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空喰い  作者: とりとん
第4章 空高く舞い上がるその時まで
35/39

高度1000

 

 車内は高級車特有の低いエンジン音が包み込んでいた。ついさっきまで銃撃戦の真っ只中にいたことがまるで別世界のようだった。


「おい、大丈夫か?」


 これまで病院の地下施設から抜け出すのに必死だった青年だが、敵の追撃がないことから落ち着きを取り戻しつつあった。バックミラー越しに見える後部座席の少女を気に掛けることもやっとできるようになっていた。


「あいつらは誰なの、どうして私たちを襲ってくるの、一体何が起きてるのよ!」


 少女は青年につかみかかりそうな勢いでまくし立てる。青年が運転中でなければ、今頃胸ぐらをつかまれて揺さぶられていそうな剣幕だ。


「とりあえず落ち着けって。そんなに騒ぐと事故するぞ」


 青年は全く落ち着く様子を見せない少女を窘める。これ以上騒がれては本当に事故を起こしかねない。


「そもそもなんでそんなに落ち着いていられるわけ?私なんてさっきから震えが止まらないんだけど!」


 なおも取り乱している様子の少女だった。青年もこのままではまずいと思い、先を急ぎたい気持ちを無理矢理に抑えながら道路脇に車を停車させる。

 サイドブレーキを引いて安全を確認すると、青年は運転席に収まっている体をひねり、後部座席に座る少女に向き直る。


「とりあえず深呼吸しろ」

「なんでそんなこと」

「いいから言うとおりにしろ」


 青年が有無を言わせぬ様子で強調する。少女もその様子を感じ取ったのか、ひとまず言うとおりに深く息を吸い込み、そしてゆっくりと体から空気を抜く。


「その調子でもう1回」


 青年がそう言うと、今度は少女も反発することなく言われた通りに深呼吸を繰り返す。


「落ち着いたか?」

「……ええ、まあ」


 少女は歯切れ悪そうにそう答えるが、さっきまでの様子とは違い明らかに平静になりつつあった。

 これなら大丈夫かと判断した青年は再び運転席に座り、サイドブレーキを戻して運転を再開する。今は一刻も早く空深空港にたどり着かなければならなかった。


「さっきも説明したが、俺たちはこれから空を取り戻しに行く。だが、それをよく思わない奴らが邪魔をしに来たというところだ」

「邪魔なんて生易しいものかしら」


 一歩間違えれば死んでいてもおかしくない状況のことを邪魔と表現するには確かに不釣り合いかもしれない。青年としても少女の言うことはその通りだと感じざるを得なかったが、今しがた経験した非日常的な光景をなんと言葉にしてよいものか分からないというのが正直な気持ちだった。


「それだけ俺たちがやろうとしていることは重罪なのかもな」


 青年はそう呟きながら携帯端末を取り出し、空深空港にいるであろう仲間に電話をかける。運転中に端末を耳に当てている様子が警察に見つかれば追い回されることは間違いなかったが、銃撃を受けたばかりの身としてはそんなことは些事に過ぎなかった。

 呼び出し音が3回鳴ったところで相手と電話がつながる。


『おう、どうした』

「親方、スケジュール変更だ。今すぐ離陸の準備をしてくれ」

『相変わらず急な奴だな。まあこの親方にかかればそんなことは朝飯前だがな!』


 いつもの調子を崩さない親方の様子に少しばかりの安心感を覚える。


「それと、離陸の準備が終わったらできるだけ遠くに逃げてくれ」

『逃げるだぁ?一体何から逃げようってんだ。まさか…』

「そのまさかだ。あいつら、前と違ってまるで見境がなくなってる。このままじゃ親方と姐さんが危険だ」

『我らがリーダーは改修した機体のファーストフライトを見届けることなく逃げろなどという酷なことを言ってるのか?』

「仲間が減っていく方が俺にとっては残酷だ。とにかくここは頼む」

『…わかったわかった、そんなしけた反応するなって。その代わり、ちゃんと戻ってきて姐さんにも謝っとけよ』

「すまない」


 青年は心の中で親方に頭を下げる。同時に、今回の事ではなにもかも頼りきりになっていることに無力さを感じる。


『ところで、あの可愛らしいお嬢ちゃんは一緒か?』

「ああ」

『ちょっと変わってくれるか』


 親方の要望に少しばかり怪訝さを感じながらも青年は後部座席に座る少女へ呼びかけると携帯端末を渡す。

 後ろから「ええ」「そうね」という相槌の声を聞きながら運転を続ける。それほど長く話すこともなかったのか、通話を終えた様子の少女が端末を差し出してくる。画面を見てみると、すでに通話が終了していることを示す表示がされていた。


「何か言ってたか?」


 青年が少女に尋ねると、少女は少しだけいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「あんたが暴走しないように見張っとけ、だってさ」

「…余計なことを」


 青年は口ではそう言いつつも、少女へのフォローを忘れずにしていく親方に深く感謝するのだった。

 青年は再び運転に集中する。黒塗りの高級車は対向車も後続車もいない広い道路を駆けていく。周囲はいつの間にか雑木林に囲まれており、山の上にある空深空港へ近づいていることが分かる。フロントガラス越しに見える太陽は少しずつ西の空へと近づいており、夕暮れが近いことが感じ取れる。偶然にも夕方に離陸するという高度3000へ向かうフライトプランは実現しそうだった。

 そして、赤く点灯している信号機が目に入る。見れば、十字の交差点に差し掛かっており、青年はゆっくりとブレーキを踏み、白い停止線の前で車を停車させる。銃撃を振り切って強行突破してきたにも関わらず停車してしまうことに青年自身も不思議に感じつつも、赤という警戒色の前では止まらないわけにはいかなかった。車が停車すると、再び車内はエンジン音で満たされる。


(空港に着いたら操縦系のチェックぐらいはしとくか)


 青年は空深空港に到着してからしなければならないことを頭の中で思い浮かべる。いくら親方と姐さんの腕が優れているとはいえ、操縦者が入念なチェックをしなければならないのは空を飛ぼうとする者にとっては常識だった。

 そうこうしているうちに信号は青へと変わり、それに気付いた青年はブレーキペダルから足を離し、アクセルをゆっくりと踏む。

 車体はゆっくりと動き出し、交差点の中央を通り過ぎようとしていた。青年は何の気もなしに交差点の右へ続く道路へ首を傾ける。


 そこには見る見るその姿を大きくする深緑色の軍用車があった。


 青年は何が起きているのか一瞬、理解できなかった。そして、その軍用車が今まさに自分たちの乗る車めがけて突進してきていると気付いた時にはもう手遅れだった。

 軍用車は全く速度を落とすことなく、そのまま車体側面へと激突する。金属のひしゃげる音を耳にしながら横からの巨大な力によって青年が運転していた車は、その向きを180度変えられた。1秒にも満たない時間で受けた衝撃は尋常ではなく、青年の意識は一瞬にして奪い去られる。


 気付いた時には車体は雑木林の中に放り出されており、その横にはボンネットから黒い煙を上げる軍用車が横たわっている。

 その軍用車の扉が開いたかと思うと、中から車体と同じ迷彩色の服に身を包まれた男が這い出てくる。その頭からは赤い血が流れているが、そんなことに全く構うことなく男はこちらに向かってくる。

 青年はもうろうとする意識を必死に奮い立たせ、なんとかここから逃げなければと運転席のドアを開けようとするが、右腕の感覚が一切なくなっていることに気付く。

 その間にも男はまっすぐこちらに向かってくる。そして腰に下げていたホルスターから拳銃を抜き去ると、躊躇なく銃口をこちらに向けてくる。

 青年は初めて見る銃口へ目を向けながらも何もできずにいた。できたことと言えば、後ろに座っていたはずの少女は無事だろうかと、その身を案じてやることだけだった。


 雑木林に囲まれた広い山道に一発の銃声が鳴り響いた。


 *


「急いで止血し、他に外傷がないか確認しろ」


 青年は一体ここはどこだろうかと考える。背中からは時折、跳ねるような振動が伝わってきており、どうやら移動中らしいことに気付く。


「右腕は骨折ですが、命に別状はありません」


 青年は重い瞼を少しずつ開けると、その視界には夕焼けでオレンジ色に照らされた空が目に入る。


「隊長、意識が戻りました。君、大丈夫か?」


 青年が声のする方へ顔を向けると、青年より年下に見える高校男児のような人が懸命に呼びかけているようだった。


「俺は大丈夫だが、あいつは無事か」


 かすれる声で何とか少女の安否を問う言葉を絞り出す。


「私もなんとか大丈夫よ」


 その声を聞いて青年の心配はすぐに霧散する。ゆっくりと体を起こすと、そこにはこちらへ心配そうな眼差しを向けてくる少女の姿があった。

 改めて周囲を見回してみると、そこは軽トラックの荷台だった。自分を含めると、その荷台に少女と先ほどの高校男児が乗り合わせている。


「自分は元航空自衛軍偵察隊の軍曹です。大佐の指示であなた方の護衛に参りました」


 こちらはただの民間人であるにも関わらず、その軍曹はこちらに敬礼しながら自己紹介した。大佐と口にしたその人物が誰であるかは考えずともすぐに思い当たる。


「あんた、どうやってここまで追いついてきた?」


 その大佐本人は今も病院の地下施設で包囲されているはずだった。そう簡単にここまで来られるとは考えられない。

 しかし、その疑問は容易に解消される。


「我々は空深空港での偵察活動が任務です。しかし先ほど、急に大佐から連絡があり空港へ向けて移動中の専用車に乗る2人の男女を護衛せよと指示を受けました。本当に何とか間に合ってよかったです」

「そうか、あんたたちが…」


 あのマスターはあまりに物知りすぎると思っていたが、やはりそこにはちゃんと理由があったようだ。そして、その偵察専門の人間すらこうして護衛に割り当てたということは、本当に出し惜しみはするつもりがないらしいことも伝わってくる。


「ただ、右腕は骨折しています。止血と患部固定、それに鎮痛剤投与もしたので悪化することはありませんが…」

「操縦は無理そうだな」


 青年は包帯で何重にも巻かれ、添え木で固定されている自らの右腕を見ながら答える。幸いにして痛みを感じないのは、どうやら鎮痛剤の効果らしい。


「あんたは何も心配しなくていいわ。おかげさまで私の両手両足はピンピンしてるもの」


 そう言いながら少女は四肢を動かす。この非日常的な出来事の連続にいい加減慣れてしまったのか、それとも深く考えないようにしているのか分からないが、今の少女はいつもの勝気な雰囲気を完全に取り戻していた。


「そうだな、操縦はお前に任せて俺は指示とアドバイスに専念するか」


 青年はそう割り切って、怪我をしてもなお自らにできることをまっとうしようと考える。


「お二人とも、空深空港に到着しました」


 軍曹にそう言われ、軽トラックの荷台から周囲を見回すと雑木林はいつの間にか消えており、今は黒いアスファルトがどこまでも伸びていた。それが空深空港の滑走路であることはまるで直感のように感じ取ることができた。

 その滑走路の中心には白い機体が夕日に照らされてオレンジ色に輝いており、黒い滑走路と相まってその存在感を浮き彫りにしている。


「きれい…」


 隣の少女はため息交じりに感想を素直に口にした。無残にバラバラになった機体の姿からは想像もつかないほど美しい流線型を描いており、親方のメカニックとしての能力の高さは今も健在だった。

 少しだけ違和感があるとするならば、以前は一つしかなかった操縦席が二つに増えていることだった。いわゆる複座型と呼ばれる形であり、モーターグライダーに操縦席が縦に二つ並んでいる姿は青年も見たことがない。そもそもグライダーを複座にするということ自体が無動力飛行というグライダーにとっては非常に不利なことなのだ。

 だとしても、このグライダーで目指す場所には二人で行かなければならないというのが青年の決意だった。


「すまないが、操縦席まで手伝ってくれないか」

「自分にできることなら喜んでお手伝いします」


 若い軍曹は青年の申し出を快く受け入れる。

 軽トラックがモーターグライダーの近くで停車すると少女は前側の操縦席へ、青年は軍曹に手伝ってもらいながら後ろ側の操縦席へ座る。


「自分が動翼を確認しますので操縦かんを動かしてください」

「分かったわ」


 少女が軍曹の指示を受けて操縦かんを操作する。その操作に連動して主翼と尾翼の一部が上下左右に動く。


「問題ありません。車輪止めは外しましたので、ブレーキをかけたままモーターを始動してください」


 やはり元航空自衛軍というだけあって手際は良かった。次々と離陸前のチェックを済ませ、ついにプロペラが回転を始める。

 そして軍曹はプロペラの回転に負けないよう声を張り上げて伝える。


「我々のサポートもここまでです!離陸すれば敵も手を出せませんが、自分たちもそれは同じです!それでは、幸運を!」


 その言葉は青年の心に突き刺さる。ここに来るまで離陸することで頭の中がいっぱいだったが、離陸したその先はすべて自分たちの力が頼りになる。低高度ならば携帯端末も使えるかもしれないが、高度1000も超えれば電波は間違いなく届かなくなる。


「ありがとう!精一杯頑張るわ!」


 少女は軍曹に向けて手を振る。そして青年は覚悟を決めるように操縦席の窓を閉め、ロックをかけた。

 目の前には何も遮るものの無い滑走路がどこまでも続いている。この光景を目にするためにどれほどの人が必死になったかを考えると感慨深いものがあるが、いつまでも感傷に浸っているわけにはいかない。


「ブレーキを解放、回転数最大だ」

「ええ」


 少女はブレーキを解放し、左手に添えていたレバーをゆっくりと押し込む。すると、モーターの回転数が見る見る上昇をはじめ、その振動音も徐々に高音を奏で始める。どうやら機体重量の増加を見越してモーターの最大回転数が上がっているらしく、青年自身もこれまで聞いたことのないようなキーンという高温が操縦席を満たす。

 速度計の指針は目まぐるしく増加を続け、あっという間に離陸する速度に到達する。それを確認した少女はゆっくりと右手の操縦かんを手前に引く。そして機体は斜め上を向き、操縦席からの視界はオレンジ色に染まる夕焼け空で満たされる。その角度を維持したまま辛抱強く待っていると、全身が重力から解放されたような浮遊感で包まれ、高度計と昇降計の指針が動き出す。

 青年は前より鈍重な印象を覚えながらも、力強い離陸だとも感じていた。離陸するまでは以前の機体より時間がかかっているが、浮き上がってしまえば速度も高度も急激に増加していた。左右を見れば長く白い翼は大きくたわんでいるが、しっかりと風を受けて機体をより高みへと押し上げている。

 青年は親方と姐さんで立てたフライトプランを思い出しながら少女に指示を出す。


「ここから先は常に向かい風になるように方向を変えながら進むぞ」

「分かったわ、と言いたいところだけれど風の向きなんて分からないんだけど」

「向きは俺が指示するから心配するな。まずは右旋回、方位80度に合わせろ」

「はいはい、任せたわよ」


 少女は右足のペダルをゆっくりと踏み操縦かんを右へ傾ける。機体は大きく右へ傾き、その進行方向も徐々に右寄りへ変わる。機体が傾いたことで滑走路が目に入るが、そこにはすでに豆粒ほどの大きさになってしまった軽トラックと人影らしきものがあるだけだった。

 遠く山のほうに目を移せば、今まさに沈みつつある太陽が空一面を真っ赤な夕焼けに染めている。もういくばくもしないうちに陽は沈み、周囲は夜の暗さに包まれるだろう。


 高度計を見てみると、早くもその針は高度1000という数字に近づきつつあった。


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