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空喰い  作者: とりとん
第3章 地に這いつくばりあがき続ける
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空の取り戻し方

 

「聞かせてやろう、空の取り戻し方をな」


 自信に満ちた声色でマスターははっきりとそう言った。それは青年にとって待ち望んでいたことだったが、これまでの厳しい現実を目の当たりにしては無条件で信用することなどできるはずもなかった。

 青年は疑いに満ちた視線をマスターに投げかけ、その内容を詳しく聞き出そうと無言で応じる。


「どうやらにわかに信じがたいようじゃな。まあ無理もないかのう」


 マスターは青年の心情を見透かしたような風だった。何度となく交わされた喫茶店でのやり取りや元航空自衛軍の幹部という立場を考えればあらゆる情報が集まっていても不思議ではない。これまでの落ち着きに満ちた態度は重ねた年齢だけで成り立ってはいないのだろう。


「さて、空の取り戻し方じゃが方法は至ってシンプルじゃ。ついさっきイカロス症候群に対抗するワクチンがあると説明したが、それを上空からばらまいてもらう。お前さんらのモーターグライダーでな」

「そんなんで効果があるのか?前と違って今は空に飛行機は飛んでないぞ」


 9割がイカロス症候群を発症しているというあまりにも絶大な数を相手にしているということを思い出せば、空からワクチンをまいたところで効果があるとは到底思えなかった。かつては触媒となってウィルスをばらまく要因となった航空機も今は上空に一機たりとも飛行していない。


「それは問題ない。この地下研究所でワクチンの自己増殖力を強化しておるから、航空機がなくとも全土に届くことがシミュレーションして分かっておる。それなりに高い場所からまく必要はあるんじゃがな」

「ワクチンの効果はそれでいいとしても、なぜ俺たちのモーターグライダーを使う?あんたらは仮にも元航空自衛軍だろ」


 これは青年にとって未だに理解できていないことなのだが、過去に国防の一部を担っていたような組織が落ちぶれたとはいえこうして地下に引きこもっている理由が分からない。空からワクチンをまき散らすというのならばなおさらで、その手にある技術を利用すれば何も難しくないことのように思える。


「わしらの航空自衛軍は4万人が所属していた。じゃが、今でも連絡がとれているのは千人弱、残りの3万9千はどこに行ったと思うかね?」

「……さあな」


 この時代に空なくしては成り立たなかった組織がどうなったかは想像に難くない。だが、青年はそれを言葉にするという行為に嫌気がさして無知を装う。


「比較的、空との接点が少なかった2万人は別の職業に就けた。しかし空のことを忘れることができなかった1万9千人は留置所に精神病院にホームレス、行方不明者も少なくない。その中には命絶えた者もおるじゃろうて」


 マスターはこともなげにスラスラと数字を読み上げるがごとく4万人の行方を羅列した。


「お前さんも知っておるじゃろうが、わしらの持っておった航空機も設備も技術も人材も徹底的に葬られてしもうた。今更、わしらに翼などありはせんよ」

「無いなら作ればいい。少なくともここにいる人間なら俺たちが作ったモーターグライダーよりも高性能な機体は簡単に作れるだろ」


 青年は希望にすがるように疑問をマスターにぶつける。もうこのマスターにはどうしようもできないからこそ自分がここで説明されているはずなのに、その事実を無視して言葉を重ねる。

 だが、マスターに返された反応は簡単に青年の希望を失墜させる。


「お前さんは知らんから無理もないが、状況をかなり甘く見ておるようじゃ。千人弱の仲間とは連絡がとれたと言ったが、時間が経つにつれて少しずつじゃが確実にその人数が減ってきておる。大方、イカロス症候群が重症化したか陸の奴らに潰されたかじゃろうがな」

「陸の奴ら?」

「そうじゃ。実はわしらも既に監視されておってな。この施設もいつ嗅ぎつけられてもおかしくない。これがわしらが地上で目立つ行動ができぬ理由でもある」


 陸の奴らという表現が示す実態は青年にとっても想像に難くない。自衛軍という人間を取り締まれるのは同じ自衛軍だけだということなのだろう。空に手を出すという禁忌を犯した者を取り締まる実行部隊としての活動も聞いたことがある。


「空を取り戻すにはもうわしらの力では足りない。お前さんらだけが最後の希望じゃ」

「お前さんらって、まさか」

「うむ、嬢ちゃんも含めてな」


 マスターの『嬢ちゃん』という言葉を聞いて青年はついさっき目の当たりにした気力を完全に失った少女の姿を思い浮かべて今更ながらに詰め寄る。


「そうだ、あいつは大丈夫なのか?そのイカロス症候群とやらにかかってないだろうな」

「それについて心配はいらん。検査の結果は何も問題なし、そもそもイカロス症候群の特徴は空間識失調からくる恐怖心でなりふり構わず攻撃的になることじゃ。今の嬢ちゃんは単に精神疲労でまいっとるだけじゃよ」


 ひとまず少女が身体的に無事であることは不幸中の幸いであったが、精神的には無事では済まなかったようだ。おそらく、あまりに順調に事が運びすぎてしまったのも原因の一つだろうと青年は思う。あの疲れ切った様子、諦観に満ちた雰囲気を打ち破る方法は果たして存在するのであろうか。


「俺とあいつにそんな大役をこなせということか」


 青年は最後の確認の意味を込めてマスターに問う。しかし青年ぐらいの若造に何を言われても動じない精神力を持っているのか、まったく調子を変えることなくマスターは決まりきった返答をしてくる。


「そうじゃ」


 もはや説明すべきことはすべて説明したといわんばかりに一言だけを伝える。この時、青年の脳裏には今日の出来事が走馬灯のように走り抜けた。

 突如として制御を失ったモーターグライダー、無線から聞こえてきた一方的な少女の呟き。そして状況を把握する前にこんなところに連れ込まれ、壮大な話を聞かされた。病室に佇んでいた少女は様子が一変しており、その態度には戸惑うばかりだった。

 きっと、これからやろうとしていることは少女抜きでは成しえないだろう。空喰いという得体のしれない何かの正体がイカロス症候群によるものだと理解はしたが、青年の内心には自分自身がその病気に蝕まれてしまうのではないかという恐怖心が育ちつつあった。モーターグライダー自体の操縦は今でもそつなくこなせる自信があるが、上空で一人になったときに正気でいられる自信が微塵も湧いてこない。


「少しだけ、考えさせてくれ」


 先送りにすることが今の青年が持つ思考力でできる精一杯の決断だった。あまりにも多くのことが起こりすぎていたし、脳はすでに考えることを拒否しつつある。


「そうじゃな。今日は疲れたじゃろうし、帰って休むとええ」


 マスターはあまり見せることのない柔和な表情をした。だが、すぐに表情を変えて鋭い目つきで青年に念を押す。


「じゃが、わしらには時間がない。陸の奴らが動き出しとるという情報もある。なるべく急いでくれ」


 これほどにまで焦りを感じさせるマスターの様子を見たのは初めてだ。本当にここでのチャンスを逃せば人類が空を取り戻すことは金輪際、不可能になってしまうのだろうと青年は感じた。


 それからはマスターの部下らしき人物に地下施設からの出口まで案内され、再び車に乗せられると教えたはずもないのに廃墟のような住処へと送り届けられた。こうして青年にとって人生で初めてともいえる激動の一日は終わりを迎える。

 青年の頭の中では答えの出ない問答が延々と繰り返され、当然のことながら寝つきはとても悪かった。こんな時の青年が翌日に起こす行動は自然の法則かのように決まりきっている。

 だが、その癖こそが発端であることに青年自身は気付かないままなのであった。

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