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空喰い  作者: とりとん
第1章 それでも人は空を目指す
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空という場所の意味

 その日、家を出た時には空を厚い雲が多い、冷たい風が吹いていた。ここ数日は上を見上げれば真っ青な空が広がる快晴が続いていたが、今日の空模様は悪く、昼も近いというのに薄暗い。

 青年はいつものように山の上にある空港へ向かい、荒れ果てた空港の入り口に車を停める。前回来た時に目についた青いスクーターの姿はそこにはなく、青年は安堵する。


「あんなのに構われちゃ、こっちの身が持たんからな」


 そう呟きながら、青年は今日も壊れたエスカレーターを歩いて上る。


 外が薄暗いせいか、空港の中はほとんど真っ暗だった。中に入り、しばらくすると目が慣れてくるが、それでも少し遠くに目を向けると、そこには闇が広がっている。

 いつものように建物の中を一回りし、展望台へと足を向ける。

 展望台へ出ると、そこには黒いアスファルトが左右どこまでも続き、周囲の木々は風にあおられてざわめいている。空を見上げれば、やはり太陽は雲の向こうに隠れており、景色はまるで白黒写真のように色あせて見えた。


「いや、そう見えるのは景色のせいだけじゃないか」


 かつてここでしてきたこと、起きたことを思い出しながら青年は溜息を吐く。

 風も強いうえに白黒の世界は見ていても仕方がないので、普段より足早に展望台に背を向ける。


「前、来た時はいい眺めだったんだがなあ」


 そこで再び少女のことを思い出す。唐突に”空を飛ぼう”などと言われたときは面食らったが、青年は今思い出しても荒唐無稽だと思う。青年はこの時代にそんなことをすればどうなるか、知識でも経験でも知っている。空喰いに逆らうことは全てが許してはくれなかったし、今もそれは変わらない。


 車に戻った青年はエンジンをかけ、悪路に揺られながら来た道を戻るのだった。


*


 青年は空港に行くと、その帰りに喫茶店イカロスに寄り道するのが常だった。開店日が不確実なこの喫茶店だが、営業していればラッキーという程度の気持ちでいつも寄り道している。

 今日も例にもれず、青年は喫茶店イカロスの駐車場に車を停める。喫茶店の軒先には見慣れない鼠色のシートが掛けられた高さが青年の腰ぐらいの何かがあった。が、青年は気にすることなく店舗入り口へと目を向ける。

 そこには『喫茶店イカロス』というプレートとともに『open』の文字。青年は今日は運がいいと思いながら扉を開け、中に入る。


 相変わらず窓際のテーブル席に客の姿はなく、曇り空の今日に至っては陽の光すら入ってこない。本当に営業しているのか心配になりながらも、いつも座るカウンター席に目を向けると相変わらず暇そうにマスターがグラスを磨いている。

 ただ、カウンター席にはいつもと違い一人だけ先客がいた。

 カウンターに向かっているため顔は窺えないが、背中に流した長い髪から察するに女性であるらしかった。

 青年がどこに座ろうか少し迷っていると、おもむろに女性が立ち上がり、青年の方に体を向け、静かな店舗によく響く声で、


「待ってたわ!」


 と声を上げた。

 その顔を見たとき、青年ははっとなる。


「あんたはあのときの」


 そこには空深空港で青年が出会った、出会ってしまった少女が爛々と輝く目で青年を捉えていた。


「まったく、待ちくたびれて眠るところだったわ」

「いや、そんなことはどうでもいい。どうしてこんな所にいる?」

「あら、私がどこの喫茶店でコーヒーを飲もうと勝手でしょう?」

「それはそうだが・・・」


 青年は少女のペースに飲まれつつあった。あまりの不意打ちにどう対応してよいか全く分からなかった青年は、踵を返して喫茶店から出ようとする。

 すると、今まで黙ってグラスを磨いていたマスターが、


「喫茶店イカロスに足を踏み入れて何も頼まずに帰る気か?」


 と、妙に凄みのある声で放った。気分で開店するような店の癖に、いきなりプライドの高いことを言い始めるマスターに青年は面食らったが、確かにここに来て何も頼まずに帰ったことはなかった。

 青年にとってもこの場所は安らげる数少ない場所でもあったし、マスターには色々な話を聞いてもらってきたことを考えると青年はマスターに逆らえそうになかった。

 青年はしぶしぶカウンター席に座るという客の態度としては全くふさわしくない態度をとる。

 そしてマスターは「それでええ」と言いながら頼んでもいないのにいつものコーヒーを青年の目の前に置く。


「で、表のシートはマスターの仕業か?どうせ中身はスクーターなんだろ?」

「はて、何のことかのう。最近物忘れがひどくて、さっぱり記憶にないわい」


 間違いない、このマスターが一枚かんでいやがる。青年はマスターの態度に辟易しながらもそう確信し、出されたコーヒーに口をつけようとしたが、


「ちょっと待ちなさいよ、私を無視するつもり?」

「できればそうしたいんだが、そりゃ無理そうだな」


 この喫茶店に来て10分しないうちにここまでうんざりした気分になったのも青年にとっては初めてのことだった。この少女と会うたびに初めてのことばかりだな、と思っていると少女が話し出す。


「じゃあ早速だけれど、私と一緒に空を飛んでくれない?」

「あのなあ、自分で言ってる意味分かってるのか?」

「ええもちろん。この地面から浮いて空へ行くの。何か違うかしら?」

「そりゃ間違ってないんだが・・・」


 青年はどこから話したものかと悩んでいたが、もしかしたらこの少女は単純に世間知らずなだけかもしれないと思い、こんな質問をした。


「空を飛ぼうとするとどうなるか知ってるのか?」

「人に見つかれば止められるし、そうでなくとも空憑きとか言われていじめられるし、警察に見つかれば捕まるし、しつこく繰り返せば有罪でしょ。死刑にはならないでしょうけど、刑務所には連れて行かれるし出所しても家も仕事も選べない差別が待ってるんじゃないの」


 どうやら世間知らずではないらしい。青年はそういう現実を教えてやればおとなしく引き下がってくれるかと思っていたが、その目論見は完膚なきまでに踏みつぶされてしまった。

 だが、逆に青年は疑問に思い始めた。その疑問を抱くには当然でもあった。


「どうしてそこまで知ってて空を飛ぼうとするんだ。空なんか飛ぼうとしてもいいことなんてないじゃないか」

「私は約束したの。その約束を果たすために、どうしても空に行かなきゃならないの」

「約束?」


 約束とは一体どんな約束だ。そう青年が問いかけるよりも早く、少女は矢継ぎ早に言葉を重ねる。


「だいたい、あなたにだって空を飛びたいという気持ちはあるはずよ。いつまで自分に嘘をつき続けるつもり?」

「一体何を言っている?あんたが一体俺の何を知ってるつもりか知らんが、決めつけられちゃ困るな」

「いいえ、これはただの決めつけなんかじゃないわ、()()()()()()()()()さん」

「なっ」


 青年は意表を突かれた様子で何も答えられなかった。頭の中では、なぜそのことを少女が知っているだとか、そのことだけは少女に知られてはまずいだとか、この数年の間にそのことはマスターぐらいにしか話していないだとか考えていたが、どれも口には出せなかった。

 時間にして数秒かもしれないが、少しずつ自分の調子を取り戻し始めた青年はマスターの方を睨みつけ、問い詰める。


「マスター!まさかあのことを話したのか!?」

「わしはなんも話とらんよ。ただ、そこの少女が自分自身の力で見つけ出したらしいがな」

「俺はあのことをマスター以外に話した覚えはないんだ!あんたが話したんだろう!?」

「いい加減にせんか!あのときのお前さんがどれぐらい目立っていたか、お前さんが一番よく分かっとるじゃろうが。なんなら今ここで新聞の切り抜きでも持ってきてやろうか」


 マスターの珍しい一喝を受けて、青年は徐々に冷静さを取り戻し始めた。確かにあのころの自分は良くも悪くも目立ち過ぎていた。新聞や雑誌みたいな情報を漁れば自分の正体に気づくのも納得はできる。

 黙って青年とマスターのやり取りを見ていた少女がたまりかねて話を再開する。


「私があなたのことを知ったのは空深市の図書館の資料を見たからよ。マスターさんからは何も聞いてないわ」

「そうか。あそこなら何か残っていても不思議じゃないか」

「そこにはこんなことが書いてあったわ。空深空港でモーターグライダー?とか言うのを使って無理やり飛び立とうとしたって」

「それだけしか書いてなかったのか?」

「ええ。どうかした?」

「いや、なんでもない」

(確かに事実ではあるが、正しいわけでもない。他人がまとめた資料など、やはりその程度か)


 青年は内心でそう思いながらも口には出さなかった。出せば根掘り葉掘り聞きだされそうだったし、何より青年自身があの時の出来事は思い出したくなかったからだ。

 青年は考え込むそぶりを見せたが、少女はそんなことに全く構うことなく言葉を重ねる。


「ところでモーターグライダーってなんなの?それがあれば空を飛べるの?」

「あのな、何回も言うが空を目指してはダメなんだ。あそこに行こうとするだけでひどい目にあう。人がいていい場所じゃないんだ」

「私の質問の答えになってない。やっぱりモーターグライダーで空に行けるのね?」

「それは、そうかもしれんが・・・」

「やっぱり!私の考えに間違いはなかったのね!」


 少女は今にも飛び上がりそうな様子で喜んでいた。青年は少女の様子を眺めながら、こんなにも空という場所を目指そうとする人を初めて見たと思い、やはりこの少女といると初めてのことだらけだなと思う。


「もうこの際、一緒に飛んでとは言わないから、そのモーターグライダーがどこにあるのかだけ教えて!」


 少女はついに青年に対して頭まで下げ始めた。空を飛ぼうとまくし立てていたのに、いきなりこんな態度をとられては無下に扱うこともできそうにない。だが、だからこそ青年はこの実直な少女に自分と同じ経験をさせてはならないと強く感じた。

 青年は話を終わらせる決心の意味で完全に冷め切ってしまったコーヒーを一口で飲み干し、少女の目を真っ直ぐに見てゆっくりと低い声で告げた。


「そんなものはもうどこにもないし、俺はこんな世の中で空を飛ぶ方法は知らない。もう話は終わりだ。俺は帰るからな」


 そう言って青年は席を立ちあがり、カウンターに背を向け立ち去る。今度はマスターも止めなかったし、少女も呼び止めることはなかった。

 あそこまで言えば少女も諦めがつくだろう。

 彼女は空を知ってはいけない。固ければ固い意志ほど崩れるときは一瞬だ。空さえ目指さなければ少女はきっと幸せな人生を送れる。

 そう思いながら青年は喫茶店を後にする。


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