再始動
あてもなくふらふらと歩いていると空深空港にたどり着き、同じように気の向くまま展望台へ行くとそこには青年のかつての仲間がいた。
「親方に姐さんじゃないか、どうしてこんなところに」
青年は驚きを隠すこともできず単刀直入に問いかける。
「ちょうど暇をしてたところでな、特に理由なんかない!」
親方は展望台という広い場所でも響くような大きい声で答える。青年が親方の反応に少なからず懐かしさを覚えていると、横から正反対の凛とした女声が届く。
「あら親方さん、嘘をついてはダメじゃない。素直に心配になって来たんでしょう」
姐さんは落ち着いた物腰に柔和な笑みを浮かべて親方をたしなめる。こちらもまた依然として変わらない雰囲気をまとっている様子に青年は懐かしいと感じる。
しかし、姐さんが言った『心配』という言葉に違和感を感じた青年は素直に疑問を口にする。そもそも青年を取り巻く今の状況をこの二人に伝えた記憶は一切無い。
「姐さん、心配とはどういうことだ?」
「それがね、私のところにメールで写真が送られてきたの」
姐さんはそう言いながら携帯端末を取り出し何度かタップすると青年のほうに液晶画面を向ける。そこには今まさに滑走路の上で横たわっている無残な姿のモーターグライダーが映し出されていた。
「差出人のアドレスは私の知らないものよ。調べてはみたけれど私にも分からなかったわ」
「姐さんでも分からんとは大した奴だな!」
親方の反応に青年も内心で同意する。
今でこそ図書館の管理人という職に就いてはいるが、姐さんは電気・情報技術のエキスパートだ。かつては航空機製造メーカーの大手企業で電子装備品の開発設計をしていた根っからの技術者である。
少女が練習に使ったフライトシミュレータも姐さんが独自に作り上げた作品であり、モーターグライダーの電気関連は全て姐さんの手作りだ。
その姐さんが差出人のメールアドレスを調べたからには何らかの手掛かりがつかめて不思議はないのだが、何もつかめないということはどこぞの差出人は調べられることに対策をしているのかもしれない。
「それはそうとこっちにも工場のポストに写真が届いてな、姐さんが見せてくれたのと同じだ。こっちも差出人不明だがな!」
親方のほうも姐さんと同じように今のモーターグライダーの姿を写した写真がどこからか送られてきたようだった。
二人の話を聞いて青年は送り主に心当たりがあることを思い出していた。
このタイミングで青年と同じ蒼空の会のメンバー二人に、この空深空港に横たわる機体の画像を送り付けられ、なおかつ調べられることに対策を打っている人物。
(間違いなくマスターの仕業だな)
きっと今頃、喫茶店でグラスでも磨きながらほくそ笑んでいることだろう。
だが青年は心当たりを二人には教えないことにする。きっと親方と姐さんはマスターが言うところのイカロス症候群に耐性があるのだろうが、その感染症の存在を今も知らないはずだ。
ここで突拍子もない最高機密を二人に話したところで得をするとも思えない。
「最初は驚いたわ。私たちの機体のこんな姿、とても現実とは思えないもの。でも、あなたのくれた手紙のこともあったし、もしかしたらと思って来てみたの」
「そういうことだったのか」
「ねえ、あの子は無事なの?」
姐さんの言うあの子が誰のことなのかは明らかだった。実際に滑走路上で砕けた機体を目にした以上、フライトが失敗に終わったことは二人も分かっている。
青年は少女の今の容態を二人に話す。航空自衛軍のことやイカロス症候群については伏せて身体的には何の問題もないが精神的に無事ではなかったあの病室での様子を伝える。
「あんな元気でかわいい女の子がそんなことに」
いつもは大きな声で話す親方も、この時ばかりはしぼんだ風船のようにしおらしい反応を見せる。姐さんの方も似たようなもので残念そうな心境が見え隠れする。
「それで、我がリーダーはこれからどうするつもりだ?」
「……それが分からないんだ」
親方に問いかけられたこれからのことに青年は何も答えを出すことができない。マスターから明かされた空喰いの正体、少女の心理的な変化、提示された空の取り戻し方。ここに来るまでに何度も悩んだが、それでも答えが出ていないのに今ここで同じような問いかけをされたところで答えが出ないのは当然だった。
「どうやら我がリーダーは随分と傷心の様子だな、姐さんよ」
「まったくね。あなた、そんなにくよくよ悩むような人だったかしら?」
姐さんは珍しく芯の通った力を感じさせる勢いで青年に詰め寄る。
「私たちの機体をバラバラにして、空を見上げずに生きていけるような人なのかしら?」
「……そんなわけないだろ」
青年は完全に気圧されてしまった様子で力なく答える。今の様子を見た人はどちらが蒼空の会のリーダーなのか間違えてしまいそうだった。
「それならやることは決まってるじゃないの。またあの子を空に送り出してあげるしかないじゃない」
「姐さんにもさっき説明したじゃないか。墜落の原因は少女の誤操作のはずなのに、その原因が分からない。それに当の本人が飛びたくないと言ってる始末だ」
「どうして飛びたくないのか理由は聞いた?」
「それが分かれば苦労はない。空の上で何かがあった様子ではあったが、無線越しでは何もわからない」
姐さんが繰り出す問いかけは全て青年自身が心の中で何度も繰り返した問いだった。だから青年は簡単に事が進まないことを知っている。
「なら、二人で一緒に飛べば解決よね」
「二人で?」
しかし、次に姐さんが繰り出した答えは青年には出せないものだった。
思いもよらない解答に青年は二の句を告げなくなってしまったが、姐さんは構うことなく持論を繰り広げる。
「墜落の原因が操作ミスにあるなら、それが起きないようにあなたが一緒にいればいい」
語る姐さんの口調はさも簡単そうに表現しているが、滑走路にある大事な物の今の姿が青年を現実へと引き戻す。
「二人で飛ぶったって、俺たちの機体は一人乗り、それも今はあんな有様なんだぞ」
「それについては何も問題はないな!」
今度はしばらく黙って様子を見守っていた親方が会話に参加する。
「ここにいる人間を誰だと思ってる?あれぐらいの機体なら修理して二人乗りに改造することぐらい訳ないわ!」
そう言われて青年は今ここにいるメンバーを考えてみる。確かに技術力だけに注目すれば、今の機体を修理して改造することは一から機体を作り上げるより遥かに難易度は低い。決して夢物語ではないのだろう。
「だが、姐さんに親方にはもう自分の生活がある。守らなきゃならないものがあるだろ。俺が送った手紙は読んでくれなかったのか?」
青年は少女に託した手紙のことを思い出す。あの時、親方と姐さんに宛てた手紙はバラバラに隠していた機体のパーツを集める目的もあったが、二人にはこれ以上空に関わって辛い思いをしてほしくないという願いも同時に伝えたかったのだ。
機体のパーツだけがいつの間にかこの空深空港に集められていたことを考えると、その青年の願いは二人に伝わったものだと思っていたが、どうやらそうでもなかったらしい。
だが、けがをしたり傷ついたり死んでしまった仲間のことが脳裏をよぎると、どうしてもこの二人に再び手を借りるわけにはいかなかった。
「まったく、今も昔も変わらず自分勝手なひと。私も昔と変わらず空が好きなだけの人間よ、何も心配いらないわ」
姐さんは余裕の表情で蒼空の会のリーダーへ協力を申し出る。
「あんな機体の姿を見せられて、親方と呼ばれた自分が黙っておれるわけないだろうが!」
親方はいつもの大きな声で自らのなじみ深い機体が横たわる姿を放置できないと豪語する。
今も昔も変わらず自分勝手だと姐さんに言われたが、それはどうやら青年自身だけではないようだった。青年がリーダーとなって集めたメンバーもまた、青年と同じように自分勝手で空が大好きなだけの人間ばかりだったようだ。
きっとこの二人を空から遠ざけるような説得はできないのだろう。なぜなら、この二人を集めたのは他でもない青年だ。
「本当にいいんだな」
「勿体ぶってもいいことはないですよ」
「さっさとしようぜ、あんな機体見てられねえよ!」
ここまで言われてはもはや悩むことは必要ない。あとは二人に協力を頼むだけだった。
「蒼空の会、再始動だな」
青年が告げた言葉は空深空港の展望台から空へ溶けていった。
思いがけず現れた協力者の存在は空が手の届く場所まで近づいてきたことを青年に感じさせるのだった。
*
それからの行動はとても迅速だった。
「一見するとバラバラになってはいるが、それぞれのパーツには大きな損傷が起きてない。どうやら設計が完璧だったようだな!」
「バッテリーもモーターも無事みたいね。保護回路がちゃんと働いたみたいで安心したわ」
早速、親方と姐さんは滑走路上に無残な姿をさらけ出している機体のチェックに入った。ちなみに機体の機械的な設計は親方自身が手掛けており、親方の言は間違いなく自画自賛である。
姐さんの方は、こういう事態も想定していたのか電気関連には入念な保護機構を組み込んでいたようだった。機体が炎上せずに少女も無事でいられたのは姐さんのおかげなのだろう。
なにはともあれ、機械的にも電気的にも重要な部分はそれぞれが独立して無事であることが確認できていた。つまり、修理すると言っても実際にするのは組み立て作業とほとんど変わらないほど難しくないということだ。細かい部品は多少の不足があるだろうが、それについては親方が工場を持っていることもあって探し出すのにそれほど苦労はしなさそうだった。
「なに、足りないもんがあれば若い奴らに作らせりゃいい、丁度いい練習になる」
親方はそう言ったが、この人に突然仕事を投げられ練習させられる若い衆には同情の念を抱く青年だった。機体の組み立て方を仕込まれたときの苦労は今でも忘れられそうにない。
「あら、これなにかしら」
その声は操縦席で計器のチェックでもしていたらしい姐さんのものだった。
操縦席のそばまで行くと、姐さんは一枚の写真を取り出す。
「綺麗な夜景ね。空撮みたいだけど、よくこんな写真が残っていたものね」
それはかつて少女が青年に見せてくれた、あの写真だった。どうやら少女が操縦席に持ち込んでいたらしい。今の青年にとっても重要な意味を持つその写真がこんなところにあるとは意外だった。
「その写真、俺に預からせてくれるか」
「それはもちろん構わないけれど」
姐さんはそう言いながら写真を青年に手渡す。その視線にはもう少し写真を眺めていたいという寂寥の念を感じたが、この写真には少女の大事な思いが込められている。あまり人に見せていいものではないような気がしたので、青年は受け取った写真をそのまま上着のポケットの中に滑り込ませる。
姐さんのほうも機体のチェックに忙しいのかすぐに目の前の作業を再開する。
「計器はさすがに衝撃で無事ではないみたいね」
「直せそうか?」
「あら、心外ね。何年も経って私のことが信用できなくなったの?」
どうやら直せるらしい。現役時代は航空機メーカーの一線で活躍していただけあってその技術力は今も健在らしい。
一方で機体の裏のほうでは親方が胴体のチェックをしていた。
「黒い擦過痕はできてるが、表面が少し焦げただけだ。中の骨は無事だろうが、一応うちにある非破壊検査にかけといてやる」
こちらも機体に大事無い様子だった。親方の口からは聞きなれない用語が飛び出しているが、このあたりはさすが親方と言わざるを得なかった。やはりただの声が大きい人間ではない。
一時間もすれば二人とも一通りのチェックは終わったようで、親方の持ち込んだ牽引車両でモーターグライダーは格納庫へと運び込まれた。
そこから先は技術者の独壇場だった。
時にそれぞれ黙って自分の作業を進めていたかと思うと、時に二人で議論を交わし始める。お互いの意思疎通と作業分担が決まれば、あとは再び黙ってそれぞれの作業に戻る、そんなことの繰り返しだった。
蒼空の会の活動全盛期であれば、こんなとき青年は渉外のような外付き合いに力を入れていたのだが水面下で活動する今となってはやることが無い。せいぜい、二人に突発的に頼まれる雑務のような手伝いに手を貸すくらいだった。
夜も遅くなってきたので、青年は作業の切り上げを二人に提案する。こうでもしなければこの二人はいつまでもここで作業を続けるのだろう。こんなところで体を壊されては元も子もない。
「今日はこれくらいにしとかないか」
「あら、もうこんな時間ね」
「久しぶりに熱中してしまったな!」
(そういえばこうやってブレーキをかけるのも俺の役目だったな)
青年は蒼空の会の役目の一つを思い出しながら周囲の片づけを始める。二人もさすがに時間が遅いことに同意見なのか、そそくさと片づけを始める。
そのままその日は解散となった。それぞれ自分の車でここまで来ていたらしく、帰るタイミングは同じでも別々の車に乗り込んで走り去っていく。
外は深い夜に包まれていながら街灯の一切存在しないこの駐車場からは星々が明るく明滅していた。
青年は丸一日以上、置きっぱなしにしていた自分の車に乗り込むとヘッドライトの明かりだけが照らすバイパスの道を走り去っていく。
そして上着のポケットに入れた写真のことを思い出しながら、機体の修理と改造が終わったらまた少女に会いに行こうと思うのだった。




