感染予防とネットワークと濃厚接触
村上アキは、その勉強会に出席させられてとても困っていた。何故ならば、その勉強会に出席しているメンバーはいずれもそれなりの地位にいる人間ばかりで、しかも、一見した限りでは分からないかもしれないが、かなりやる気がなかったからだ。
上村という古参の実力者は態度こそは真面目だが、恐らくは何か別の事を考えている。中田という男は、積極的に発言をしはするが、内容がともなっていない。下北という男は腕を組んで目を瞑っている。堂々としているから騙されそうになるが、多分、ただ単に眠たいだけだろう。いや、既に眠っているのかもしれない。
彼らはとある国の衛生管理局の主要なメンバーで、今、この国は未知の感染症の被害が広がるという深刻な事態に陥っていた。ところがこれといって有効な対応策を打ち出せず、結局は常識的な感染予防策を幅広く行うといった程度しか行っていなかった。
それで「このままではいけない」という事になり、専門家を招いて勉強会を開催するという運びになったのだ。
感染予防の為に勉強会の人数は制限されている。そんな中で村上が選ばれたのは、恐らくは先に挙げた実力者達にあまりやる気がないからだろう。
つまりは、「お前も出席して、後で話を分かり易くまとめて伝えろ」という役割だ。
「何故、検査をもっと徹底させないのですか?」
その勉強会の講師の根津という専門家は、そう言って彼らを叱咤した。あまり怒られ慣れていない先の三人は、それに多少面食らったような表情を浮かべていたが、太々しい態度だけはまったく崩していない。
「それは上からの指示だから仕方がない」
そう上村が言う。偉そうな口調だが、発言の内容自体は少々情けない。
村上はそれを聞いて心の中で軽くため息を漏らした。
“民間に任せるのを嫌がるんだよなぁ……。お役所って”
そう。
民間の機能をフル稼働させれば、実は検査体制を充実させる事は可能だ。ところが、それをやってしまうと役人の権限が減退してしまうと懸念した上の方の人間が、どうやらそれを止めてしまったようなのだ。
そんな事を言っていられる事態ではないはずなのだが、のん気というか強欲というか傲慢というか。
「情報を集める事は、あらゆる計画の基本中の基本です。検査を幅広く行えば、どのように感染しているかが分かる。すると、一体、どんな地域や施設に感染予防を徹底させれば効果的なのか、それが分かるようになるんです。
ネットワークには様々なタイプがあり、そのタイプによって対応は変わって来るのですよ。誰もが平均的に感染させているのであれば、平均的に感染予防すれば良いが、一部の人間が集中して感染させているのであれば、一か所に集中させる方が良い。
今のような状態では、それがまったく分からないのです」
根津はそう語る。三十代くらいの若い学者らしいが、こんなメンバーを前にしてもまったくたじろぐ様子がない。中々の胆力…… と言うよりも、そもそも社会的権威を気にかけるタイプではないのかもしれない。
「そんな事は分かっている。しかし、現状、情報がない以上、その状態で策を講じるしかあるまい。
その為に君を呼んだのだろう? 何か策はないのか?」
そう中田が言った。
根津はネットワーク科学を積極的に取り込んで感染症を研究している新気鋭の若い学者だった。
彼が呼ばれたのは、これまで良いアイデアがまったく出なかったからに他ならない。そうでなければ、権威ある“普通の学者”が呼ばれていただろう。
「――ない事もありません。
実は、感染のリンクが集中している疑いがある人間達がいます」
そう根津が応える。
上村と中田はその言葉に驚きの表情を浮かべる。半分眠っているのかもしれない下北だけは何も反応しなかった。
どんな妙案を言うつもりなのかと、村上は次の言葉を期待した。ところが、根津はそれからこんなとんでもない事を言うのだった。
「セックスをたくさんする連中をターゲットに、感染症の防止を行いましょう」
それを聞いて、上村と中田は思わず笑ってしまった。無理もない。村上ですらもズッコケていたのだから。
「なんだそれは?」
と、それに中田。
「君はふざけているのかね?」
上村も続ける。
ところが、根津は首を横に大きく振るのだった。
「いいえ、極めて真面目です。この病気は潜伏期間が長く、軽症の場合も多い。その間で濃厚接触すれば、他人に感染させてしまう。そして、セックスほどの濃厚接触はまずないでしょう」
上村が言う。
「いや、話は分かるが、そんなにたくさんセックスをする人間が……」
そこに根津は言葉を重ねる。
「ところがいるんです。
三島由紀夫の“文章読本”を知っていますか? その中で“事実は小説より奇なり”の一例として、4千7百人もの女性とセックスをしたという男性の話が紹介されています」
それを聞いて中田が言った。
「いやいや、ちょっと待て。それって自己申告だろう? 絶対に嘘だって」
とてもじゃないが信じられないといった口調。根津は続ける。
「その他にも、アメリカのプロ・バスケットボールプレイヤーが、2万人の女性とセックスをしたと主張している事例があります」
それを聞くと「だから、それも自己申告だろう?」と中田は言う。根津はそれに軽く頷く。
「そうですね。確かに誇張はしているでしょう。ですが、それでもある特定の人達が、とんでもない数のセックスをしているのは事実なんです。
エイズの予防の為に、セックスの実態について調べた研究者達がいるのですが、そのような結果が出ているのですよ」
そう彼が言い終えると、それまでは半分眠っていたような下北が突然口を開いた。
「“君と濃厚接触したい!”
ってか! こんちくしょう!」
何故か怒っている。しかもセクハラ発言だ。この場に女性がいたなら咎められていたかもしれない。
それを受けて村上は思い出した。
つい最近、下北の結婚相手が不倫をしていたと噂になっていたのだ。きっと、下北はそれを連想にしたのだろう。もしかしたら、夢に見たのかもしれない。
「……それが本当だとすれば、許せんな」
それからそう淡々と言ったのは上村だった。彼には下の機能が芳しくないという噂がある。そう二人が言うと、中田も同調した。
「まぁ、確かに許せないですな」
中田はそもそもモテない。
先の“膨大な数のセックスをしている男達”の話にやや過剰に反応したのもだからなのかもしれない。
「そんな連中には、正義の鉄槌を下さなねばなりません」
上村が中田の言葉を聞いて静かに、だが重くそう言った。
三人は顔を見合わせ、頷き合う。
そしてそれから、三人の発案により“みだらな性接触撲滅キャンペーン”が展開され、その結果として、その感染症はそれまでよりも感染のスピードが緩やかになったのだった。
更に思わぬ副次効果もあった。静かに広まりつつあった梅毒やエイズを抑え込む効果もそれにはあったのだ。まぁ、当たり前と言ってしまえば、当たり前なのだけど。
世間で、その試みは少しは評価された。
ただ、まさか、三人の男達の嫉妬心によって、それが為されたとは夢にも思わないだろう。
そんな風に村上は思った。
以上、僕にはまったく心配のない話でした。
大丈夫さ、血の涙なんて流していない……
参考文献は「新ネットワーク思考 世界の仕組みを読み解く NHK出版」です。
作中のプロ・バスケットボール選手の話もこの本に載っていたものですが、検索をかけてみたら同じエピソードがでてきました。因みに”ウィルト・チェンバレン”って選手です。伝説的なプレイヤーみたい……




