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空喰い  作者: とりとん
第2章 たとえ空に拒絶されようとも
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フライトシミュレータ

 空深図書館で空の飛び方を一通り教えた青年は、1週間ほど不在になることを少女に告げる。

 そしてその間に滑走路の掃除を済ませておくという仕事を半ば無理やり押し付ける形であった。あの地味で面倒な仕事を青年に押し付けてやろうと目論んでいた少女としては早くも出ばなをくじかれてしまったが、必要な仕事であるとも理解していたので言うとおりに従う。


 1週間、地道に続けることで滑走路の掃除を無事に終え、少女が倉庫に戻るとそこには青年がいた。さらに青年の近くには大きめのデスクトップパソコンと、モーターグライダーの座席を再現したのであろう椅子と操縦かんにフットペダルが用意されていた。


 この無骨な倉庫に突如として姿を現した精密機器は、その場に似合わない存在感を放っていた。

 当然のことながら少女の興味はその精密機器に吸い寄せられる。


「ねえ、一体これはなに?」


 率直にそう問いかけた少女に対して青年はいつもの平坦な調子で答える。


「フライトシミュレータだ」

「フライト、シミュレータ・・・」


 モーターグライダーの座席に酷似したその配置、脇に置かれた大きなデスクトップパソコン。さらにフライトシミュレータという言葉から連想した少女は、これから何をするのかを理解した。


「もしかして、これで操縦の練習をするのね!」


 少女の目はいつもの力強い輝きを取り戻す。

 この1週間、死んだ魚のような目で、ただひたすら黒いアスファルトの広がる滑走路を掃除するという苦行を続けていた少女にとって、いかにも楽しそうなその機械の使い方を知るだけで調子が反転した。

 その様子を察した青年は少女に魅力的な提案をする。


「興味津々だな。使ってみるか?」

「え、いいの!」


 文字通り身を乗り出して少女は青年の提案を受ける。使い方を一切聞かずに使おうとするあたり少女の性格が表れていた。


「それじゃ、とりあえずそこに座ってくれ」


 青年が指示したのは言うまでもなくモーターグライダーの座席を模したのであろう椅子のことだ。その椅子は完全に倉庫のコンクリート製の床に固定されているらしく、少女が座ってもびくともしなかった。

 左右にはやや大きめの肘掛があり、左肘掛の隣には指を4本かけて前後させるレバーがある。右肘掛の隣には長さ20センチほどのスティックがある。足元に目をやれば、そこにはフットレバーが右足、左足用とある。


「で、まずはどうすればいいの?」


 はやる気持ちを抑えようともしない少女に青年は冷静に説明を始める。


「これは実機でもそうなんだが、座ったらまず座席の調整をする。今は席が固定されてるから周りのレバーとかを俺が位置調整するが、実機では座席を前後させて自分なりに丁度いいようにしてくれ」


 そう言いながら青年は左右のレバーや足元のフットペダルの位置を調整し始めた。時折、少女に体を動かしてもらい、感触を確かめながら無理のない位置へ固定していく。

 一通り位置調整が終わると、青年は次の指示を出す。


「次は肩の上と腰の横ぐらいにシートベルトがあるから、それを締める」


 言われるままにシートベルトを伸ばし、差込口に差し込むとカチャリという小気味良いロックの音をさせながら固定される。

 両肩口と左右から固定される形となり、体が固定される圧迫感を感じながら少女は尋ねる。


「別に本当に飛ぶわけじゃないのにシートベルトは必要なの?」

「臨場感、という意味もあると言えばあるが、このシミュレータは完成度が高すぎてな。練習中に体を傾けたりして椅子から転げ落ちる事故が起きたんでシートベルトを追加した」

「そういうものなのね」


 少女としてはその姿に共感できなかったが、そういう癖のある人もいるのだろうと他人事のように考えていた。このときはまだ、そう考えていられたのだった。


「それじゃ、最後にこれをかぶってくれ」


 そう言いながら青年が取り出したのは、頭の形に合わせて湾曲したバンドと黒い長方形の物体が一体となった物だった。黒い長方形からケーブルが何本か垂れ下がり、パソコンへとつながっているところを見ると、これもフライトシミュレータの一部ということがわかるが、それ以上のことはわからない。


「その怪しい機械はいったい何かしら」


 怪訝な様子を露わにしながら少女は聞く。すると、青年は少しだけ得意げな顔をしながらその物体について説明する。


「これはVR機器だ。この黒い四角の中にモニタがあって、これを頭からかぶることで本物さながらの風景で練習ができる優れものだ」

「それを頭からかぶる・・・」

「なんだ、怖気づいたか?」

「そ、そんなわけないでしょ」


 少女は図星を突かれたが、勢いよく使いたいと宣言した以上は弱みを見せてはならないと自らを取り繕う。

 とりあえずこの怪しげな物体を装着しなくては練習すらできない。そう思いながらVR機器をかぶると、少女の目の前は真っ暗になる。

 少しだけ不安を感じていると、横から青年の声がする。


「とりあえず離陸練習でもしてみるか。最初は慣れないと思うが、そのうち病み付きになるぞ」


 カタカタと青年がキーボードを叩く音が聞こえ、少しだけ待つと少女の視界は水色の空と黒い滑走路に切り替わる。視界の上半分が水色一色に塗りつぶされた映像はやはり本物の空とは違い、今目にしているのがシミュレータの画面だということを再確認する。


「たぶん空と滑走路が見えると思うが、ちゃんと映ってるか?」

「ええ、見えるわ」

「首を動かすと窓枠とか計器とかが見えるから周囲を確認しといてくれ」


 少女が首を右に振れば右の窓枠や緑の芝生のようなものが見える。下の方を見ると、何やら色々な円形の計器が見える。針の位置は様々で、左下を指しているものもあれば、まっすぐ上に向いているものも下を向いているもの、さらには真横を向いているものもある。

 突然、視界に入ってきた計器群に少女がたじろいでいると、再び青年の声が耳に入ってくる。


「とりあえず今は全部覚えようとしなくていい。今回は速度計と書かれた計器だけ気にしといてくれ」


 少女が整然と並んでいる計器の中から速度計を探し当てると、青年は練習内容の説明をする。


「今回は離陸の練習だ。この前説明したように、モーターグライダーは地上でスピードを上げて、ある程度スピードが出たら浮き上がる。そのスピードだが、速度計が60を超えたら右手の操縦かんをゆっくりと手前に引く」

「60を超えたら手前にゆっくりと引く、ね」


 青年の言葉を繰り返して少女はこれからやることを再確認する。


「プロペラの回転についてはこっちで制御するから、速度計の数字と操縦かんを引くことだけに集中すればいい。当然、実機では自分でプロペラの制御もしてもらうけどな」

「分かったわ」

「それじゃ、始めるぞ」


 青年が一言で練習の開始を告げると、少女の見ている映像のプロペラが回転を始める。その回転はみるみる速くなっていき、すぐに目では追えないほどの速さに到達する。

 すると、少女が注目していた速度計の針が少しずつ0から動きだし、それと同時に左右の景色も動き始める。

 少女は動き出した左右の景色に思わず視界を左右に振ってしまったが、今注目すべきは速度計であることを思い出し慌てて視線を目の前に戻す。


「60を超えたらゆっくり引く。60を超えたらゆっくり引く」


 まるで呪文か何かのように呟いている様は少し怖いくらいだったが、まさに少女が本気で取り組んでいることの裏返しでもあった。

 速度計の数字は徐々に、しかし確実に増えていく。

 10、20、30と増えていくにしたがって周囲の景色もより速く後ろへ流れていく。

 しかし、少女はすでに周囲の景色は目に入っていなかった。

 その視線は速度計のみに集中しており、その針が60を指し示すまでじっと待つ。


 そして、少女の睨んでいる速度計の針が60を過ぎる。

 その瞬間を待ち望んでいた少女は、しかし青年に言われた通り焦らずゆっくりと右手の操縦かんを手前に倒す。

 すると、これまで見えていた滑走路が下方へフェードアウトしていき入れ替わるように水色の空の映像が機体の窓を埋め尽くす。少女は仰角が増えたのだと感覚で理解したが、まだ左右の景色は平行に後ろへ流れているだけだった。

 これは離陸できたのか不安を感じ始めたころ、ふいに別の計器の針が動き出した。そして、後ろへ平行に流れるだけだった左右の景色が下方へ移動を始める。


「これ、飛べたの・・・」


 少女が漏らした呟きに青年は答える。


「ああ、順調に高度が増えてる。腕の位置を変えないよう気を付けながら周りを見てみな」


 そう言われて少女は操縦かんを握る腕が動かないように気を使いながら、首だけを動かして周囲を確認する。

 すると、ついさっきまで見えていた左右の芝生帯は姿を消し、緑色の大地が広がっている。地平線は水平ではなく斜めになっており、まさに自分が斜め上を向いて飛んでいることがわかる。

 後ろを見れば、走っていた黒い滑走路がみるみる遠ざかっていっている。


「すごい、飛んでる!飛んでるわ!」


 シミュレータの仮想的な大地とはいえ、陸から飛び上がった気持ちになった少女の気分は高揚していた。

 なぜなら、これまで見たことのない角度の地平線、進む先に空しか見えない視界、そのどちらも少女は目にしたことが無いからだった。

 少女がシミュレータのとりこになっていたが、青年は構わず練習の終わりを告げる。


「よし、とりあえず離陸の練習はここまでだ」


 その声が聞こえた途端、目まぐるしく動いていた計器の針が停止し、それまで回転していたプロペラも停止する。

 急に何が起きたのか一瞬、理解できなかった少女だがこれがシミュレータであることを思い出し、青年が映像を一時停止したのだと気付く。

 それに気づいた少女は不満をあらわにする。


「えー、もうやめちゃうの?」

「離陸の練習だって言っただろ。そもそも旋回も着陸もやり方を知らないでこれ以上操縦できんのか」

「それは、まあ、そうだけど・・・」


 少女はかぶっていたVR機器を外しながら歯切れの悪い反応を返す。


「ひとまずシミュレータがどういうものなのかが体験できれば今はいい。それに、」

「はいはい、分かったわよ」


 何か言いかけた青年を制して少女はぶっきらぼうにそう返すと、シートベルトを外して立ち上がろうとする。

 と、突然、少女はめまいを感じ、立ち上がりかけた体がふらつく。とっさに椅子の肘掛に手をつくことで転倒は免れたが、突然の出来事に少女は呆然とする。

 その様子を冷静に観察していた青年は怪我をしていないことを確認すると、言いかけたことを続ける。


「それに、意外にもこの練習は精神的な負担が大きい。特に滑走路の掃除で疲れてるから今日は大人しく休むんだな」

「・・・そうね、そうするわ」


 少女は力なくそう答え、大人しく青年に従うことにするのだった。


 *


 青年は少女を倉庫で少し休ませてから明るいうちに帰らせた。

 1人残された青年は、録画しておいたシミュレータの映像を確認していた。このシミュレータはVR機器に表示されている映像をモニタで確認できたり、その映像を記録することもできる。


「やれやれ、あいつもよくこんな高性能なもの作ったよな。図書館の仕事じゃあ、才能の無駄遣いだろうに」


 青年はそう呟きながら、かつてともに空を目指した仲間の姿を思い浮かべる。

 動画の読み込みが完了し、再生が始まる。

 時間にして数十秒程度の短い動画のため、すぐに再生終了を示す画面に切り替わる。一通り確認し終わった青年は素直に賞賛の言葉を口にする。


「やはり上手いな。とても初めてとは思えん」


 そう、少女の見せた操縦は青年の思っているよりはるかに完成されていた。プロペラの回転は遠隔で操作したとはいえ、操縦かんの動きに関しては文句のつけようがなかった。


「大抵は操縦かんを真っ直ぐ引けずに横転したり、なかなか飛び立てず引きすぎて失速するものなんだがな」


 かつて自分自身がそうでもあったし、その後何人かに同じような練習をさせた時も同じようなことが起きた。まともに離陸できるようになるだけで何度もやり直すことが普通だった。

 だが、適性があることは悪いことではない。これからシミュレータを使ってやらなければならないことは山ほどある。

 そう考えると、この結果は歓迎すべき事態に間違いはないが青年の心境には黒い影が差したままだった。

 その思いを体現するように呟きを漏らす。


「もしかすると空への執着が成せる技か」


 青年の呟きは誰もいない倉庫に響き渡る。


 外を見れば、東の空から暗い夜空が侵食し始めていた。

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