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「紅茶」「トラウマ」「チョコレート」

作者: 叶生 寧愛

 もうすぐバレンタインデーがやってくる。誰もがよく知るあのバレンタインデーだ。

 とは言っても僕にそんな縁があるわけではないし、強いて言うなら少し前までは妹が作ったスイーツの余り物を貰っていたというくらいだ。

 しかしそれも二年ほど前を最後にぴたりとなくなった。妹に恋人ができたというわけでもなければ、たまたま二年連続で作ったスイーツが余らなかったわけでもない。結論から言えば、僕がチョコレートを食べられなくなったからだ。

 まあ、このことは追い追い話すとしよう。


 さて、話を戻すが、この時期になると地元のスーパーでは大量のチョコレートが店内の一番目に入りそうなところ────すなわち出入口付近やレジ横などに陳列され、店内はカカオの香りがほんのり漂い、特にほぼずっとレジで作業をする僕のような従業員はどうしてもそれが鼻につく。この匂いを嗅いでいると、鼻がやけにムズムズしてきて、喉もいがいがしだして、とにかく気持ちが悪い。アレルギーがあるわけではないが、二年前にあんなことがあってからはずっとこんな調子で、口に含むなどとんでもない。そうだな、トラウマという言葉こそ適しているのかもしれない。

 とまあ、また若干話を急いでしまったが、もう少し前置きをさせて欲しい。


 少しばかり悪趣味だと思われるかもしれないが、スーパーのレジを担当していて同じくこの時期の特徴として気が付くのは、若い女性が買っていく商品の傾向についてだ。

 板チョコを含めたお菓子の材料はもちろん、調理器具、容器、ラッピング袋……そして、インスタントコーヒー。

 これも当然と言えば当然で、甘いものと一緒に飲みたくなるものと言えば筆頭に挙がってくるのがコーヒー。バレンタインチョコは大抵が外出先で渡すものであるのだろうが、もちろん自宅に招いてご馳走するなんて人も若干数いるのだろう、時々それを買っていく人も見かけることはある。

 しかしこれには異論を唱えさせてほしい。甘いものには紅茶だ。紅茶こそがスイーツのお供だ────と、二年前までであれば、そう言っていたであろう。だがこれまたあろうことか、僕は例のトラウマによって大好物である紅茶でさえも飲めなくなってしまった。なんて悲劇、君は目も当てられないだろう。


 さて、そろそろ何があったのか聞きたいと言ったような顔をしているね? ご心配なく。バレンタイン、チョコレート、紅茶……材料は出揃ったよ。長かった前置きも、ここでおしまい。これから本題に入るわけだけれど、ひとつ断っておきたいのは、オチに期待しないでほしいということ。あまりのくだらなさにきっと君は、笑止するだろうから。

 それでも聞きたいというのなら、一言一句聞き漏らさないように耳を傾けてくれ。一度しか話さないからね。少しでも聞かなくていいかなと思ったのならば、目を閉じて、耳を塞いでほしい。話が終われば、体を揺するなりなんなりして教えるからさ……それじゃあ、覚悟はいいかい?


 二年前、バレンタイン……というよりもちろん余り物を貰うわけだから当日でなくて、二月十四日よりほんの少し前、とだけ思ってくれればいい。なんにせよ、例年通り妹から貰った余り物のスイーツと紅茶によって引き起こされたその事件は、僕にトラウマを植えつけた。

 その日は妹に空けといてと言われたわけもあり、日中から家のリビングでくつろいでいたんだ。チョコレートの生ぬるく甘い匂いが、部屋中に充満する。

 その香りを楽しみながら────今は絶対に楽しめやしないが────優雅に本でも読んでいると、まだ中学生である妹の僕を呼ぶ声が耳に飛び込んできた。僕は手にしていた本をパタムと閉じると、そそくさとダイニングキッチンの方へ移動する。

「今年はフォンダンショコラだよ。ほんとはみんなにも出来たてを食べてほしいけど、仕方がないからお兄ちゃんだけは今食べて」

 やけにそう急かしてくる妹の目の前で、ショコラを包むカップをベリベリと剥がしていく。「ここじゃなくていいのに」と苦笑する妹の顔を見ると、「いただきます」と言ってそれを一気に口に放り込んだ。

「あ、馬鹿」

 抑揚なく響く妹のその言葉を、今でもよく覚えている。確かに僕は馬鹿だった。それは一口サイズと言えるほど可愛げのある大きさではないし、焼き上がりというのもあって口腔から侵入した熱はたちまち顔を沸騰させた。更に僕は、フォンダンショコラというものをよく理解していなかった。そして妹のお菓子作りの才能も甘く見ていた。

 ハフハフとよく熱の通ったショコラを舌の上で転がしながら、なんとか噛み砕いていく。しかし口内を占領するショコラはまだほとんど形を保っていて、そんな中悲劇は起きた。

 齧ったショコラの内部から、外壁以上に熱を孕んだチョコレートソースが無意識に上を向いて奮闘していた僕の喉に流れ込んできた。そして冷たい空気を取り込もうと忙しない呼吸をする僕は案の定そのソースを吸い込み、おもむろに咳き込んだ。それからショコラがどうなったのかは覚えてはいないが、恐らくはもったいないことに吐き出してしまったのだろう。

 まあ優しい妹はそんなことも気にせず、なんとか流し込もうと飲み物のカップを手渡してきた。優しい妹、気の利く妹。そう、だがその時ばかりは妹も馬鹿だと思った。

 なぜ水を渡さない。

 あれほどの前置きをしていれば、君もここで察しがつくだろう。僕は受け取ったカップを確認もせず一気に口の中に流し込んだ。紅茶の快い香りが喉から鼻に行き渡ってくる。だがほんの数秒遅れて感じた熱に、これまたむせ込んでしまう。そして一気に流し込むものだから、変なところに入ったのだろう────君も経験があるのではないか? あるいは、他人がそうなっている状態を見たことがあるかもしれない。大抵は、それが牛乳で起こりうることなのだけれど。

 率直に言うと、鼻から紅茶が出た。そしてこれはのちに妹から聞いたことだが、この時出た液体にはチョコレートも混ざっていて、少し黒みを帯びていたらしい。まあそんな僕を見て腹を抱えて妹は笑ったのだから、一週間は口を聞かなかったけれど。


 とまあ、そんなくだらない理由もあって、僕はチョコレートを食べられなくなった。不思議なもんで、あの匂いを鼻から吸い込むと嫌な気分になる。嫌いになったわけではないのだろうが。

 いつかこれは治ることがあるのだろうか。僕にも美味しいチョコが食べたくなる時はあるのだから、治るなら治ってほしい。しかし今はあえて言おう。甘いものにはコーヒーだ。

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