空を失い7年後
良く晴れた青空の下、車を運転しながらそれなりに急な下り坂を走っていると、交差点が見えてきた。右の交差点脇には誰にも使われず、営業されなくなったコンビニだった建物がひっそりとたたずんでおり、人気のなさを物語っている。
その交差点を右に曲がり、ある施設へとつながるバイパスに合流する。このバイパスも車が通ることなど無くなり、全く整備されなくなったためか至る所でアスファルトはひび割れ、その隙間から雑草が顔をのぞかせる。
そんなことはお構いなしに青年は車を走らせる。時折、大きめの石でも踏んだのか大きく車体を揺らせながら壊れかけのバイパスを進んでいく。
すると、右手に巨大な建造物が見えてきた。それはオレンジ色をした高さ何十メートルもありそうな鉄塔のような建造物で、この山の中ではひどく目立っていた。ただ、以前は綺麗なオレンジ色だったが今は緑色の苔が侵食し始め、この施設が使われなくなってからの年月の長さを思い知らされる。
青年は空喰いによって人類が空から追い出されたあの日から長い時間が経ったのだと実感するが、それでも車を走らせる。
やがてバイパスは終わりを告げ、周囲に広がっていた森林も姿を消し広い空間が現れた。その空間は何百台と車を置ける大きな駐車場だ。これから向かう施設のための駐車場なのだが、今では車の姿はほとんどなく、乗り捨てられ自然と同化するようにくすんだ色の車が数台あるだけだった。
青年はその駐車場へ向けて車を進める。壊れて駐車券を出さなくなった機械を横目に見ながら、ゆっくりと車を進めていく。どうせ誰も来ないのだからと駐車区画を無視して施設の入り口のすぐ近くへ車を停める。
この時、青年は違和感を感じた。近くに見慣れない小奇麗な青いスクーターが置かれていた。青年は月に1回程度、この施設へ足を運ぶのだが、あんなスクーターは見たことがなかった。そもそも、あの悪路をスクーターで来るなど正気の沙汰ではないと思うのだった。
そう思ったのも一瞬のことで、いつものように青年は施設の中へと足を運び始めた。壊れて動かなくなったエスカレーターを階段を上るように歩いていく。
そのまま歩を進めていくと、この施設の名前を示すパネルが外壁にかけられていた。
空深空港
それは、かつてこの街の空の玄関口として利用されていた、この施設の名前だった。世間では”空落ちの日”と呼ばれている7年前のあの日以来、ここで働く人も、ここから旅立つ人も、ここで迎えを待つ人も姿を消した。
だからこそ青年は1人になりたいときにここへ足を運ぶ。まるで人の気配が無いこの空港は格好の場所であったからだ。
空港の入り口にあるガラス製の自動ドアはひび割れ、開いたまま動くことはない。立ち止まることなく中へ入ると、かつては国内でも有名だった航空会社のロゴマークとチェックインカウンターが目に入る。
ここで手続きをする人や手荷物を預ける人で賑わったものだが、そんな過去を微塵も感じさせないほど人の姿も声も無く、ただ埃っぽさだけが漂う。
左へ進むと保安検査場入口が見えてくる。ここでは飛行機テロを防止する目的で飛行機に持ち込む荷物や搭乗する人が危険物を隠し持っていないか検査するのだが、朝の混雑時には長蛇の列が出来上がっていた。今はその役目も失われ、外光の入らないこの場所は暗く近寄りがたい雰囲気を醸し出す。
そのままさらに奥へ進むと、上階へのエスカレーターが見えてくる。またも動かないエスカレーターを上ると、そこに見えてきたのは展望デッキへの入り口だった。地方空港であったこの空港の展望デッキは、さして賑わうほどでもなかった。それでもここへ来てみれば見送る人が数人はいたものだったが、当然今は誰もいない。空落ちの日以来、こんな所へ来る物好きは青年を除いて他にはいなかった。
展望デッキへ進むと、再び青空が目に入る。それと同時に目の前には見渡す限りの黒いアスファルトが広がっていた。左右どこまでも広がる黒い帯は、長さ3000メートルの滑走路。山中の高台に建設されたこの空港は周囲を緑の山に囲まれており、黒い滑走路は余計に目立っていた。
展望デッキを囲っている金網のそばまで行くと、手前に駐機場が見える。そこに佇んでいた旅客機は、今は国によって撤去され解体されたという。空落ちの日以降、国は徹底的に空を飛ぶ手段だけでなく設備も技術も解体を進めたことを青年は思い出す。
そうしていつものように広がる風景を眺めながら過去7年間を振り返り、ろくな思い出が無いことを思い出すことが青年の癖だった。悪い癖だと思いながらも、ここへ来ることをやめないのは今も見上げれば広がる空を飛んでみたいと思っているからなのだろうか。
ふと、青年の視界の隅に人の姿がよぎった。
そちらを見てみると、確かにそこに人がいた。長い黒髪を風になびかせながら、少女と思しき人がそこに佇んで青年と同じように滑走路を眺めていた。
青年はここに人がいることへの戸惑いから、その少女を見ていると少女もこちらに気付いたのか顔の向きを変え、青年と少女は目を合わせる。
すると、初めは呆気にとられていた少女の目がみるみるうちに輝きだし、表情が明るくなり、そしてこちらを指差したかと思うと叫ぶような大きい声で呼びかけてくる。
「そこのあなた!」
誰もいない空港で、その声は大きく響くのだった。