少女の執着と青年の心配
少女は無事、青年に頼まれたモーターグライダーの部品を集めることができた。
空深図書館では垂直尾翼を、郊外の町工場では水平尾翼を、そして喫茶店イカロスではプロペラが眠っていた。
性別も性格も年齢も異なる人たちから預かった部品には、共通して空を飛ぶことへの思いが込められているようだった。
空深図書館の女性職員は、再び空へ飛ぶことを説得できなかった惜敗の念に苛まれていた。しかし、現れた少女にその思いを託し、再び機体が空へ舞い上がることを願った。
町工場の親方は、自らが組み立て整備した機体がバラバラにされながら、そして仲間が空をあきらめる姿を目にしながらも部品を持ち続けた。そして、手伝えない悔しさを感じながら少女にその思いを託し、再び機体が風を受け止めることを願った。
喫茶店イカロスのマスターは、機体の部品を守ることに命をかけた若者の存在と空を飛ぶことの重さを少女に教えた。
あらゆる思いを受けた部品たちは空深空港の倉庫へ集められ、まさに今、少女の目の前で青年の手によって組み立てが始まっていた。
少女が集めたのは比較的小さな部品が多かったが、青年の集めたモーターグライダーの胴体や翼は大きい。人力だけではとても運べそうにないが、どこからどうやってここに運んだのか少女が尋ねる。
「ねえ、そんな大きいの、どこから持ってきたの?」
しかし青年はあいまいに返事するだけで少女の問いには答えなかった。すると、今度は青年のほうから少女に話しかける。
「それよりも、気のいい連中ばかりだっただろ?」
「そうね。でも性格とか雰囲気とか、結構違う人ばかりなのによくまとめられたわね」
「そうだな、みんな、見ている場所が同じだったからだろうな」
青年は少女の回収した垂直尾翼を取り付けながら話す。少女は、一度ばらばらにすることを決断した張本人は果たしてどんな思いで組み立てているのだろうか気になったが、無事に機体の部品を集められた今日に重い話もしたくなかったので聞かないことにする。
代わりに、とりとめもない話をすることで少女はその場しのぎをする。
「ところで、あなた組み立てできるの?組み立ては親方さんがやってたって聞いたんだけど」
「ああ、まあな。あのオヤジ、機体をバラバラにする条件として俺に組み方を完璧に仕込むって言いだしてな。三日三晩、しこたま鍛えられたよ。だから心配すんな」
「あの親方さんに、か」
少女は、青年があの親方にどやされながら泣く泣く機体の組み方を教わる様子を想像すると少しだけ愉快な気分になった。そして、その輪の中に自分がいられなかったことも少しだけ悔しく思うのだった。
「ところでお前、暇そうだな」
青年は少女に問いかける。少女はモーターグライダーの組み立てを手伝うと言ったのだが、初心者にミスでもされたら危ないからと手伝うことを拒否されていた。だから、今こうして青年が機体を組み立てる様子をただ眺めることしかしていなかったので、暇には違いなかった。
少女は不穏な気配を感じながらも青年に答える。
「そりゃ、見てのとおりよ。誰かさんが手伝わせてくれないんだもの」
少女は嫌味っぽく暇な原因を指摘する。しかし、青年は全く意に介することもなく話を続ける。
「よし、じゃあ少し後ろの滑走路を見てくれ」
「後ろ?」
言われるがままに少女が後ろを見ると、そこには大きく開いた倉庫の入り口を通して滑走路がある。しかし、展望台から見た時とは違い、滑走路特有の白い点線や左右に広がる長い空間は見当たらず、そこかしこに雑草が生え始めた黒いアスファルトの道があるだけだった。
「見たけど、これがどうかしたの?」
「お前にも大体想像がつくと思うが、滑走路を機体が走ることで空に飛びあがる」
「まあ、そうでしょうね。そこのモーターグライダーにも車輪がついてるし」
「そうだ。そこの滑走路をモーターグライダーが走る。で、もう一度、滑走路を見てみろ」
少女はすぐに答えを教えない青年に対して苛立ちを覚えつつも、もう一度滑走路を見る。次、同じこと言いだしたら、いい加減にしろと言ってやろうと思いながら後ろを振り返る。
やはり、そこには黒いアスファルトと顔をのぞかせる緑の雑草が見えるだけだった。
(ここをモーターグライダーが走るのよね)
少女はそう思いながら滑走路を眺める。
そこで、ふと何とも言えない違和感が走る。いや、これは嫌な予感というやつだと少女は本能的に思った。
もう一度、目の前の滑走路をよく観察してみる。
黒いアスファルトと、対照的に薄緑色をした雑草。よく見れば小石・木の枝・枯れ葉などが目に付く。
(ここを走る・・・)
少女は気付く。気づいた瞬間、つい「まさか・・・」と口に出す。
その少女の様子を見て、青年はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、少女に暇つぶしを与える。
「滑走路の掃除をしろ」
*
「あー、もう、やってらんないわ!!」
滑走路の中心で少女は叫ぶ。気温はそれほど高くないが、ところどころに雲が浮かびつつもよく晴れた空の下で太陽を背に草むしりをする。始めて数十分も経てば汗が浮かび始めた。
長さ3000メートル、幅60メートル。この広大な空間で上げた少女の叫びは、風にかき消され虚しさだけが残る。
さすがに青年もすべての場所を掃除しろとは言わなかった。そもそもこの広さが必要なのは巨大な飛行機だけのようで、今青年が組み立てているモーターグライダーでは飛び立つのにここまで必要ないのだそうだ。
だから、この広い滑走路の左右の端から1000メートル分、それも中央から幅10メートルぐらいで構わないと言った。
とはいえ、歩いて15分もかかるような長さを草むしり、ゴミ拾いするとなると途方に暮れる。それも左右の端ということで2か所もあるのだ。
「これだけ周りに何もないと迷子になりそうね」
少女は休憩がてら周囲を見回しながら独り言をつぶやく。どこまでも視界が広がっているのに迷いそうになるという新鮮な感覚を感じながら少女は風を感じる。
周囲を山に囲まれ、自分しかいないこの場所は静かそのものだった。時折吹く優しい風が気持ちよく、少しの間少女はただその場に立っていた。
目を閉じると、風の音が聞こえてくる。人の声も車の音もしないこの場所でじっとしていると、まるで自分という存在が風に溶けていくようだった。
どれぐらいそうしていたのか、少女は目を開けて再び滑走路を眺める。自分が掃除をしてきた後ろを見ればきれいな黒い地面と、そこに描かれた白線がよく映えていた。
しかし一転して前を向けば雑草やゴミが転がり、どこまでも続く滑走路が目に入る。
少女はため息を一つつくと、これも空へ飛ぶために必要なことだと自分に言い聞かせながら作業を再開するのだった。
*
空の西が赤みを帯び始めたころ、少女は作業を切り上げて倉庫に戻ってきていた。単純に疲れたから戻ってきたという理由もあるが掃除を始める前に、夕方になったら必ず倉庫に戻れと青年に何度も強く言われていたからというのもある。
滑走路に出る前はその理由はよくわからなかったが、明るい日中でも迷いそうになった少女にはその理由が実感を伴って今は理解できる。街灯も目印もないあの広大な場所で夜になってしまえば間違いなく戻ってこれなかっただろう。
肉体的にも精神的にも疲労した様子の少女を見て、青年は軽く話しかける。
「お、ちゃんと戻ってきたな。暇つぶしになったか?」
「あんたねえ・・・」
全く疲れた様子を見せない青年に対して少女は恨みがましい視線を向けながら近くの椅子に座り込む。当然、掃除はまだ終わらなかったので、次の時は巻き添えにしてやると心に決めながら少女は問いかける。
「で、そっちはどうなのよ」
その問いに青年は答える。
「できたよ。これが蒼空の会のモーターグライダーだ」
そう言われて少女は顔を上げる。疲れていて気付かなかったが、そこには以前写真で見せてもらった機体と同じものがあった。
倉庫特有の淡い照明の下にありながら、その白を基調とした機体は自らの存在を強調していた。青年の集めた胴体には車輪がつけられ、その脚でそこに据わっている。左右に大きく広がる白い翼は、さながら白鳥のようにいまにも飛び立ちそうだった。機体の後ろに目をやれば、少女の集めた垂直尾翼と水平尾翼が互いに直角に取り付けられており、単体ではどんなふうに取り付くのか分からなかった部品もそこにあるのが当たり前のようだった。
胴体に前後に長く描かれた青いペイントは空に吹きすさぶ風を連想させ、少女はこの機体が風を切り裂いて飛ぶ姿を想像しただけで胸が躍る。
そして何より、機体の先端に取り付けられたプロペラは流線形の機体とは違い、鋭い刃のようだった。その刃が生み出す推進力はどれほど力強いのだろうか。
少女は疲労感を完全に忘れ去り、モーターグライダーに魅入られていた。
やはり写真で見るのと実際に目にするのとでは実感が違いすぎた。空に焦がれ、空を目指し続けてきた少女にとって、今まさに躍動せんとする空へと繋がる機体がそこにあるという事実だけで幸福感に満たされていた。
「どうだ、きれいだろう」
青年のその言葉で少女は我に返る。少女の反応を見て満足だったのか、青年が優しい笑みを浮かべながら問いかける。
「ええ、とても」
少女はそれだけを告げると、再びモーターグライダーをただ見つめる。
*
青年は少し困惑していた。
確かに、機体が組みあがったときは自分自身、少なからず感動したものだが、いざこうして少女がのめりこんでいる姿を目にして困惑していた。
そんなにもうれしいものなのだろうか、と。
青年はかつて空を飛ぶための訓練を受けていた身でもあるし、実際に空を飛んだこともある。空落ちの日以降にも蒼空の会の仲間とともに、この機体で空を飛んだことだってあった。
だからこそ、一種の慣れという部分があって少女ほど感動できないのだろうか。
青年はそんなことを考えていたが、答えは自分の中だけでは出てきそうになかった。
少女は今もなお、そこにあるモーターグライダーを見つめている。別に目を離したところでいなくなったりしないのだが、その熱いまなざしを見ていると軽口も叩けそうにはなかった。
だが、少女の様子を見ながら青年は別の心配をする。
かつての自分がそうだったように、空に固執すればするほど壁に直面した時の影響が大きい。もしかすると青年以上の思いを宿していてもおかしくなさそうなこの少女は、失敗した時に立ち直れるのだろうか。
当然、青年は全力をもってサポートするつもりであったが、このモーターグライダーは一人乗りだ。無線通信機能は備えているが、空に上がれば必ず孤独になる。果たしてその孤独に耐えられるのだろうか。
もう一度、青年は少女の様子を観察する。空の飛び方、仕組み、意味、そして空という場所の美しさ、危うさ、孤独。それらを全て知らない少女は、ただ機体に魅入られる。
(地道に教えていくしかないよな)
先のことを考えても仕方ないと青年は割り切る。もとより、まだ機体が組みあがったというだけだ。今すぐ空へ飛び立てるほど現実は甘くない。
(まずは空の飛び方、その仕組みを叩き込まないと)
そう思いながら青年は倉庫の外を見る。夕暮れ特有の茜色が滑走路を照らし、普段は黒い滑走路が暖色に輝いている。
(そういや、滑走路の掃除がまだ終わってないか)
青年はそんなことを思いながら、いい加減少女の目を覚ましてやろうと倉庫に戻るのだった。




