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空喰い  作者: とりとん
第2章 たとえ空に拒絶されようとも
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そこにあるもの

 

 遂に少女は空へ飛び立った。


 少女の操縦するモーターグライダーは地面から離れ、空深空港の上を旋回している。その高度は山や高層ビルよりも低く地面に吸い付くようだったが、それでも少女と機体は重力という枷を全く感じさせないような軽快さで空中を飛び回る。

 時間帯は日中で周囲は明るく、上を見上げれば青い空と所々に点在する雲の塊という気持ちの良い天候だった。少女は街の夜景を空から見下ろすことが目的だったが、今はこの絶好のフライト日和を楽しんでいた。

 柔らかな陽光が少女を包み込み、少女の心の底から嬉しさがこみあげてくる。ここまで来るのに色々なことがあった。試行錯誤しては失敗の連続だったが、ここ最近の出来事は確実に父親との約束に近づいている。


 もうすぐ、あと少し。


 少女ははやる気持ちをなんとか理性で抑えながら空深空港の周りを旋回していた。時折、青年の言いつけである『高度100を超えない』という約束を破りたくなるが、ぐっと我慢して旋回練習を続ける。何としてもここで空を飛んでいることが周囲にばれるわけにはいかなかった。少女自身の苦労を無駄にするわけにもいかなかったし、たくさんの人の想いも途切れさせてはならないのだ。

 少女はそう自分自身へ言い聞かせながらも着実に初飛行をこなしていく。夢は目前まで迫っており、あとは掴み取るだけ。父との約束はすでに少女の手の届くところにあるのだ。何も焦る必要はない。


 だが。


 そこに空喰いはいる。


 少女や青年がどれだけその存在を否定しようとも、そしてその正体が誰にもわからなくとも、空喰いはそこにいる。

 そことはどこか。

 そこは常に誰かの上にある。そこは時刻や季節でその様子を目まぐるしく変化させながらも、必ず誰かの上にある。そして、この世界では誰かの上にあることが絶対の摂理でもあった。

 人類がそこを上から見下ろすことなど世界の法則が許さない。そこの中に入ろうとすることも世界の法則が許さない。そして、空喰いがこの法則を具現化させる代行者だ。


 そして…


 空喰いに例外は存在しない。


 *


 少女は順調に空深空港の上空を旋回し続けていた。はじめは少しだけ旋回動作にぎこちなさが目立っていたが、何度か繰り返すうちに流れるように操縦することができるようになっていた。

 シミュレータでの練習が功を奏しているのは間違いないが、少女の勘の良さが大きく貢献している。ただし、少女自身はそんなことを自覚しておらず、今も集中して練習用飛行ルートを飛び続ける。

 初めて飛び立ち、初めて安定飛行した時には心の底から嬉しさがこみあげてきて幸せにあふれる言葉で「嬉しい」と呟いてしまった。当然、無線の向こうの青年にもその言葉が聞こえてしまったようで、少女としては少しばかり恥ずかしい思いをした。

 だが、今は現実の空中にも慣れてきたため心に波風を立てることなく、淡々と練習飛行をこなしていく。


 なおも飛行を続けていると、少しずつ少女の中で焦りのようなものが生まれ始めた。青年は高度100以上を飛行してはならないと指示したが、やはり空高くを飛びたい欲求に駆られる。


「ねえ、ちょっとぐらい高いところに行ってもいいんじゃないかしら」


 軽い気持ちで少女は無線で青年に呼びかける。だが、青年は毅然とした態度で少女の要望を簡単に却下する。


『そんなことが許されるか。こんなところで目的を見失うな』


 少女は内心で「ケチ」と呟く。当然、青年に聞かれては怒られてしまうので口には出さない。


(もうすぐ、そこにあるのになあ)


 少女は操縦席から遥か上空を漂う雲を眺める。青いキャンバスに浮かぶ白い雲は、その場所に静止しているかのようにゆったりと漂っている。

 その雲を眺めていると、少女の中でその雲の存在がうらやましくなっていた。今の自分は法律や常識にがんじがらめにされて、飛び上がりたくとも飛べないというのに、漂っている雲は自由に空を流れている。


(いいなあ、あなたは自由で)


 少女は内心で毒づく。

 私はここに来るまでに色々な経験をした。苦しいことも楽しいこともあったが、どちからといえば苦労した思い出が多い気がする。


 私が幼いころに父はこの世を去った。スーツを着た知らない大人が紙切れ一枚を持ってきた記憶は鮮明に残っている。あの時、母と私は一緒になって泣いたのだ。きっと、母も私もおいて行かれた孤独感に寂しさを覚えたのだ。

 小学校の先生に空の飛び方を聞いたとき、とても怒られたこともあった。成績もよく、明るい性格だった少女を見る普段の先生は優しい目をしていたのに、空の飛び方を聞いた途端、感情のない目で私を怒った。そのとき、私は何だか先生に見捨てられた気がして一人ぼっちみたいだった。

 母親に空を飛びたいと初めて話した時もあった。私はただ夢を理解してもらう人が欲しかっただけなのに、母は拒絶した。いや、拒絶したのは母ではない。豹変した誰かが母を乗っ取っているだけなのだ。あんなのは私の母ではない。そうすると、私の母はどこに行ったのだろうか。


 少女の中を少しずつ暗い感情が侵食し始める。それは言葉にするならば、孤独。


(私、どんどん独りになっていく…)


 空に近づくにつれて、孤独になる。

 少女が周囲を見回すと、そこには青い空が広がっている。

 言い換えれば、青い空しか広がっていない。

 そこに仲間はいない。そこには何もない。何かに掴まることも、どこかで立ち止まることもそこでは許されない。なにしろ、そこには何もないのだから。


(じゃあ、ここには何がいるの…)


 少女はそう思いながら周囲を見回す。だが、何度見返しても青い空だけが視界に入る。今、少女がいる場所には人も物も存在しない。


 この何もない空間を、少女は受け入れられなかった。


 何もないわけがない。ここにはきっと何かがある。そうでなければ、今の私を誰が支えてくれるというのか。この危うい空の上で、一体どうやって自分を保てばいいのか。

 すでに少女の心は焦りと不安で埋め尽くされていた。この空間に何もないことを認めてしまうと、自分という存在が希薄になり、空に溶けていきそうだった。


(そんなの…そんなのは…いや)


 ここで消えたくなんてない。私には果たさないといけない約束がある。守り抜かなければならないたくさんの人の思いがある。絶対にこんなところで消えたくない。私にはやらなきゃいけないことがあるんだ。

 そう思いながら少女は両腕で頭を抱え込む。まるで、空という空間と自分の間に壁を作るように、自分という存在が溶けてしまわないよう守るように。


 いやだ。いやだ。いやだ。


 少女はその言葉だけを繰り返す。口に出していたのかどうか自分でもわからないが、消えてしまうのだけはいやだ。

 が、ここで急に少女は冷静になる。


(どうして今、自分は消えてしまいそうだと思っているのだろう?なぜ私は自分を見失いそうになっているのだろう?

 それは、私が独りだから。孤独だから。そして、この空には誰もいないし何もないからだ。そう、空白こそが私を悩ませるんだ)


 少女は冷静に思考をめぐらせる。だが、少女は気付いていなかった。冷静に異常な思考をしているだけという事実に。

 そして、少女は考えてはいけないことを考える。


(空白がいけないんだ。孤独がいけないんだ。このままじゃ、私は溶けてなくなりそう)


 だから、ここは空白なんかじゃない。ここには誰かがいるし、何かがあることにすればいい。

 なら、それは誰?それは何?


 それこそが…


「空喰い」


 少女は明確に口に出す。

 そして、抱え込んでいた頭を上げると、少女の目に飛び込んできたのは勢いよく迫る黒い滑走路だった。


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