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空喰い  作者: とりとん
第3章 地に這いつくばりあがき続ける
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墜落

 

 初飛行練習は順調だった。


 「行きます!」という力のこもった少女の声を無線越しに聞いた青年は、力が入りすぎているのではと少しばかり心配になった。だが、実際に滑走路を走り、離陸する白い機体を見ているとそんな心配は杞憂であったと思い直した。

 シミュレータで何度も練習したとはいえ、誰でもファーストフライトにはぎこちなさが表れるものだった。青年自身も学生時代に体験した初飛行は教官に何度もダメだしをされたものだった。それに比べ、今しがた目にした安定した離陸を見ていると少女の才能を痛感するばかりだ。


 とはいえ、少女自信もそれなりの緊張はあったらしい。指定した高度の100を超えそうになったり、そのままの進路では山肌にぶつかりそうになることもあった。それでも、無線で少し呼びかけただけでその飛行は安定し、目測ではあるが高度も維持されている様子だった。


「どうだ、初めての空は」


 安定飛行した様子の機体を眺め、少女も心理的に落ち着いてきたことを見計らい青年は話しかける。帰ってきた言葉には感動と達成感が含まれており、青年も感化されて同じような気分に浸る。

 数年前には違う仲間たちと空を目指したこともあった。今とは違い激しい弾圧や非難が起きていたが、その時の初飛行に勝るとも劣らないほどの嬉しさが湧きあがる。同時に、今は散り散りになってしまった仲間の姿を思い出して懐かしさも感じていた。


 しばらくすると、少女から「もっと高いところを飛びたい」と通信が入った。青年としてもその気持ちは痛いほどよくわかるのだが、今していることが世間の目に触れればどんなことになるかは身をもって体験している。以前に比べていくらか穏やかになりつつあるとしても、明確な犯罪行為を露見させるわけにはいかない。それに、再び届きそうで届かない思いをすれば青年はもう立ち直れる自信がなかった。少女と青年、お互いのためにもここは毅然とした態度で少女の要望を拒否することにする。

 無線の向こうで不満そうな様子の少女の姿が目に浮かぶようだったが、今は確実さを優先しなければならない。お互いに初飛行だったなら浮かれて高みを目指したかもしれないが、青年の経験が冷静さを保ち続ける。


 それからはよく言えば着実に、悪く言えば面白みのない飛行練習が続けられた。今回の練習で機体の癖や空という場所に慣れてもらおうと考えていたので、繰り返し空深空港の上空を行ったり来たりするという内容だった。見ていても飽きてくるので、きっと操縦している少女自身も飽きてきている事だろう。向こうから無線で呼びかけてくることはほとんどなかった。


 ところが、あまりにも反応が無いことに青年は違和感を覚える。好奇心旺盛な少女のことだ。そろそろあれやこれや聞いてくる頃合いだと思っていたが、無線には何の反応もない。あまりに向こうから話しかけてこないので青年の方から呼びかけたが、遂に何も返してこなくなった。

 この現象に青年は既視感を覚える。それは忘れもしない、空落ちの日のこと。管制用の無線チャンネルを聞いていると、管制官が何度呼びかけても返答が無い。今まさに少女と青年の間で起きていることは、空落ちの日と全く同じだった。

 青年は久しぶりに全身の毛が逆立つような悪寒に襲われ、必死に無線に呼びかける。大丈夫か、聞こえるか、返事をしろ。思い浮かぶ限りの呼びかけを何度も何度も繰り返すが、やはり白い機体からの返事は無い。


 そうこうするうちに、今度は上空を飛行している機体が左右に揺れ始めた。右に傾いたかと思えば、ゆっくりと左に傾き始め、そしてまた右に傾く。その動きを繰り返す様子を見て、青年は少女が操縦かんを握っていないことに気づく。この機体の動きはどう考えても人によるものではない。焦りばかりを募らせながらも、青年はひたすらに呼びかける。

 すると、無線に反応があった。しかし、その反応は青年に安心ではなく絶望を与える。


『いやだ。いやだ。いやだ』


 聞いたことのない弱々しい声が耳に届く。突然の何かを拒否する言葉からは意味を理解することができなかったが、少女のみに何かが起きていることは分かった。そして、何を呼びかけても意味が無いという理解したくない事実を理解しなければならなかった。


 そして、機体は高度を落とし始める。その機首は明らかに水平よりも低く、ふらふらと力なく左右に揺れながら地面を目指す。その姿は今の少女の自我を失った様子を体現しているようであり、吸い寄せられるように黒い滑走路をめがけて落ちていく。

 そして、機体が滑走路に衝突する直前に一言だけ少女の声が聞こえた。


『空喰い』


 その一言を残して、白い機体は黒い滑走路に衝突した。

 機体の車輪は折れ、機体は前のめりになりながら白い胴体の底からオレンジ色の火花を発生させる。回転していたプロペラは、その先端が地面に勢いよく激突する。その反動でモーターの回転軸が折れたのかプロペラは空高くはじけ飛ぶ。

 やがて機体と滑走路の摩擦でモーターグライダーは静止する。翼は折れずに原型を留めていたが、白い機体の所々に大きな傷がついている。機体の背後にはバラバラになった車輪とはじけ飛んだプロペラが粗大ごみのように転がっている。


 青年は走った。頭にかけていたヘッドセットをその場に投げ捨て、頭が真っ白になりながらも墜落した機体に向けて全力で走った。足がもつれ、転げてしまいそうになりながらも少しでも早くモーターグライダーの元へたどり着くために我を忘れて走った。

 広い滑走路に距離感が鈍り、走っても走ってもなかなか機体の姿は大きくならない。それでも青年は無心に走り続ける。なぜなら、今の青年にはそれぐらいのことしかできないからだ。青年は今の自分にできることへ全力を傾ける。


 そして機体の元にたどり着く。力なく横たわる機体の姿には目もくれず、青年は操縦席の窓に手をかける。機体が歪んだせいで窓のロックが外れたのか、あっさりと窓が外れる。

 すると、頭から血を流し目を閉じた少女の姿が現れる。小さく上下する肩から呼吸はあるようだったが、何度呼びかけても体を揺すっても反応が無い。

 このままの状態にするには危険だと瞬時に判断した青年は携帯端末を取り出し、救急車を呼ぼうとする。一瞬、本当にこのまま救急車を呼んでも良いものかと躊躇するが、目の前の少女の様子を再確認すればそんな考えはすぐに消し飛んだ。

 青年は今すぐに助けを呼ぶべく、よく知られた3つの番号を押して発信しようとする。


 が、突然周囲に大きなエンジン音が響き渡り、遠くから猛スピードで黒塗りの車が走ってくる。勢いよく墜落現場の近くに走りこんでくると、急ブレーキをかけ滑走路にタイヤ痕を残しながら青年の近くに急停止する。

 青年が呆気にとられていると後部座席の窓がゆっくりと下りていき、そこに青年の良く知る顔が現れる。


「マスター!どうしてここに」

「話は後じゃ。今すぐ嬢ちゃんを車に乗せろ」


 驚きを隠さず声を上げる青年を制し、突然姿を見せた喫茶店イカロスのマスターは少女を車に乗せるよう指示する。冷静さを欠いていた青年は救急車を呼ぶことを完全に忘れ去り、言われるがままに少女を車の後部座席に運び込む。自分も車に乗るように促されたので、空いている助手席に飛び乗ると、再び黒塗りの車は勢いよく走りだす。


 人気のなくなった滑走路には先ほどまでの喧騒が嘘のように壊れて動かなくなったモーターグライダーだけが静かに佇んでいる。

 少女の初飛行は墜落という形で幕を閉じた。


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