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王国挿話  作者: 真中けい
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アル・ブラウン 後編

 話しているうちに気持ちを立て直したエイミーは、勢いよく立ち上がって伸びをした。

「あーあ。あたしもいい加減、働き先を見つけなくっちゃ。ライリー様のお家が駄目なら、やっぱり伯父さんのとこに行くしかないかな」

 キャストリカで暮らす市井の子どもは、十二、三歳になる頃には将来を決めなければならない。手に職を付けるため、職人の元で見習いをするのが最も望ましい道とされている。

 変に夢を見ず、地に足をつけて堅実に生きるようにと、親は願う。

 エイミーの両親の実家は城下の仕立屋と靴屋であり、彼女はどちらにもあまり興味がないらしい。それでもスミスの実家に時々通っては、お針子の仕事を教わっているところだという。

 彼女も大人になる準備を始めているのだ。

「エイミーがお針子になれたら、上着シクラスを注文しに行くよ」

「なれるかな。あたし、アルみたいに器用じゃないから」

「コツを教えてあげようか」

「あんた針仕事もできるの⁉ いちいち腹立つ男ね」

 アルがなんでも器用にこなすのは、そうする必要があったからだ。養い親に気に入られるよう、捨てられないようにと、これまで必死で生きてきた。

 自分の感情に正直で真っ直ぐなエイミーは、努力せずとも実の親から愛されて育った。それだけの違いだ。

「仕方ないだろ。僕は拾われた子だから、なんでも身につけなきゃいけなかったんだ」

「何よそれ」

「役立たずの養子なんか、捨てられてしまうしかないだろう。まあ、実の子が生まれたら、どれだけ頑張っても無駄だったけどね」

 言ってから、しまったと思った。こんな話を聞かせたら、誰だって困る。

「何よそれ」

「ごめん、なんでもないよ。忘れてくれていい」

「アルはお家の人に捨てられてここに来たっていうの?」

 出た。無遠慮女の本領発揮だ。

「そこまで言ってない。ここまで育ててくれた両親の実子が家を継げるように、僕が自分で来たんだよ」

「親はそれを引き留めてくれなかったの?」

「うるさいな。当たり前だろう。最初は僕に継がせようと思って拾ったけど、血の繋がった子が生まれたんだから、しょうがないじゃないか」

 仕方なかったんだ。両親は優しかった。アルを大事にしてくれたけど、より愛したい弟が生まれただけだ。

「そんなの勝手じゃない!」

「大声出すなよ」

 ドットの耳を気にして、なるべく小声で喋っていたのが水の泡だ。

「なんであんた平然としてるのよ。ちゃんと怒ったの? あんた達は勝手だ、ふざけるな、ってちゃんと言ったの?」

「言えるわけないだろ。なんの関係もない僕を拾って育ててくれた人達だ。充分よくしてもらった」

「そんなの当たり前じゃない! 自分で拾った子を大事にするのは当然よ。なんでその大事な子を放り出すような真似をするのよ」

「だから弟が生まれたから」

「そんなのあんたに関係ない! ちゃんと怒ってきなさいよ!」

 そうなのかな。

 あまりにエイミーが強く言い切るものだから、アルは少し弱気になった。

 僕は怒ってもよかったのかな。

 本当は騎士になんてなりたくなかった。ずっと旅籠の仕事をしていたかった。同じ歳頃の子どもよりも小さい身体で武器を握るのは、今だって辛いと思っている。

 だけど他に道がなかった。

 両親が拾った長男を差し置いて、実の息子である次男に気持ちよく商売を継がせるためには、アルが騎士になりたいと言い出すしかなかった。

 騎士を輩出した家となるのは、庶民にはこの上ない誉れだ。

 幸い商売は順調で、息子を騎士とするための資金には困らない。家の名に箔が付くことを思えば、投資する価値は充分ある。

 アルは育ててくれた両親に恩返しするため、自分の居場所を求めるためだけに、騎士団に入った。

 本当は嫌だったのだと、途中で言い出すことなどできなくなった。

 勝手に拾って育てたくせに、途中から邪魔者扱いして酷いじゃないかと、怒ってなじってもよかったのだろうか。

「エイミー、君、泣いてたんじゃないのか。何怒ってるんだよ」

「あんたがちゃんと怒らないからでしょ!」

 感情の起伏が激しい少女を前に、アルは笑った。

「なんだよ、それ。無茶苦茶だな」

「大体ねえ、あんた実の親がいないからって卑屈になりすぎなのよ。親なんてどうせ先に死ぬんだから。あたしの父さんだって、明日死んでもおかしくない仕事をしてるのよ」

 隣家の裏口から、がたんと音がした。

 もちろんエイミーは、父親が薄く戸を開けて聞き耳を立てていることに気づいた上で喋っているのだ。

「しっかりしなさいよ。早く親に泣きついてライリー様のお家から出てって、あたしと代わってちょうだい」

 それが言いたかったのか。結論はそれなのか。

「絶対嫌だね。出ていくもんか。もうちょっとしたら、ホークラムまでお供することになってるんだからな」

「何よそれ! あたしも行きたい!」

「行けるわけないだろ。馬にも乗れないくせに」

「アルの後ろに乗せてよ」

 アルはエイミーと相乗りする自分の姿を、少しだけ想像してしまった。

 まったく絵にならない。あれは、長身のライリーのようなひとにだけ許される図だ。自分より背の高い女の子を乗せるなんて、冗談じゃない。

「嫌だよ」

 エイミーもすっかり泣き止んだことだし、帰ってもいいかな。スミス中隊長、隠れてないで早く娘を引き取って欲しい。

 アルの思いが通じたのか、わざとらしく咳払いしながらスミスが現れた。

「エイミー、アルの邪魔をするな。帰るぞ」

「…………」

 エイミーはぷいっと父親から顔を背けながらも、大人しく立ち上がった。

 やれやれ、とアルも尻についた土を払いながら、家に帰ろうとした。

「ねえ、アル。ホークラムに行ったら、お土産を持って帰ってよ」

「土産? どんなものがいいの?」

「分からないわよ。何があるのか知らないんだもん。なんでもいいからさ」

 なんという無茶振りだろうか。

「気にしなくていいぞ、アル。娘が悪かったな」

「いえ」

「クロードは元気にしてるか。今度スミスが会いに行くと言っていたと伝えてくれ」

 アルは目を丸くしてスミスを見た。

 クロードは、アルに従者の試験に受かるだけの武芸を仕込んでくれた用心棒の名だ。怪我をして退団するまでは王立騎士団にいたのだから、知り合いがいてもおかしくない。

「クロードをご存知でしたか」

「ああ。昔同じ隊にいたんだ。クロードの秘蔵っ子が入団するとは聞いていたんだが、もっと早くに助けてやれなくて悪かったな」

 スミスとアルは、所属する大隊から違ったのだから当然だ。

 だが、ひとりで歯を食いしばっていたときに、気にかけてくれていた人がいたのかと思うと、少しだけ心が温かくなって、涙が出そうになった。

 エイミーの言う通り、怒ってみればよかったのかもしれない。

 乱暴な少年の集団に真っ向から立ち向かっても、勝てはしなかっただろう。それでも大きな声で、やめろ、僕に構うな、と騒いでやれば、スミスのような人が助けてくれたのだ。

 アルはライリーが救い出してくれるまで、黙ってひとりで耐えるだけだった。

 まるで物語のお姫さまのように。

「いいえ、中隊長。今度クロードに会ったら、伝えておきますね」

「今更だが、ライリーにも言えないような困ったことがあったら、いつでも相談においで」

 あなたの娘に困ってます、と言っては駄目だろうな。でも我慢できなくなったら言ってやろう。

 先輩騎士というより、父親の顔をして見下ろしてくるスミスに、アルは素直に感謝の気持ちを告げた。

「ありがとうございます。そのときはお願いします」

 ここにいればきっと、アルは自分の望む未来を掴み取ることができる。

 辛くなったら、たまには家に帰って親に甘えてこよう。

 彼らに対する怒りはない。

 アルの代わりに、騒々しい少女が怒ってくれた。もうそれだけで充分だ。



 少しだけ感謝の意を表して、アルはエイミーにホークラムの土産を持ち帰ることにした。

「ねえねえ、ホークラム楽しかった?」

「楽しかったよ。ホークラム騎士団の団長になった」

「何それ。男の子ってほんと馬鹿みたいなことするよね」

 エイミーにだけは言われたくない、とアルは思った。

「まあ僕にもよく分からないんだけど。はい、これお土産」

「え、何なに! ありがとう!」

 喜色満面で小袋を開けたエイミーだったが、がっかりして袋をアルに突き返した。

 よくよく人の好意を平気で投げ返す娘だ。

「何よこれ、馬鹿にしてるの? ただの土じゃない」

「なんでもいいって言っただろう。ほら、君の髪と同じ色」

「どうせ土色よ。あたしだってハリエット様みたいな金髪になりたかったのに」

 植物を育てる健康な土壌の色だ。言うほど悪い色ではない。

 持ち主の性格を表現したような頑固な癖毛は、いつもきつく編まれて少女の背中で跳ねている。

 そのきつすぎる視線は好きじゃないが、ぴょんぴょん元気に動いている毛先を見るのはそんなに嫌いじゃない。

「我儘だな。ほら、こうやって畑に混ぜておけば、ここでライリー様の所領と同じ野菜が採れる」

「……馬鹿にしてるの?」

 まあ残念な頭の持ち主だとは思っている。

 彼女は叶わないと分かりきっている恋をして、その妻にも憧れの眼差しを向け、ふたりを追いかけることで幼い恋情を満たしている。

 アルにはできない。しようとも思わないし、理解もできない。

 だけど、自分の気持ちに正直な彼女はどこまでも真っ直ぐで、少しばかり憧れてしまう気持ちもあったりする。

「それよりさ、聞いてよ! あたしね、ブライス伯爵のご令嬢の侍女になることになったの!」

「伯爵? それはすごいな。大出世じゃないか」

 仕える家の格式を単純に考えれば、子爵家の侍女であるアンナより上ということになる。

「でしょう! ロージー様っておっしゃってね、ホークラム子爵夫妻を見守る会の会長なんだけど。あちらから声をかけてくださったの!」

 何やら聞いてはいけない話を聞いてしまった気がする。主人には黙っていよう、とアルは思った。

「……就職おめでとう。スミス中隊長はなんて?」

 スミスが反対していた娘の活動によって、彼女は望み得るなかで最高の働き口を手に入れたのだ。さぞかし複雑な心中を抱えていることだろう。

「父さん? 知らない。喜んでるんじゃない? まだ見習いだから、伯爵が王都に滞在している間だけなんだけどね。他の期間はこれまで通り伯父さんの店に通うわ」

「よかったね」

「ここだけの話ね、そのうちティンバートン伯爵家の侍女になれるかもしれないのよ!」

 ティンバートンはライリーの実家だ。どんな妄想だと思ったが、これも口には出さずに流すことにした。

「へえ。夢が広がるね」

「広がってるの!」

 今日はいい天気だから、洗濯物がよく乾きそうだ。

 そろそろ昼食の準備をしようかな。ライリーは騎士団の食堂で食べるから、女性が好みそうな味付けにしよう。

 あの意外とエイミーと似ている女主人が気に入りそうな献立を、新しく考えようかな。

 彼女は今朝も夫を見送った後、きゃーだかなんだかよく分からない小さな叫び声を上げて、ひとりで悶絶していた。

 最初はどこか具合が悪いのかと思っておろおろしたものだが、あまりに頻繁なので、今ではアンナに倣って気にしないでいることにしている。

 憧れの貴婦人の実態を知ったら、エイミーはどうするだろう。幻滅するかな。それとも意気投合してしまうのか。そうなったら嫌だな、絶対に口外しないでいよう、とアルは心に決めている。

「よかったね。じゃあまた」

 騎士修行に励むよりも、こうしていつまでもこの家で働かせてもらいたいな、と思ってしまうこともある。

 だって幸せなのだ。

 自分を必要としてくれる人がいて、将来のことを自分以上に真剣に考えてくれる大人がいて、安心して子どものままでいられる。

 両親を独り占めしていた幼い日々が戻ってきたみたいだ。

 この気持ちが強くなることがあったら、先にスミスに相談してみようかな。

 ライリーは困った顔をするかもしれないが、きっとアルの話に真剣に耳を傾けてくれるだろう。


 だけど今はまだとりあえず、尊敬する騎士の従者として、己の心身を鍛える日々を送るのだ。

 先のことはもう少し大人になってから考えよう。

 そうだな。隣家に住む歳下の少女の身長を追い越す頃までに決めればいい。

(あれ。待てよ)

 エイミーよりも背が高くなる。そんな日は来るのか?

 体格のいい騎士を父に持つ彼女は、まだ順調に成長しているようだ。

 ホークラムから帰ってきて久し振りに会うと、記憶にあるよりも高い位置から見下ろされた気がする。

(……まあいいか)

 今はまだ、温かい人々に囲まれて、ゆっくりとお姫さまから男の子になるところからはじめていけばいい。

 アルの騎士修行ははじまったばかりだ。

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