎乗訓練に励んだ。

 その姿は生き生きとしており、訓練と言うより子どもが仲良しの馬と遊んでいるようにすら見えた。

 ザックはといえば、俺はそこまで付き合えねえ、とのんびり仕事を手伝う他は、同期の少年を眺めたり昼寝したりして過ごしている。

 十五日しかない休暇は、あっという間に終わりが見えてきた。

 明朝早くに出発するため、エベラルドはまたザックの隣で横になった。

 ザックはそんな彼に、へらへらした笑顔を向けた。

「どうだ。来てよかったろ?」

「おお。今ならおまえにキスしてやってもいい気分だ」

「いやあ、やめとくわ。入団当初ならともかく、おまえ最近ごつくなってきたし」

「なんだよ、遠慮すんなよ」

「やめろ! マジでやめろ! おまえが相手だとシャレになんねえから!」

 エベラルドに両手で頭を掴まれたザックは、本気で嫌がって暴れた。

 笑いながら取っ組み合った少年ふたりは、もっとずっと幼い子のように、やかましい、早く寝ろ! と親に叱られた。

 首をすくめて叱責をやり過ごしたエベラルドは、ザックの父親が出ていくのを待ってから再び小さい声で笑い出した。

「なあ、なんで俺に声かけてくれたんだ?」

 ザックは自分の寝台に戻りながら、さてなんと答えようかと考えた。

 下手な返しをすれば、同情したのかと思われるだろう。

 ザックの実家は普通に貧しいが、援助を頼める当てがある。だからただの農家の小倅が、のほほんと騎士になりたいと言い出せた。

 そのことを知られた後だ。

 騎士になる夢を叶えるため、淡々と己のすべきことをしてきたエベラルド。同じ小隊に配属されたザックは、彼のことをすぐ近くで見てきた。

 ザックは軽薄な男だ。十四歳にして、へらへらした態度が板についてしまっている。そんな自分を恥じたりはしないし、今のところ変えようとも思っていない。

 それでも、強い男に憧れる気持ちはあるのだ。

 自分は英雄にはなれそうにないけれど、英雄になれる、なるべき男の助けになれると思うと、居てもたってもいられなくなった。

 エベラルドの助けになることができたなら、この先彼の成功を妬まず、友として我が事のように喜ぶことができる。そんなせこい計算もあった。

 そんな心中を、巧いこと説明できる自信はなかった。

「言ったろ? おまえが出世したら、ここの軍馬の価値が上がる。紹介したおれは引退した後もその功績を讃えられて、悠々自適な生活ができるってもんだ」

「ずいぶん先を見据えてやがるな」

「おうよ。先行投資ってヤツだ。おれの将来がかかってんだから、しっかり出世してくれよ」

「そこは自分も出世しろよ」

「おれはいいやあ」

 ザックはエベラルドにはなれない。その努力の半分すら、彼にはできっこないのだ。

 そんなザックを、エベラルドは蔑むでもなく、発破をかけるでもなく当たり前に受け入れてくれる。興味がないだけかもしれないが、そんな彼の隣は居心地がいい。

 ザックには、自分が格好いいと思う男の隣に立っていられることが、ひどく誇らしく思えるのだ。

「道中走って帰るなら、明日朝一でもうひと乗りくらいできるかな」

「マジかよ。おれは先に出発するぞ」

「そうしろよ。途中で追いつく。早く自分の馬ぁ持てたらなあ。荷物があったら走れないからな」

「……荷物は持ってってやるよ。先に歩いて行っとくから、夜までには追いつけよ」

「いいのか」

「いいよ。その代わり十年後には妹紹介しろよ」

「まだ言ってんのかそれ」


 

 エベラルドは従騎士となってしばらく経った頃から、女のところに泊まることが多くなった。

 ザックが金を受け取ってるのか、と訊くと、さすがにそれは無いわ、と彼はいつかのように答えた。

 喜んで出す女もいるだろうに、とこれまた昔のようにザックが言うと、金以上にいいものを受け取ってる、と答える。

 羨ましい! と他の従騎士仲間と一緒になって騒ぎはしたが、ザックはなんとなくエベラルドが受け取っているものが分かるような気がしていた。

 夜は疲れ果てて眠るエベラルドが、明け方に大量の汗をかいて跳び起きるのを見たことがあるのだ。そんな彼が、外泊して戻ってきた朝はすっきりした顔をしている。

 すっきりしているのは当然かもしれないが、それ以上に女の隣では朝まで熟睡できているのでは、とザックは思っている。

 

 エベラルドは自分で立てた計画通り、二十歳になった年に正規の騎士となった。

 その一年前に目を付けた仔馬を予約して手付け金を払うと、残りは出世払いだとザックの伯父的存在は豪快に笑った。

 エベラルドは十四歳から六回分の連続休暇をすべて牧場で働いて、賃金は馬の代金に充ててくれと言って受け取らずにきた。そんな彼を、ザックの故郷の人々は目を細めて見守っていた。

 ザックはそれまで通りへらへらと隊務をこなし、エベラルドより一年早く騎士の支度を揃えてもらって叙任式を受けた。

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