モーターグライダー
「それで、私はどうすれば空を飛べるのかしら?」
「言っておくが、今すぐ飛べるわけじゃないからな?」
「そ、それぐらい分かってるわよ」
はやる気持ちを隠そうともしない少女に向けて青年は冷静に言い放つ。
青年はこの空深空港で少女に空への行き方を教えると約束したが、一体どこから話せばよいものか悩んでいた。
「そもそも、図書館で調べたというがモーターグライダーが何かは知ってるのか?」
「空へ行くための道具じゃないの?」
「・・・じゃあ、飛行機って何か知ってるか?」
「なんか、こう、飛行するための機械」
「・・・・・・」
青年は眉間をもみながら空を仰いだ。
(まあ、仕方がないか。最近の教育は徹底してるからなあ)
そう思いながらも青年は早くも先が思いやられはじめた。
「なによ、その人を憐れむような目」
「いや、いいんだ。悪いのは世の中だ」
「あなた、私のことバカにしてるでしょ」
このままでは話が進まないので、バカにしてるかどうかは答えず青年はモーターグライダーの説明を始めることにする。
「いいか、飛行機ってのは固定した翼と動力を搭載した人が乗る乗り物の一つだ」
「翼って、鳥の羽と同じもの?」
「一緒みたいなものだな。ただし、飛行機の翼ははばたかない。鳥が羽を広げて空を飛んでるのを見たことあるだろ?形としてはあれが一番近い」
「はばたかないのにどうやって飛び立つの?鳥はいつも飛び立つときははばたくじゃない」
まあ、当然の疑問か。青年はそう思いながら説明を続ける。
「はばたく代わりに飛行機には動力が付けられてる。それはエンジンだったりモーターだったりするが、モーターグライダーは当然、モーターで動く」
「なんとなく話してることは分かるけど、イメージが全然わかないわ」
「百聞は一見に如かず、か。ほら、これがモーターグライダーだ」
そう言って青年は携帯端末に一枚の写真を表示して少女に差し出す。
「へえ、これで空へ行けるのね・・・」
そこには、白地に青い線が描かれた円筒形の胴体と、その先端に付けられたプロペラ、そして横へ大きく広げられた翼が一体となった乗り物が写っていた。
胴体の後ろのほうには水平に小さな翼が左右に突き出ており、垂直に同じ大きさの翼が突き立っていた。
全体的な形はまさに人工物だったが、それぞれの部位の付け根や端部はどこも丸く加工されており、角の無い機体は美しくそこに収められていた。
機体そのものはそれなりの大きさがあるようで、機体の近くに立っている人と見比べても長さは10メートル近くありそうだった。
それよりも目をみはるのは左右に伸びる長く細い翼だ。写真では感覚でしかないが、機体の長さよりも横に広がる翼の方が長いようにも見える。
「これがモーターグライダーだ。先端についてるプロペラが回ることで進み、空へ飛び立つことができる」
「でもこれ、プロペラの向きを見ると前に進んでも上には進まないんじゃない?」
「それは揚力の話になるんだが・・・今は気にするな。また別の機会に話す」
「えー、今でもいいじゃない」
「それよりも、まずやらなきゃならなんことがある」
そう言って青年は少女から端末を取り上げると、ポケットの中にしまい込む。
「いいか、俺が蒼空の会で活動し、その後どうなったかはもう知ってるな?」
「ええ、まああまり幸せとは言えない結末よね」
「今のこの空港を見渡せばわかるように、モーターグライダーはこの空港のどこにも無い」
「それじゃ、どこにあるのよ」
「蒼空の会は無理やり解散に追い込まれた。当然、メンバーたちは散り散りになったことは想像できるな?」
「それは、そうでしょうね」
「ただ、当時の俺たちとしても協力して作り上げたモーターグライダーが取り上げられるのは絶対に避けたかった。だから・・・」
「だから?」
「機体を大まかに分解して、それぞれのメンバーに隠させた」
2人しかいない空間に一瞬の静寂が訪れる。そして少女が口を開くと、
「ということは、なに、ばらばらになったメンバーを探し出して、パーツを集めなきゃいけないわけ?」
「そういうことだな」
「そんなあ・・・」
この事実は少女にとって重くのしかかっていた。なにしろ、この青年を見つけ出し、説得するだけでここまで骨が折れたのだ。これと同じことを繰り返していては時間はどんどん過ぎていくし、何より少女自身の気がどうも持ちそうになかった。
「そんなにがっかりするなって。状況はそれほど悪くないんだぞ」
「どこがよ!どこにいるのかもわからない人を探して説得して、分解した部品を貰わなきゃならないんでしょ?あんたみたいな偏屈だらけだと身が持たないわ!」
「そんなイライラするなって。というかお前、今失礼なこと言っただろ」
青年はとりあえず落ち着けと少女をなだめ、落ち着いてきたところで話を再開する。
「元メンバーの所在は俺が知ってる。それに、そもそも分解したのは組み立てられるようにするためだ。多少驚くだろうが、俺の指示だと分かってくれれば協力してくれる連中ばかりだ」
「ほんとかしら」
ここまで言っても疑われるのだから、いい加減青年はげんなりし始めた。自分はそこまで疑われるようなことをしたのだろうか、と。
「とにかく、機体は胴体の前と後ろ、それから左右の翼と、機体の後ろに着いてる水平な小さい翼、それから垂直に突き出てる小さい翼に、あとはプロペラか。全部で・・・7か所だな」
「なんで7つも分解するのよ・・・」
「絶対にばれたくなかったからな。ちなみに俺は一つも持ってない」
「そんなの、聞かなくても分かるわよ。で、どこを探せばいいの?」
「そうだな、割と大きいものについては俺のほうで何とかする。だから、水平と垂直に出てる小さい翼と、プロペラを集めてくれ」
「で、どこに行けばいいの?」
少女は一体どこへ行けというのだろうと身構えながら青年の指示する場所を聞いた。
話を聞くと、垂直の小さな翼は空深図書館の倉庫、水平の小さな翼は空深郊外でやってる小さな町工場、プロペラに至ってはなんと喫茶店イカロスにあるそうだ。
「なによ、全部空深市内じゃない。よく警察に見つからなかったわね」
「その代わり、でかい部品は市内には無い。そのせいでこっちは時間がかかりそうだから・・・2週間以内に集めて、この空深空港の適当な倉庫にでも入れといてくれ」
そう言いながら青年は何やら手紙のようなものを書き始めた。それを少女に手渡しながら、青年はこれからについて話す。
「この3枚の手紙をそれぞれの人に渡してくれ。渡す相手は宛名に書いてあるから、その人を探し出せばいい。あとは、みんな協力してくれるだろう。これぐらいならできるだろ?」
「あなた、やっぱり私のことバカにしてるでしょ」
そう言いながら少女は3枚の手紙を受け取る。中に何が書いてあるのか気になったが、さすがに他人の手紙を見てはいけないことぐらいわきまえていたので、そのまま中を見ずに手紙を預かる。
「じゃあ、任せたぞ」
「ええ、承知したわ」
それだけを交わして2人は空港から出る。それぞれ車とスクーターに乗ると、しばらく誰も走らないバイパスを並走し、最初の交差点で左右に分かれる。
いろいろあったが、協力してくれることになって少女は嬉しい気持ちもあったが、安堵の気持ちのほうが大きかった。だが、こうして快晴の空の下、スクーターを走らせていると、ふいに嬉しさが一気にこみあげてきた。
たまらず、少女は空へ向かって声を上げていた。
「待ってなさい、私はそこへ行くからね!」
その声は誰にも聞かれることなく、頭上に広がる蒼空へと吸い込まれていった。