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空喰い  作者: とりとん
第2章 たとえ空に拒絶されようとも
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空の飛び方

 モーターグライダーが組みあがった次の日の昼、少女と青年は空深図書館を訪れていた。

 ただし、調べ物をするためでも本を読むためでもない。今日は空深図書館の打ち合わせ室を借りて座学の予定だ。内容は言うまでもなく空の飛び方、その原理について青年が少女に教える。

 図書館に入ると、青年はまっすぐに職員の座っているカウンターに向かう。少女は以前、手紙を渡した女性職員の姿を探したが、どこにも見つけることができない。

 青年に促されたので少女は再び図書館の奥へと進んでいく。

 前に案内された部屋と比べると少し広く、ホワイトボードの置かれた部屋に案内された。

 青年とともに部屋に入ると、職員の人は去って行った。


「さて、じゃあ早速だが」


 そう言いながら青年が椅子に座ったので少女も習って向かい側に座る。


「まず空の飛ぶ原理について説明しといてやる。前にあのプロペラの向きじゃ前にしか進まないと確か言っていたな」

「ええ、言ったわね。だってどう考えても上に行きそうにないじゃない」

「それは間違ってない。先端に付いたプロペラが生み出すのは前に進む力だけだ」


 青年はあっさりと少女の意見を肯定する。であれば、なおさら少女の中の疑問は膨らむばかりだった。それなら上向きにプロペラつけなさいよと心中で訴える。


「実は空へ飛び立つ力を生み出すのは別のところだ。大体見当はつくと思うが・・・」

「もしかして、あの左右に大きく広がった翼のこと?」

「その通りだ。主な翼と書いて主翼と呼ばれる」

「で、その主翼とやらでどうやって飛ぶのかしら。羽ばたかないのでしょう、この機体」


 青年は覚悟していたことだが、やはり説明して理解してもらうまでには苦労しそうだと思った。


「こりゃ、説明するより体感したほうが早いな」


 青年はそう言うと打ち合わせ室に置かれている内線電話を手に取ると、どこかに電話し始めた。ほどなくして、先ほど案内してくれた職員の人がA4サイズほどの透明なプラスチック板を持ってきた。


「これが何か分かるか?」

「ええと、下敷き?」

「ああ、下敷きだ」


 この人、他人を馬鹿にするのが趣味なのだろうか。少女はそう思ったが、いい加減慣れてきたので口には出さない。

 青年に下敷きを持つように促され、さらにその下敷きであおげと指示される。

 言われるがまま少女が自分の顔を下敷きであおいでいると、風が生まれて少女の長い髪の毛がわずかに揺れる。

 ぺろんぺろんという下敷きの音だけが空しくその場に響き渡る。


「よし、それじゃ次は下敷きを斜めに倒して水平に振ってみろ。卓球のラケットを振る感じで」

「はいはい」


 少女はこのまま下敷きで青年の顔をはたいてやりたい気持ちだったが、そんなことをして見捨てられてはかなわないので我慢する。

 言われたまま、下敷きを斜め45度ぐらいに倒し、水平に腕をゆっくりと振る。

 すると、僅かに、本当に僅かにだが少女は腕を持ち上げられる感覚を得た。

 少女がそのことを口にする前に青年が答えを話し始める。


「どうだ、腕が少し持ち上げられそうにならなかったか?」

「ええ、感じたわ」

「今は自分で腕を振ったが、この腕を振る力がプロペラの力だ。その力で機体は前に進む。そして、その下敷きが主翼の力だ。その力で機体は上に持ち上がる。感覚で分かるだろうが、当然進む速さが速いほど、翼の面積が広ければ広いほど持ち上がる力は強くなる」

「速ければ速いほど、広ければ広いほど」


 少女は青年が説明したことを繰り返し呟きながら、得られた腕の感覚を思い出す。

 空を飛ぶ原理を体感してもらった少女の様子を見て青年はさらに説明を続ける。


「もう少し表現を変えると、モーターグライダーのような固定した翼をもつ機体は飛び上がるのに必ず向かい風でなければならない。10のスピードで地上を走っていても後ろから10の風が吹いてくると、機体は飛び上がれない。逆に地上を走らなくても前から強い向かい風がくれば、機体は自然に飛び上がれる。あくまで理論の話だがな」

「向かい風じゃないと飛べない、か」


 少女は青年の説明を頭の中で反芻しながら、あらためてモーターグライダーという機体の性質を振り返る。

 前から行く手を阻むような向かい風が空への力を生み出してくれる。まるで逆境をものともせず、その逆境すら飛び立つ力に変えてしまう飛行機という存在の力強さを少女は再認識するのだった。


「ということは、モーターグライダーの主翼は水平に取り付けられてない、ということになるのかしら」

「そうだな。ただ、実際には今の下敷きほど角度は急ではない。せいぜい水平に対して5度ぐらいだ。ちなみにこの角度を仰角という」

「角度がきついほうが上向きの力は強まりそうなものなのだけど、それぐらいしか角度をつけないのはなぜかしら」

「そうだな、これ以上説明すると空気層剥離だの循環理論だの面倒なことになるが?」

「・・・遠慮するわ」


 とりあえず今のところの説明だけで少女は納得することにした。自分は科学講座を受けに来たわけではないのだ。決して自分の頭脳に自信がないわけではない、そう言い聞かせる。


「とりあえず今は、モーターグライダーは向かい風を生み出すためにプロペラで自走する、ということだけ理解してればいい」


 青年は少女をフォローしつつもプロペラが上向きにつかない理由の説明を終えることにする。


「さて、飛ぶ理由が分かったところで次は制御について教えとく」

「制御?」


 少女としては飛ぶ理由が分かったのだから、もうこのまま空港に直行して飛びたい気分だったが、どうもそうはいかないらしい。空はまだまだ遠そうだった。


「そうだ。プロペラが回転し前に進めば空は飛べるが、それは正しい制御ができないといけない。足のつく地上と違って、空には固定するものも掴まるものも一切存在しない。だから自分で自分を制御しないと地上へ真っ逆さまになってしまう」

「それはなんとなくわかるけど・・・」


 消化不良気味の少女の様子を見て青年は切り口を変える。


「スクーターを運転するとき、ハンドルはどっちに動く?」

「それは左右でしょ」

「お前の乗るスクーターのハンドルは前後に動いたりするか?」

「はあ?何言ってんの?」


 まあ、それが普通の反応だろう。そう思いながら青年は説明を続ける。


「スクーターのハンドルが左右にしか動かないのは、動かす必要がないからだ。スクーターの制御は左右だけでいいからな」


 少女としては当たり前すぎる青年の説明に何が言いたいのか分からなくなっていた。

 いまだに疑問符を浮かべたままの少女を見ながら、やはり青年は説明を続ける。


「だが、空には地面など存在しない。この場合、機体は左右・上下・回転の3つの制御が必要になる」

「3つ?」

「具体的に言うと、モーターグライダーのハンドルは左右にも前後にも動くし、さらに足も使って同時に3つ制御する」

「・・・」


 少女は軽いめまいを覚える。上下左右に動くハンドルに、さらに足も使う?この青年は曲芸でもやらせる気なのか。


「ついてきてるか?」

「べ、別に問題ないわ。そんなの余裕よ」


 完全に強がりだった。少女自身、言った後に空しくなるほどの強がりだったが、ここは強がるしかないと思った。

 そんな様子の少女に構うことなく、青年は部屋のホワイトボードに絵を描き始める。描いた絵は3つ。1つはモーターグライダーを正面から見た図、もう1つは横から見た図、そして最後に上から見た図だ。


「まず、回転の制御とはこういう向きのことだ。ローリング制御といい、操縦かんと呼ばれるスティックを左右に倒すことで制御する」


 そう言って青年は機体の正面図に円形の矢印を書き足す。


「次に、上下の制御。ピッチング制御といい、操縦かんを前後に動かすと制御できる」


 さらに青年は2番目の横から見た図に同じような円形の矢印を書き足す。


「最後に、左右の制御だ。ヨーイング制御といい、右足を踏み込めば右を、左足を踏み込めば左を向く」


 そして3番目の上から見た図に円形の矢印を描く。


「・・・」


 少女は無言だった。

 脳内ではめまぐるしく目の前の情報を処理せんと思考を走らせているが、完全に理解が追い付いていなかった。

 確かに青年は3つ制御する必要があると言い、その3つの制御の名前と方法まで説明した、と思う。思うのだが、では実際にモーターグライダーに乗って制御する姿を想像したとき、飛び立つときはどうやって飛んでいる間はどうやって陸に戻るときはどうやるのか全く想像がつかない。

 そんな様子の少女に青年は冷静に言葉を放つ。


「お前、ついてこられてないだろ」


 少女は黙って頷くことしかできなかった。


 *


「俺としてもいきなり理解しろなんて思っちゃいない、安心しろ」

「できるわけないでしょ!このままじゃ地上へ真っ逆さまよ!」


 青年は落ち着けとなだめながら、少し詰め込みすぎたかと反省する。


「とりあえず今日はここまでだ。このホワイトボード、写真に撮っていいから復習しといてくれ」

「言われなくてもそうするわよ」


 少女は半分ふてくされながら携帯端末で写真を撮る。


「とにかく、機体の制御さえ完璧にできるようになれば後は実際に飛びながら教えられる。だから今が辛抱時だ」


 青年のその励ましに、少女は少しだけやる気を取り戻す。

 そうだ、これができれば空を飛べる。そうすれば、あれほど焦がれた父親との約束も果たすことができる。そう自分自身を鼓舞する。


「絶対、モーターグライダーを乗りこなしてやるんだから」


 少女は再びその目に力を宿す。今まさに自分は空を飛ぶ方法を身に着けつつある。手探りだった昔とは違い、目標に向かってあとは進んでいくだけだ。

 空という場所の美しさ、危うさ、孤独を知らない少女は、ひたむきに空を目指すのだった。


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