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空喰い  作者: とりとん
第3章 地に這いつくばりあがき続ける
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ここに彼女はいない

 青年は男の案内で薄暗い地下通路を進む。未だにこの施設が何なのか、この男達は何者なのか分からないままであったが、意識が戻ったという今日初めての吉報に青年の気持ちははやるばかりだった。

 青年の内心を知ってか知らずか分からないが、男は黙って歩を進める。最早自分自身がどこをどう進んでいるのか皆目見当もつかなくなっている青年だったが、やはり先の知らせのせいか不思議と不安は感じていなかった。

 やがて、この地下施設に入るときに目にしたような重厚な鉄扉に差し掛かる。その脇にはそこにあるのが当然という様子でカードキーの認証用機器が取り付けられている。

 男が慣れた様子でスーツの裏からカードキーを取出し、認証用機器にかざすと鉄扉から錠の外れる音が響く。男は難なく重そうな扉を開けると、青年に対して中に入るよう促す。その様子を察した青年は、体を扉の向こうに滑り込ませる。


 そして青年の目には明るい色をした壁面と長く続く廊下、少し過剰に思える照明が目に入る。壁と同じような明るい色の床は照明に照らされて清潔感を醸し出している、まさしく病院の通路と呼ぶにふさわしい光景だった。

 しばらく薄暗い地下通路を歩いた青年は少しだけ目が眩んだが、少しすればこの明るさにも慣れた。背後から扉のしまる音が聞こえたかと思うと、再び男が青年の先を歩きはじめる。

 青年は時々枝分かれする長い廊下を歩く。窓が無く全ての明かりが人工的に作られているこの廊下は自分がまさに地下にいるということを示しているが、そんなことは今の青年にはどうでも良いことだった。どうして地下に連れてこられたのかということも気にはなっていなかった。


 案内役の男が一枚の引き戸の前で立ち止まる。その扉には部屋番号と思われる数字が大きく描かれていたが、中に誰がいるのかを示すネームプレートがどこにも見当たらないあたりが普通の病室との違いだった。

 それだけではなく、この施設に来てから何度か目にしたセキュリティ機器がここにも目に入る。番号だけが書かれた扉に厳重なセキュリティはまるで中にいる人間を捕らえて逃がさない牢屋のようだった。

 男はここでもカードキーを取出し、扉のロックを解除する。引き戸を開けると男は青年に「入れ」とだけ伝える。一緒にこの部屋に入ろうとしないあたり、ここに少女がいるのだろうと直感した。

 すぐにでもいつもの元気な様子の少女を見て安心したかった青年は、焦り気味に病室と思われる場所へ歩き出す。

 きっとそこには苦笑いを浮かべる少女がいて、自分は溜息をつきながら少女を窘めるのだ。それからはいつものように無神経なことを言う自分に不満を隠そうともせず、それでも空を飛ぶために渋々自分の注意を受け入れる、そんな日常が待っているのだ。


 そんな希望を抱きながら青年は病室に入る。それがただの希望とも気づかずに。


 その病室は簡素という表現をそのまま体現したかのような部屋だった。ベッドもシーツも医療機器も壁も床も白を基調としており、そこには最低限必要なものしか置かれていない。ただ、窓も絵画も時計すらも掛けられていない一面の壁は逆に圧迫感を感じさせる。

 そして、壁際に設えられたベッドの上には半身を起こし病衣姿の少女がいた。しかし、その様子は青年の知る少女とは大きくかけ離れていた。

 腰まで届く長い黒髪は艶が無く、ばさばさに枝分かれしている。頭には少しばかり白い包帯が巻かれており、黒い髪と相まって痛々しさが妙に目立っていた。


 だが、何よりも青年にとって衝撃を受けたのはその瞳だった。


 いつもは勝気に自信あふれる眼差しが今は嘘のように感じられず、その瞳は虚空を向いている。生気は一切感じられず、意志を持たない人形のようですらあった。

 傍らで動く医療機器は少女の心音を波形として描き出していたが、それだけだ。今の少女は心臓が動いているというだけで生命としての何かが欠け落ちているとしか思えなかった。

 青年は少女に何を話してよいか全くわからなくなった。つい最近まで普通に会話していたというのに、この姿を目にするだけで何も話しかけられなくなってしまった。


「なに、しにきたの」


 青年が何も声を出せずにいると、少女の方から声がした。青年とは全く顔を合わせようとせず、あまりに力のない声だったこともあって青年には少女が何を言っているのか、すぐには理解できなかった。

 それでも時間をかけて少女の言っている意味を反芻し理解した時、青年は言葉を漏らす。


「なにしに来た、だと」


 自分がどれほど心配したと思っているのか。それが見舞いに来た人間に対してかける言葉なのか。そもそもどうしてそんなに元気が無いのか。

 あらゆる疑問が浮かんでは消えていく。それでも青年は理性を総動員して改めて少女の無事を確認することにした。


「それよりお前、体の方は大丈夫なのか?」


 少し声がかすれ気味だったが、なんとか声にすることができた。青年が今の自分にできる限りの理性と努力を持って掛けた言葉だった。だが、少女の反応は青年の期待をいともたやすく裏切る。


「あんたに関係ない」

「関係ない…?」


 一体この少女は何を言っている、何を考えている、何を思っている。あまりの反応に青年の心には疑問ばかりが湧いてくる。


「関係ないとはどういうことだ。これからも空を飛ぶんだろう?まだ空を飛ぶ練習は始まったばかりじゃないか」


 そう、まだまだこれからなのだ。初飛行が終わったぐらいで先は長い。やらなきゃならないことは山ほどある。楽しいことも苦しいこともこれからだ。あんな低空飛行ぐらいで満足していてどうするのだ。

 しかし、少女の放った言葉は青年の気持ちを簡単に踏みにじる。


「わたし、もう飛びたくない」


 その声は小さく弱々しい声だったが、不思議とはっきり青年の耳に届いた。その真意は全く理解できないが、明らかに拒絶されたのだということだけは理解できた。だからこそ、青年にはもう限界だった。


「…なんだよそれ」


 青年は勢いよく少女の佇むベッド脇へ歩み寄ると、少女の両肩を掴んで今も虚空を睨む少女の目を無理やりこちらへ向けさせる。

 それから青年は自分の思いを怒涛の勢いで少女にぶつける。


「なあ、どうしたんだよ。あんなに空が好きだったお前はどこに行ったんだよ!」

「…はなして」

「これから何回でも飛べる。もっと高いところにだって行ける。空はまだまだ広いんだ、こんなところでくすぶってる暇なんてないんだぞ!」

「…やめて」

「なあ、なんとか言えよ、言ってくれよ!」


「もうヤメテッ!」


 その少女の声は病室に大きく響き渡る。突然の大声に虚を突かれた青年は少女の肩を掴んだまま押し黙る。すると、今度は少女の方がその思いを青年にぶつける。


「あんな孤独で寂しくて消えてしまいそうな場所なんて、もう行きたくない!」


 それは明確な拒否。


「誰もいなくて、何もなくて、わたしには耐えられないのっ!」


 それは底知れぬ恐怖。


 あまりに突然の出来事に青年が何も言えず黙っていると、背後で扉の開く音が耳に飛び込んでくる。

 そこからここまで案内してくれた屈強な男が入ってきたかと思うと、突如として青年を羽交い絞めにして少女から引きはがす。


「なにしやがる!」


 多少の抵抗を見せた青年だったが、男は全く意に介することなく青年をそのまま病室から無理やり引き出そうとする。あまりの力強さになすすべを無くした青年は声を上げることしかできなかった。


「お前はそれでいいのか、それだけでも答えてくれ!」


 青年は最後の希望とばかりに少女にすがるような問いを投げかける。しかし、少女の方は再び俯き生気を無くした姿をその場にさらすだけで青年の声には一切反応しなかった。

 ここまで縋っても拒絶しかしない少女の様子に青年は失意の底に沈む。力を失った青年の体は男の手によって軽々と病室から引きずり出されてしまう。

 今も思考がまとまらない頭の中で青年は思った。


 自分の知る少女は既にここにいないのだ。


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