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王国挿話  作者: 真中けい
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エイミー・スミス 前編

おうこくそうわ、と読んでください。

『余生をわたしと』『余生をわたしに』の番外編になります。

脇役の話や、本編に盛り込み切れなかったエピソードなど、少しずつ書けたらと思っています。

本編の長さの割に番外編が多いですが、よろしくお付き合いください。


最初はライリー達のお隣に住む一家の娘の話です。

 キャストリカ王国王立騎士団第二大隊第三中隊隊長の名を、ウォーレン・スミスという。

 城下にある仕立屋の次男坊として生まれた彼にとって、幼い頃から騎士は身近な存在であり、その勇姿に憧れて育った。

 彼は騎士の叙任を受けて間もなく結婚した妻との間に、ふたりの娘をもうけた。

 娘の名は、エイミーとケイシー。

 彼らは家族四人、王宮内にある長屋で暮らしていた。

 ある日の夕食時に、スミスがこう言った。

「今度、隣にライリー・ティンバートンが越してくるらしい」

「あら、決まったのね。つい先日、下見に来てらしたわよ」

「あたしライリー知ってる。この間、お家の前で会ったよ」

 八歳のケイシーが、大人の会話に自慢気に口を挟む。

 ああ。あの父さんおすすめの伯爵のご子息ね。

 エイミーは鼻の頭に皺を寄せた。

(父さんは勝手ばっかり)

 スミスはついこの間まで、何度も聞こえよがしに言っていたのだ。

 ライリーはいい男だぞ。やっぱり育ちが違う。なあ母さん、エイミーの嫁入り先にいいと思わないか?

 そんな話を何度も聞いていれば、十二歳のエイミーにも大方の事情が分かってくる。

 ティンバートン伯爵には立派な継嗣がいる。言い方は悪いが、次男であるライリーはその予備なのだ。

 騎士として自らの身を立てたライリーは、どうやら余所の貴族の家に婿入りする気はないらしい。そうなると、問題は結婚相手の身分だ。

 上流階級の令嬢が、伯爵家出身とはいえ、現在は一騎士でしかないライリーの元に嫁ぐわけがない。かと言って、相応の下級貴族や上級市民の娘を娶ってしまえば、兄に万一のことがあったときに困るのだ。市民の娘が伯爵夫人になれるわけがない。

 以下は、スミス達、ライリーよりも歳下の娘を持つ騎士の、願望混じりの憶測である。

 ライリーが結婚相手を探しはじめるのは、三つ歳上の兄が結婚して、ひとりか、できればふたり以上の息子を得たときだ。未だ婚約者のいない兄にそのときが来るのは、早くともニ年後、五年ばかり先でもおかしくない。

 五年も経てば、エイミーが年頃の娘になる。ライリーはまだ二十三歳。充分釣り合いが取れる。

 ライリーは伯爵家出身であるにも関わらず、自ら身を立てる甲斐性がある。苦労知らずの幼少期を過ごした彼の性格は温厚で、妻となった女性に手をあげることは決してないだろう。騎士の仕事は殉職の危険と切って放せない関係だが、例え未亡人になったとしても伯爵家からの手厚い援助が望める。

 万一ライリーが伯爵位を継ぐことがあれば、そのときは諦めればいい。五年経ってもエイミーはまだ十七歳だ。そこから気持ちを切り替えて、別の嫁入り先を探す余裕は充分ある。

 娘の嫁入り先候補として、ライリーは同僚の騎士から狙われていたのだ。ただし、彼はちっともその視線に気づいていない。

(父さんたら、ばっかみたいだった)

 エイミーには六つも歳上の騎士は、おじさんとしか思えなかった。

 もちろん、騎士の方々は国を守る大事な仕事をする人だと理解してはいる。

 だが、王立騎士団の騎士は大抵、汗と血にまみれてくたびれているのだ。従騎士もエイミーと変わらない歳の従者も、それは同じだ。子どもっぽくて乱暴で汚くて、おまけに下品。

 彼らは若くて綺麗な女の人の前でだけ、騎士道精神を発揮する。

 巷で人気の、騎士道物語の主人公のような騎士など存在しないのだ。騎士の娘ならみんな現実を知っている。

 どうしても騎士と結婚しなければならないと言うのなら、一番人気のエベラルド小隊長がいい。汗と血で汚れているのは彼も同じだが、ダントツで顔がいいのだ。

 なぜだか大人は口を揃えて、あいつは駄目だと言うけれど。

 ただ、この間家の下見に来たのだと挨拶してくれた騎士は、全然おじさんなんかじゃなかったことは認める。想像してたよりもずっと爽やかで上品でびっくりもした。

 貴族の息子だというから、身分を鼻にかけた嫌な奴なんだろうとエイミーは思っていたけれど、彼は全然そんなことなかった。

 スミス夫人には貴婦人に対するように接して、エイミー達にも優しく親切にしてくれた。

 だけどやっぱり、エベラルド小隊長が一番かっこいいという事実は変わらない。

 そもそもライリー・ティンバートンといえば、つい先だって時の人となった騎士だ。

 彼はスミス達の思惑などつゆ知らず、突然結婚したのだ。

 そのお相手はエイミーでも知っている、かの有名な侯爵夫人だ。

「こら、ケイシー。ライリー様、だ。彼は今や子爵様だぞ」

 スミスが幼い娘に注意した。彼はライリー結婚の報を聞いた際には、結婚詐欺にあったような落ち込みを見せていたくせに、そんなことなどなかったかのような素振りだ。

 エイミーとしては、全然関係ない騎士のライリーより、その妻のほうに興味がある。

「侯爵夫人と結婚したんでしょ。ハリエット様。やっぱりいっぱいドレス持ってるのかな」

「でしょうねえ。あんな素敵な方がお隣にお住まいになるなんて、夢みたいだわ」

 スミス夫人も、娘と一緒になってうっとりとした表情になった。

 この国の女にとって、侯爵夫人は特別な存在なのだ。

 女に継承権を認めない貴族だけでなく、市井の女も、男より軽く扱われがちだ。家同士の繋がりをつくるため道具のように遣り取りされ、そうして決まった嫁ぎ先で幸せになれるかどうかは運に任せるしかない。

 そんな逆境を物ともせず、立ち上がった侯爵夫人、否、侯爵代理は、キャストリカの女の希望の星なのだ。

 夫の(もの)でない立場を手に入れた。

 もちろんエイミーも彼女に憧れている。

「なんでハリエット様はライリー様と結婚したの?」

 彼女に憧れているからこそ、うんと歳下の、まだ新米の騎士に嫁ぐと聞いたときには、スミスとは違う理由で落ち込んだものだ。彼女のようなひとまで家の道具にされてしまうのかと、悔しいような悲しいような気持ちになった。

「まあ、エイミー。好きだからに決まっているでしょう」

 娘にまだ夢を見ていて欲しいスミス夫人が、慌てて言った。

 それを聞いたスミスが難しい顔で首を捻ってから、肯定の仕草を見せた。

「どうやら、そうらしいんだ」

 浮かれた様子のライリー、頻繁に騎士団の見学に現れるハリエット、遠慮がちに寄り添って歩く初々しい恋人同士のようなふたり。数多くの目撃証言によると、まあそういうことらしい。とスミスは結論付けた。

(嘘だ)

 そんな男に都合のいい夢みたいなことあるわけない。きっと何か理由があるんだ。

 現実主義を自称するエイミーは、父にねだった。

「ねえ、父さん。あたしハリエット様とお話ししてみたい。お隣さんなら、遊びに行ったりしてもいいかな?」

「あんまり期待するなよ。父さんだって畏れ多い」

 スミスはそう言ったが、案外早くエイミーの希望は叶えられることになった。



 隣家の侍女が招待状を持ってスミス家を訪れた日、エイミーは飛び跳ねながら叫んだ。

「招待状だって! ハリエット様のお茶会に招んでくださるって! どうしよう!」

「どうしようじゃないわ。落ち着きなさい、エイミー」

 自身の落ち着きも失ってしまったスミス夫人は、おろおろと部屋を歩き回った。

「ねえ、お茶会って何着て行けばいいの?」

 一番現実的だったのは、一番小さなケイシーだった。

「服! どうしよう!」

 どうしようも何もない。普段着の他には、祭用の一張羅を一枚しか持っていないのだ。

 スミス家の母娘三人は、それぞれ一番上等なワンピース(コット)に着替えて、髪の毛を梳かし合った。

 二本のお下げを解いて背に垂らし、纏まりの悪い頭頂部の髪を編めば、多少はきちんとして見えるはずだ。

 必死で身支度をして、ソワソワしながらお茶の刻限を待った。

 鐘の音が鳴り終わるのを待って、スミス夫人は隣家の玄関の叩き金をそっと叩いた。

 憧れの女性の家は、エイミーが想像していたような煌びやかな空間ではなかった。

 よく考えてみれば当たり前だ。スミス家と同じ長屋、同じ間取りの家なのだから、どこに何があるのか、聞かなくても分かる。

 けれど、住人の存在感は圧巻のひと言に尽きた。

 にっこり微笑んでスミス母娘を出迎えたハリエットは、ドレスではなく、スミス夫人のコットと変わらない服装をしていた。

(何が違うんだろう)

 同じような形の服でも、多分素材が違うのだ。布地の艶と滑らかさが段違いだ。

 梳き下ろした髪はエイミーの茶色い癖毛と違って、金色に輝く自然な巻き毛。こんなに綺麗なひとがお隣さんなんて、夢みたいだ。

 エイミーはぼうっとなった。

「本日は、お招きいただきありがとうございます」

 スミス夫人の言葉に、ハリエットは輝くような笑顔を返した。

「急にお誘いして申し訳ありません。来てくださって嬉しいです。エイミーもケイシーもありがとう」

 ケイシーに繋いだ手を引っ張られて、エイミーは我に返った。そうだ。お礼を言わなくては。

「ハリエット様、わたし、こんな素敵な招待状もらったの初めてです。宝物にします!」

 声がうわずってしまったのは仕方がない。

 だって、ここの家の住人は、同じ人間とは思えないくらい、素敵なひとばかりなのだ。

 ハリエットとは、この一週間で何度か顔を合わせて挨拶くらいはしていた。

 貴族の奥さまなのに自分で水汲みもしていて、なんだか親しみを覚えかけていたところだ。遠巻きにするだけで、近寄ったりはできなかったけれど。

 侍女のアンナも綺麗なひとで、少し怖いくらいにきびきびしているけれど、エイミー達にも丁寧に接してくれる。

 スミスがライリーよりも役職が上だからだというけれど、その娘にまで優しくする必要はないはずだ。本当に偉い家のひとは優しいのだろうかと、エイミーは考えていた。

 そうだとしたら、これまでのエイミーのなかの固定観念を見直す必要がある。

 貴族は偉そうで嫌な奴、とは限らない。

 他にも、六歳上は全然おじさんじゃないとか。普段は過酷な隊務でくたびれている騎士も、休日はそんなことないのだとか。普段はそうでもないのに、何故だかかっこよく見える瞬間があるひとが存在するとか。

 だって。

「エイミー、今日の髪型可愛いな。よく似合ってるよ」

 なんて、今までの人生で言ってくれた男の人は、ひとりもいなかった!

 これまでスミスの話を全然本気にしていなかったエイミーだったが、ライリーの言葉に顔が真っ赤になるのが自分でも分かった。

 これはどういうことだ。

 綺麗な女の人の隣に立つと、なんでもない男の人でも素敵に見えてしまうものなのだろうか。

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